スパインの暇つぶし
寒い季節になれば、どの土地でもヒトは忙しくなる。
日照りが続く『照りの節』に育てた野菜を、木々や草花が枯れ始める『枯れの節』に収穫し蓄える。それにより食料の備蓄は整ったが、空気が冷える季節である『凍えの節』にもまだやる事はあった。
寒い夜を越す為の焚き木や燃料を拵え、雪が降り積もり地方では朝から晩まで積もった雪の除去を行ったりと体を酷使する行事が盛り沢山である。
外での保温手段も十分ではなく、魔法があるからそれで幾分か寒さにも耐えられる様になるが、魔法だっていつでも何度でも使える訳ではない。むしろ魔法を使えばそれだけ気力を削られ、余計に疲弊し下手をすれば凍え死ぬ羽目になる。子どもであれば余計にそういった危険性が増す。
その為に大人達は冬を越す為の準備に奔走し、忙しそうに走り回る姿を見る事となる。
そんな忙しい大人たちに反して、子どもは出来る事、やれる事が大人と比べて少ない為に大半が家で留守番して過ごしている。そうなれば出来る事は家の家事の手伝い位で、特に元気が有り余った子どもは退屈な事となる。
そんな『凍えの節』での子どもの相手をする為に、更に大人達の手伝いも買って出る者がこの村に一人いた。
むらの中の一軒の孤児院。そこの一室で一人の有翼人が扉越しでも分かる程大きなもの音を立てていた。中では物が散乱し、それを纏め片付ける作業をしていた。
「よしっ!後はこれらを元の場所にもどして掃除すれば、ここの掃除はおわりです!」
一息ついてから立ち上がり、改めて部屋を見渡した有翼人のそいつは後少しの辛抱だと言い聞かせて掃除に取り掛かった。俺としては早くこの埃臭い部屋から出たい気分だったが、有翼人であるベリーがそれを許しはしなかった。
「だめですよスパイン!他にもやらなければいけない大人たちの代わりに掃除をしてやると約束した以上、さぼるのは当然の事、手を抜く事もだめです!
さぁ!わたしは片付けと掃除を半分やりましたから、こんどはスパインが掃除をする番ですよ!」
ベリーは俺に向かってそう言い、無理矢理に俺と『変わって』俺を表に出した。俺自身は掃除をやるとも手伝うとも言ってはいないのに、強制的に働かされてかなり不満に思う。
「…はぁ。だが、ベリーには言っても絶対聞かないからなぁ。やるっきゃねぇか。」
こうして交替した俺はベリーの身体を動かし、部屋の掃除に取り掛かった。直接物に触れてやるのも面倒くさいから、魔法を使って箒を動かしたりして掃除した。
その事にベリーは身体の内側から文句を言った。
掃除が自分の手でやるものです!
そう俺に話し掛けるだけで、頑なに俺と替わる気は無いらしい。仕方なく俺はベリーの言われるままに掃除をする羽目になった。それも魔法無しでだ。何とも鬼畜の所業だ!
夕方、掃除も粗方終わり漸くベリーに身体を返し、俺は意識だけの状態へと戻って休憩した。その間もベリーは何やら準備をしていた。手元を見れば絵本が店の棚にでも並べられるほど床に敷き詰められていた。
えらい本の数だが、一体何を始める気だ?まさか本当に本屋でも始めようとしているのか?今の時代、本は貴重で今あるのはベリーが通っている慈善協会という無償でヒトを助けるヒトの集まる施設から借りてきたものだ。もしこれらを買い揃えるとなれば、相当な額になるだろう。
「これは、明日の子ども達へと読み聞かせのために借りた本です!もうすぐ『年の瀬』ですが、そんな時期でも子ども達の世話を出来る大人はいませんからね。
子ども達を集めて色んな話を聞かせて、祝いの日を盛り上げなくては!」
何ともベリーらしい、殊勝な心がけだ。要は子どもらの暇つぶしの為に本を読んでやるという事だ。何が楽しくて子どもの世話をしなくてはいけないのか。それも本まで読む何て、俺にとっては苦行以外の何物でもない。
「文句を言わないで、スパインも本を読めばいいんです!いっつも文句を言って一項目どころか、一文字も読まないんですから!」
そうは言っても、俺は本の読む事にどうにも抵抗を感じる。ヒトが書いた文章にどこから仕入れたか不明の知恵と知識。どんなものに頼るのはどうも癪に障るし眠くなる。
「もう…そんなことばっかり言うから、スパインはいつでも『ノーキン』なんですね!」
おい待て。お前は俺の事、そんな風に思っていたのか!?それは正直傷付くぞ!?
「この前スパインと身体を入れ替えた時に、子ども達がスパインに向かってそう言って笑っていたのです!意味は知りませんが、その反応を見る限りやはり悪口だったのですね!」
今度会った時に注意しなくては、とベリーは話をそこで終えていたが、俺は未だ話を〆る気にはなれなかった。
第一、子どもがどこでそんな言葉を覚えたのやら。…いや何よりも、どこの誰だそんな事を俺に向かって言ったのは!見つけ次第絞めてやる!
結局話は、ベリーの喧嘩はいけません!の一言で無理矢理〆られ、俺は苛立ちを抱えたまま夜を迎える事となった。
「そういえば、いそがしくてあまり気にしませんでしたが、なかなか雪降りませんね?もう降ってもおかしくない時期のはずですが。」
そうだったかなぁ、と俺は自分でも分かる位気の抜けた返事をしたと思う。
今日もだったが、最近は散々だった。漸く体を動かせられると思えば面倒な掃除をさせられ、明日には俺の嫌いな読書に付き合わされる事になる。季節の節目になると毎度こうだ。
ここの所平和続きで、それは良いが俺にとっては暇で暇で仕方が無かった。喧嘩はベリーによって止められるし、戦闘と言える事はほとんどない。
こんな田舎まちでは、そもそも戦闘慣れした傭兵だって用事も無いし荒くれ者が来ようものならベリーの折檻で終わる。それで済まされるのであれば、相手も大した奴ではないだろう。
あーあ。どこかからか手強い相手が迷い込んで来たりしないだろうか。
「あっだめですよ!せっかくめでたい日が近づいているのですから、無礼講はまだだめですからね?」
まだ、とベリーは言っているが、当日になったとしても暴れるな、喧嘩をするなと言うに決まっている。ベリーがいる以上は現状叶いそうにない願いを心の中で零しつつ、俺は曇り空を仰いだ。心の中でだが。
2
時間は真夜中。季節のせいか寒い空気が家に入り込み、毛布を重ねていはいるものの、どうも寒気がして落着けない。ベリーの方はすっかり寝入っており、意識だけの俺は眠る必要が無い為、目を瞑り横になっている体で考え、ベリーの中で大人しくする他ない。
音も無く、俺は夜が明けるまで何かの拍子で夢でも見ないかと待っていると、外から何か生き物らしい気配を感じた。らしいと感じただけで、生き物と確定した訳では無いから、気配の正体は実際に見ないと分からない。
ベリーに知られたら怒られるだろうが、気になった俺はベリーの身体を拝借して外に出た。勝手に身体を借りて行った事はバレた時にでも釈明すれば良い。
外に出ると、気配が家から遠くに感じ、更に声も聞こえてきた。それもすすり泣く声だ。それを耳にして、俺は何か言い知れ無気持ちになる。
俺は泣き声のする方へと駆け足で進んで行った。飛んで行く方が速いが、飛ぶと風をもろに受けるから止めておいた。肌寒い空気が肌を刺し、これ位寒いのであれば確かにもう雪が降って来ても可笑しくないとベリーの身体を通して実感した。
声が直にはっきりと聞こえてくる所まで来たと思うと、そこはまちの近隣にある森の中だった。こんな森の中で誰か泣いているのか?まさか幽霊でも迷い込んだのかと思い、だったら面倒事に巻き込まれるまでに引き返そうかと思ったが、踵を返した瞬間、人影が見えてしまった。
見えたのは、草むらの奥の方で蹲るヒトの姿だった。顔は蹲っているせいで見えないが、間違いなくその姿は少女の小柄な背中だった。
その姿も奇妙で、上に着ているのは薄手の外衣で、下に着ている服も薄着でとても今の時期に外に出る衣装ではなかった。
その少女を幽霊だと思い、最初は引き返そうと思ったが、少女が泣いている姿を見てしまうとどうにも寝覚めが悪かった。仕方なく俺は少女の方へと近寄り、声を掛けた。
「おい、何してんだ?」
「ひゃっ!?…えっ。」
少女は俺がいた事にかなり驚いている様子だった。そりゃあ夜中にヒトが出歩くなって、どんな奴は泥棒などを働く犯罪者くらいだろう。
俺は害を加えないと言う意味合いで両手を上げて少女に話し掛けた。そうしてやっと少女の顔を伺った。最初に目がいったのは少女の目だった。
少女の目はどこかで見た黄色をしており、瞳孔の形も独特で六つの丸が円状にくっついたまるで六枚の花弁の様に見えた。
「俺は言えた事じゃねぇが、こんな夜の森の中にいちゃあ危ねぇぞ。しかもこんな」
寒い日に、と続けるつもりだった台詞は出てくる事が無かった。いや、正確には出せなくなった。少女が俺の顔を見ると、泣いていた表情を更に歪ませ、大粒の涙を流してまた泣き始めたからだ。
俺が話し掛けたら一瞬だけ泣き止んだ為に気が緩み、少女が再び泣きだした事に慌ててしまった。
「おいどうした止めろ!俺が泣かしたみてぇじゃねぇかよ!」
慌てて怒鳴った後に少しだけ後悔した。ここで怒鳴るのは完全に俺のただ逆切れだ。余計に泣かせてしまう。しかし、少女は俺に言われて泣きじゃくるのを止めて、口を開き始めた。
「うっ…ずび…ごっゴメンなさい。…泣いていてもしょうがないのは…分かっているんです。でも…とてもツラくて。」
泣くのは治まったらしいが、どうにも落ち込んだ様子から立ち直る気配が無く、どうしたものかと頭を掻き回し、少女が落ち着くのを待って俺は少女と話し続けた。
「んで、結局なんでこんな所で泣いてんだ?」
少女と呼称はしているが、少女の顔付をよく見ると幼く見えるが年はベリーよりも年上らしく、どこか落ち着きのある印象を受ける。
少女は変わらず落ち込み目を伏せがちだったが、落ち着いたのか鼻をすすりながらも事情を話し出した。
「実は…私の『トモダチ』がいなくなってしまったんです。いつも一緒だったのに、急に姿が見えなくなって。探しても、呼んでも姿が見えなくて。それで…私。」
言い終える前に、また少女は目に涙を浮かべた。どうにも寂しがりやのせいか、心配性のせいかその『トモダチ』とやらが居ない事が心細さに拍車を掛けているらしい。
単純にヒト探しをしているとなれば、答えは簡単だ。少女の探し相手さえ見つかれば、この件は解決する。何時姿を見なくなったのか聞くと、然程時間が経っていない事から、そう遠くには行ってはいない筈だ。
寒くて今にも家に帰りたい衝動を抑え、俺は少女の言う『トモダチ』とやらを捜す事にした。こんな所で泣かれては、それこそベリーに俺が怒鳴られかねない。
俺が探すのを手伝いと言うと、少女は泣き顔は相変わらずだったが、ありがとう御座いますと丁寧にお礼を言い、俺の手を自分の両手で握りしめた。
礼は良いからと、俺は少女の手をやんわりと離しつつ『トモダチ』とやらがどんな見た目かを聞いた。
「えっと…あの子は白くて大きくて、毛が長くてフサフサしているの。目は吊り上がっててちょっとだけコワいと思うかもしれないけど、本当はとっても良い子なの。」
対面した時からたどたどしい喋り方をする奴だったが、『トモダチ』なる人物の紹介となると饒舌になりはきはきとした態度となっていて一瞬同一人物かと疑った。
ともかく探し人の情報を手に入れたので、スパインは少女と共に『トモダチ』の捜索にあたった。しかし、特徴にあたるものも何も見つからず、頭を掻き回して苦悶の表情を見せた。
「白くて大きいねぇ。目立つそうな容姿だから見つけるのは簡単そうだが、ここに来る途中でもそんなのは見なかったしなぁ。」
見つからない事に声が漏れるスパインに、少女も申し訳なさから目を伏せて謝って来た。別に少女が悪い訳では無いのに、会った時から変わらず恐縮する様な態度をしてくる。
何か言ってやりたいが、俺にはベリーの様にヒトを励ます言葉が思いつかず何も言えない。出来る事は相手が落ち着くまで見守ってやる事だけだ。《
「うぅ…一体どこ行っちゃったんだろう。あの子、鼻が利くハズだから私がいる事も分かるハズなのに。」
疑問を浮かべつつ未だ姿が見えない『トモダチ』の姿を思い、少女は憂いていた。しかし今俺は少女の発言に引っ掛かる所があった。
「待て。『鼻が利く』?その『トモダチ』ってのは獣人か何かか?」
俺の質問を聞いた少女は、首を傾げた。
「はい…あの子は白い耳に尻尾…いえ。全身が真っ白で大きな『お犬さん』なんです。」
犬!確かに少女はそう言った。俺らが捜していたのはヒトではなく動物だった。そういう一番大事な情報は先に言ってくれ!
てっきり俺は少女のいう『トモダチ』は少女と同じヒト型であると錯覚していた。そう思っていたのは俺だけだったから文句も言えないが、どうもこの少女は口が足りないと言うか何と言うか。
さっきも首を傾げて俺の質問を不思議そうに聞いていたところから、自身の説明不足を自覚していないらしい。浮世離れしていると言うのか、ますます放っておく事が出来ない。
しかし、相手が大きな犬となると姿を見せないのは不思議だ。少なくとも犬はそこまで自由奔放な性分では無い筈だ。こうして少女が探し回っているのだから、匂いを追って自分から戻って来ても可笑しくない。もしかしたら、俺らはその犬と入れ違いになっているかもしれない。そう思い、一度来た道を戻ろうと言おうとした時、気配を感じた。
何かがこちらに近付いて来ている。それだけではない。凄い速さで、それも只ならぬ気配で近付いて来ているのが分かる。
咄嗟に俺は少女を押し倒し地面に伏せた。瞬間俺らが立っていた場所に何かが着地に、衝撃で轟音と共に土煙が上がった。土煙は直ぐに晴れ、中から姿を現したのは見上げる程大きな体をした獣だった。
「サザンカちゃん!」
「サザ…てっえぇ!?」
少女が巨大な犬に向かって名前らしき言葉を叫んだ事に驚き、俺は変な声を出してしまった。まさか、この巨獣が捜している『トモダチ』だと言うことか!?
「いやデカっ!?」
俺はあまりの巨体ぶりに思わず声を上げた。少女が言い方から単純に既存の犬の大きさを想定していたから、まさか4メートルを超す背丈もある犬を捜しており、その犬が少女の『トモダチ』だとは思っていなかった。
しかし、相手がどんな大きさであれ目的は果たした訳だから、これで一件落着だと思ったが、どうにもサザンカと呼ばれた犬の様子が可笑しい。
少女に名前を呼ばれても返事どころか少女を見ようともしない。それどころか息を荒げ、唾液を垂らし目が血走っている明らかに異常に興奮していた。
「サザンカちゃん、どうしたの!?ねぇ!」
少女も犬の異常に気付き、何度も呼びかけるがやはりまともな反応を見せない。そして犬は少女の声をやっと耳にした様だが、処女の存在に気付いての反応ではなかった。むしろ少女の声を煩わしく思い、声の出元である少女に向かって巨大な手足に生えた爪を振り降ろした。
間一髪で俺が少女を抱え、躱す事が出来たがやはりあの犬は正気を失っているらしい。少女と犬が元々どういった関係性だったかは知らないが、今の少女をあの異常をきたした犬に近付けさせる訳にはいかない事だけは判る。
「サザンカちゃん…一体どうしたの!?」
犬の異常と自身を攻撃して来た事に動揺し涙を浮かべる少女に背を向け、俺は巨大な犬と対峙した。
「さぁな。何が起こったかは俺にも分からねぇが、一発こいつをぶっ飛ばして眠らせなきゃならん事だけは確かだ。」
少女の『トモダチ』を傷つける事になるが、そこは許してもらう。こんな荒れ狂った巨大生物をまちと隣接する森の中で放っておく訳にはいかないし、何よりもベリーがこの事を知ったら、起こす行動は一つだ。
「そうなる前に、俺が片付ける。」
犬の方も俺を敵と認識したのか、俺に向かって大きな口を開き咆哮を飛ばしてきた。
3
巨大な犬は躊躇なく俺に向かって爪を立てて振り降ろした。俺は翼を広げ、飛んで攻撃を躱した。ぎりぎりで躱せたが、かなりの速さだった。
態勢を立て直す為に少し高度を上げた。だが次の瞬間、犬は再び俺に向けて口を開けると何かが勢い良く飛んで来た。それは細く尖った氷の塊だった。
「あんの犬、氷柱を飛ばしてきたやがった!」
寸での所で躱せたが、まさか犬の口から氷柱が出てくるとは思わなかった。これは犬の体に術識が刻まれているのだろうか。妖精種じゃないからそういう魔法関係の者は視認出来ないが、まず間違いないだろう筈。
しかし厄介だ。言ってしまえば相手は魔法で遠距離攻撃をしてくるという事だ。これでは態勢を立て直せず、こちらから攻められない。
とにかく今は飛んで来る氷柱攻撃を躱すしかない。せめてこちらも詠唱して魔法を使えれば良いが、相手は動きも速いし氷柱を飛ばしてくるのも速く、動物故の五感を駆使してきて俺の飛ぶ速さにも着いて来て隙が無い。不味いな。下手に動けば相手が何をしてくるか分からない。
だが、それが良い。常人なら距離を保ちつつ相手の様子を見守るだろうが、俺は手っ取り早く相手に動いてもらう為に先に動く。
ある程度の高度に上がり、そこから一気に降下し犬に接近した。当然犬は接近してきた俺に向かって攻撃を仕掛けるだろうが、どの攻撃手段かは攻撃が繰り出されるまで分からない。だからどの攻撃が来ても臨機応変で対処する。
犬が選択した攻撃は氷柱攻撃だった。大きく口を開け、飛び出してきた氷柱の数は先程よりも多く範囲が広い。当たれば文字通り蜂の巣になる。だが、あくまであれが『氷柱』であるなら俺でもなんとかなる。
「炎の鎧、昂れ!」
詠唱を唱え俺は自分の周囲に炎を出して纏い、俺に向かって跳んできた氷柱を融かした。やはり飛んで来る攻撃は純粋な氷の塊だった。魔法の力も含まれているから融けるのに多少の誤差はあったが問題なさそうだ。
犬は攻撃を防がれた事に怒った様子で、あからさまに唸り声を上げてこちらを睨みつけてきた。あの犬、正気を失っていると思ったが多少は正気に戻っているのではないか?
だが犬は変わらずこちらに襲い掛かって来た。犬の唸り声によって覗かせていた牙が大きく口を開けた事で剥き出しになり、その牙の鋭さが如何に殺傷力があるかを解り易くしていた。
俺は直ぐに接近戦の態勢をとったが、視界の端のあの犬を『トモダチ』と呼ぶ少女の姿は見えた。俺が犬に対抗している最中も短い悲鳴を上げたり、暴れ回る犬の名を呼んだりしていた。
…出来得る限り加減はするが、相手が本気で向かって来ている以上こちらもそれ相応に応戦しなければいけない。それはそれで楽しいな。
「内に猛る獣の爪!」
詠唱を唱え、俺は指の先から魔法で顕現した爪の形をした火の塊を出現させた。
「さて…お前がどういった経緯で暴れてるのか知らんが、まだ暴れてぇって言うなら付き合ってやる。
オラサッサと来いよデカ物!テメェの爪や牙バッキバキに折って泣き喚き散らかしてやるよ!」
犬がヒトの言語を理解しているかなんて気にしない。だた思うままに挑発してやった。そして犬は俺の挑発に乗った。再び咆哮を飛ばし俺に跳びかかってきた。
爪や牙も冷気を帯びており、俺の魔法の爪が犬の牙や爪に中る度に魔法の衝突反応が起き、火花のような光が何度も起きた。反動も強く俺が退けられそうになる位の威力だったが、翼を上手く操りその場に何とか止まり耐えた。
やはり通常の大きさの動物を相手にするよりも見た目通り大きく、強く力の調節を間違えば簡単に飛ばされそうだ。本当に強い。
「だが、もう覚えた。」
やはり相手は獣であり、正気を半ば程失っているせいか動きが単調で、俺が攻撃した時の反応がほとんど同じだ。何度も打ち合って漸く隙を見つけた。
俺はその瞬間を耐えながら待った。そして犬が爪を振り上げ、大振りした瞬間を突いて俺は犬の懐に飛び込む、上昇する勢いで魔法の爪を振り上げ犬を切り裂いた。
切り裂かれた犬は激痛により意識が吹っ飛んだのか、そのまま気絶し大きな音を立てて横倒れになった。
「サザンカちゃん!」
犬の名を叫び、『トモダチ』の元へと駆け寄る少女の姿を俺は臨戦態勢のまま見守った。気絶から覚醒した時、果たして正気に戻っているかどうかまだ分からない。
俺が警戒していると、件の『トモダチ』の目が開かれたらしい。どんな様子か更に見守っていると、突如光り出し、辺りが真っ白に見える程眩しく目を閉じてしまった。まさか、目眩まし攻撃か何かと思ったが、光が徐々に弱くなり目を開けられる状態になると、少女の傍に横たわっていた筈の巨大な犬の姿が見えなくなった。
どこに行ったのかと辺りを見渡したが、どうも少女の様子が可笑しい。俺に背を向けた状態の少女を見ていると、少女が両腕を上げ始めた。何かを思うと少女が何かを持っていた。良く見ればそれは白い塊の様で、更に目を凝らすとその白いものが動き出した。
それが先程の巨大な犬であると気付いたのは、少女がその白いものに向かって名前を呼んだ時だった。
「サザンカ!良かったぁ、目を覚ました!」
少女に呼びかけに答える様にその白い塊、もとい白く小さい犬は一度吠えた。さっきまで俺が戦っていた様子とは打って変わって、小さく迫力の欠片も無いその鳴き声に俺は一気に前進の力が抜けて地面に降りた。
「いや小さいな今度は!…まじでそいつ、さっきの巨大生物か?」
疑心暗鬼状態の俺の疑問に、少女は首を傾げて肯定した。少女の仕草が当たり前だと言いたげな当然の表情で、やはりこの少女は普通のヒトとは違うと思った。
何よりも今少女の胸に抱かれる先程までデカかった犬。俺と戦っている時と本当に打って変わって大人しく、牙を剥き出しにして俺と睨み合っていた奴と同一の存在には見えず、若干俺は引いた。
聞けば、犬の様子が可笑しくなったのは『グレースの実』を口にした事が原因だと言う。
この実は凍えの節でも実る植物で、齧るとほんのりと辛く、寒い時期には厳しい寒さを凌ぐ為の気付け薬代わりになっていた。今は口にするヒトこそいなくなったが、今の時代では無事に寒い時期を乗り越える事を祈願するお守りとして、各家々の入り口に飾られている。
従来の動物には強い毒になるこの植物。少女の『トモダチ』にとっても『グレースの実』は刺激物となったらしい。
恐らくまち中の建物に飾られた飾りのどれかが何かの拍子で地面に落ち、それを少女とはぐれてまち中に迷い込んだ犬が口にしてしまったのだろう。結果犬は驚いてあんな暴走状態になったのだと言う。
犬のあれがただ『驚いた』状態だというのが正直信じられないが、少女の表情は本気らしかったのでそうなのだろう。
一先ず少女と犬が再会できたという事で、今回のちょっとした騒動は終わったらしい。少女に別れを告げて家に帰ろうとした時、俺は思い出して少女の方へと向き直った。
「あぁそうだ。お前、俺の事助けたろ。」
「えっ。」
俺の少女への質問に、少女は
戦闘中、犬の二度目の氷柱攻撃が飛んで来た時、数は多いものの若干ではあるが氷柱の飛ぶ勢いが途中で弱まった様に感じた。俺は妖精種の様に魔法の力の流れを肉眼で認識出来ないが、魔法そのものの動きから魔法の発生源を大体察する事が出来る。
何よりこんな夜中で、俺と戦う犬以外に俺らの戦いに横槍の様な事が出来るのはこの戦いを見ていた奴一人だけだ。
「…あなたなら、サザンカちゃんを傷つける事をしないと思ったの。でも、邪魔…だったかな?ごめんね。」
俺に対し補助を行った事を肯定したが、どこか申し訳なさそうな少女に、俺は正直な気持ちを言った。
「いや、助かった。さすがにあれだけの量の氷柱をあの威力そのまま受けてたらヤバかった。」
俺は本来ヒトに助けられるのが嫌いだ。ヒトに助けを求める事もしない。だが、何故か少女相手だと許せた。
もしも、少女の見ていない状況であの暴走状態の犬と出くわし戦闘となっていたら、犬の正体を知っても知っていなくても俺は容赦なくぶっ飛ばしていただろう。
何故だろうか。…俺の周りにあんな泣き虫な奴なんていないし、一人しかまだ出会ってないからかね。
「ともかく、もう泣く用事が無くなったらならさっさと帰ろよ。こういう時煩い奴が一人確実にいるからな。」
言うと俺は漸く少女に背を向け家に帰る態勢になった。すると後ろから少女にか細い声を掛けられた。
「…ありがとうございました。やっと、おつとめを果たせます。」
少女と一緒に礼を言う様に犬も一声吠えた。そして少女と犬も俺に背を向け、暗い森の奥へと歩いて行き、直ぐにその後ろ姿が見えなくなった。
「…いや、そっち人里から離れてるんだが?」
俺の疑問に対する答えの返ってこない言葉も空しく、夜は再び静寂に包まれた。
静かになったからか、考え事が出来て俺はふと思い出した。
「あっ。あいつの目の色…どこかで見たと思ったが、『オウバイ』だったか。」
4
夜が明けた。
ベリーの目は眠たげに目が伏せ気味になり、いつもの覇気が半分程になっていた。
「うーん…十分眠ったはずなんですが、まだ眠いです。何故でしょう?」
そりゃあ、昨日あれだけ働き回ってりゃあ体に疲れが残っているだろう。と俺は現実に俺に実体があれば間違いなく目を逸らながら呟いていたであろう様子で言ってやった。
実際ベリーは人一倍働いていた訳だし、嘘では無い筈だ。
「うぅ…いや、いけません!今日は皆に絵本を読み聞かせする約束をしたのです!それをじぶんの都合で無碍にするなどいけません!」
自分の頬を自分の両手で音が成る程叩き、ベリーは施設から借りてきた絵本の数々を抱えて子ども達のいる孤児院施設へと向かった。
本来外に持ち出す事の出来ない紙の媒体を、何冊も持ち出す事が出来るのはベリーの今までの行いと人徳というものが活かされているからだろう。わざわざそこまでして本を読みたいと俺は思わないが。
文句を言いつつも、ベリーには受け流されながら施設へと着いた。途端施設の中から子ども共がわんさかと出て来て、ベリーの周りで一際騒がしくはしゃぎ回った。
施設の大人に諭され、大人しくなった子ども共と一緒に施設の中へと入り、広い一室へと案内されそこで本を置き、その本の中から一冊を選んで子ども共が座る前へとベリーは座った。
「さて、今日は皆様にこの時期と関わりのある大事なお話をいたします。」
子ども共と大人らが拍手をする中、俺は早速ベリーの中で欠伸をして時間が過ぎるのを待った。
「まずお話しするのは、何故この時期こんなに寒くなるのかという理由が記された本、『雪と寒さの運び手』のお話をします。
花が芽吹き、色づき枯れて行く日々が過ぎると、どこからともなく現れるのが冷たい雪の結晶と北風を袋一杯に詰め込んで運ぶ『少女』と、お供の『大きな白い犬』です。」
完全に腑抜け状態だった俺は一瞬頭に槌を打たれたのかと思った。そんな俺の様子に気付かず、ベリーは続けた。
「大きな犬は口から冷たい吐息を吐きます。すると息は風となり、そして池の水が凍り人々は寒さに身を震わせます。
風が冷たさを運び、次々に色々なものが凍っていくと、少女は寒さに弱ったヒト達の上に雪を降らせます。雪は降り積もると、今までの冷たさがウソのように感じなくなり、人々は厳しい冷たさの中でも暮らしていけました。
犬は北風の化身、そして少女は雪の化身であり、少女と犬が通った場所は全て『凍えの節』になっていきます。」
俺は聞き間違いをしたのかと思ったが、ベリーは間違いなく『少女と犬』と言っていた。開かれた本に描かれた絵も間違いなく『少女』と『白く大きな犬』の姿だった。多少違う箇所はあるが、大まかな特徴は俺の知っている姿そのままだった。
「さて、皆は何故犬さんが周りを寒くするか知っていますか?犬さんが氷漬けにするのは、いじわるでしているわけではありません。
凍らせることで、この時期に出てくる悪いものを皆に憑かせないように守ってくれているのです。凍り付いているのは犬さんが悪いものと戦った跡で、少女さんはその手助けをしているのです。
寒い凍えの節でも暖かく過ごせるのは、犬さんが悪いものを追い払い、少女さんが皆を皆持ってくれているからなんです。」
そうしてベリーはあれやこれやと話していき、その日の朗読会は無事に終わった。一仕事を終えて本の片づけをするベリーに俺は聞いた。
なぁ、今日は話した話って、昔からある話なのか?
「はい。っと言っても本当に昔で、誰が考えた話なのかは知らないですが…そう言えば、珍しくお話を聞いていた様子ですが、どういった心境の変化ですか?とっても良い事ですよ!」
ベリーの言葉に、俺は別にと曖昧に返事した。
そうベリーと話していると、話し終わって遊んでいた子どもの誰かが大きな声を上げた。
「ゆきだ!」
声に釣られ、他の子どもも窓の外を見て騒ぎ出した。そんな子どもたちをまた大人たちが静めようと忙しそうに動く様を俺らは少し離れた場所から見守った。
「やっと雪が降りましたか!…少女さんが一生懸命働いていてくれてるんですね!」
「…そうだな。」
ベリーの言葉に、いつもなら俺は聞き流していたが、俺はその時だけは結構真面目に肯定した。
ってか、さっきの話が真実なら、俺は犬に退治される『悪いもの』扱いされたって事か?…納得いかねぇ。