ルコウのお仕事
それはベリーとスパインが花泥棒を追いかけ、首謀者のいる森の奥の屋敷に訪れる約一年前の事。
時間は夜、昼間は太陽の光で木々の緑が照らされ、木漏れ日が地面に射し自然豊かなその場所が如何に穏やかであるかが伺えたが、夜となれば当然その形は変化する。
影に覆い尽くされ、例え月が出ていてもその淡い光さえも遮られ、より一層暗さが増し何かが潜んでいる幻覚をみてしまいそうな雰囲気に包まれる。
だが、そんな雰囲気で満たされた森の中でも活動する者はいる。夜行性の動物や妖精が各々の習性に従い餌を探したり、妖精に至っては遊んだり踊ったりしている。それが夜の森でよく見られる光景だ。
そんな森の中で、あまり見ないものが今回居た。明らかに夜行性ではない種族であろう人間がそこには居た。大きな外套で体だけでなく顔も隠し、一目見ただけではどんな表情をしているか伺えない様子をして、夜の森の中を駆けていく。
向かった先には大きな影が見えた。近付く毎に徐々に形を成していき、そして輪郭がはっきりと見れる場所に着いて見ればそれは大きな建物だった。そしてその建物は、森を駆け抜けてきた人間が目的としていた場所だった。
着いただけでは目的は果たせない。その建物もとい屋敷に侵入し、誰にも気づかれぬまま『ある人物』を探し出す。そして無事『やるべき事』をやり終えるのが今の人間の使命だった。
その人間がその屋敷に来たある理由は、単純に仕事としての依頼だった。
その屋敷のある森には豊富な資源が採取出来、その資源を欲しがる者は当然大勢いた。あるヒトは森そのものに目をつけ、森の頭領とされる妖精に会おうと奔走する者がいた。しかし、森の頭領と呼ばれた妖精は『人間嫌い』である事が有名であり、その通りで会う事自体が難解とされ、今まで妖精と面会出来た者はいないという話は誰もが知る話だ。
しかし、大半の者が諦める中諦めない者はどうしたか。策を講じる、盗むかの二択だった。後者が犯罪なのは当然で、行って無事で済んだ者もいないと言われる。それでも諦めない者は更なる策を講じる。その策の為に人間はこの場所へ送られた。
頭領を亡き者にし、混乱に乗じて乗っ取るというのが依頼主の算段の様だが、そう上手くいくかは暗殺者本人には判らないし、知らない事である。ただ言われた事だけを考えて行うのが暗殺者のただ一つの義務だった。
人間が屋敷の周辺へと足を踏み入れてから行ったのは観察だ。そして人間の目でも屋敷の周囲には結界が張られている事が視認出来た。が、事前に渡されていた結界抜けの魔法道具を渡されていた人間は、木陰に入り魔法道具を屋敷方面に向けて設置し起動した。
魔法道具は淡い光を発すると屋敷の周囲に張られた結界に向かって光を放ち、光は点となり、点は徐々に大きくなり輪となってそれが結界の穴に成り光が消えた。
結界に穴が開いたのを人間が見届け、起動中だった魔法道具を直ぐの止めて素早く穴を潜った。潜った瞬間穴は徐々に縮んでいき、少しして穴は完全に塞がった。そこには何の異常もない結界だけが残った。
そんな異常の無い結界を残して、人間は屋敷の敷地内へ侵入。無事に屋敷のすぐ傍に立った。そして窓にも先程使ったものとは別の魔法道具を設置し、起動して窓に掛けられた鍵を開け、音もたてず窓を開けて侵入した。
屋敷の中は物音一つしない、静寂というよりも生き物がいる気配すら無い無の空間だった。聞いた話では、森に住む妖精の多くはこの屋敷に住み、同時にこの屋敷で働いていると言われる。数までは分からないが相当な数の妖精が居る筈だ。しかし今この瞬間、この場所は妖精とは無縁の空間となっている。それが更に気を張りつめた。
その緊張を表情に出す事無く人間は屋敷の中を警戒しながら家探しする。目的となる頭領の部屋が屋敷の奥にあるのは既に知っていた。その屋敷の奥へと続く廊下を探し、音も無く走る。
角を曲がり扉を開けてさらにその先の廊下へと出て、大分屋敷の中を進んだ辺りで人間は突如止まり、周囲を見渡した。次の瞬間人間の姿が消え、その人間が立っていた床に引き裂く音と共に爪で引っ掻いた痕が出来た。
姿を消した人間はその引っ掻き傷が出来た場所から数歩離れた場所に立っており、姿勢を低くし警戒態勢をとっていた。
「反応が速いですね。…まぁここまで来たのですから当然ですか。」
引っ掻き傷を作った張本人である人物が物陰、暗い廊下の先から声を出した。自身の攻撃を躱された事から自分の意味は既に知られているのだろうと考えた故の行動だ。
人間は声のする方をただ見据えた。相手の姿がまだ見えない為に下手に動こうとはしていないが、慌てる様子も見られず戦闘が始まったはずのその場所は未だ静寂が続いた。少ししてから廊下のどこかから何かが擦れる音が聞こえたと思っていると人間が音の方へと懐から細く装飾の無い短剣を投げた。
投げられた短剣は壁に刺さり、刺そうと投げた相手に中らなかった。相手が動き回っているらしく、至る所から擦れる音、何かがぶつかる音が聞こえる。
相手は侵入者である人間を攪乱する為に廊下中を動き回っているらしい。廊下の暗さと相手の素早さが相まって完全に姿を捉える事が出来ない。
それが一般人の相手であれば、だが侵入者はただの人間ではなかった。ほんの少しの接触音、微かな呼吸音を聞き取り、自身を狙う相手の居場所を突き止めた。解った瞬間には撹乱していた相手の直ぐ目の前へと瞬時に移動、突然目の前に現れた事で相手は驚き、身を引いてしまった。その隙を突き、人間は隠す様にして持っていた自身の主要武器を取り出し、薙いだ。
ぎりぎりで相手はその攻撃を躱すが、掠ってしまい髪が数本切られた。それに動じる事無く、相手は着地し再び距離をとった。人間も離れた距離で相手を見据えたまま着地した。
窓から月明かりが射す。照らされて互いに顔が見えた。
相手の頭には三角の大きな動物の耳が生えており、猫の獣人である相手は衣装こそ使用人が着る布面積の大きな作業着だが、手は人間のものよりも少し大きめで、指先からは爪が生えて月明かりが反射し光って見えた。長い髪は後頭部で纏められているが、先ほど投げられた短剣が掠った為か、一部が崩れて髪が垂れていた。
人間の方は顔こそ外套で見えないが、月明かりのおかげか隙間から少しだけ表情が窺えた。髪は仙斎茶色で恐らく長いのだろう、外套からはみ出た髪の毛が見える。そんな外套と髪の隙間から覗く藤鼠色の目が光り、ヒトの目の筈のそれが、その時だけ獣人である相手と同じものに見えた。
猫の獣人は爪を武器に、侵入者である人間は片手に持った細い片刃の長剣を互いに構えて相手同士を見据えた。
「…目的はやはり、主様ですか。主様の屋敷に『そんなもの』を待ち込むなんて、赦し難い事です。即刻に立ち去ってもらいます。」
既に察していたであろう侵入者である人間の目的を口にし、改めて侵入者の撃退を意思を示し行動に移した。音も無く猫の獣人は侵入者の直ぐ横に跳んだ。
2
猫の獣人の動きが速く、姿が当然消えた様に見えた光景に驚く事も無く、人間は相手の方に目を向けぬまま武器である片刃の長剣を両手に持ち直して相手の爪攻撃を受け止めた。その受け止める剣の動きさえも速く、何時の間に剣を構え直したか、猫の獣人の目でも追えなかった。
だが、互いに互いの挙動に驚いている場合ではないのは互いに分かっていた。息つく暇も無く剣と爪による剣戟が火花が散る様に音と光が弾け飛び、この光景を見た第三者にはきっと二人がどう動いているのか視認出来ないだろう。
時折二人が距離をとり、態勢を整え直して再び剣戟を繰り広げた。互いに疲労が蓄積されているが、それを相手に見せまいと表情を見せずただただ武器を振るい相手を撃つ事だけに集中していた。
そんな変わらない戦闘の光景をどれだけ続けたか、もう目に見えて互いが肩で息をして疲労が溜まって来ているのが判る。何より互いに隙を全く見せない為に戦闘が終わる気がせず、猫の獣人は次第に焦りさえ感じていた。
戦いが長引いた事で屋敷の使用人としての務めを果たそうとする使命感のようなものが刺激され、早く戦いを終わらせなければ、という気持ちが前へと出て来た。だが、それは慢心でもあった。
人間が再び動き出し、その動きに反応した猫の獣人だったが、次の瞬間人間がした行動は武器を振るう事では無く、短剣を隠していた懐とは別の場所から砂を取り出し、それを猫の獣人の顔に投げつけた。
本来であれば砂かけ攻撃など猫の獣人には簡単に躱せるものだった筈だった。だが長期戦になった事、焦りを見せた事で油断に繋がり、人間が投げた砂が顔面に直撃してしまった。
目をやられ、更に攻撃を受けた事と先程からの焦りが合わさり、猫の獣人の動きに大きな隙が出来てしまった。侵入者である人間はそこを狙っていた。
だからこそ最後まで人間が全力で隙の出来た猫の獣人に攻撃を仕掛けた。それが止めになると互いに錯覚する程に。そいてそれは阻まれた。
突如二人の間から出現した結晶の柱。それにより人間は攻撃を中断し、床から生える様に出現した結晶から離れる様にして後方に跳んだ。だが、結晶の柱はその一本では終わらなかった。人間が跳んで着地した床からも結晶の柱が出現した。それを人間はそれも回避し、次から次へと勢いよく生えて来る結晶の柱全てを人間は跳んで回避した。
回避は出来たものの、その行動により人間は猫の獣人からかなりの距離を離された。それは明らかに人為的に引きはがされたのは目に見えるのは、人間も結晶の柱が出現した時から気付いているだろう。
そうして距離を離れて、自身に干渉をしてきた者が何者かを探った。その相手は直ぐに見つかった。正確には相手の方が自分から姿を見せてきた。
「侵入者の気配がしてから、捕らえたという報告も何も来ないから直接来て見れば、何とも情けない姿になっているじゃないか。」
暗い廊下の先、猫の獣人の背後から真紅のドレス翻しながら緩やかに歩み出たのはこの屋敷の主である妖精種、そして人間がこの森の屋敷に侵入する目的でもある人物の姿だ。
猫の獣人は言われた事に酷く反応を示し、俯いて妖精に謝罪を呟く様に言った。
人間はその妖精の姿を視認した瞬間、一気に距離を詰めて武器をその妖精に向かって突き出した。人間の攻撃にいち早く反応した猫の獣人は身構えたが、妖精が前に出てきて手を猫の獣人の前に出して治めた。
「下がっていろ。」
そしてもう片方の腕を前に突き出しと人間の武器攻撃を弾いた。それが魔法のよる防御行為だと見て判った。
奇襲は失敗し攻撃を弾かれても再び攻撃を仕掛ける。その度に防御され、人間の攻撃と妖精の防御が交互に繰り返された。隠していた短剣で死角から斬りつけても、部分的に展開された防御の魔法によって防がれ、一度態勢を整えようと跳んで距離をとった。
「…ふぅん。人間にしては常人離れの動きをするな。まるで獣人だな。」
人間は反応を示さなかったが、代わりに猫の獣人がそれを聞いて口を端を噛んだ。反応を示さない人間を見て、妖精もまた表情を変える事無く魔法の態勢をとる。
どちらが先に動くかは互いに判らない。故に睨み合いが続いた。純粋な速さであれば人間の体術の方が上だが、魔法で更に詠唱を必要としない、無詠唱魔法となれば対象を見ただけで魔法を発動しそうな危うい戦術を持った相手に下手に足の一歩動かす事も難しい。
「目的は私なのだろう?ならば、もうこの場から動く事は出来ないな。まさか、得物を前にして背を向ける事も、何も成せずに去る事など、お前の様な鉄臭い奴が出来る訳が無い。」
表情こそ冷静さを見せているが、声には明らかな激情を孕んでいた。
「この場所にその鉄臭い体で、更にその様な武器まで持ってこの場所を侵すのであれば、最早お前が生きてここを出る事を赦さない。」
静かに、そして激しく感情を混ぜた魔法が発動した。妖精の中心に魔法によって生成された結晶の槍が波打つように床、壁、天井から突き出ていく。その向かう先に立つ人間はただ結晶の槍の波が来るのを立って待った。そして自分の体を貫こうとした瞬間、跳んで槍の側面に足を付け、跳んだその先の結晶と結晶の隙間を縫う様に動き躱していく。
妖精は腕で宙を撫でる様に動かし、その動きに連動する様に再び結晶が突き出てきた。それも踏みつけ、跳び越えようとした時、足が触れた結晶から更に結晶が伸びる様で出て来た。それには意表を突かれたのか、若干ではあるが狼狽えた声らしいもの聞こえた。
掠りはしたが、何の支障にもならず人間は助走を付け、勢いよく天井まで跳び上がった。そしてそのまま妖精の傍まで接近した。
魔法で出現した結晶の槍を全ての躱され、懐まで接近された妖精は、一歩後ろへと下がった。そして人間を睨みつけた。
次の瞬間、結晶の槍が妖精の胴体から貫く様にして出現し、その結晶の槍に反応出来ず、人間は腹を槍に刺された。
「私の魔法だ。私は思う場所に出す事が出来るのだから、自分の体に魔法を生やす事だって出来る。何より、お前は私が目的で、必ず私に向かって来る。それが判っていれば、どこに魔法を出せば中るかなど容易く判る。」
妖精は、自分自身を囮にして待ち伏せしたという事だ。しかし、魔法による攻撃であっても人間は痛みを顔には出さず、藻掻き結晶の槍から逃れようとしていた。しかし、それが隙となり、その機会を狙っていた猫の獣人にその場で組みつかれ、捕らえられた。
「今度はちゃんと動けたな。それでさっきの失態は帳消しにしてやろう。」
猫の獣人は返事を返しつつ、捕らえた人間が逃れぬようにと組みついたまま床に縫い付く様に動かず増援が来るのを待った。妖精は話は明日するとだけ残し、自分は眠る為に部屋へと戻った。
人間は観念したのか、藻掻くのを止めて、大人しく猫の獣人と共に人が来るのを待った。
3
朝になった。屋敷では朝の支度で忙しく動く者など、自由気ままとされる妖精からは想像出来ない、規則正しい屋敷での召使の仕事風景が繰り広げられていた。
そんな朝の時間、ある屋敷の一室で人間は縄に縛られた状態で閉じ込められていた。縄には魔法が掛けられており、何の魔法細工がされていない普通の刃物では切れない状態だった。
人間は昨晩から変わらない無表情で、ただ時が来るのを待っていた。そして扉が開く音と同時に首を上げた。上げた先には昨晩戦った猫の獣人が何かを持って部屋に入る姿が見えた。
「あらっいた。昨日結構暴れていたから、てっきり脱走でも企ててる最中かと思ういましたが。」
あからさまな皮肉を言い、人間の前に置いたのはパンと水の入ったコップ一杯だった。猫の獣人は声に出さなかったが、明らかに食事をしろ、と表情にありありと出ていた。
人間は警戒をしつつも、目の前の物から発せられる誘惑に誘われ、パンを一口、そして水を一気飲みをした。
「それを食べ終わったら、主様の部屋まで連れて行きます。何もせず、大人しくしていてくださいね。なんなら先に水洗いに寄りますか?」
更に皮肉を口にするが、人間は気にせず用意された慈悲をゆっくり時間を掛け口にした。
そして猫の獣人に言われた通り、食事を済ませて直ぐに屋敷の主である妖精の部屋へと向かった。猫の獣人が先導し、更に人間の背後から囲う様に他の妖精の召使いが着いて来た。
廊下を無言で静かに歩いて行き、そして目的である主様の部屋の前まで来た。召使である猫の獣人が扉を軽く叩き言葉を掛けてから扉を開けた。
開けた先に屋敷の主である妖精は待ち構えていた。人間は猫の獣人の後ろに控え、猫の獣人が妖精と人間の間に立つ様にして礼をした。
人間は相変わらず感情の読めない表情をし、殿にした妖精達はそんな人間を訝しむ目で見ていたが、突如主である妖精から声を掛けられ、人間を縛る縄と解く様に言った。
聞いて驚いたのは妖精だけだった。猫の獣人は事情を先に聞いていたから、人間はやはり眉も動かず表情に変化が見られなかったからだった。実際は驚いているかもしれないが、今この場でそれに気付けるヒトはいないだろう。
最初は躊躇したが、再度言われて妖精達は人間を縛る縄を漸く解いた。そして解いた縄を持って妖精は主の方を見た。何故縄を解くのか?今この場で処分でもする為なのだろうか?そう妖精達が思っている事が一目で分かる程だった。
その妖精の気持ちに応える為なのと、人間に対しても言っておく為に主は言った。
「分かっていると思うが、人間。今お前を縛る縄を解きはしたが、別のものが今お前を縛っている。」
言われて人間は自身の手を、そして体を見渡した。ヒトの目でただ見るだけでは分からないものが、今確かに人間の周囲を囲う様にして展開されていた。
「それは拘束魔法の一種だ。名の通り、お前は今この屋敷の中に縛られている状態となっている。一歩たりともお前は屋敷の外に出る事は出来ない。」
更に言われ、試しにと人間は歩いて不躾に主のすぐ後ろにある壁の窓に手を掛け、窓を開けて手を伸ばした。瞬間、指先が何かに当たりあるで小さな雷にでも当たったかの様に弾かれ、手を窓枠から向こうに出す事が出来なかった。疑っていた訳では無いがこれのより妖精の言った事に間違いはないと証明された。
人間の方は屋敷から出られない事に不満も何も無い様子だが、ただ一つ人間には気になる事があった。妖精の方へと振り返り妖精も人間と目が合った。
「何故私を生かす?」
それは人間が初めて声を出した瞬間だったが、そんな事は気にせず聞かれた質問に答えた。
「…確かに、侵入者であるお前を生かしておく理由は無い。ヒトの命を奪う武器を持ち、私を狙って戦いを挑んだ不届き者など、屋敷の中に留まらせるなど危険極まりない。今すぐにでもお前を処分してしまう方が良い。…だが。」
言いながら妖精は自分の手を見て、呟く様に、ヒトに聞かせる為でなく自分に言い聞かせる様にして口を開いた。
「これ以上…この場所で血を流す訳にはいかない。」
その言葉を聞いて、人間は納得したかどうかは謎だった。しかし、それ以上質問をして来る事もなかった。
「お前を残して、後からヒトが来る事も懸念していたが、そもそも単身でこの屋敷に侵入してきたくらいだ。元からお前は使い捨てで送り込まれた性質であろう?なら、お前が元の場所に戻らずとも向こうがこれ以上何かを仕掛けて来る事は無い。
現に結界にお前以外の侵入者の気配がいるという反応もないし、それなら、危険人物であるお前を見張っている方が安全だ。」
結論として、鍵付きで人間は屋敷という檻の中で捕らえる事となった。武器は既に厳重に結界魔法で保管され、主である妖精以外では取り出せない仕様となっている。流石の凄腕の戦闘員である人間も、丸腰では手足が出せないのだろう。大人しく妖精のいう事を聞く事にしたらしい。
戦う行為をしない限り、屋敷の中を歩き回って良いという言いつけを言い渡され、人間は了承という意味であろう頷く仕草をした後、再び歩いて今度は猫の獣人の前に立った。
「何か御用ですか?」
「…言っておきたい事がある。」
淡々と喋り出し、何を言うのか猫の獣人や他の妖精らも警戒の態勢となって待った。
「…今度からパンは柔らかいのよりも固い方を出して欲しいなぁ!いや、柔らかいのが嫌いって訳じゃなくてさ、こう歯ごたえがあるのが食べたいって言うかさぁ。それと水よりもお湯が飲みたいなぁ!いやぁ最近体冷やしてちょっと腹の具合が良くなくてさぁ、だからあんま冷たいものを口にしたくないって言うかさぁ?出来ればお茶出してくれたら嬉しいなぁって!あっ後部屋はあんま広い所じゃなくて大丈夫だよ!固い地面とかで寝慣れてるからさぁ。逆にふかふかな所だと寝心地悪くなっちゃうって言うか、まぁどっちでも良いかこの際!あっははは!」
まくし立てる人間に猫の獣人も他使用人の妖精らも目を丸くして固まってしまった。主である妖精は逆反応出来ずに固まっていた。それだけ人間の突然の変化に対応出来ずにいたらしい。
「あーっとそうだ、ここにお世話になるんなら自己紹介しないとね!私、ルコウって言います!っと言っても本名かどうかは私もあんま覚えてないから、呼びやすいように呼んでもらって構わないからねぇ!」
こうして、随分と饒舌な人間が屋敷の仲間入りとなった。あくまで仮だが。
4
人間が屋敷に住みつき、もとい囚われてから一ヶ月が経った。あれから人間の仲間が干渉をしてくる事も無く、現状屋敷は平和であった。
「主様が言った通り、あの人間は使い捨てとして切り捨てられた、という事なんですね。」
「半分はったりのつもりだったがな。何かしら隙が出来て仲間の情報を吐くかと思ったが、そんな気配が微塵も感じられないし、奴もとっくに向こうの事を仲間である事など諦めていたんだろう。」
主とそれに使える召使、としては軽すぎる距離感で二人は話を続けた。
最初の内は屋敷内の妖精達は皆人間を警戒し近寄る事もしなかったが今ではあの人間の雰囲気に飲まれたのか、それとも呆れて警戒する事を諦めたのか、今では軽口を言い合う仲となっていた。
実際は人間の方は親しげに話し掛け、対して妖精側はそんな人間を一歩的に馬鹿にするような言葉や態度をぶつけている状態ではあるが、それも一種の打ち解けた形なのだろうとヒトは思うだろう。
「だが、恐ろしいな。」
「えっ?」
突如主である妖精が不穏な言葉を口にした事に驚き、猫の獣人は短い疑問の言葉を漏らした。
「お前らは黙ってヒトに襲い掛かる人間の姿を演技と見て、今のあいつの姿を本性と見ているだろうが、私は逆だ。今のあいつの姿が、私には演技に見える。」
「つまり人間、ルコウは私達を謀っていると?」
猫の獣人でさえも人間相手に大分絆されていたのだろう、人間が自分らを騙しているかもしれない事実を受け止められず、狼狽えた様子を見せた。
主はそんな猫の獣人に対して、特に戒める事もせずに続けて自分の考えを口にする。
「どちらかは判らん。あまりに内側が読めない…いや、読ませない奴だ。どっちが演技でどちらが本性か全く悟らせない。あんな奴が屋敷の外に出て、奴がしていた『仕事』を続けていたら、どれだけの被害が出ていたか。」
それを聞いて、猫の獣人も恐ろしさを抱いた。
あの人間がしていた仕事が具体的にどういったもので、今までどんな事をしてきたなど聞いた事が無い。いや、聞こうとしてもはぐらかされ、何時の間にか何を聞こうか忘れさせられていた。
余程話したくないのか、その真意さえも分からない。そんな事さえ今まで考えもしなかったという事実に、更に猫の獣人は人間に対して異様なものを感じ出した。
「とは言え、現状あの人間が何かを仕掛けてこようとする気配は無い。それに今は、『あの計画』の方が重要だ。私は暫く部屋に籠る。屋敷の中での事は任せたぞ。」
「…はい。」
主たる妖精は踵を返し部屋に戻って行った。猫の獣人も深く考える事を一旦止めて、言われた仕事をする為に動き出す。
結局、人間の真意は誰にも分からず仕舞いとなった。
その後に起こる花泥棒の一件以降、屋敷に居候する人間がどう過ごしたかは、屋敷に住む妖精にしか分からず、これから人間がどうするかは、未だ不明のままである
ルコウが何の仕事をしていたかは、お察しの通りです。