いにしえの 王家の宝 今いずこ
春にしては暖か過ぎる、初夏を思わせる日の午後。
王宮に来て以来日課になっているお散歩に出かけた。
王宮はとても広くて、商業施設や教育施設などあらゆる施設を有しているの。裕福な貴族や商家の子女の学びの場にもなっているから、同年代のひとたちも多く見かけるわ。
今日はどこに行こう。
「やあ、ルイーズ様。こんにちは。本日もお元気そうでなによりです」
「こんにちは、ダミアン。ええ、元気よ。でも、あなたはあまり、元気そうではないわね?」
どんよりと雨雲を背負ったような湿った空気を纏っているし、無理に笑っていることが一目瞭然なくらい眉が八の字になっていて今にも泣き出しそう。
ダミアンは王宮で働くパティシエよ。私が気に入っているあのクッキーも、ダミアンが焼いたものなの。
ダミアンは二十代半ばから後半くらいかしら。大柄で笑顔の明るいひとなのに、今は背中もちょっぴり丸まっている。
「はいー。実は、つい最近まで贔屓にしてくださっていたご令嬢からの注文がぱったり入らなくなってしまいまして。いつも、その方からのご注文には気合を入れて腕を振るっていたのですが、飽きられてしまったんですかねぇ……」
さあ……?
でも、そうね。すごく美味しいと思ってたくさん食べていると、急にぱったり食指が動かなくなることはあるかもね。
そうでなくても、美味しいものはカロリーが高いから。
若い令嬢なら体型とかお肌の具合とか、美容のことを考えてお菓子を控えることはあるんじゃないかしら。
「あまり、深刻に考えない方が良いのではない? ダミアンのお菓子はいつもとても美味しいわ。先日のクッキーは私のお気に入りよ」
「ありがとうございます。でも……」
ああ、そうね。私が言ってもね。うーん……。
「その方とお話する機会があったら、それとなく聞いてみましょうか?」
「本当ですか?」
あら。表情が明るくなったわ。
「ええ」
そんなことで良ければいくらでも、とは思うけれど。その方の回答が「飽きたから」ではないことを祈るわ。
「ありがとうございます。お願いします。味に不備があったんじゃないかと気が気じゃなくて。本当に、今朝は経費で買ってもらったばかりのシャープナーが無くなってるし、踏んだり蹴ったりなんですよ」
「無くなって?」
「そうなんです。ちゃんと昨夜仕事を終えるときはあったんですけれどね。新しいのが届いたときに古い方は処分してしまったのでもう一度買ってもらうように申請するしかありません。始末書です」
ダミアンは大きくため息をついた。肩を落として、大き体が小さく見えるわ。本当に落ち込んでいるのね。
「いいヤツなんですよー。すごくコンパクトで、でも性能はものすごくいいんです」
「要するに高価なものを失くしたのね」
ダミアンの手振りから、それは手のひらに乗るくらいのものだと分かる。
小型で高性能。きっと最新式のとても高級なものなのでしょうね。それを失くしてしまうなんて。
ダミアンはまたがっくりと項垂れた。
「もうじき、アリソン様のバースデーパーティが開催されるのに、このままじゃあ気になって仕事が手につきません」
それは大変。ダミアンには美味しいクッキーをたくさん作って欲しいし、役に立てるといいけれど。
「アリソン様のバースデーパーティ、私も楽しみにしているのよ。ダミアンが心置きなくお仕事に打ち込めるように、協力するわ」
アリソン様はリアム様のおばあ様にあたる方。確か、今年70歳になられるのではなかったかしら。
いつも穏やかににこにこ微笑んでおられる、愛嬌のある方なの。
笑顔が可愛らしくて温かくてね、あんなおばあちゃんになりたいと思うような方よ。憧れなの。心が強くて、豊かでないと、ああはなれないと思うけれど。
「それで、その方はどちらのご令嬢なの?」
ニナ・シャイン様。シャイン子爵のご息女で控えめなしっかり者、という印象の方だ。
特別に美人というわけではないけれど、清楚で真面目な性質が外見に表れているような、そんなひと。
会えば挨拶を交わす程度の知人でしかないけれど、話す機会、あるかしら。
ダミアンと別れてお散歩を続けながら、ダミアンの密かな想いびとのことを考えていたら、図書館へ続く通りに来ていた。
真っ直ぐに行けば大きな図書館があって、その前は公園になっている。持ち出し禁止の本でなければ、図書館で借りた本を公園で読むことも出来るのよ。
でもその公園は行き止まりで、別の場所に通り抜けることは出来ない。
お散歩コースとしては右か左に曲がるべきなんだけれど。
あ。あれは……。
図書館の方からこちらに向かってくる3人の女性。
その内のひとりが私に気づいて手を振った。
「ルイーズ様、ご機嫌よう。これから中庭のカフェレストランに行くのですけれど、良かったらご一緒しませんか?」
華やかな笑顔で誘ってくれたのはシルヴィ・ストッカー侯爵令嬢。明るくて楽しい方よ。それに美人。
私は彼女と一緒にいた2人の女性に会釈をしながらシルヴィに答えた。
「ご機嫌よう、シルヴィ。ええ、ぜひ。ご一緒させて下さい」
チャンス到来。シルヴィと一緒にいた女性のうちのひとりがニナ・シャインだったの。
「ルイーズ様が羨ましいですわ」
シルヴィと一緒にいたもうひとりの女性、フルール・ハウザー伯爵令嬢がそう言いながらケーキを口に運ぶ。
フルールも明るいひとよ。気取ったところがなくて、思ったことを口にするタイプね。
「リアム様に見初められるなんて。私なんて、先日決まった輿入れ先は10歳も年上の方なんですよ。何を話したらいいのか、今から不安ですわ」
羨ましいですか? 私を傷物にして婚約破棄をしようとしたひとですけれどね。しかも、危うくお父様の爵位と領地を奪われるところだったんでした。
もちろん、そんなことは言えませんけど。
「ふふ。幸運だったと思ってます。フルールも婚約が決まったんですね、おめでとうございます。10歳も年上の方なら包容力がおありでしょうし、大事にしてくださるのではないかしら」
「だと良いのですけれど。ロマンス小説のような恋がしてみたかったですわ。そう思いませんか? ねえ、ニナ?」
ニナは困ったように微笑んだわ。
「でも。恋は、楽しいことばかりでもありませんでしょう?」
「あら意味深ね。ニナはずっと好きだったひとと婚約したのでしょう? やっぱり、いろいろと紆余曲折があったの?」
興味津々なフルールに、ニナはますます困り顔。あまり、踏み込まない方が良いのではないかしら。
「そうではありませんけれど。ロマンス小説では、大抵のヒロインが不穏な出来事に心悩ませていますもの」
それはそうだけど、とフルールは少し不満そう。
「でも、そうして心悩ますことが、恋の醍醐味なのではなくて?」
シルヴィはそんなフルールを揶揄うように笑って言ったわ。
「そんなこと言って、フルールだって本当は嬉しいくせに。フルールの好きなロマンス小説って、少し歳の離れたカップルのお話ばかりじゃない」
あら。そうなの。
フルールは途端に頬を赤らめたわ。図星みたい。誤魔化すようににこっと笑って、フルールはすぐに話題を変えた。
「そ、そう言えば、ルイーズ様はご存知ですか? 王宮に隠された宝のことを」
「王宮に隠された宝?」
初耳だわ。みんなは知っているの?
首を傾げると、今度はシルヴィが言ったの。
「最近、何かの文献が発見されたとかで噂になっているんですよ。大昔に王宮に入った泥棒が王家の宝を盗んだけれど王宮から脱出することが出来ず、逮捕される前に盗んだ宝を王宮内のどこかに隠した、というものです」
盗んだ宝を王宮内に?
「もしも誰にも知られずにその宝を見つけることが出来たら……。現実的ではありませんが、宝探しなんて少しロマンがあるでしょう? 盗まれた宝とはなんなのか、一体どこに隠されたのか。ときどき、真剣に議論している声も聞こえてきますわ」
くすくすとシルヴィが笑う。その噂話をシルヴィは信じてはいないみたい。
「話は変わりますけれど、最近見かけるようになった出入りの宝石商が……」
話題はコロコロと変わっていって、なかなかニナに話しかけるチャンスがないな。
シルヴィの話に耳を傾けながらニナ様子をそっと伺う。紅茶と一緒にケーキを頼んでいたから、ダイエットをしている訳ではなさそうなのよね。ああ、紅茶にお砂糖も入れてるわ。
うん……?
「その宝石商がちょっとハンサムなんです。話も上手くて、勧められるとうっかり買ってしまいそうになりますわ。皆さんもお気をつけて」
シルヴィの話に頷きながら、私は視界の端でニナの手の動きに注視していた。
「それで、ニナ様とお話は出来たんですか?」
それがねぇ……。
アインに尋ねられて、私は首を横に振った。
「話題の転換が早すぎて口が挟めなかったわ。それよりも気になったことがあって」
「気になったこと、ですか?」
リアム様のお庭でリアム様を待つ間、アインにお散歩中の出来事を話していたの。
リアム様とは、毎日2人でお茶の時間を設けることになっているのよ。
「ニナが、ティースプーンをこっそりハンカチに包んで持って帰ったの」
紅茶にお砂糖を入れてティースプーンでかき混ぜたあとにね、ソーサーに戻す仕草はしたけれど実際には膝の上に広げたハンカチの上に置いたのよ。
どうするつもりなのかと思って見ていたけれど、そのままスプーンごとハンカチを畳んでしまったわ。
「それは……」
ね? 気になるでしょう?
シルヴィやフルールとの楽しいおしゃべりも、ニナが気になって上の空になっちゃったわ。
「面白い話をしていますね」
リアム様。いらしてたんですね。今の話、聞いてらしたんですか?
きらきらと麗しい微笑みを浮かべたリアム様は私の正面に座るとふわりと微笑んだ。
「詳しく聞かせてくれませんか、ルイーズ?」