55 泳ぎの練習② ㋨
花束プールは屋内だから、直射日光による日焼けの心配はない。室温はやや涼しく調整されており、プールの水温は少し暖かいくらい。
まだ虚弱気味な五十鈴さんにも安心の環境だ。
僕らはストレッチをした後、まず足の届くプールに着水した。
「……」
初めてプールを体験する五十鈴さん。
どんな気持ちなんだろう…
「じゃあまずは水に顔をつけてみよう」
さっそく昴の指導が始まる。
水に顔をつけるなんて初歩の初歩だけど、五十鈴さんは泳ぐ以前にまず水に慣れるところからのスタートだ。
「……」
プールに顔をつける五十鈴さん。
「じゃあ次は潜ってみよう」
「……」
「水中で目を開けられる?」
「……」
「仰向けになって体を浮かせてみて」
「……」
五十鈴さんはそつなく昴の指示通りに動く。
良い調子なんじゃないか?
「じゃあ今度はバタ足で泳いでみようか。庭人くん」
「ん?」
「五十鈴さんの手を引いてあげて」
「…わかった」
普段なら動揺する指示だが二人乗りを経験している今の僕なら、手を繋ぐくらいどうってことはない。
「……」
五十鈴さんは僕の手を取り、バタ足を始める。
初めてとは思えないほど綺麗なフォームだ。
「水に対する恐怖はなさそうだし、水中での体の動かし方も瞬時に学習してる。やっぱり五十鈴さんは優秀だな~」
その上達ぶりに昴は感心している。
やっぱり五十鈴さんは経験不足なだけであって、運動神経は人並み以上にあるんだ。順調にプールという環境に適応している。
「じゃあ今度は、足の届かないエリアに行ってみよう」
次は足のつかない水中での訓練だ。
それができればプールの中で溺れることはない。
「う、うん……」
だが五十鈴さんは抵抗があるみたいだ。
足がつけば安全は保障されているけど、足のつかない水中は泳げる自信がないと怖いだろうな。
「じゃあ庭人くん、最初は体を支えてあげて」
「…」
また密着する指示か…
でも昴の表情は真面目そのもの、五十鈴さんも真剣に泳ぎ方を学ぼうとしている。なんだか僕だけ過敏に反応してて馬鹿みたいじゃないか。
「じゃあ五十鈴さん、行きましょうか」
僕は五十鈴さんに手を差し伸べる。
変に躊躇って五十鈴さんと距離を取れば溺れる危険だってある。僕もスイッチを切り替えて真剣に協力しよう。
「うん……!」
五十鈴さんは勇気を振り絞って、僕の手を取った。
※
あれから休憩を挟みつつ、五十鈴さんの練習は続いた。
五十鈴さんの上達ぶりは昴でも目を見張るものがあり、足のつかない水中での訓練もあっさりとクリア。クロールや背負泳ぎまで習得して、最後は50メートルの記録を測ったりもした。
そして昼頃、僕らはプールから出ることにした。
お昼ご飯を食べてからプールに再入場することも可能だけど、みんなとプールに行く約束は明日だから体力を温存しておきたい。それにいくらここが空いてるからといっても、午後になれば客は増える。
五十鈴さんは最低限泳げるようになったし、ここらが潮時だ。
「ふぅ…」
僕は服に着替えてから、休憩室の椅子に腰を下ろす。
プール後の心地よい疲労感と眠気が襲ってくる。
「……」
隣に座る五十鈴さんもお疲れの様子だ。
「はい、私からの奢りだよ~」
すると昴がコーヒー牛乳を手渡しに来る。
「やけに気前がいいな」
「二人には宿題の時にお世話になったからね~」
昴は上機嫌でコーヒー牛乳を一気飲みする。
五十鈴さんの苦手な運動は昴がカバーして、昴の苦手な勉強は五十鈴さんがカバーする。お互いの欠点を補い合ういい関係になれたな。
「今日は、ありがとうございました……」
五十鈴さんはおもむろに立ち上がり、昴と僕に頭を下げてきた。
「いいんだよ~私も楽しかったから」
「僕も楽しかったですよ」
今回の目的は遊びじゃなくて練習だけど、五十鈴さんと一緒にプールなんて楽しくないわけがない。泳げるようにもなったし、これで僕がいなくても明日のプールは安心だ。
「そうだ庭人くん」
そこで昴は思い出したように呟く。
「ん?」
「湖島園に行く誘い、庭人くんだけ返事してないよね」
「…」
別に忘れていたわけじゃない。
実は僕にもプールに行かないかと西木野さんからお誘いがきている。
でも僕はまだ返事を出していない。
今でも迷っているんだ。だって五十鈴さんを含める女子六人と一緒にプールなんて、いくら何でもそのシチュエーションは平凡代表の僕には手に余る。
「園田くん、行けないの……?」
五十鈴さんは不安そうに僕を見る。
「えっと…」
そんな目で見つめられたら、拒否なんてできるわけない。
「…行きます」
僕がそう言うと、五十鈴さんは安堵の笑みを浮かべる。
不安要素は無数にある。
でもせっかくのお誘いを断るのは勿体ないと思うし、僕がいればいざという時の役に立てるはず。それに五十鈴さんの新しい水着も見たいし…もうあれこれ考えないで、飛び込んでしまえ。
それくらいできなきゃ五十鈴さんの友達は務まらない。
25 泳げるようになる。×