8 筒紙撫子
筒紙撫子の人生は姉に左右されていた。
三つ年上の姉は芸術家の天才だった。
彼女の手掛ける作品は幼少期の頃から多くの人に評価され、“令和のレオナルド・ダ・ヴィンチ”と賞賛され芸術家界隈を賑わせていた。さらにその妹も絵画の才能に恵まれており、芸術家姉妹として世間から注目されていた。
(…)
だが妹はずっと才能の差に苦しんでいた。
(目のいい人には分かる…私に姉以上のセンスはない)
妹が手掛ける絵画も十分評価されていたが、姉の作品には遠く及ばないことを隣で嫌というほど理解させられる。世間は天才の妹だから賞賛しているだけだと邪推するようになった。
(神様は残酷だ。姉妹を使って生まれ持った才能に差があることを思い知らせるなんて)
天才の中にも優劣がある。
10年に一人の天才も100年に一人の天才の前では霞んでしまう。生まれた時から妹の前には、姉という越えられない壁が立ちふさがっていた。
「あら、また一人で絵を描いてんの?」
妹がそんな悩みを抱えていることも知らず、ユキ姉はいつだって傍若無人だった。
「私のアトリエに入ってこないで」
「一人で引き籠って創作しても捗らないわよ」
「ほっといて」
「作品作りは見聞を広めることから始めるものよ」
「姉は何でも一人で思いつくでしょ」
「にしし、私は天才だからね~」
姉は悩むことを知らない超人だ。
妹はそんな姉が大嫌いだった。
(姉なんていなくなればいいのに)
一人っ子だったら自分だけが日の目を見ることが出来たのにと、卑屈になりながら絵画を手掛ける毎日だった。
そんな不満だらけの日常は、ある出来事で終わりを迎えることになる。
姉に病名と余命が告げられたのだ。
※
姉が入院することになっても、妹はお見舞いに行こうとはしなかった。
(行っても話すことないし…)
ずっとつんけんした態度で接してきたせいで、姉のために何かをしようと考えても行動に起こせなかった。素直になれない思春期なのだから仕方がない。
両親も無理強いはさせず自由を与えてくれる。
(…)
妹はずっと待っていた。
強引なユキ姉が自分をお見舞いに呼び出す日を。
しかし、その日は最後まで訪れなかった。
※
姉の死は世間を騒がせたが、注目の的になったのは妹の存在だ。無念に終わった姉の意思を継いだ妹がどのような絵画を手掛けるのか大盛り上がりだ。
「…」
姉の死をテーマに絵を描けば、どんな作品でも世間は評価してくれる。このチャンスを利用すれば望んでいた独り舞台が手に入るはずだった。
だが妹は絵を描かなかった。
そのせいでメディアは筒紙姉妹を取り上げることはなくなり世間から注目されなくなった。
(私は何がしたかったんだろう…)
邪魔な姉が消えれば自分の時代がやってくる…そんな野心を抱いておきながら、そのチャンスを棒に振って思考停止に陥ってしまったのだ。
(…)
ある日、妹はなんとなく姉のアトリエに足を運んだ。
そこには絵画だけではなく彫刻、陶芸、染織などの作品が飾られている。そして奥の棚には数えきれないほどのトロフィーと賞状が乱雑に積み上げられていた。
(ユキ姉はこんな絵を描くんだ…)
姉の作品を見たのは久しぶりになる。何故なら姉の絵を見てしまったら、自分の作風が乱れると思ったからだ。
「こんなの真似できるわけない」
やはり姉は別格の天才だった。
絵画の天才の目から見ても、どうすればこれだけ精巧な絵が描けるのか想像もできない。絵画以外の作品もとてつもない完成度だ。
それでも妹は前のように嫉妬したりはしなかった。
(本当にいなくなったんだ…)
当たり前のように側にいた姉はもういない。求めていた自由を手に入れたのに、妹はやる気と目的を失っていた。
「…ん?」
その時、画材のイーゼルに手紙のようなものが置かれていることに気付く。妹は不可解に思って手紙を手に取り中身を確認した。
――――――――――
妹へ
がっこうに残した
かきかけの作品
かわりに完成させておいて
それまで成仏せず
せなかに憑りつくから
ユキより
――――――――――
「…」
ぞっとした妹が振り返ると、部屋の扉に幽霊のように腕をぶら下げた姉の自画像が飾られていた。
「はぁ…心臓に悪い」
いなくなっても騒がしい姉に呆れたため息を吐く。
(…姉の通っていた高校、確か華岡学園だっけ)
今更姉の意思を継いで絵を描いても、世間はもう注目しないだろう。それでも手紙を受け取った妹は失いかけていた創作意欲を取り戻していた。
「背後に憑りつかれたまま生きるのはしんどいからね」
こうして筒紙撫子に新たな目標ができた。
それは華岡学園に残された姉の未完成の作品を探し出して完成させることだ。




