31 五十鈴さんの試練
園田くんが風邪で休んだ次の日。
学校に行く支度を整えた五十鈴さんは、玄関の扉を開けた。
「……」
五十鈴さんが学校の教室に到達するには、三つの関門を突破しなければならない。
最初の関門は学校に向かうまでの道中だ。
超絶美少女の五十鈴さんが道行く人の目を奪ってしまうのは必然だろう。だが五十鈴さんは自分の魅力に気付いていないので、どうして周囲が自分に注目するのかその理由が分かっていない。聞こえもしない噂話をネガティブに捉え、その被害妄想が学校へと向かう足を止めてしまう。
二つ目の関門は華岡学園の敷地内を歩くことだ。
まだ学園に通い慣れていないので、この広すぎる華岡の敷地はまるで他人の庭だ。教室までの長い道のりが、五十鈴さんの不安な気持ちを煽ってくる。
そして最後の関門は、教室に入る時だ。
教室に入ればクラスメイトからの視線を一斉に浴びることになる。それが五十鈴さんにとって恐怖でしかなかった。普段朝早く一番乗りで教室に入るのは、その視線を回避するためでもある。しかも前に感じた疎外感が解消されていないので、五十鈴さんとクラスの間には溝がある。
この三つの関門を乗り越えなければ、五十鈴さんは学校に通えない。今までどうやってその関門を乗り越えてきたのかというと、ゴールに園田くんという安全地帯があるからだ。
だが園田くんは今日も病欠。
何故なら自分のせいで、風邪を悪化させてしまったからだ。
学校生活の不安感と昨日の罪悪感が合わさり、今の五十鈴さんのメンタルは既にボロボロだった。
「……」
五十鈴さんは鞄につけた、園田くんから貰ったキーホルダーを握りしめながら学校を目指した。ここで逃げてしまったら、無理をして自分を励ましてくれた園田くんに申し訳が立たない。
それに今回の一件で五十鈴さんは、自分が園田くんに頼りすぎていることを自覚した。一人で学校に向かうことは、最初から自分の力だけで乗り越えなければならない試練なのだ。
※
五十鈴さんはなんとか教室の前に到着した。
「……」
しかし、教室の扉を開けることができない。
既に教室内はクラスメイトが揃っている。いつもなら朝早く登校して誰もいない教室からスタートするのだが、今日は怯えながらの登校だったので遅れてしまった。
教室に入れば大勢の視線が一斉に向けられる。
ここが自分の限界かと五十鈴さんが諦めかけた、その時。
「なんだ、五十鈴さんいるじゃん」
背後から西木野さんが声をかけてきた。
「もうすぐ朝礼が始まるよ。ほら入った入った」
「……!」
有無を言わさず五十鈴さんの背中を押して教室に押し込む西木野さん。だが不意を突かれたおかげで、五十鈴さんはクラスの視線を気にすることなく教室に入ることができた。
「……」
教室には入れたが、自分の席の隣に園田くんはいない。覚悟していてもその落胆は激しい。
「おはよー五十鈴さん」
と思いきや、空いている園田くんの席に何故か星野さんが座っていた。
「お、おはよう……」
五十鈴さんは挨拶を返しつつ、星野さんの隣の席に座る。
「今日も園田くん休みらしいから、心置きなく五十鈴さんの隣を独占できるよ。このまま授業受けようかな~」
「先生に見つかったら怒られるでしょ」
星野さんにツッコミを入れつつ前の席に着く西木野さん。
「……」
空いた席には友達が座る、そんな普通を五十鈴さんは知らなかった。今日は教室の隅で独りぼっちで過ごすんだという不安はあっさりと解消された。
「五十鈴さん、園田くんがいなくて寂しいの~?」
すると今度は朝香さんが寄ってきた。
「えっと……うん……」
「じゃあ五十鈴さんに、リラックス効果のあるポプリをあげるね。良い香りを嗅げば緊張を和らげられるよ~」
朝香さんは小さな瓶を五十鈴さんの机に置いた。
因みにポプリとはドライフラワーやドライハーブなどを瓶に詰め、その香りを楽しむものだ。そのポプリの作りを見たところ、どうやら朝香さんの自作のようだ。
「……いい香り」
蓋を開けると優しい香りが溢れ、その匂いを嗅いだ五十鈴さんの心をほぐしてくれる。香りも素晴らしいが瓶の装飾にも手が込んでおり、朝香さんの強いこだわりを感じさせる逸品だ。
「おはよ~」
そうこう話していると、担任の先生が現れた。
「朝礼始めるから自分の席について」
「むう…仕方ないか」
星野さんは諦めて自分の席に戻る。
結局、五十鈴さんの隣は空いてしまった。
「…」
そんな空いた席に、今度は木蔭さんが座る。
「じゃあ出席をとるよ~」
しかし誰も木蔭さんの席移動に気付いていない。
「…私の影の薄さなら、授業中でも先生にバレない」
そう言って木蔭さんはぎこちなく微笑む。
普段なら短所でしかなかった影の薄さが、今だけは五十鈴さんの助けとなる長所になった。
「ということで…今日はよろしく」
「う、うん……」
こうして授業中は木蔭さん、休み時間は星野さんたちが、五十鈴さんの隣の席を埋め続けてくれた。
「……」
五十鈴さんは不思議な高揚感を抱いていた。
病院の中庭で園田くんが言っていた通り、園田くんのいない学校はいつもと違う新しい出来事が待ち受けている。友達に支えられてやっとの状態ではあるが、五十鈴さんはこの状況を心地よく思っていた。
「そうだ、五十鈴さん。園田くんのためにもちゃんとノート取らないとだね…」
「……!」
木蔭さんに言われ五十鈴さんはハッとする。
学校を休んだ園田くんの分まで、しっかり授業を受けて勉強を教えられるようにする。それが迷惑をかけてしまった自分の役目だと責任感に駆られたのだ。
「うん、頑張る……!」
気合を入れた五十鈴さんは、もう学校が怖いからと逃げ出したりしなかった。