暗殺者はギルドマスターを始末したい
イバラークを暗殺しようとした彼女――――トトリはあまりの出来事に理解が追い付かなかった。
殺そうとしていた男に何故か勧誘を受けている。
命乞い?
いや、追い詰められていたのは自分。
頭がおかしい?
私の頭がおかしい?
恐怖のあまりに幻聴?
何を言われたの?
答えなきゃまずい?
死ぬ?
あれ、死のうとしたんだっけ?
ジムインって何だ?
お金?
愛人か何かか?
そんなのは嫌だ。
死ぬ?
お母さん。
みんな。
嫌だよ・・・・・・。
頭の中がぐちゃぐちゃで色々なものが浮かんでは違うもので上書きされていく。
「あ・・・・・・あ・・・・・・わた、私・・・・・・洗剤も付けてください!!」
混乱し過ぎて間違えた。
もう駄目だ、私は終わった・・・・・・。
トトリは諦めの境地へと至り、力が抜けてく。
「付けたらいいんだな!? 契約成立だ!! ここにサインしてね。あ、書くもの無い? これ使ってね」
そこからはなすがままだった。
よく分からない紙にサインをさせられた。
しかし、もう抵抗する気力も考える力ももう残っていない。
『控え』と言われて渡された紙を麻痺した頭で眺める。
どんな理不尽な事が書かれているのだろうかと見れば。
『農業ギルド 職員 労働契約書』と書かれている。
その下に勤務時間や賃金など、労働条件が明記されている。
下の方の特記事項欄には、万能包丁・まな板・洗剤支給と書かれていた。
「農業、ギルド・・・・・・?」
「そう、農業! あ、大丈夫、大丈夫。あくまで事務員だから土いじりするわけじゃないし、農業の知識が無きゃ駄目なわけじゃないよ? 徐々に覚えていこうよ。ぶっちゃけ俺も詳しくないし」
やっと思考能力が戻ってきた。
それと同時に顔色が悪くなってくる。
それはまずいのだ。
もう日の当たる場所には戻れる身分ではない。
「おい、もう終わったか?」
男が部屋に入ってくる。
イバラークをこの店に連れてきた時に声をかけた相手。
この『暗殺者ギルド』のギルドマスターである。
「おや、お客さん、すいやせんね。まだお楽しみ前でしたか」
健康そのものの体で立っているイバラークを見て、慌てて態度を改めた。
いかにも情事の最中に出くわしてしまったかのような態度。
そして、イバラークには分からないように『何をしている』という視線をトトリに送る。
暗殺者ギルドのギルドマスターは、笑った顔のまま腰に回した手にナイフを握る。
いつでもズボンの内側に忍ばせているものだ。
どうやら、既にイバラークにすべてばれている事に気付いていない様子。
「おい、その小娘は今日から転職するから。暗殺の依頼は無効だぞ?」
「あぁっ!? なんだそりゃ!? どうなってやがるトトリ!?」
目を逸らす。
とてもまずいのだ。
この男は腕利きの暗殺者で、トトリにその術を伝授した男。
つまり、強い。
「おいおいおい、兄ちゃん、ウチの稼ぎ頭を誘惑されちゃ困るねぇ。こいつが何に転職するかは知らねぇが、暗殺術は天下一品よ。逆に、それ以外何も無ぇ・・・・・・ああ、その乳も有るわなぁ。情婦にでもするのか? とにかくよぉ、そいつは金のなる木なんだよ。見逃してやるから手を引いてくれよぉ、な?」
背後に隠したナイフはそのままに、ぬけぬけと言い放つ。
当然見逃すつもりは無い。
知られたからにはここで殺す。
「嫌だ」
「おいおい、俺が頼んでんだぜ? お前も命は惜しいだろ? 今回の依頼は失敗って事で依頼人には諦めてもらうからよぉ」
「無理。不可。うまるこ踏んでお前が死ね」
ブチブチっ!!
もはや作られた笑顔は消え失せ、本来の凶暴な顔が現れている。
「逃げなさい! その男は暗殺者ギルドのギルドマスターよ! あなたが敵う相手じゃない!」
トトリは思わず叫んだ。
それはこのギルドマスターに敵対した事を意味する。
この後、トトリも処分されるのだろう。
万が一の可能性で生かされて奴隷のようにこき使われる可能性もあるが。
どちらにしても自分の人生は終わったのだとトトリは悟った。
「暗殺者ギルド? 非合法ギルドじゃん。通報すれば一発、ファイトー、いっぱーつ」
何故彼は、やりきったいい笑顔でこちらを見ているのだろうとトトリは思った。
こんな馬鹿の為に自分の人生が終わったのかと思うと情けなかったが、多くの命を殺めてきた自分の最後などこんなものかとも思う。
イバラークは完全に隙を見せた形になった。
部屋の扉が半開きで明かりが漏れているとはいえ、部屋はいまだ薄暗い。
その中で音も無く距離を縮める暗殺者ギルドのギルドマスター。
視線を外したままのイバラークへ一直線にナイフがひらめく。
そしてその刃はイバラークの首へ。
「・・・・・・・・・・・・」
ナイフはイバラークの首まであと指二本という所で止まっている。
ちなみに指二本は距離的なものではなく、首に到達するまでに突破しなければならないものという意味で。
親指と人差し指でつままれたナイフは押しても引いてもビクともしない。
イバラーク以外の二人は目が点になっている。
そんな二人を差し置いて、イバラークは震え始める。
もちろん恐怖のためではない。
「俺の怒りを受けてみろ! これは、そこで怯える小娘の分、これは貴様に殺されてきた者達の分、そしてこれは・・・・・・中々事務員が見つからなかった俺の怒りの分!! 後は適当に何かの怒りぃいいい!!」
「私情が入りまくってるぅうううう!!?」
イバラークの怒りの鉄拳が――――以下略。




