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それぞれの秋

作者: John B.Rabitan
掲載日:2018/03/03

 天慶三年(九四〇年)三月、二人の壮年の武将は、浮かない顔の老人と酒を組み交わしていた。武将とはいえまだ武士は階級として成立しておらず、軍を率いて東国まで戦をしてきたとて身分は官吏だ。

 「さ、宇治殿。御酒(ごしゅ)が進みませんな」

 常平太がいくら進めても老人はなかなか杯を口に運ぼうとはせず、押し黙っている。さぞかし気落ちしているだろうとこの老人を貞盛は自分の屋敷に招いたのだが、目の前にいわば自分の論功を横取りした二人が座っていては酒も進むまい。そのことは常平太も俵藤太も分かっているだけに、かえって気を使ってしまうのだ。この老人――宇治民部卿は征東大将軍に任じられて都を発ったのだが、坂東の地に到着する前に朝廷(おおやけ)に弓引いた豊田小次郎はすでに目の前にいる常平太と俵藤太に討たれていた。今日、春の除目(じもく)があって、常平太は従五位上に、俵藤太は従四位下に叙せられていた。しかし、宇治民部卿は何の論功もなかったのである。手ぶらで帰ってきたのだから当然といえば当然だが、入京の際は都人より嘲笑で迎えられたこの哀れな老人を、二人の男はなんとか元気づけようとしていた。

 「まあ、小次郎という男も高望みしすぎたのかな。悪いヤツではなかったのだがな」

 俵藤太の声に、常平太も相槌を打った。

 「まあ、我われがこの戦を機会に今こうして三人で酒を酌み交わしておるのも何かの縁、我われの子々孫々の代になっても、我われの子孫は相争うようなことはないようにしたいものだな」

 この常平太の話に宇治民部卿も目を上げて、やっと大きくうなずくと杯を干した。

【百九十九年後】(保延五年=一一三九年)

 不精髭の遠藤六郎持遠(もちとう)は、突然怒りだした。

 「人を俗人俗人と言いやがって、てめえは聖人君子のつもりかよ」

 「俺は何も自分のことを、聖人君子とは言っていない。ただ俺には目に見えないものを見る力がある。永遠を見ることができる。だから歌を詠む。歌は私にとって、詠まざるを得ないから詠むものなんだ」

 砂ぼこりを上げてひしめきあっていた(いち)の人々は、さっと若い二人の武士同士の喧嘩を、もの珍しいもの見たさに囲んだ。院(上皇)に仕える北面の武士と、帝に仕える滝口の武士の喧嘩だ。斬り合いになったらとばっちりは受けたくないが、ことの成り行きは見物したい。そんな感情が人々の間にあって、彼らをざわめき立たせている。

 「ふん」

 持遠は、今度は鼻で笑った。

 「歌で官職が買えるのか? 歌で殿上人(てんじょうびと)になれるのか?」

 向かい合って立つ佐藤太郎義清(のりきよ)も、負けてはいない。

 「歌というものは、目的があってはいけないんだ。興ずるがゆえに、それが歌となって流れ出てくる、そんなものなんだよ」

 「また、訳の分からない御託を並べやがって」

 「俺は、世俗のことに煩わされたくはない。歌の道と世俗の利は、永遠に交わらない。俺は自分が興ずる以外のことに、煩わされたくはないんだ」

 「何をぬかす。おぬしは親の七光で左兵衛尉(さひょうえのじょう)になり、それで好き事に興じている。それが一人前の男かッ! 歌がどうのこうのとつべこべ言う前に、てめえの生活をちゃんとしろと言いたいんだ!」

 「生活は拙くても、それが歌も拙いことにはならんだろ!」

 いよいよ二人の喧嘩は、腰の太刀に手がのびんばかりとなってきた。囲んでいる民衆は、もはや静まりかえって息を呑んでいた。

 「おい、遠藤! 佐藤! どうしたんだ?」

 その時、雑踏をかきわけ、人垣の中に入り込んできたもう一人の武士がいた。結構いい身なりをしている。義清はその身なりのいい武士に、少しだけ腰をかがめた。持遠もバツが悪そうに、同じようにしている。

 「伊勢の中務(なかつかさ)大輔(だいふ)様!」

 伊勢平太中務大輔兼肥後守は、あとの二人と同じくらいの年齢の、二十代前半の若者だった。それでも五位の殿上人で、地下(じげ)の義清たちとは身分が違う。それで二人は腰を折ったのだ。しかも伊勢平太の前職は左兵衛佐(さひょうえのすけ)で、今左兵衛尉である義清のかつての上司にあたる。持遠はちらりと、そんな伊勢平太を見た。

 「伊勢殿も、羽振りがいいことですな。破格にも方一町のお屋敷にお住まいで」

 それから愛想笑いを消して、低い声で、

 「結局はボンボンじゃないか」

 と、言い捨てて人垣をかきわけ、持遠は去って行った。あとには伊勢平太と、義清だけが残された。

 「どうしたんだ?」

 「いえ、あいつと将来の夢なんかを語り合っていたら、突然怒りだしましてね」

 「ま、突然怒るのはあいつの悪い病気だけど、おぬしのことだ。嫌味のひとつやふたつでも言ったんだろう」

 清盛は笑っている。まわりの人垣も崩れで、もとの市の雑踏に戻っていた。二人は歩き出した。物売りの叫び、子供の声、そんな市全体が生き物であるかのような活気の中で、何人もの肩が二人とぶつかっていた。

 「で、あいつに何と言ったんだ」

 「歌人の心は俗人にはわからない。生活が人生の中心である俗人にはね。でも歌人は、俗人には敵対できない」

 「そんなことを言ったのか。そりゃ、怒るよなあ」

 平太は、歩きながら苦笑を見せた。

 「でも、これが私の、正直な心ですからね。ま、歌人っていうのは、子供つぽいものなんですよ」

 「しかしおぬしだって妻子ある身、生活だってあるだろう」

 義清はそれには答えず、少しだけ顔を曇らせただけだった。

 市を抜けて、二人は大宮大路に出た。西へ向かう彼らから見て左、すなわち南の方には東寺の伽藍と塔が見えた。

 「しかしさっきの、あの右馬允(うまのじょう)の無礼な口のききようは!」

 右馬允とは、持遠の官職である。平太はそれでも笑っていた。

 「仕方がない。本当のことだ。俺の父親の時なんかは、もっと大変だった。殿上で闇打ちに遭いそうにもなったのだからな」

 その父親が今は三位以上の上達部(かんだちめ)の特権である方一町の屋敷を構え、平太もそこに住んでいる。鴨川の東岸、むかし空也(くうや)上人(しょうにん)が開いた六波羅蜜寺に隣接しているので、世に六波羅殿と呼ばれていた。

 「右馬允は、燃えたと思ったらすぐに冷める。二、三日したら、けろっとした顔でやって来るさ」

 平太が笑いながら言った通りだった。三日後、二条のひとつ北の大炊(おおい)御門(みかど)大路東洞院(ひがしのとういん)にある院の御所から北面の武士の詰め所へ、持遠は駆け込んできた。

 「おい、左兵衛尉!」

 それがけろっとどころが、嬉しそうな声であった。義清が出てみると、やはり満面に笑みを浮べている。

 「生まれたぞ! 長男が生まれたぞ!」

 これには素直に、義清も喜んだ。

 「よかったなあ」

 居合わせた平太も出てくるなり、相好を崩していた。持遠は、本当に嬉しそうだった。

 「あととり息子ができましたあッ!」

 「これでおぬしも、子持ちの仲間入りだな」

 そう言う平太はすでに一男の、そして義清は一女一男の父親だった。いずれもまだ二、三歳である。

 「これで子孫も安泰。ご先祖様に顔向けができます」

 「そうだな。私も嬉しい。なぜならこの三人の先祖は、深い因縁で結ばれているからな」

 平太の言葉通り、遠い昔の将門の乱における征東大将軍だった宰相民部卿藤原忠文の子孫が遠藤持遠。そして実際に将門を討った常平太貞盛と俵藤太秀郷の子孫が、それぞれ伊勢平太であり佐藤義清なのである。

 「とにかく、めでたい」

 平太は、大はしゃぎだった。それに反して義清は、いつしか真顔になっていた。

 「右馬允には、めでたいだろう。」

 平太がさかんに、義清に目配せをした。だがかまわずに、義清は言った。

 「私にとって、子は(しがらみ)だ」

 場が白けたのは、言うまでもない。持遠も困ったような表情をして、肩を落としていた。

 「おぬしはいったい、何が不満なんだ」

 「子というものは私にとっては、私を俗世の生活に縛りつける(しがらみ)なんだよ」

 義清は、庁舎の中へと入っていた。

 「変人は、ほっておけばいい!」

 持遠が平太に言っている言葉だけが、義清の背中を追った。

 

【翌年】(保延六年=一一四〇年)

 平太と義清が持遠の屋敷に招かれたのは、年も明けてからだった。持遠の屋敷も洛外、鴨川の東にある。平太の六波羅殿のように方一町というわけにはいかないが、一応その屋敷の(あるじ)であった。かつては狐狸の棲み家にしか思われていなかった鴨川の東だが、清水参詣の便宜のために五条に石の橋がかかってからは、下級官吏や庶民もどんどん川の東へとその居住範囲を広げていた。特に白河のあたりは数々の大寺が軒を連ね、とりわけ法勝寺の巨大な八角九重塔が威容を誇っていた。

 持遠の邸ではこの正月で二歳になった長男が、乳母(めのと)に抱かれて客人に披露された。もっとも満年齢では、まだ一歳にもなっていない。時に春風が邸内をのぞきこみ、近くに見える清水寺の堂宇も、花に埋もれている頃だった。

 「かわいいなあ」

 平太はさっそく、子供好きの本性を発揮している。義清もさすがに微笑んでいた。

 「この子が一人前になった頃は、俺たちはどうなっているだろうな」

 赤子の顔をのぞきこみながら、平太がつぶやいた。持遠が顔をあげた。

 「年を、とっていることだろう」

 「あたりまえだ」

 三人は同時に笑った。持遠は言った。

 「不思議な(えにし)の我われだけど、この三人、いや、この子を含めた四人が年をとったあとも、こうしていっしょにいられたらいいな。なあ、左兵衛尉」

 相槌を求められた義清の顔が、少しだけ曇った。平太もため息をついた。

 「我われのことはさておき、世の中はどうなっているだろうか。院と帝の御父子の間は、どうもうまくはいってはいない御様子だが」

 それから平太は、義清を見た。

 「左兵衛尉も大儀だろうな。身は徳大寺家の家人であって、北面の武士として院の庁にも御奉公だからな」

 今度は持遠が、清盛に目配せをした。案の定、義清は黙ってうつむいてしまった。

 彼が家人となっている徳大寺家は、今上の帝の御母后の御里、そして帝とその御父の鳥羽院との間には、不穏な空気が流れているともいう。しかも実は帝は院の御子ではなく、その御祖父の子、すなわち白河院の御胤であるという噂もあるのだ。となると、帝は院の御子であって、実は叔父であるということになる。

 「まずい情況だなあ」

 平太はまた、ため息をついた。

 「私は・・・・・・」

 義清は暗い顔のまま、つぶやいた。

 「そんな世俗のことには、悩まされたくはない」

 「また始まった」

 持遠は思わず語気を荒くして、赤子を抱いていた乳母を、赤子とともに下がらせた。

 「そんなのは、虫がよすぎるじゃないか!」

 「虫がいいのはそっちだ! この世の中、自分が興じないことに煩わされて生きる方が簡単なんだから、簡単な道を選ぶ方が虫がいい!」

 「何だと!」

 「まあまあ」

 平太が割って入った。

 「どんな状況になっても男子は胸に秘めた(こころざし)をしっかりとかみしめて、それに向かって進むしかないだろう」

 「志のために!」

 義清は立ち上がった。

 「妻も子も、(しがらみ)なんだ!」

 「どうして愚痴ばっかり言っているんだ。女々(めめ)しいぞ!」

 持遠も立ち上がった。勢い平太も立たざるを得なかった。

 「分かった!」

 不意に、義清は叫んだ。

 「そうだ! 志だ! しかしそれを噛み締めるのが、問題なのではない。噛み締め得る力だ。(しがらみ)など、軽んじていればいい。一切を捨てよう。愚痴なんか言うべきではなかった。行うんだ! その中にすべてがある!」

 屋根裏の梁を見上げながら叫ぶ義清の顔に、急に笑みがあふれてきた。

 「大丈夫か? 物怪(もののけ)にでも取り憑かれたんじゃないのか?」

 今度は心配そうに、持遠はその顔をのぞきこんだ。

 「愚痴は、言うべきじゃなかった」

 「ああ、そうだとも。もう、言うなよ。これ以上、その覚悟はあるのか?」

 「覚悟……そう、覚悟……。右馬允! おぬしに感謝する。そうだ、覚悟だ。」

 そのまま義清は、慌てたようにその場を出て行った。

 

 翌日、あまりにも奇妙だった義清の態度が気になって、平太と持遠は義清の邸を訪ねた。案の定、門を入るとすぐに母屋の方から女と子供のすすり泣きの声が聞こえてきた。

 「どうした!」

 持遠が、中に声をかけた。親しくしていた義清の妻が、泣きながら出てきて簀子(すのこ)に座った。

 「夫は突然、もとどりを切って僧になって……、出て行ってしまいました……」

 「なんだって!? 僧に!? 出家か……」

 清盛と持遠は庭にたったまま互いの顔を見あわせた。

 「あいつにそんな、道心があったのか」

 「いや、歌のことならともかく……」

 持遠も狼狽していた。

 「四つになる娘が、泣いてとめたのに……、あの人ったら、娘を簀子から蹴落として……」

 それだけ言って妻は、ひとしきり激しく泣くだけだった。

 「(しがらみ)を軽んじよう……、あいつ、昨日、そう言ってたんだよな」

 ぼつんと持遠がつぶやくと、平太は持遠を見た。

 「覚悟がある……とも」

 「覚悟……」

 二人はしばらく黙って、その言葉をかみしめていた。

 「あいつ、本当につくづくばかだよな。北面でこのまま勤めていれば、出世間違いなしの道が保障されていたのに」

 そんな持遠のつぶやきに、平太は持遠の顔も見ないで、

 「いや、あいつにとって出世など、ひと握りの稗の値打ちもないんだ」

 と、吐き捨てるように言った。

 「あのう、これをお二人にと……」

 義清の妻が差し出した布には、歌が一首書かれてあった。

 ――世の中を そむきはてぬと云ひおかむ 思ひしるべき人はなくとも……

 声に出して平太がそれを読むと、妻はまた一層激しく泣いた。義清の心の叫び、いや、魂の叫びがその歌の中にあると、持遠は感じた。世俗に背を向けて生きよう。たとえ俗人には理解されなくても、歌人としての道を歩む、そんな魂の叫びが……。

 時に東山の麓は、今や紅葉が漸く色づきはじめる頃であった。

 

【十六年後】(保元元年=一一五六年)

 持遠の邸をある中年の僧が訪ねてきたのは、都のあちらこちらで焼け跡が見られる頃だった。

 「高野山の僧とかや。また何かの勧進にでも参られたか」

 案内の取り次ぎにそれだけもらして来客と会った持遠は、その僧の顔を見るなりたちまちに顔色を変えた。

 「義清(のりきよ)ッ! 義清ではないかッ!」

 庭に立ったまま頭にかぶった笠を右手で少しあげ、左手で杖をついているのは、まさしく往年の佐藤太郎義清であった。

 「おお、おお」

 思わず持遠は裸足のまま庭までおりで、僧形となっているかつての朋友のそばに寄った。

 「暑い暑い、とにかく中に入れてくれ」

 「ああ、ああ。早く入れ」

 持遠ははやる胸をおさえて、義清を中へといざなった。庭の木立には、うるさいほどの蝉の声があった。

 義清は冷たい水などをもらい、汗をぬぐいつつ客間で扇を使っていると、やがて持遠が出直してきた。

 「久しぶりだなあ。都にいたのか」

 「半月ほど前に、出てきたよ」

 「じゃあいちばんごたごたしていた時に、出てきたわけだ」

 「いささか、くたびれた」

 しばらくは互いに、年月とともにかわってしまったそれぞれの顔を、つくづくと眺めていた。義清はふと苦笑をもらした。

 「老いたな。あの若者がこのような老体になるとは。な、右馬允」

 「老体は早かろう。いずれにせよ、お互い様だ。ところで今は、もう左近(さこん)将監(しょうげん)になっているんだ。なんて、偉そうにいえる出世でもないけどな。おぬしは、今は西行とか」

 「そう、出家した時に、法名は円位とつけた。だが、今では西行と名乗っている」

 「噂は聞いているよ。けっこう有名になったな。勅選詞華集の詠み人知らずの歌の一首が実はおぬしの作であると、もっぱらの評判だ」

 「別に、自ら望んでのことではない」

 「とにかく、元気そうで何よりだ。あの突然出家した時は、肝をつぶしたがな」

 義清――西行は、少しだけ苦笑を浮かべた。

 「自分でも、若かったと思う。だが、間違っていたとは思っていない」

 「それでいいのだ。そのような生き方があってもいい。俺などは年は取ったけれども、中身はあの頃とちっとも変わってはない。変わったといえば、世の中だ。おぬしも都にいたなら知っているな」

 「ああ」

 少しだけ笑みを消して、西行はうなずいた。

 「出家してすぐに、高野山に入ったのか?」

 「いや、しばらくは都にいた。洛外の東山などに庵を結んでいたが、世を捨てておきながら都を離れ得ぬ自分の、中途半端な気持ちに嫌気がさしてね。人間が嫌で世を捨てて、結局は人間を恋しがっている。人間なんてそんなものだ。だから自分を見つめるために、陸奥の方に歌枕を見に行っていたんだよ」

 「陸奥?」

 「奥州の平泉には、同族がいるからね。もっとも、田原藤太までさかのぼれば系図がつながるという程度の、そんな同族だけれどもな」

 「おぬしとは昔はよく喧嘩もしたけれど、今となってはおぬしのことがなんだかうらやましいよ」

 「うらやましがられるような、自分なのだかどうだか。とにかく陸奥より戻ってから高野山に入って、そこで結縁(けちえん)勧請(かんじょう)をして正式に得度(とくど)をしたというわけだ」

 「で、都へは?」

 「一院の御葬送のために」

 「なるほど、やはり北面時代の恩義を忘れずにか」

 「いや」

 西行は、首を横に振った。

 「北面時代は目もかけてもらえない一武士だったけど、僧形となって歌に専念できたお蔭で、もったいなくも一院にもお目をかけて頂けた。御大葬にも参列を許された。武士のままだったら、考えられないことじゃないか」

 「それであの新院の御謀反だ。やはりなという感じだったよ。おぬしも武士であったら大変だったな。なにしろ、板ばさみだ」

 「それは結果として免れ得たにすぎぬ。意図してのことではない」

 いつしか西行は、真顔になっていた。それにつられて、持遠も笑みを消した。

 「新院も、あわれなお方だった。無理やり譲位させられて、弟君の今の帝の御即位だ。一院の崩御とともに兵を挙げられたのも、無理もなかったかもしれない」

 西行はしばらくうつ向いたままでそれには答えず、急に顔をあげた。

 「それより、六波羅の伊勢平太殿は?」

 「あの方も危なかった。なにしろ亡くなった父君の後添いが新院の皇子の御乳母(めのと)だった関係で、誰もが新院方につくと思っていたよ。それをくつがえされたのが蜂飼の民部卿大納言殿、つまり今の右府殿で、もしそのまま新院方についていたら今頃はどうなっていたか分からぬ。その蜂飼右大臣殿もまた不思議なお方で、このかたもまた誰もが新院の側につくと思っていた。それが挙兵直前に平太にも内裏に御味方せよと命じて、ご自分も寝返った。そこにはどうも、娘御が関係しているとかいないとか」

 「娘御?」

 「右府殿のあの八十というお年には似つかわしくない妙齢の姫君で、若御前(わかごぜ)と言われておったけど、これがまた化粧(よわい)もせず歯も白いままで、さまざま毛虫(かわむし)を集めてきては飼っていたということでな。あのお屋敷も寝殿では蜂、対の屋は毛虫で、家司(けいし)や女房たちもたいへんであったろうよ」

 「あった……とは?」

 「あの悪左府の挙兵の直前に忽然と姿を消したそうな。かぐや姫よろしく、月にでも帰ったのかもな」

 「その娘御が関係しているとは?」

 いつしか西行は、身を乗り出して聞いていた。

 「悪左府の謀反を、密告されたのだそうだ。だから、右府殿の寝返りが内裏の勝因の一つでもあろうから、あの八十というお年で異例の右大臣昇任なんだよ。秋の除目では、太政大臣になるのではという噂もある」

 その時、激しい足音が、簀子の方で響いた。

 「小六、戻りましてございます」

 びっくりするような大声だ。

 「控えい。客人じゃ」

 あわてて声の(ぬし)は、簀子に畏まる。

 「せがれでござる」

 西行に言ったあと、持遠は西行を息子に示した。

 「父がちょうどおまえくらいの年の頃に、ともに武士として仕えていた方だが、今は高野山でお上人となっておられる」

 「遠藤六郎が嫡子、小六盛遠(もりとお)にございます」

 必要以上の大音声を放ち、少しだけあげたその持遠の息子の顔は、父親譲りの不精髭で覆われていた。

 「これが、あの時の赤子(あかご)? おぬしが『生まれた生まれた』と大騒ぎしていた、あの時のあの……」

 持遠はニッコリと笑って、うなずいて見せた。そのあと西行は、言葉が続かなかった。若者の顔を見ると、それこそ生得の武士としか言いようがない。

 「おいくつに?」

 西行は、若者に尋ねてみた。

 「十八でございます」

 「今は?」

 「は。皇后宮様の御元に、武士として仕えております」

 ひとつひとつの問いに、大声音(だいおんじょう)が返ってくる。皇后宮とは鳥羽院の皇女で、今の帝の姉になるが、帝の准母の称号を得ていた。それに仕えているとなると、北面の武士である。

 「いや、これはまいった。あの時の赤子が、もはやこのように。いや、まいった。これでは、こちらが年を取るわけだ」

 西行は、いつしか大笑いをしていた。

 

 持遠の邸を辞したあと西行は、河原の方へと両脇に草が生い茂る道を歩んでいた。

 「お待ちくだされ!」

 さきほどの大声音(だいおんじょう)だ。ふりかえると、その声の主の巨体がこちらに向かって走ってくる。

 「お待ちくだされ、お上人(しょうにん)さま!」

 やっと追いついた若い武士、小六盛遠は肩で息をしていた。

 「お呼び止め致して、申し分けござらぬ。お上人様は高野山にまします大徳(だいとこ)と、父より承ってまいりました。さればわが胸の内をお聞き願いたく」

 「何かね。私は大徳というほどの者でもないが」

 盛遠は西行の苦笑をよそに、地に畏まって頭を伏せた。それを西行は立たせた。そばに少しだけ草のないところがあり、そこに石があった。西行が促してともに座ったが、石は焼けるように熱かった。

 「はじめてお会いする方に、このようなことは無しつけだとは存じますが」

 「はじめてではありませんよ。あなたが赤子の折に、拝見しております」

 「さようでございましたか」

 「で、話とは?」

 「実は……」

 なかなか言いにくそうにしていた盛遠は、思い切ったように顔を上げた。

 「申し上げまする。ただ、父にはご内密に」

 「わかっております」

 「この度の(いくさ)で、なぜ自分は武士として奉公せねばならぬのかと、考えてしまった次第でして」

 「ほう」

 「戦ではたくさんの人を射殺しましたし、太刀で斬りもしました。人を殺したのは、はじめてです。この深い(ごう)に今、さいなまれておるのです」

 盛遠の顔は、西行に向いていなかった。目の前の地面を見つめて話している。それは彼の声、面だち、そして(からだ)とは、似つかわしくない様子だった。背を丸めて、さらに彼は話し続けた。

 「私は精進(しょうじん)がしたい。道を求めたい。減罪のためにも」

 「では、精進なさい」

 西行は、それだけを言った。若者はやっと中年僧を見た。西行も若者の目をじっと見据えた。

 「精進はいいことです。精進すれば、すべての努力が無駄になることはありません。精進せずして他のことに努力しても、それは何にもなりません。人生無駄とは、そのことですな」

 「それが、できないんですッ!」

 盛遠はまた大声を放ち、今度は頭をかかえこんだ。

 「できない! できない!」

 「なぜ?」

 少し間をおいてから、盛遠は頭をあげた。そして遠くを見つめたまま言った。

 「恋をしているんです」

 「恋?」

 「三月(みつき)ほど前、淀の渡辺の橋供養の折に垣間見(かいまみ)女性(にょしょう)で、私には従妹にある姫なのですが、恋をしてしまったのです」

 「よいではありませんか」

 ハッとして盛遠は、西行を見た。

 「恋のすべてが、煩悩ではありませんよ。もののあわれは、恋に尽きます。恋をしてその女を妻にめとっても精進はできる。何も出家しなければ救われないということはない。在家にあっても、十分精進はできますからな」

 「お上人様も、恋を?」

 「道ならぬ恋だった。高貴なお方で、ずっとずっと大人だったが、向こうから断ち切られましたよ。たった一種の歌でね」

 「お上人様!」

 盛遠の突然の叫びは、泣き声に近かった。

 「私も、道ならぬ恋なのです! 相手の女には、夫がいるのです!」

 西行の顔つきが、少しだけ変わった。そして二人ともしばらく無言でいたが、やがて西行の方からゆっくりと口を開いた。

 「あなた自身は、これからどうしたいのですかな」

 「私は精進して、道を極めたい。でも、あの人は(しがらみ)だ。夫のいないすきに私が通うのを、密かに待っている。あの人を裏切ることもできない。私はどうしたら……」

 また盛遠は、頭を抱えた。西行はいたわるように若者を見つめた。

 「あなたは精進がしたい。道を求めている」

 「はい」

 「ならば、(しがらみ)は断ち切るべきです。さきほど恋はいいことだと申し上げたが、それが精進の妨げとなっているのなら話は別だ。一切の(しがらみ)は、捨て去るべきだ。悩んでいても、何も始まらない。行なえ、それがすべてだ。行動だ。行動ですよ!」

 いつしか西行の言葉に、熱が入ってきた。

 「道を求めて、精進しない者はばかだ。精進しようと思って、それを行動に移さない者もばかです。精進とはつらきものです。自ら求めて鍛え受けんとする心を、精進というのです。私は出家するにあたって、(しがらみ)となっていた当時四歳の娘を、わざと簀子から蹴落とした。そうして自分の行動を確かめた。かの釈尊もご出家に当たり、その子を捨てられた。後に十大弟子の一人になる羅睺羅(らごら)尊者だが、そもそも羅睺羅(らごら)というのは梵語で『(しがらみ)』という意味なのですぞ。だから釈尊も、その(しがらみ)を捨てられた。あなたにその覚悟がありますか?」

 「覚悟?」

 「そう、これはその昔あなたのお父上が、私に言ってくれた言葉だ。覚悟――あなたには、覚悟がありますか?」

 「あります!」

 二人を見下ろしている法勝寺の、八角形の九重塔にまで響くかと思われた大声だった。それともに、盛遠は立ち上がった。

 「かたじけのう存じます!」

 直接の陽射しの中で汗だくになっていた盛遠は、西行に一礼すると自邸の方に向かって、大股で歩いて行った。

 

【翌日】

 石橋である五条の橋は、まだ真新しい。本来ならこの橋の上は、行く手に見える清水寺へ参詣に行く人たちでにぎわっているはずだが、この日は武装した雑兵の行き来がやたら多かった。

 西行はそんな橋の上から、東の岸を見た。いくつもの屋敷が、軒をつらねている。そのすべてが、今や六波羅殿なのだ。かつて破格だといわれた方一町どころの騒ぎではない。そしてその父も亡き今、(あるじ)も名実ともに伊勢平太清盛になっているはずだ。ただ、遠目は形といい規模といい、公卿の屋敷と見まごうほどだったが、寄ってみると門の脇には物見の櫓があり、その上で兵たちがうろうろしているのも見えた。やはり、武家の屋敷なのだ。

 門の前に立った西行をはじめは兵たちがとどめたが、高野山の上人であることを名乗ると、兵たちの態度も変わった。

 「早く取り次いで参れ! 歌人としても名高き、西行法師様ぞ!」

 ひとりの兵が、もうひとりの若い兵を叱りつけた。

 やがて西行は、対の屋の一室に通された。清盛はなかなか来ない。西行はまた懐から扇を出して、自ら風を起こして涼をとっていた。

 「すまん。待たせた。いや、久しいのう」

 そんな声とともに、平太清盛は入ってきた。そのまま上座には着かず、西行と横に向かい合うところへ自分で円座を移動させて座った。

 「おお、まさしく義清だ。かつての左兵衛尉だ。なつかしいな。面影はある。噂も聞いておるぞ」

 「六波羅殿も、変わっておりませんな。ご身分はたいそう出世されたようだが、そのわりには」

 清盛は声をあげて笑った。

 「出世といったって、安芸守から播磨守になっただけだ。それにくっついて、検非違使(けびいし)の別当も拝命したけどな」

 「やはり出世された、しかし昨日は、年をとったことを実感させられましたよ。かの持遠のお子が赤子の時に、この子が成長した暁には我らも年を取っているだろうなどと言っておりましたけど、あの赤子が十八ですからな」

 「持遠の子……」

 清盛の顔が曇り、眉が動いた。

 「実はおぬしを、いや、やはり御坊とよばせてもらおうかな」

 「いえいえ、そんな。昔のままで結構です」

 「そうはいかぬ。御坊と呼ばせてもらうぞ。それで御坊を待たせてしまったのも、ひと騒動があったからなのだ」

 「悪い時に参りましたかな」

 「いや、御坊だからこそ、言っておいた方がいいかもしれない。俺が使の別当になって、はじめての事件がよりによって……」

 検非違使の別当が対処しなければならない事件となると、それは刑事事件である。声を落として、ゆっくりと清盛は言った。

 「実は昨夜、持遠の子が殺生沙汰を起こした」

 それを西行は何も言えずに、かなりの間ただ目を見開いて清盛を見ていた。

 「持遠の子が、だ」

 と、もう一度、清盛は言った。

 「どの、どのお子? 太郎君? 次郎君?」

 「太郎君の小六盛遠(もりとお)だ」

 しばらく西行は、唇を震わせているだけだった。

 「小六盛遠がだな、滝口の武士の渡辺左衛門尉(わたる)殿のお内儀の、吾妻の方を殺したんだ」

 「人妻……」

 しばらく西行はそのまま呆然としていたが、突然その丸頭をかかえこんだ。

 「驚くのも無理はない。残酷のようだが、俺たちが三人で囲んでいた、あの時のあの赤子が下手人だ」

 またしばらく無言が続いた後、西行はいつしか涙をこぼしはじめ、それがすぐに号泣へと変わっていった。清盛は困ったような顔をした。

 「俺だってつらい。昔からの朋友の息子を、下手人として追わねばならないのだからな」

 「違う! 違うんだ!」

 ゆっくりと西行は、顔をあげた。そのあと突然、狂ったように泣き叫び、のたうちまわった。

 「ばかだ、ばかだ! あいつはばかだ! 私はそんな意味で言ったのではない! あいつは誤解した。覚悟の意味を取り違えた。誤解させたのは私だ!」

 西行の絶叫は、しばらくは手の付けられないほどであった。清盛はただ唖然としていたが、少しだけ西行に落ち着きが戻ったのを見て、その肩に手を置いた。

 「いったい、何がどうしたのだ」

 西行は泣きはらした目で、うつろに清盛を見た。

 「盛遠は捕らえたのか」

 「いや、今、八方手を尽くして探しているところだ」

 「許してやっては、もらえぬか」

 「そうはいかん。たとえ朋友の息子だとはいえ、勤務遂行に私情を入れるわけにはいかぬからな。残念だ」

 「そうじゃないんだ!」

 西行は座り直した。そして涙をぬぐうと、昨日の自分と盛遠とのいきさつを、すべて清盛に話した。

 清盛と西行は、二人で同時にため息をついていた。

 「煩悩を断ち切れとは言ったが、まさかこのようなかたちで断ち切るとは……。ばがだ、ばかだ、ばかだ、ばかだ! あいつは、ばかだ! あいつがこんな覚悟をしていたなんて……。私の責任だ。私が誤解をさせたのだから、私の責任だ。だから、頼む。私を捕らえてくれ。その代わり、あの若者を……」

 「残念だ」

 清盛は、ゆっくり首を横に振った。

 「殺されたお内儀の夫のことや、遺族のことも考えねばなるまい。ここで放免したら、遺族たちの納得がゆかぬだろう」

 西行はもはや、何も言うことは出来なかった。そしてまた泣きだした。四十男が子供のように、ただひたすら泣き続けた。

 

 その時、六波羅邸の家司(けいし)が、庭の方から走ってきた。

 「火急の用でございますれば、御来客中、御無礼つかまつります。ただ今ある男が、御門の番役にこの書状を」

 「ある男?」

 「なりは滝口の武士のようでございましたが、もとどりを切った大童(おおわらわ)姿で」

 清盛は急に機敏になって簀子まで出ると、庭に畏まっている家司から書状を受け取った。

 ――(わが)内儀(ないぎ)之事(のこと)恐縮(きょうしゅくに)存候(ぞんじそうろう)……

 清盛は字を追ううちに、目を見開いた。すぐにそれを、西行に渡した。

 ――殺されたことも宿世。下手人を恨んでも、どうにもなるものでもない。これを機に、仏門に入りたいと思う。よって、下手人の詮索は御無用。下手人を捕らえたとて、自分にとっても亡き妻にとっても、何ら益するところが無い――

 「何と悟りきったお方か」

 清盛はつぶやいた。西行はもう一度、書状に目を落とした。

 ――左衛門尉渡

 そんな署名と花押が黒々と、そして力強く紙の上で躍っていた。

 

 その足で西行は、再び持遠の邸を訪ねた。しかし門は固く閉ざされており、いくら案内(あない)を請うても、主人は今は誰にも会わぬという家人の言葉があるだけだった。しかたなく西行は、きびすを返した。

 

【十九年後】(承安五年=一一七五年)

 更衣(ころもがえ)も過ぎて冬を迎えたというのに、汗ばむような陽ざしが一面田圃の盆地に照り付けていた。田の稲はすでにほとんど刈り取られており、藁が円錐状に束ねられて並んでいる。二十歳そこそこの若い武士の乗る馬の(くつわ)を取っている従者の額にも、汗がにじんでいた。

 行く手には、山脈が横に長く居座っている。垂直に立つ屏風のようでもあるその山脈の麓に、少しばかりの集落があった。細い道はそれを抜けて、山の中へと続いていく。集落を過ぎ、ほんの少しだけ山の方へと登って、いよいよ密林の中へ道は入っていくのかと思った矢先に、武士は目指す庵をやっと見つけた。それは驚くほど巨大な岩の脇の小さな石段を、道からそれて少し登った所にあった。

 「お頼み申す!」

 武士は自ら、庵の中に声をかけた。

 「誰だ!」

 周りの木々も揺るがすかとも思われる大音声(おんじょう)が、粗末な庵の中から聞こえてきた。

 「千葉の六郎でござる」

 「おお! おお!」

 相好を崩して出てきたのは、年の頃は三十半ば、僧形(そうぎょう)はしているがその法衣も汚れにまかせて破れたもの、髪もざんばらにのび放題の男だった。

 六郎と名乗った若者は一瞬その顔をのぞきこむようにしたが、すぐに相好を崩して、

 「僧形ははじめてお見受け致しますが、まぎれもなく義兄上(あにうえ)だ」

 「どうしたのだ。都にいたのではなかったのか?」

 「国元の父上のご機嫌伺いのため、少しだけ暇を頂いて下総へ下向する途中でして」

 「それにしても、よう忘れずに。ま、上がれ……と、言えるような所でもないがな」

 僧は豪快に笑った。

 「それより、水を下さいませんか。喉がからからで。従者たちにも」

 「水ならあそこに、いくらでもある」

 今まで気づかなかったが、庵の前の道の反対側、杉林の中の低い所を、清水が小川になって流れていた。石の多い流れだ。

 「しからば、しばし御免」

 千葉六郎と名乗った胤頼は、従者とともにその小川の急流の所まで下りて、喉を潤した。その間、僧は巨岩の脇の石段の下に、仁王立ちに立っていた。ただ、顔だけは優しかった。

 「いや、生き返り申した。それにしてもこの季節に、この日照りとはいかにやいかに」

 「冬と言っても、紅葉さえまだの時分だからな」

 僧は上を見上げた。それにつられて庵の上の方を見た胤頼は、思わず嘆息した。庵のちょうど背後から一本の楓の木が、屋根に覆いかぶさるように枝を伸ばしていた。他はどこを見ても杉の木立で、庵の背後の高くなっている斜面には若干竹林もあったが、楓の木は他には一本も見当たらなかった。一本だけの楓の木は、今はまだ葉は全部緑色だ。しかしこれが一斉に紅葉したらと思うと、思わずため息が出てしまう。

 「来るのが、少し早かったかな」

 と、僧はまた笑った。

 「ここへ来てまる二年。来た年も去年も、この紅葉には心が慰められた。それにこの清流だ。高尾や栂尾(とがのお)の風情と、何ら変わりがない。何のためにわざわざわしをここへ流したのかなと、疑問を感じたりもするよ」

 「高尾といえば、神護寺の再興のこともお弟子さんが中心となって、着々と進んでおります」

 「そうであろう。安心して任せられる連中だ。わしがいなくてもうまくいくさ。わしはもう少し、ここの風情を楽しもうぞ」

 「それにしても」

 胤頼はもう一度、あたりを見回した。山の中腹とはまだ言えないくらいのほんの登り口に、この庵はある。それでも少しは登ってきたから、盆地がよく見渡せた。盆地の向こうには、山々が霞んで見えた。

 「伊豆の山は、妙な形をしているものが多いですね。都の山のような優しさがない。どちらかといえば男性的な、そう、近江の山と少し似通っているといえましょうか」

 「ここには湖はないよ。盆地の向こうの山の、そのまた向こうは海だ」

 また僧は、笑い声を上げた。そして、胤頼を見た。

 「それにしても、よくここが分かったな」

 「探しましたよ。いろいろ聞きまくって、やっと見つけたといった感じですから。それに、聞こうと思っても、そもそも人がほとんどいないじゃないですか」

 「静かな里だよ」

 それだけ言って僧は、胤頼を促して庵への石段を登った。

 「わが妹は息災か」

 と、僧は聞いた。

 「はい。妻も義兄上(あにうえ)の身を案じております。それにしても、何ともお傷ましい。まるで世捨て人の草庵ではありませんか」

 「流人(るにん)だ、わしは。ここは流人の配所なのだよ。当たり前ではないか」

 「お暮らしにお困りは?」

 「乳母子(めのとご)が都から、食うものは届けてくれる。近所の人びとも布施してくれるしな。そんな時は、坊主でよかったと思う。そなたまでもが忘れずに、こうして来てくれた」

 「忘れるものですか」

 庵の板の間の上で対座した二人の間に、風が吹き込んできた。身の回りの世話をしている小僧が二人ばかりいて、胤頼に白湯(さゆ)を出した。恐らく都の栂尾あたりから追ってきた小僧であろう。

 「義兄上(あにうえ)のお父上、つまり私の(しゅうと)殿(どの)のご推挙で、私は上西門院様にお仕えすることができたのですから」

 「上西門院様か。もう十七、八年も前だな。わしもその方に仕えていた武士だった。そしてあの事件だ」

 僧は目を伏せ、しゃべり続けた。

 「わしは煩悩を断ち切ろうとして、断ち切り方を間違えた。それがまた、煩悩を呼ぶことになった。今でもまだあの女の怨念が、わしの身にまとわりついているような気がする」

 「しかし義兄上(あにうえ)。今、義兄上(あにうえ)のお顔は、とてもお優しい。院の庁の法住寺殿まで、神護寺再興の勧進(かんじん)を直訴して大暴れされたかつての北面の武士、遠藤盛遠(もりとお)様とは……」

 「今は文覚(もんがく)。そう呼んでもらおう」

 僧となって文覚と名乗ったかつての遠藤盛遠は、少しだけ苦笑した。

 「滅罪のためと、一途だったのだよ。何しろ、那智で一度は死のうとした身だ。いや、あの時わしは、一度死んだのだ」

 「それは初耳ですが」

 「渡辺左衛門尉のお内儀の事件のあと、わしは自分のしたことを悔いて那智の滝に身を投げた。その時は那智権現(ごんげん)の寺僧に救われたが、真にわしを救ったのは大聖不動明王だと信じている。死ねなかったのだから生きるしかないと、その時思ったんだ。生きて償うしかない。そこで六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)(はら)え給え(きよ)め給えと、葛城、大峰山と修行してまわった」

 「そのお心が神護寺再興の発願と、この伊豆への入る元となった院への直訴となったのですな」

 しばらく感じ入ったように、胤頼は何度もうなずいていた。そして間をおいてから、思い切ったように切り出した。

 「勧進は、六波羅へも?」

 「いや、なぜか行く気がしなかった。わが父持遠と六波羅の入道(にゅうどう)相国(しょうこく)、かつての伊勢平太とは、父が若い頃には入魂(じっこん)の仲であったとは聞いていたが、それだけに……。わしは父に顔向けができぬ身だ。父の入魂の相手の所へなど……」

 胤頼の目が、少し光った。

 「ようございました」

 「おや、なぜ?」

 「六波羅の入道殿は、わが千葉家の主の(かたき)にございますれば」

 「入道殿が敵? 入道殿は中納言(ちゅうなごん)からあれよあれよと太政(だいじょう)大臣(だいじん)になり、出家入道された今でも、平家一門の揺るぎなき中枢と聞いてはおるが」

 「千葉家は血筋こそ六波羅殿と同族ですが、早くから源家と代々よしみを通じてまいりました。その源家の左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)殿と平治の(いくさ)の折に敵対し、義朝殿を討ったのが入道清盛めにございます」

 「平治の戦の時にはわしはもう都におらなんだから、そこのあたりは詳しくは知らないのだが」

 「時に」

 胤頼は、膝を一歩進めた。

 「(すけ)殿(どの)とは、お会いになりましたか」

 「誰かね、それは」

 ひと呼吸おいてから、胤頼は言った。

 「今言いました義朝殿のご嫡男の、(さき)右兵衛(のひょうえの)(すけ)殿です。平治の戦で捕らえられて、この伊豆に流されております。それも、ここからすぐの所なんです」

 「それは知らなんだ。もっともこの伊豆の地は(いにしえ)より流人の配所だから、同じ土地に流人が二人いてもおかしくはないが……。わしとその佐殿とやらがここに流されたのも、前例によってであろう」

 「しかし、それを利とせずに()かずです。お会い下さい。今からご案内申し上げます」

 「今から?」

 「半時もあれば、行かれますよ。実はすでに私は、佐殿とお会いしてきたのです。ここへ来る前に」

 「しかし、わしなんかが会ってどうする。利とせずに如かずって、わしがその佐殿とかに会ったからとて、わしに何の利があるというのだ?」

 「清和源氏のご本家のご嫡男(ちゃくなん)ですよ。それがいつまでも、この地に埋もれておられるなんて……。義兄上(あにうえ)からも、そのことをお諭し頂きたいのです」

 文覚ははじめは渋っていたが、仕方なく腰を上げた。そして胤頼とともに表に出た。折りしも肩の上に落ち葉が一枚、さらに前方に一枚漂って落ちた。

 

 流人とは言っても、行動は比較的自由である。伊豆の国を出さえしなければよいのだ。監視役の伊豆の国府も、ここからはかなりの距離がある。

 集落をぬけると、すぐに平地となった。胤頼は自分の馬に文覚を乗せ、自ら(くつわ)を取った。山に囲まれていても、広く感じられる平野である。背後は壁のように感じられる緑に覆われた山脈で、前方には平地の向こうにわずかに、胤頼が言ったような奇妙な形の小高い山々が見えた。

 「ここでは、時が止まっているようですね」

 歩きながら胤頼が言う。

 「静かだ。静かすぎますよ」

 確かにもうだいぶ歩いているのに、人間というものに全く出会っていない。

 「流刑の地だからな」

 と、馬上の文覚。

 「でも、時の流れはやがて、この土地にも押し寄せてまいりましょう」

 文覚はそれには答えず、右前方の国府のある三島の方角の空を仰いだ。

 「本当なら」

 と、文覚はその方角を指さす。

 「あのあたりに、富士の山が見えるのだ。煙もはっきりと見える。今日は晴れてはいても、あの(あた)りに(もや)がかかっているから見えぬが」

 そんな話をしているうちに、本当に半時もしないうちに河原に出た。狩野川だ。ここに来るまでは、山脈から張り出した尾根の続きの小高い丘を迂回してきている。直線距離ならもっと近いはずだ。

 盆地のほぼ中央を流れる川の流れの中を、胤頼は文覚に示した。

 「あそこです」

 川は一本の流れではなく、河川敷の中を気紛れに分流したり合流したりして、いくつもの中州を作って北上している。それぞれの中州には水田もあり、わずかな民家もある。胤頼が指さしたのは、そんな中州の一つだった。そこまでは小さな橋も架かっていた。

 「あの田島が(ひる)が島といいまして、あそこに佐殿はおられるんですよ」

 胤頼は心なし気持ちがはずんでいるようにも見えた。

 

 配所とはいっても、仕える人は結構多かった。文覚が胤頼に引き会わされた佐殿――頼朝は、まだ三十(みそじ)には至っていないようだった。武家の棟梁の嫡流とはいっても、どこか貴族的な――すなわち女性的な物腰(ものごし)の男であった。その顔はあまり上機嫌には見えない。嬉しそうなのは胤頼だけだ。

 「こちらはわが妻の兄上で、私が師壇と仰ぎ奉っております文覚上人様でございます」

 胤頼は文覚を、そう頼朝に紹介した。文覚ははにかんだような苦笑を見せた。

 「おいおい、いつからわしはそなたの師壇となったのだ?」

 「先程からです」

 笑みを含んだ顔で、けろりと胤頼は言う。その間、頼朝は黙ったままだった。

 「佐殿は、ここへ来られてからどれくらいに?」

 と、場がもたないので文覚の方から、頼朝に話しかけてみた。

 「十六年になります」

 文覚はそのあと、じろじろと頼朝を見た。今はもういい大人であるが、十六年前に来たというなら、来た頃は少年であったはずだ。この静かな盆地で、少年は黙って「いい大人」になってしまったらしい。

 「ここでの暮らしは、いかがかな」

 「まあまあです」

 何とも気の抜けた返事だった。

 「毎日、何をしてお暮らしで?」

 「恋をしております」

 突拍子のない答えに、文覚はその先の問いが続かなくなった。

 「佐殿!」

 代わりに、胤頼の大声が狭い配所に響いた。

 「都の現状をご存知ですか。佐殿をここに流した入道清盛はその娘を帝の御もとに入内(じゅたい)させ、皇后に冊立したのですぞ。これでは摂関家と同じだ。佐殿はそれを、ここで黙って見ているおつもりかッ!」

 「私は忙しい」

 「何に忙しいと言われるのです!」

 「恋に忙しい」

 胤頼は下を向いた。

 「まだお懲りにならないのですか。はるか山を越えて、東海岸の伊東の地まで女のもとに通われた挙げ句、その父親に殺されかけたことは聞いておりますぞ」

 「今度は近くです」

 頼朝は無表情で立ち上がった。そして縁越しに、外の遠くを見た。

 「あの守山の麓に」

 頼朝が指さしたのは、東の山脈とは反対側の小高い丘の方だった。ここは盆地の中央で、四方の見晴らしはよい。

 「北条の(やかた)があります。そこの姫です。もっとも向こうの方が、だいぶ私に熱を上げているようですが。何しろもう、二十歳の年増(としま)ですから」

 初めて頼朝は、微かな笑みを見せた。

 胤頼は肩を落とし、ため息を吐いた。そして黙ったまま文覚に向かい、小さく首を左右に振った。

 文覚は一度目を伏せてから、すぐに顔を上げた。

 「恋! 結構! 大いに恋をしなされ!」

 文覚はまた、地響きがするくらいの声で言った。隣では胤頼が、困惑したような表情を見せていた。それには、文覚は全く構わずにいた。

 「恋を断ち切ろうとして、道を踏み外すよりずっといい!」

 そして文覚は、ひとしきり笑い声を上げた。そして、

 「時に佐殿は十六年前、こちらに来られる前は都で何をされていた?」

 「上西門院様に、蔵人としてお仕えして降りました」

 「おおっ!」

 またもや文覚の大音声が響いた。文覚とて出家前は、鳥羽院の皇女で後白河院の姉であり准母の上西門院統子(むねこ)に仕える北面の武士だったのである。もっともこの顔に見覚えはないし、統子を上西門院と院号で呼ぶということは、文覚出家後の補任(ぶにん)であろう。文覚出家の時点で、統子はまだ院号はなかったからである。それでも文覚は感慨深そうに、かつて同じ主人に仕えていたことのあるこの若者を見つめていた。

 

【四年後】(治承三年=一一七九年)

 市の雑踏は、西行が若い頃のままだった。変わったことといえば、市を見下ろしていた東寺の五重塔との間に、大屋敷が出現したことであった。

 八方町にも及ぶその屋敷は、いわば平安京史上未曾有の巨大邸宅といえた。かの御堂関白道長の屋敷でさえ、たった二町の規模だった。八町といえば神泉苑や、朱雀院と同規模だ。違いといえばそれらが南北の縦長であったのに対し、平相国入道清盛の西八条邸は横長であること、また大半が森林や庭園園地である朱雀院などと違い、西八条邸は敷地いっぱいに所狭しと建物がひしめきあっていることなどであった。

 老僧西行は通された寝殿南面で、あるじのお出ましを待っていた。案内(あない)されなければ、どれが中心の寝殿かもわからないほどの巨大さだった。

 「久しいのう」

 本当にこれだけの屋敷のあるじかと思われるような、小柄な老人が出てきた。昔は背は高かったはずだ。背中が丸まった分だけ、縮んで見えるのであろう。

 西行は両手をついて、平伏の形をとった。

 「おいおい、やめてくれよ」

 気さくさは変わっていない。昔と同じように上座には着かず、西行の横に座った。それでも西行は、平伏をやめなかった。

 「本日は高野山全体の総代としてまいりましたゆえ、その義が終わりますまではなにとぞ、入道相国殿でおわしてくだされ」

 しかたなく清盛は、上座に着いた。

 「されば」

 目をあげた西行は、言葉を止めた。目の前の旧知は、老人以外の何ものでもなかった。おそらくは髪も、総白髪になっていよう。だがその頭髪も今はない。西行と同じ僧形だ。だが眉の白さで、十分そのことは推察された。

 「されば?」

 「は。この度、高野山領が紀伊日前宮(ひのくまのみや)御造営の、費用負担を命ぜられました件でございます。実はただ今のところ山の方と致しましては、蓮花乗院の造営、根本大塔の再建など、数重なる出費にほとほと困窮しているところでございまして、しからば……」

 「わかった、わかった」

 清盛は脇息に手をついて、ゆっくりと立ち上がった。

 「兔じてくれと言うのだろう。旧友に頼まれて、いやと言えるものかよ。聞き届ける。頭中将(とうのちゅうじょう)にそう言っておこう」

 「かたじけのう……」

 西行が頭を下げているうちに、清盛はまた元の西行の隣の座に戻った。西行も頭を上げた。

 「ここへ来るまでに、市を通りましたよ。市は変わってはおりませぬな」

 「わしも変わってはおらぬぞ。伊勢平太のままだ」

 「なんのなんの、七年ほど前の福原の千僧供用にお招き頂きました時に、人道殿を拝見致しましたが」

 「あの時は、話もできなんだな」

 「まさしく入道殿は、時の人だと実感致しました」

 清盛は、大声をあげて笑った。

 「こうなるといろいろと、風当りも強くてな。それにわが一門の若者も、血気盛んだ。とうとう法皇様まで、鳥羽殿に押し込め奉ってしまった。もう、このじじいの言うことなど、誰も聞かぬよ」

 清盛の笑いに力がなくなった。淋しさを含んでいるようでさえあった。

 「今のわしの楽しみは、孫の東宮様の御成長だけだ。見てくれ、あれを。この間ここへおいでになって時に、東宮様がおあげになったものだ」

 清盛が指さした明り障子には、無数の小さな穴があけられていた。清盛はそれを西行に見せて、今度は無邪気に笑った。

 「安心しました」

 西行も微笑んでいる。

 「私は幸せでござる。世の人は人道相国殿しか存じ上げないが、私はそれと伊勢平太殿の、両方を存じ上げておりまする」

 「わしは勢いに乗って、ここまで来てしまった。まさか自分の人生が、このようになるとは思ってもいなかったよ。それよりも、そなたこそ変わったな。歌の道よりほか何も興すべきものなしと言って突然出家入道したのに、今では勧進に歩きまわり、この度も賦役免除の嘆願に上洛するとは」

 西行は苦笑いした。

 「内なるものは、変わってはおりませぬ。ただあの事件で、仏弟子でありながら罪業を積んでしまった身ですから」

 「あんな昔のことを……」

 「私は変わりませぬ。ただ、変わりゆくものもあります。――消えぬべき 法の光のともし火を かかぐる和田の岬なりけり――福原の千僧供養の折の、わが詠歌です」

 清盛はしばらく黙っていた。少しだけ、顔を曇らせた。だがすぐに、元の笑顔に戻った。

 「消えぬべきともし火・・・か。そうかもしれぬ。平家一門の栄華も、わし一代限りかものう。それでもいい。平家は大きくなりすぎた」

 清盛はため息をつく。西行は目を伏せた。

 「私もこの度、高野山にはおられのうなりました。山は今、金香峰寺と伝法院が対立し、あるまじき殺生沙汰まで起こってしまいましてな、聖地が俗世と変わらぬありさまでは、もはやわが居場所ではないと……」

 「興ずることなしか」

 「いかにも。こうなった上は高野山を下り、伊勢あたりに草庵を結んで、若い頃のように遁世生活をしたいと思っております」

 「伊勢は、わが祖のゆかりの地だ」

 清盛の微笑みに、西行も応じた。

 

 日前宮賦役免除の沙汰が正式に下りるまで、西行はそのまま都に滞在した。そのうち桜も満開になった頃、またひとつ世の中が変わった。清盛の外孫である三歳の東宮が、即位されたのである。

 その後すぐに、高野山領の賦役免除の沙汰が下った。西行はそのことを書状で高野山に知らせ、清盛のために一山あげて百万遍尊勝陀羅尼を誦するように指示しただけで、清盛への言葉通り自らは高野山には戻らなかった。

 その年の、法皇の御子の以仁王や源頼政の挙兵とその鎮圧、そしてそのすぐあとに都が都でなくなったことも、西行は伊勢二見浦の草庵で聞いた。都は福原へと、遷されたのであった。夏の盛りだった。

 ――雲の上や 古き都になけにけり すむらむ月の影は変はらで

 

 源頼朝、義仲が挙兵し、都は福原から元の都にと戻った。そして西行は、賦役免除の嘆願が、清盛との今生の別れとなってしまったことも知った。


【二年後】(養和元年=一一八一年)

 今は互いに、流人ではない。

 「お上人殿、表をあげられよ」

 力強い言葉に、文覚は思わず動きを止めてしまった。それから顔をあげた。

 「これは、これは」

 頼朝は微笑んでいた。場所もあの蛭ヶ小島の狭い配所ではなかった。都では方四町ほどの広さであろう敷地に、多くの建物がぎっしり詰まっている。柱や床の木材はまだ白木のままに光っており、木の香りを放っていたりする。そんな建物の一室の上座に、頼朝は座っていた。庭の造営も新しく、樹木もまだ少ない。三月になっているというのに、桜が満開だ。このあたりは都よりも、桜の開花は遅いようである。

 「六年前にお見受けした時と、まこと同じ方で?」

 「あたりまえだ」

 頼朝は笑った。そして、言葉を続けた。

 「しかし、あの頃とは違うぞ。平家を討つべく旗挙げをして、この鎌倉に本拠を構えて富士川で平家を破った。だが今は、鎌倉の地固めが先だ」

 「この作物の不作では、(いくさ)も難しうございましょう」

 「げに。だが、この鎌倉には、米の蓄えはたんとある」

 「それはうらやましきこと。都では餓死者が路傍にあふれ、大路小路も歩けぬほどでして、その死者の数は四万は下だりますまい」

 「四万……? そうか……。その四万のうちに、かの入道相国もか……。いや、わざわざよく知らせに来てくださった」

 「わらわ病みの熱病で、それが命取りになられたようでござる」

 「いよいよだな」

 頼朝の目は、鋭かった。文覚は少しだけ、小首をかしげた。頼朝は、身を乗り出して言った。

 「して、御坊はこれからは?」

 「あてはございませぬ。ただ、都にはいづろうて……」

 「さもあろう。御坊はご自身を伊豆に流した院の法皇が幽閉されたと聞かれて、突然都に戻られたが、入道相国の死でまた院のお力も、巻き返すかもしれぬによってな」

 「図星でございます」

 「だが御坊を流したのは院であって、平家ではない。なにゆえ平家にとっては敵の私に、入道相国の死をわざわざ知らせに」

 文覚は、少しだけ目を伏せた。

 「もとより平家に、恨みはございません。ただひとつだけ、許せぬことがございまして……」

 「許せぬこと?」

 「南部の焼き討ちでございます。東大寺、興福寺などをことごとく灰塵に帰せしめた罪は、許すことができぬのです」

 「うむ」

 頼朝はうなった。そして少し間をおいてから言った。

 「されば、この鎌倉にとどまり、私に合力してはくれぬか。ともに仏敵の平家を打倒しようぞ」

 「しかし、拙僧に何の力が……」

 「我らが武力と御坊の法力とを十字に組めば、ことは成し遂げられる」

 「さらばひとつだけ、お願いがございます」

 「何か?」

 「家を下され」

 「そのようなことか」

 頼朝は、声をあげて笑った。

 

 鎌倉の町は、これから造られるという新しい息吹に充ちていた。三方を山に囲まれている。山といっても都のそれよりは低く、またかなり近くをとり囲んでいた。そして、一方は海だ。町じゅうに普請の槌音が響き、それが潮の香りと重なって充満しているような町であった。

 あちらこちらに新築の用材がころがっている町角を文覚は、都での大番役を終えて帰東していた千葉六郎胤頼とともに歩いた。空もよく晴れていて、暖かな春の陽ざしが町の活気を輝かせている。

 「いや、すごいな、こりゃ」

 文覚が目を細めて見たのは、道の突き当たりの山の中腹に、新造されつつある巨大な(やしろ)だった。頼朝の父祖がこの地に建てた八幡宮を小林郷の北山に移し、さらに十倍の規模に拡張しようとしている。鶴ヶ岡の今宮若宮であった。海岸からその若宮に至る道は都の朱雀大路に擬されてまっすぐになっており、町の中の大路小路も都風に整備されつつある。その若宮大路は、鶴ヶ岡八幡宮の参道だ。中央には石垣で一段高くなった作道――後世でいう段葛(だんかづら)も今ちょうど造られつつあるところであった。

 どこを歩いても、普請の人足から邪魔にされそうな感じだった。もともとわずかな田地と未墾の荒れ地ばかりだった土地で、さらに周囲の山を切り崩して平地とした土地も多いので、多くの屋敷や寺院を集中して建てても地権の問題は起こりそうにもない。あとはどけだけ、民が集まってくるかだ。空いている土地も多く、まだ都市として機能はしていない。

 「わしがあのお方と会えたのも、そなたが前に引き会わせてくれたお蔭だな」

 歩きながら文覚は、胤頼に言った。そして胤頼の返事も待たずに、文覚はさらに寂しそうに続けた。

 「だが、あのお方は変わった。伊豆でお会いした時とは、まるで別人だった。勢いに乗っておられるという感じだったな」

 「佐殿(すけどの)には、我ら東国の武士団がついております。この鎌倉に入られる前には、佐殿はわが千葉一族を頼って、我らが猪鼻(いのはな)の館にも御逗留下さいましたし……。やがては父常胤も兄たちも、下総からこの鎌倉に移って参りましょう」

 胤頼は少々得意気な笑みを浮かべ、胸をはって歩いていた。

 

 鶴ヶ岡若宮の東に隣接して、朝頼の居館はある。その東南角、滑川(なめりかわ)にかかる大御堂(おおみどう)橋を渡ったところに文覚の屋敷は与えられた。小さな屋敷だが新築だ。滑川越しには、間近に頼朝の屋敷の屋根が見えた。滑川は小さな川で両側が急な傾斜の土手となっており、水は低い所を流れていた。

 少し汗ばむ頃になって、文覚は頼朝に召し出された。法力を借りたいということだった。

 鎌倉の海岸を西に行くと、そこに不思議な島がある。引き潮の時には地続きになるが、満潮の時だけ島となる江の島だ。そこに文覚は、弁財天を勧進することになった。頼朝の依頼を受けてからすぐに文覚は江の島に参籠し、三十七日間も断食をして修法を行なった。そして結願(けちがん)の日には、頼朝もまたそこに参拝した。おびただしい数の東国武士団を引き連れての行列の中の頼朝は、まさしく東国の棟梁であった。

 「大儀であった。平家の陸奥(みちのく)の代官とでもいうべき平泉の藤原一族は、御坊の法力で調伏せらるるであろう」

 人をはらって文覚と二人きりになった頼朝は、それでも威をはっていた。この席で文覚は、頼朝から補陀落寺を与えられることになった。昨年完成したばかりの大伽藍だ。海浜の、若宮大賂よりは南側にそれはある。岬に続く山の麓に、海に向かって金堂、講堂などの諸堂、そして塔もすでに完成していた。都にひけをとらぬ大寺院だった。だが落慶供養がまだなのである。本尊もまだだという。そこで文覚は大聖不動明王を本尊にと、頼朝に希望した。那智の滝で自分の命を救ってくれた不動明王だ。だが頼朝の方はそれを、平家調伏の不動明王と捉えているようだった。

 落慶供養は文覚を先師として、大々的に行なわれた。文覚の名は、これで鎌倉の御家人中に知られわたったことになる。そして補陀落寺は、文覚の開山ということにもなった。だが、その後すぐに、頼朝がとめるのも聞かずに文覚は都へと帰っていった。文覚に神護寺再興許可の院宣が下ったのである。上洛の途につく文覚を、頼朝は補陀落寺まで来て見送り、その目に涙さえ浮かべていた。

 

 文覚は法皇より、神護寺再興のために紀伊国に荘園の寄進も受けた。さらにその翌年には頼朝からも、丹波国吉富荘の寄進を受けた。

 ようやく神護寺も昔のように山中に伽藍が立ち並ぶようになり、往時の隆盛が再現された。すでに平家は都を追われている。追った木曽冠者義仲も、頼朝の弟である九郎義経に討たれていた。そして春も終わりの頃、ついに平家は西国壇の浦で、幼帝とともに海の底へと沈んでいった。その年の秋、文覚は再び鎌倉へと下向した。ちょうど都を、巨大地震が襲った直後の出発だった。

 今回の文覚の鎌倉下向は、頼朝の父の左馬頭義朝の遺骨を、鎌倉に届けるためであった。義朝の遺骨は平家全盛の頃は、平家に敵対した者の骨として東獄門のあたりに埋められていたままだった。それが掘りおこされて、法皇の命により鎌倉の頼朝のもとに届けられることになったのである。遺骨は文覚の首にかけられて、鎌倉入りをした。頼朝は江の島近くの片瀬まで喪服を着て出迎え、立ったままの文覚から身をかがめて遺骨を受け取った。

 鎌倉大倉の自邸に戻ると、頼朝はすぐに喪服から練色の水干に着替え、文覚と対面した。

 「御坊には何と礼を申したらよいか。これより御坊の言われること、何なりとかなえてとらす」

 「されば」

 文覚の態度に遠慮はなかった。彼が申し出たのは、六代をもらい受けることであった。六代とは清盛の直系の孫である。また幼い子供であったが、壇の浦のあと都で捕らえられ、頼朝はすでに斬首を指示していた。

 「それを拙僧にお預け下され。仏門に入れて、弟子として教えたく……」

 「ならぬ! 平家の嫡孫ぞ!」

 突然頼朝の口調が変わってかん高くなり、激しい声が響いた。文覚も負けてはいない。

 「これはしたり!」

 と、持ち前の大音声だ。

 「わが願いは何でもかなえられると、言われたばかりではござらぬか」

 あとはかん高い声と大音声の怒鳴りあいだった。無益な殺生と文覚は言った。言葉が過ぎると頼朝はとがめた。

 「私は平治の戦の折に平家にとらえられて斬首されるべきところを、一命を助けられて伊豆に流された。だが、その私が我が命を助けた平家を滅ぼした。今六代を助ければ、かつての私と同じことが再現されて、いつこの鎌倉に弓引くか分からぬ」

 それでも文覚は引き下がらなかった。

 「言葉が、過ぎているかどうか。佐殿! 佐殿は今、佐殿が平家を滅ぼしたと言われたが、佐殿お一人のお力で、ここまで来られたのかッ! 関東武士団の力あってのことではないのかッ! それなのに権力にふんぞりかえっていては清盛と変わらないではありませぬか。平家を倒したのは、佐殿ではござらぬ。関東武士団でござる!」

 文覚は、今にも飛びかからんばかりの剣幕だった。頼朝は目を閉じていた。額が動いた。そして震える声で言った。

 「院が御坊をお流しになったのも、分かるような気がする。しかし私は、院とは違う。また、今、御坊は私を清盛と変わらぬと言ったが、私は清盛とも違う。その証拠に……」

 すぐに頼朝は紙と筆を召し、六代公赦免の旨を、都にいる自分の舅の北条四郎時政宛にしたためた。

 「これでよかろう」

 「さすがは佐殿、話がわかる」

 文覚は大笑いをした。頼朝もともに笑った。

 「御坊にはかなわぬ。しかし、何ゆえそうむきになられた」

 「拙僧はかつて無益な、いや、あるまじき殺生をし申した。その減罪でござるよ」

 文覚はさらに、笑いの声を高くした。

 義朝の遺骨は、以前に文覚が住んでいた滑川のほとりの屋敷の南の山を切り開いて、そこに新寺院を建立して供養された。勝長寿院である。その法要が終わるとすぐに、文覚はまた都へと帰っていた。

 

 夏も近づきつつある。伊勢の海の波は穏やかだった。

 草庵は安養山の中腹にあり、二見浦やその他の大小の島々が一望に見渡せるところであった。海はどこまでも青く。はてしないままに空へとつながっていた。

 庵の縁側で海を見ながら、西行は俊乗坊重源(ちょうげん)と並んで座っていた。

 「のどかな景色ですな」

 と、重源は言った。西行よりは若年でありそうだが、充分に老僧と呼んでさしつかえない域に達している僧侶だった。

 「世の中の動きなどとは、まるで無関係のような……」

 「私には理想的な棲み家ですよ。ここで歌を詠むことに専念しております。行きつくべき安住の地に、やっとたどり着いたという心境ですかな」

 西行は少し笑った。手にしている湯呑みの中には、熱い茶が入っていた。茶はまだ珍しい。隣にいる重源が宋の国より持ち帰ったもので、今日は手土産にその貴重な茶を持ってきてくれた。

 重源――紀氏の出で、十三歳の折に醒醐寺にて出家仏門入りをしたという。高野山で西行とともに住していたので、二人はかねてより互いに見知った仲であった。

 「ここが安住の地とうかがってはお気の毒にも存じますが、やはりしばらくここをお離れ下さるわけにはまいりませんか」

 「先程の、お話ですな」

 西行は、遠くの海を見た。白い帆をはった小舟が、跡を残してゆっくりと動いていた。

 「いいでしょう。喜んで」

 「まことに?」

 重源の顔が輝いた。西行はうなずいて言葉を続けた。

 「奥州平泉には、(きん)がありあまっております。私は若い頃に一度あの地を訪れて、この目で見ておる。かの地の藤原秀衡公と私は、ともに田原藤太を祖とする同族でしてな」

 「それは有り難い。奥州の金が流れ入らば、東大寺復興も一気に流れに乗りまする。それにしても奇縁ですなあ。その昔、奈良に都があった時代にも、陸奥(みちのく)黄金(こがね)()できたるによって、大仏建立も一気に実現できたと聞いております。そしてこの度の復興も、陸奥の黄金だ」

 「東大寺を焼いた六波羅の亡き入道殿は、わが幼い頃からの知己でしてな、今頃は地獄の猛火に苦しみおるやも知れませぬ。わが行いの効あって、なんとかお救いできたらと思いましてね」

 東大寺造営勧進職の重源は東大寺衆徒七百人ばかりを連れて、伊勢神宮に東大寺造営の祈願に来ていた。新しい大仏は鋳造も終えて開眼供養も行なわれたが、大仏殿がまだできていない。大仏は野ざらしになったままなのである。

 「いずれにせよ、神宮のある伊勢に西行法師様がおられたのも、み仏のお導きでございますな」

 西行は少し照れの笑みを浮べかたが、そのあとで思いきったように口を開いた。

 「実は奥州行きをお引受け致すのは、入道殿のためだけではなくて、私の減罪も兼ねておりまして」

 「法師様に、なんの罪業が……」

 「若い頃のことだ。私のせいで、ひとりの女性が命を落とした。高尾の文覚上人も減罪のためとてみごとに神護寺を再興され、今や東寺復興に手をつけておられる。かのお上人の罪業というのも、実は私とも関係がございましてな」

 「文覚……上人……。お会いなさったのですか……?」

 「遠い昔に、一度か二度。かのお上人まだ、在俗の頃でござった」

 「文覚上人の神護寺再興が、減罪のためだと言われましたな」

 「いかにも」

 西行はかつて遠藤盛遠、すなわち若き文覚を誤解させたあの事件のいきさつを、重源に話した。そしてふと、重源の手に目をとめた。そのしわの多い手は、たしかに震えていた。何やら全身に力をこめているようでもあり、顔色も変わっていた。そしてそのまま、少しだけ前かがみになった。

 「いかがなされた? 重源殿」

 「西行法師様……」

 重源は、何かを言いにくそうにしている。やがて顔をあげて、細々とした声で話しはじめた。

 「このようなことが……。法師様がお話し下さいましたので、拙僧も真実をお話し申そう。実は拙僧は紀氏の出というのは偽りでござる。本当は嵯峨の帝の流れで、河原左大臣融公の末の源氏でござる」

 「それは、また……」

 「出家致したのも、三十六歳になってからでござった。その当時拙僧は、左衛門尉の官職を持つ滝口の武士であり申した」

 「まさか……あの、もしや……」

 西行の目が、カッと見開かれた。

 「拙僧、俗名は渡辺左衛門尉渡と申しました」

 しばらく西行は口を開けたまま、黙って重源の目を見つめていた。そのままお互いに何も言わずに、時間が流れた。

 「ああ、こんなことが……」

 しばらくしてから、西行の方が一瞬目をそらして歎息をもらした。そしてまた、重源の目を見た。

 「まさか、今でも文覚上人殿を……お恨みに……?」

 「滅相もござらぬ。恩讐はとうの昔に、乗り越えておりまする。ただ、文覚上人殿の神護寺再興が、わが亡き妻のためとは……」

 「何という因縁であろうか……」

 かみしめるようにつぶやく西行の隣で、重源は老いた顔に涙を流していた。

 

【五年後】(文治二年=一一八六年)

 西行にとって四十年ぶりの、遠出の旅であった。しかも六十九歳の老体である。彼が鎌倉に着いたのは夏も終わり、風が涼を運んでくる頃だった。

 鎌倉の町は、もうすっかり完成していた。町の中央の若宮大路と段葛、そしてその奥の八幡宮もすでに威容を整えている。御家人たちの屋敷もできつつあり、民草の家々も大路小路に立ち並びはじめていた頃だ。

 八幡宮の鳥居は海岸から一の鳥居、若宮大路中央の二の鳥居、段葛の終点の八幡宮前の三の鳥居とあった。西行は三の鳥居の前に立っていた。ひとりきりの旅である。

 往来は庶民の姿も多く、西行の前をひっきりなしに通る。鳥居の下から八幡宮へと続く参道はすぐに池にぶつかり、橋板まで赤い太鼓橋とその左右にふつうの橋がかかっていた。池は瓢箪形に、左右に広がっている。その水面には、蓮が一面に繁っていた。

 やがて庶民の群れが、ざわめきだした。宮に向かって右手の方から、人払いの声が聞こえて来た。そしてすぐに、おびただしい供をつれた行列が姿を現れた。

 「来た」

 と、西行はつぶやいた。

 

 四十年前は素通りした鎌倉――それもそのはずで、当時は由比の元八幡と源義朝の小さな館があるだけの、ただの農村だった――今や都につぐ第二の都市――相模の国府すらしのいでいる――西行が今回はその鎌倉に、街道をはずれてまでわざわざ立ち寄ったのも、この男に会うためであった。

 目の前の男――知己の清盛の平家一門を、西海に沈めた男である。八幡宮の鳥居の下に西行がたたずんでいるのを、頼朝の方が見つけて御家人に声をかけさせ、西行と名乗るや彼はたちまちこの営所に招き入れられた。

 「御高名はうけたまわっておる」

 頼朝はあくまで、居丈高だ。

 「このような遠方にまで、この老いぼれ坊主の名が知られておりますとは、恐れ入ってございます」

 頼朝は声をあげて笑った。今や諸国に、国司とはべつに守護や地頭を任ずる権力を、この男は有している。さらに早くに成っていた侍所の他に、公文所(くもんじょ)、問注所もすでに完成し、機能していた。都とは別の(おおやけ)が、ここには存在しているようだ。

 「この地へ必ずお来し下さるであろうことは、重源上人殿の御文にて存じておった。御老体の長旅、お疲れになったであろう」

 「まだまだ、若い者には負けませぬ」

 「して、せっかくのお来しだ。歌の道、ひいては弓馬武芸の故実など、御教授願いたい」

 驚いたように、西行は顔をあげた。

 「歌の道はともかくも、弓馬の道は……。なぜこのような仏僧に……?」

 「御坊は田原藤太殿の、御末ということではござらぬか」

 「いかにも、さようでは……。ただ、とうの昔に武門を離れましたゆえ、弓馬の道に関しましては全く忘却の彼方でございます」

 西行は一度目を伏せ、すぐに顔をあげた。

 「歌の道と申しましても心に興じた、たとえば花や月などを三十一の文字におきかえるのみです。(わざ)は特にございません。自らの心に、いかに正直にひたるかでございます」

 こうして西行の歌道論議が始まったが、結局は頼朝の誘導尋問に流され、遠い昔に忘れたはずの北面時代の記憶をたぐり、父祖伝来の武道の技までをも伝授していた。ともに食事をとりながら、談議は深夜にまで及んだ。頼朝だけは、酒杯を重ねていた。

 その晩はそのまま頼朝の大倉邸に泊まり、翌朝退去した。頼朝はしきりに逗留を促したが、西行はあえて辞して旅を急いだ。頼朝は餞別にと、銀製の猫の置物をくれた。それを手に西行は大倉邸を出て公文所の塀ぎわを歩き、やがて昨日の八幡宮の鳥居のところまで来た。ここからまっすぐに、若宮大路が海までのびている。

 西行はまわりに、庶民の子供たちが群がってきた。目当ては彼が手にしている。銀の猫のようだ。

 「お坊さまあ。その猫、どうしたの?」

 子供は遠慮がない。西行は笑って立ち止まった。

 「これかい? もらったんだよ」

 「誰にィ?」

 「おじちゃんの昔のお友達を、殺した人にさ」

 「ええッ! 恐い人ォ? その人のこと、怒ってないのォ?」

 「もう怒ってなんかいない。仲良しになった」

 「ええ? なんでェ?」

 「時の流れが、解決してくれたんだ」

 子供たちは、首をかしげていた。

 「坊やたち。この猫、ほしいかい?」

 「ほしい!」

 子供たちが一斉にはしゃぎだしたので、西行は猫を与えて、一人一人の頭をなでた。そのまま子供たちは礼をも言わずに、嬉しそうに騒いで去っていった。

 銀の猫は与えた。だが、与えてはならない頼朝からの賜わり物は、しっかりと西行の懐の中に入っていた。奥州金を鎌倉を経ずに、直接都に搬入してもよいという許可状だった。昨夜、一晩がかりで手に入れた。もちろん、交換条件もあった。もし九郎判官義経が平泉に現れたら、すぐに鎌倉へ通報するということだった。それには西行は、空返事だけをしておいた。今は奥州へ急ぐしかない。そのまま彼は侍所別当の和田小太郎義盛の屋敷の塀づたいに横大路を西へと進み、亀ヶ(かめがやつ)切り通しの方へと向かって行った。

 

【三年後】(文治五年=一一八九年)

 高尾の秋は、一面の楓紅葉であった。都からさほど離れていないのに、深山幽谷の感すらある。その山腹に山門をはじめ五大堂、毘沙門堂、金堂、そして多保塔までが軒を並べ、全く往時の姿そのままとなっていた。ことにこの日は、境内はあふれんばかりの人出だった。紅葉見物の、物見遊山ばかりではない。この日、この寺において、法華会(ほっけえ)が行なわれる。開催はいうまでもなく今のこの寺の主、中興の祖である文覚であった。

 五大堂の方から金堂へ昇る石段を、人々の群れがはい上がってくる。そんな様子を文覚は、金堂の外郭の格子を少し手で押し上げて見ていた。

 「若いな、みんな」

 隣にいた青年僧の明恵(みょうえ)に、文覚はため息とともに言い捨てた。その直後である。人の群れの中に若くはない人たちがいるのが、文覚の目にとまった。七十は越えているであろう老僧が二人、それに在俗の貴公子が付き添っている。老僧のひとりは見知っていた。昨年選集された七つ目の勒選和歌集『千載集』の、選者であった釈阿入道だ。そうなると在俗の貴公子は、その息子の左近少将定家ということになる。

 「おい、もうひとりの、年とった坊さんは誰だ?」

 尋ねられた明恵も、格子のすきまからのぞいて見た。

 「さあ、どなたでございましょう。ただ、今をときめく歌人御父子と同行なさっているということは、もしかしたら……」

 「んんッ! なにッ?」

 しばらくは黙って、文覚は老僧をじっと見ていた。

 「わしが常々頭をかち割ってやろうと言ってたやつが、あいつか……」

 やがて法華会が始まった。

 

 文覚は法華会が終わってから、釈阿をつかまえた。参拝者は三々五々に、帰途につこうとしている。釈阿の方はしきりに懐かしがっていたが、そんな挨拶をさえぎって、文覚は単刀直入に同行の老僧の名を求めた。はたして、思った通りの名だった。そこで文覚は明恵の叔父でやはり歌僧である上覚坊行慈に頼んで、その西行を僧房の方へと招いておいてもらった。

 「お上人様。どうかお手荒なまねだけは……!」

 明恵はほとんど泣きそうな顔で文覚にすがったが、文覚はただ笑っていた。

 

 対座した西行を、文覚はじっと見据えた。

 「お呼びしたのは、ほかでもござらぬ。拙僧、かねてより御坊にどうしても意見したく、時を待っておった。御坊というお方は」

 と、先に口を開いたのは文覚の方だった。

 「僧形をとりながらも仏道専修せずに数奇をたてて歌を詠み、ここかしこにうそぶき歩いておられるご様子。かねがねお伺いしたいと思っておったのだが、それがまことの仏弟子の姿でござろうか」

 西行は答えずに、目を閉じた。

 「ご返答はいかに!」

 文覚の大声音(おんじょう)が、僧房に響く。

 「お若いのう」

 それだけを西行は言った。先ほど文覚が法華会に参列する人々を見ていった言葉が、今度は文覚に返ってきた。

 「何と申される。わしはもう五十を過ぎた。おそらく七十を過ぎておられるであろう御坊から見れば、たしかに若いかもしれぬ。だが今ここで、それを言われる筋合はない」

 「あの頃のままだ。結構、結構」

 「あの頃?」

 西行はうすら笑いを浮かべただけで、じっと、文覚の目を見た。

 「ではこちらからお伺いするが、僧が歌を詠むのはいけないことなのですかな」

 「いけなくはないが、そればかりに専念するのはいかがか。形ばかりの偽坊主といわれても、しかたがなかろう」

 「ではそもそも御坊は、私がなぜ歌を詠むのか御存じかな」

 「名利でも求めてか」

 「いや、違いますな」

 西行はひとつ、咳払いをした。

 「歌の神髄を申し上げよう。人は花、郭公、月、雪などを歌に詠みますな。私も詠みます。だが私はたとえ花を詠んだとて、それを花とは思っておりませぬ。そのような、名前がつく前の世界を興じているのでござるよ。花が花と名付られる前に感じられる花、それに興じており申す。興ずるがゆえに興ずる、それが歌となって生まれ()づるというわけでござる」

 「分からぬ!」

 文覚は叫んだ。西行はまだ、微笑んだままだった。

 「お父上によく似ておいでだ」

 「父? 父を存じておられるのか」

 「お父上とは若い頃に、ともにそれぞれ北面、滝口の武士として仕えた仲じゃ。よう喧嘩もしたがな」

 「それは知らなんだ……」

 「さあ、ここからが大切でござる」

 西行の声に、張りが出てきた。

 「歌とは人間の模倣ではござらぬ。神明の、そしてみ仏のみ(こころ)の模倣でござる。浄土とは歌の芯となる心の充ちているところ、その模倣が歌であり絵画であり管弦なのでござるよ。そを人間界のすさびものになしおる末法の世はいかにやいかに。歌はこれ如来の真の形体で、一首読み出だしては一体の尊像を造ることと同じ、一句を思えば秘密の真言を唱うると同じと心得る。御坊は私が仏道に専修せざることを言われるが、歌によって法を得ることもござれば……、のう」

 西行は目を細めていた。文覚もしばらくは目を見開いているだけで何も言わなかったが、やがてゆっくりと口を開いた。

 「ところで、先ほどわしのことを、あの頃と同じとか……」

 「お忘れかな。御坊が武人であった頃に、お会いしておるのだが」

 文覚は怪訝そうな顔で、西行をじっと見た。そんな文覚に、西行はゆっくりと言った。

 「私はいずれ御坊に会うて詫びを言わねばと、ずっとその機会を待っておった。そうしたら釈阿殿よりこの法華会のことを聞き、もう老い先短き身、これを逃してはまたの機会はないと思い、御坊にお会いするためにわざわざ参ったのでござる」

 「詫び? わしに何の詫びを入れると申されるのか?」

 「あの時私は御坊に、いえ、仏門に入られる前の若き武者にのままに道を勧めた。精進なされよ。覚悟はおありかなと。しかしその言葉が、大いなる誤解を与えてしまった」

 文覚の眉が動いた。そしてしばらく黙って、じっと西行の顔を見ていた。やがて文覚は、

 「ああッ!」

 と、大声をあげた。そのあとはただ、口びるを震わせていただけだった。そしてやっと、

 「あの時の、あの時の大徳様……。」

 とぽつんと言うと、文覚は突然座ったままずり下がって、木の床に頭をこすりつけた。そして激しい口調になって、叫びに近い声を上げた。

 「お会いしとうございました。今生では無理かとも思っておりましたが、それをこうして老齢に達してからお会いできるとは……」

 「お手を上げられよ」

 「いえ。拙僧こそ詫びを入れねばならぬのでござる。せっかくのお論しを曲げて、人の道を誤ってしまいましたことが、返すがえす申しわけなく……」

 「すべてが昔のこと。そのお心をこそ、み仏は御照覧下さっておりまする」

 西行の声も、だんだんと涙声になっていった。文覚に至っては号泣だった。二人の老僧は泣きながら、しっかりと抱き合った。二つの魂は、今たしかに出会ったのである。

 

 西行が高尾を辞したのは、法華会の参列者ももうすっかり帰り果てた、夕暮れ近くだった。帰りじたくを西行がしている間に、明恵はそっと文覚に耳打ちした。

 「安堵致しました。かねがねのお言葉通りの、流血沙汰にはならずに……」

 「たわけ!」

 文覚の一喝がとんだ。

 「あれが文覚に、打たれる者のお顔かッ! 文覚こそ打たるる者ぞ!」

 その明恵が山門下の谷まで、西行を送るように言いつけられた。石段はかなり急な降り坂で、正面の同じ高さの山との間の低い谷の川沿いまで下る。坂道の両側には紅葉が、まるで血に染められたようにして燃えていた。それに夕陽がさして、さらに紅葉の色を映えさせる。

 西行は、何度も足を止めた。その度に明恵はつきあった。西行は紅葉から若者へと、視線を移した。

 「そなた、いくつになる」

 「はい。十七でございます」

 「若すぎる。私は文覚上人の五十という年をうらやむ。しかしそなた程であったらうらやむどころか、もう別の世界のお人のように感ぜられるよ」

 少しだけ西行は笑って、また歩きだした。

 「私もそなたの年頃には、そなたのように目が輝いておったのかのう」

 青年もまた、はにかみの笑みを見せた。山門を出てふりかえると、石段の上の楼門の背後から、ちょうど夕陽がさすかたちとなった。夕陽の赤と紅葉の赤――赤一色の世界だった。

 「あの夕陽の向こう、西方浄土にわが知己も、多くは行ってしまった」

 西行は夕陽に向かって立たずんだまま、手をあわせて目を閉じた。そばにいる明恵は無言だった。

 「伊勢平太清盛――権力の頂点まで昇りつめて、(あざ)やかに死んだ。遠藤六郎持遠――突然怒ったあいつも、息子の事件では苦労しただろう。皆、それぞれの人生を歩んで、そして秋を迎えた。私も今、人生の秋だ」

 赤い落日は、あまりにも悲しげだった。

 「私もそろそろわが号のごとく、西方浄土を求めて行こうかのう」

 西行は、ゆっくりと歩きだした。その上に西行は自分の、しわだらけの手を重ねた。

 「頼むぞ」

 と、ひとことだけ、西行は言った。

 西行がその言葉通りに、最後に庵を結んだ河内の弘川寺から浄土へと旅立ったのは、その翌年の如月(きさらぎ)望月(もちづき)の頃であった。

 

 ――願ひおきし 花の下にて終はりけり (はちす)の上もたがはざるらん(釈阿)――

 

 その二年後の建久三年=一一九二年に、源頼朝は征夷大将軍に任ぜられた。そして文覚が舌禍により後鳥羽院に疎んじられて対馬に流罪となり、その護送途中で逃亡して、自らが頼朝の願によって建立した飛騨と美濃の国境(くにざかい)の威徳寺に逃れようとし、その近くの舞台峠にて急な病を得て六十七歳でこの世を去ったのは十四年後の元久二年=一二〇五年ことであった。頼朝の死後から六年がたっていた。

 

(それぞれの秋 おわり)

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