夕凪の天使たち 4
放課後、帰宅しようとした美咲は担任の柱に呼びとめられた。
「麻乃くん、君、今日の日直だったよね。図書室までこの資料を届けてくれないか」
柱はそう言うと、どっさりとプリントを美咲に渡した。生憎、今日は美和もあさみもクラブだったので暇だった美咲は断る理由も無く、仕方なく重いプリントを図書室まで運ぶ羽目になった。
「そういえば、前の日直の時は体育教官室ですごいモノを発見したんだよねぇ」
ぽつりと美咲は独り言を言った。二ヶ月程前、美咲のクラスの前の担任が生徒を殺すという事件があった。その時に美咲は事件の鍵を握る妊娠診断書と離婚届を発見した。思えばあの事件以来三人娘はずっとバタバタしていると美咲は思ったが、波瀾も楽しむ性格の美咲としてはスリルがあるこんな毎日が楽しかったりする。
図書室に来た美咲は、片手でゆっくりとドアを開く。普段、美咲は図書室などに近づいた事は無かった。どうも、この真面目で静かすぎる空気が苦手なのだ。
「あれ、美咲ちゃん、どうしたの?」
図書室に入ると、カウンターから声が掛かった。見てみると、理奈が居る。
「あれ、理奈ちゃん何でこんな所に居るの?」
「私、図書委員なの」
言われて、美咲は納得した。理奈はおとなしくて真面目な少女で、本も好きであった。図書委員になっていたとしてもなんら違和感はない。
「これ、柱センセーからの預かり物」
美咲はドサッとカウンターにプリントを置いた。
「ありがとう、お疲れさま」
美咲は重いものからやっと解放され、肩をコキコキ言わせた。理奈は相変わらず優しく美咲を見て微笑んでいる。
「そういえば、昼休みに規則君を探してたって言ってたでしょ? 今、ここに来てるよ。一九八棚の向こう側に居ると思う」
「えっ、本当? ありがとう!」
美咲はとびきりの笑顔を理奈に向け、奥の棚の方に駆けて行く。そんな美咲を理奈は少し寂しそうな表情で見送った。
奥の棚までやってきた美咲は、本を探している守を発見した。
「守くん、見つけた!」
守はしばらく本棚を見ていたが、ちらりと美咲の方を見た。
「図書室内では静かに」
驚く様子も無く、守が冷静に言う。美咲はしゅんと肩を落とした。
「ごめん……。えっと、何の本を探してるの?」
「共形場理論と一次元量子系。でも無さそうかな」
「ふーん、そうなんだ、あはは」
適当に返事してみたものの、美咲には何の事なのかさっぱり判らなかった。とりあえず笑って誤魔化してみる。そんな美咲を見て、守はフォローのつもりか補足をした。
「統計力学、物性基礎論に共形場理論を応用した本だよ」
「……へぇ」
説明されても残念ながら美咲には全く理解ができない。守は諦めたように、また本棚に目を向けた。全く美咲を気にする様子はない。だが、美咲はそんな事ではめげなかった。
「あのね、守くん。昼休みに守くんのクラスに行ったんだけど、居なかったよね」
「休み時間は大体図書室に居るかな」
守は美咲と目を合わせようとしない。仕方がないので美咲の方から守の視界に回りこんだ。
「あのさ、良かったら一緒にお昼ご飯食べない? 私、友達と一緒に屋上でご飯食べてるんだ。男の子も二人居るから、気兼ねなく楽しくやれると思うんだけど」
「いや、僕はいいよ」
「何で? 一人で食べるよりみんなで食べた方が楽しいよ」
「いや、一人の方が気楽だし」
可愛く人懐っこい美咲に対しても守は容赦が無い。もし、これがあさみだったら頭から湯気を出す勢いで怒っている事だろう。
「そっか、でもいつか一緒に食べようね」
あまりこたえていない様子の美咲はニコッと笑うと図書室を去っていく。守は美咲をしばらく目で見送っていたが、また本棚に目を戻した。
美咲は教室に戻り、帰り支度をして下足室に向かった。靴を履き替えて校舎を出ようとすると、ばったり守と遭遇する。守は美咲以上に驚いた様子で立ち止まっていた。
「あれ、守くんも今帰るところだったんだ。一緒に帰らない?」
美咲は守の肩をポンと叩く。少し驚いた様子の守だったが、コホンとひとつ咳をしてそっぽを向いた。
「変な噂が立つとお互い気まずいし、やめておくよ」
早口でそれだけ言うと、さっさと一人で歩き出す。
「えぇー? もう下校ラッシュ終わってるし、そんな変な噂立てる人なんて居ないよ?」
美咲は守の後をついて歩いた。校門を出て並木道を通りぬけ、表通りにさしかかる。
「なんで、一緒に帰りたくないの? もしかして私の事キライ?」
「いや、そんな事はないけど……。そもそも、会って二日しか経ってないのに好きも嫌いもないと思うよ」
「でも、私は守くんの事、わりと好きだよ」
守の顔が少し赤くなる。
「あっ、今守くん赤くならなかった?」
美咲は茶々を入れたが、守はおもいきりそっぽをむいて早足になった。美咲も慌てて付いて行く。二人はやがて駅のホームについた。丁度やってきた電車に乗りこみ、並んで立つ。
「守くんのお父さんって怖そうだけど格好いいよね」
「そうかな? 僕にとってはガミガミやかましいだけの存在だけど」
「現場の規則警部、すごく威厳があって警察の皆に敬られてたよ」
「麻乃さんのキックもすごく威厳があったって親父が言ってたよ」
クールに言う守の言葉に、美咲は初めてめげた気がした。
「麻乃さんじゃなくて美咲でいいよ」
「いや、苗字の方が呼びやすいから」
にべもなく守が言う。美咲はますます守ともっと仲良くなろうと密かに闘志を燃やした。
電車は美咲の家の最寄の駅に到着した。相変わらず美咲は守の後について歩いている。
「……どうして僕の後をついてくるの?」
「仕方ないじゃん、私の家もこっちなんだもん」
事実だったので守は反論しない。小さく溜め息をついて、速度を落とさずに歩いた。
「ねぇ、一緒に帰ろうってば。こんな縦列で帰るのって絶対不自然だよ」
「話す事とかあまり無いし」
「でも、さっきから私達、ずっと喋ってるよ」
確かにそうだな、と守は内心思ったが、あえて何も言わなかった。
そうこうしているうちに、二人は自宅の前までやってくる。守は自宅の門に手をかけながら、やっと美咲の方を振りかえった。
「麻乃さんって変わった人だね」
「えー? 守くんの方が変わってるよぉ!」
「……よく言われる。それじゃ」
守は少し苦笑いして自宅の中に入っていった。美咲は、そのちょっとした守の微笑みが見れただけでも本日の大きな収穫だと思う。ルンルン気分で美咲も自宅に入っていった。




