◇1
誰もが当たり前に、同じように、言葉を紡げるわけではない。
本当は、ポーレットも皆と同じだった。当たり前に意思を伝えられるはずだった。
ポーレットが声を失ったのは、母が亡くなった時だった。
やっと物心がついたばかりの幼さで、最愛の母を亡くした心の傷は深かった。
ポーレットの声が出ないのは、心因性だと医者に言われた。
そのうちに治るかもしれない。治らないかもしれない。
――結論だけ言うと、十九の誕生日を迎えた今も治っていない。
この先、声は蘇るのか。それは誰にもわからない。
そして、そんなポーレットを家族は顧みてくれなかった。どうせ駄目だと、医者にすら診せてもらえなくなった。
話すことができず、誰ともわかりあえず、虚しい人生だった。
ポーレットは、血溜まりに寝そべりながら目を閉じた――。
◇
「お母様、お姉様を呼ばなくてもいいの?」
「だってポーレットは話せないから、皆が気を遣うでしょう? そうしたらあなたも楽しめないのではないかしら。あなたの誕生パーティーなんだから、あなたのために開かれるのよ」
「そう? ありがとう、お母様。わたし、とっても幸せよ」
「いいのよ、私の可愛いシュゼット」
男爵である父は、ポーレットの母を亡くして喪が明けるなり後添えを迎えた。社交場に多く出席する貴族はパートナーがいなくては様にならないのだそうだ。持参金目当ての結婚ではないかと囁かれたが、准男爵だったヴァレリーの実家はそれほど財産を持ち合わせてはいなかったと思われる。
その継母のヴァレリーが産んだ異母妹シュゼットはポーレットよりも四歳年下。
母親に似た金髪で、ポーレットの僻みがそう見せるのかもしれないが、意地悪そうなつり目だった。
事実、意地が悪いのだと思う。心根の優しい子なら、こんな会話を本人の姿が見えるところでニヤニヤ笑いながら言わない。ポーレットは話せないだけで、聞こえないわけではないのだから。
四つも年が違うのに、シュゼットは竹のように背ばかりがよく伸びた。ポーレットと同じ背丈に追いついた時から、ポーレットの着る服はすべてシュゼットのお下がりになった。ポーレットの髪は真っ黒だから、金髪のシュゼットが好むような淡い色合いの服がまるで似合わなかった。
「あれではどうせ、ろくな嫁ぎ先もない。着飾らせても無駄だ」
華々しいはずの社交界デビューの日、扉を一枚隔てた先で父が口にしたセリフがそれだった。
それ以降、ほとんど社交場に顔を出すことはなく、婚約者もあてがわれないまま歳月が過ぎた。
本当に、清々しいほどの無関心だった。
我が国エルランドは、三方を海に囲まれた国だ。
それ故に歴史的な海戦が数多く繰り広げられてきた。平穏が訪れたと言えるのはここ二十五年ほどのことではあるけれど、十九歳のポーレットは戦争を知らない。平和な世の中が当たり前だった。
戦争ともなれば先頭に立って民衆を護るはずの貴族たちも、この平穏を謳歌している。社交シーズンだ、狩猟だと、何かにつけて楽しんでいるようにしか思えなかった。それこそが平穏の証ではあるのだけれど。
そんな貴族たちの中、ポーレットのミシリエ男爵家はかなりの末席だ。
領地も狭く、実入りも少なく、三代前の当主が功績を認められただけの、いわば成り上がりに過ぎない。由緒正しい家からすれば貴族と名乗るのもおこがましいという程度だった。
嫡子もおらず、娘だけが二人。それも上の娘は口が利けない。
体面を取り繕いたい父が焦っているのは仕方のないことなのかもしれない。
――なんて、物分かりがよくなりたくはないけれど。
ポーレットは便箋の一枚に『出かけてきます ポーレット』と書いて部屋の扉の前に置いた。
本来、貴族の令嬢ならば一人で出かけるなんてことはしないのだが、ポーレットの場合は頼んでも誰も来てくれないのだ。侍女たちはいるが、彼女たちを連れ出すと後でヴァレリーから叱られる。
その程度のことで人手を奪うなと。皆、それぞれに仕事があるのだから、勝手に連れ出すことは許さないと言う。
我慢して外出を諦めるか、一人で出歩くかのどちらかだ。だから、ポーレットは一人で出かける。
別に何をするでもない。公園の花を眺めたり、猫と触れ合ったり、そんな程度だ。
ただ家に閉じ籠っていると気が滅入るから。