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R007話 ハプスブルク皇帝起つ!

【筆者からの一言】


誰が出て来るかサブタイトルで想像つくと思いますが、その通りの人です。

引っ掛けみたいな事はありません。


 1942年◯◯月◯◯日 『アメリカ 東部』


「殿下、これぞ神の思し召しでございます。

殿下がこの国にお暮しになって直ぐにこのような情勢になろうとは……」


 そう言って老人は感無量だとでも言う風に感動に打ち震えているような様子を見せる。

 アメリカの酷い状況が嬉しいのだ。

 それが言葉にも表れる。


「このアメリカには、かつてオーストリア・ハンガリー二重帝国の民だった者達が大勢おり未だ帝室を尊崇し殿下を支持する者も数多(あまた)おります。

その者達を糾合しアメリカを我が物としましょうぞ!

第一次世界大戦で敵となり帝国を破滅に追いやった憎きアメリカを殿下の物とし、何れはヨーロッパの大地にオーストリア・ハンガリー二重帝国を復活させるのです!!」


 妄執にとらわれたかのような表情と熱を含んだ口調ではあったが、この老人の言う事の一部(・・)は本当だった。

 アメリカは移民の国だ。

 アメリカでの移民と言うと現代日本ではドイツ系やイギリス系、イタリア系をすぐに思い浮かべるかもしれない。

 しかし、第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊する前は、この帝国からも多くの移民が渡米している。

 第一次世界大戦の少し前にあたる1901年から1910年までの10年間だけでも、210万人がアメリカに移住していた。それ以前もその後もオーストリアとハンガリーからは多くの移民がアメリカに来ている。


 移民は、暮らしの厳しい者や宗教的な迫害から逃れる為に新天地で新たな未来を切り開こうとするケースが多いので必ずしも無条件での母国支持者とはなりえない場合も多い。


 実際、史実では第一次世界大戦中のアメリカにおいて、ハンガリー移民のコミュニティでは、アメリカがオーストリア・ハンガリー二重帝国と敵対した為、内部では意見が対立していたと言う。

 単純に、もうアメリカ人なのだからアメリカ政府の方針を支持する者。

 この戦争を機にハンガリーの真の独立を望む者。

 そしてオーストリア・ハンガリー二重帝国のオーストリア皇帝兼ハンガリー王を支持する者。

 そうした派閥に分かれていたと言う。

 

 老人は皺だらけの顔に生気を漲らせて言葉を続ける。

「殿下。幸いにも日本はハプスブルク家に隔意は無く、どこの地であろうと再び皇帝の座に座っても反対はしないと聞き及んでおります」


「なんと! それはまことか?」

 殿下と呼ばれた男は、いつもの平静さを忘れ思わず大きな声を出した。


 今や世界における日本の影響力は馬鹿にできない。

 原子爆弾という特殊爆弾によりアメリカ合衆国を崩壊させたその力は世界中の国を戦慄させている。

 その国が敵意や反対の意思を示さないのは大きい。

 過去にハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー二重帝国は日本と敵対していた事を思えば朗報だ。

 声をあげるのも無理は無かった。


「はい。伝手を使い日本の地位の高い者の考えを聞き出しました。

日本は先代のグーデンホーフ伯爵夫人への扱いを忘れてはおりませんでした……」


 そう言って伯爵は遠い目をした。


「先代のグーデンホーフ伯爵夫人?」


 殿下と呼ばれる男は怪訝な顔をした。


「おお、殿下がご存知ないのも無理はございません。

殿下がお生まれになる前の話しでございます。

先代のグーデンホーフ伯爵は大使として日本に滞在していた時期がありまして、その時に見初めた日本の女性を正式な妻として国に連れ帰ったのです」


「その御婦人は日本でよほどの名家の出だったのだな」


「いえ、平民の娘です」


「それは思い切った事を……」


「はい、それはもう当時は話題になったものでした。なにしろ東洋人なのですから」



 この時代の白人による日本人への差別意識は高い。

 白人国家では人種差別が普通の時代なのだ。

 そうした中で正妻に日本人を選ぶというヨーロッパの貴族が常識外れだった。


 民主主義を標榜するアメリカ合衆国でさえ、この時代は人種差別が酷い。

 アメリカにおける結婚は州によって法律が違うが、最も日本移民の多いカリフォルニア州では異人種間の結婚を禁じている。

 つまり日本人男性はアメリカの白人女性と結婚できず、日本人女性もアメリカ白人とは結婚できない。

 白人と黒人も結婚できない。

 こうした州は他にも幾つもあり、全部の州から異人種間の結婚を禁じる法律が無くなるのは1960年代の公民権運動が盛んになった後であり1970年代になってからだ。


 そうした事を鑑みればオーストリア・ハンガリー二重帝国において、しかも有力な貴族が日本人女性を正妻とし、その権利が守られた事がどれほど異常な事かはわかる。

 そしてグーデンホーフ伯爵がどれだけ開明的な人物であったかも……


 史実における後世、日本ではグーデンホーフ光子と知られるその女性は、東京の骨董店を営む夫婦の娘で名前を「青山みつ」と言った。

 伯爵夫人とはなったが、やはりオーストリア・ハンガリー二重帝国に来てからは辛い思いをした事もあったらしい。

 東洋人と言う事で陰口、悪口を言われる事もあったようだ。

 しかし、夫は毅然として妻を守った。

 そして7人の子供に恵まれるが、不幸な事に夫は結婚から13年目に病死してしまう。

 以後は伯爵家をとりしきりながら子供を達を立派に育てていた。

 しかし、第一次世界大戦におけるオーストリア・ハンガリー二重帝国の消滅による余波で財産と領地の殆どを失い、しかも自身も病に倒れ体が不自由となり、1941年8月にオーストリアのウィーンで67歳の生涯を閉じている。


 彼女の人生は史実の後世における日本において何冊か本が出されており、あの今は亡き大作家の松本清張も変則的手法で書いている。

 NH◯では1987年に特集番組として全5回のシリーズで放送している。

 ミュージカルも作られ元〇塚の星◯トップスターの某女優が彼女を演じている。

 他にも某有名ベテラン少女漫画家が彼女を作品にしている。


 なお彼女の生んだ次男リヒャルト・クーデンホーフ・カーネギーは、凡ヨーロッパ主義というヨーロッパを一つにする事を提唱し、1926年には国際凡ヨーロッパ連合を組織し、その初代会長となっている。

 この組織は史実における後世、EU(欧州連合)の源流となるものだった。


 ただし、何よりもドイツ民族の繁栄を望むヒットラーの思想とは相容れないため、リヒャルトはナチス・ドイツからは敵視される事になり、後にはアメリカに渡る事になる。


 このリヒャルトの件があった為、母親のグーデンホーフ光子もドイツに目をつけられる事になるが、彼女を庇いドイツ政府と話をつけたのが、大島浩駐ドイツ大使である。


 大島浩駐ドイツ大使と言えば、ドイツ贔屓、ヒットラー贔屓で、日独伊三国同盟の締結に力を入れ、日本を戦争への道に引きずり込んだうちの一人として批判する人もいるが、このように人間味のある所もあったのである。

 


「殿下、先代グーデンホーフ伯爵夫人を正当に扱い、その貴族としての権利を守ったハプスブルク家を日本は悪くは思っておりません。

それどころか好意的なのです。 

しかも今、彼女の息子であるリヒャルト・クーデンホーフがアメリカにおります。彼は喜んで日本との折衝役をつとめると申しております。

先代グーデンホーフ伯爵夫人の血を継ぐだけでなく、日本生まれでもある彼が日本との交渉に当たれば必ずやうまく行きましょう。後はあなた様が起つだけなのです」


 老貴族は熱弁をふるう。


「よろしい伯爵。そなたの言葉に乗ってみよう。我が帝国再建のために」


 そう返答を返したこの殿下こそは、オーストリア・ハンガリー二重帝国最後の皇太子たるオットー・フォン・ハプスブルクである。この年30歳になる。


 第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー二重帝国が敗戦した時はまだ6歳の皇太子だった。

 解体された帝国を追われた後は一家でベルギーに移り住んだが、オットーは成長するにつれ帝国再興の考えを持つに至る。


 第二次世界大戦が勃発する前の大戦間期、欧州でも色々な国においてハプスブルク家による王政復古の話が出ている。それはハプスブルク家の名を政治的に利用しようという政治家の思惑が主であったが。

 それでもそうした動きがあった事はオットーの帝国再興の夢を燃え立たせた。


 ただ、不幸だったのはオットー・フォン・ハプスブルクが子供から大人へと成長し歴史の舞台に出ていく時、同じように歴史の舞台に登場し活躍を始めた人物がいた。

 アドルフ・ヒットラーである。

 

 ヒットラーがドイツを掌握しオーストリアを併合しようとする動きに出た時、それに強く反対したのがオットー・フォン・ハプスブルクだった。

 彼はベルギーの地から度々、声明を出しオーストリアの独立を守ろうとする。

 それ故にオットー・フォン・ハプスブルクはヒットラーの敵となる。

 

 結局、ドイツの軍事力の前にオットー・フォン・ハプスブルクの声は無力だった。

 ドイツ軍の侵略により住む国を転々とする事を余儀なくされ、1940年にはアメリカに移住する。

 それが史実であり今回の歴史でもある。


 史実では第二次世界大戦にアメリカが参戦するとオーストリア系アメリカ人によるオーストリア部隊を編成しドイツと戦う事を計画したが、賛同するオーストリア系アメリカ人が少なく計画は頓挫している。

 もう、オーストリア・ハンガリー二重帝国が消滅して20年以上経っている。

 オーストリア帝国の為に戦おうという者は少なく、アメリカ人として戦う事を選ぶ者が多かった。

 無理も無い。

 兵士になる年齢の者の多くは殆どがオーストリア・ハンガリー二重帝国が消滅した後に生まれたか、その時代は幼い子供だった者達なのだ。

 

 だが、今回の歴史では状況が違う。


 連邦政府が消滅し、州によっては州政府が消滅している。

 州政府があっても物資不足から略奪や犯罪が絶えない。

 そういう状況において、頼りになるのは元の母国が同じの同胞だった。


 大抵の移民は元の母国の同胞とコミュニティを形成している。

 日本人の場合なら日本人の多い都市には日本人会と呼ばれる組織が大抵はある。


 オーストリア系アメリカ人もハンガリー系アメリカ人もそれは同じでコミュニティを形成している。

 都市ごとに、同胞の多い町は町ぐるみで、同胞意識を共有し助け合って生きている。


 そして共通するのは日本の特殊爆弾(原子爆弾)と狂気の日本兵に脅えているという点だ。

 もはや連邦軍も州軍もあてにならない。

 工業地帯が破壊された為、武器の入手も困難だ。

 

 手持ちの武器は少なく、食糧を始め物資の確保も苦労している。その上、略奪や強盗にも気を付けねばならない状況。

 何とかコミュニティで纏まり物資を融通し合い共にかばい合い守っているのが現状だ。


 そうした幾つかのコミュニティに、この老伯爵が話を持ち掛けた。


 オットー・フォン・ハプスブルクの許に集まれば、日本の攻撃から逃れられると。

 日本はハプスブルク家を敵にする気はないと。

 日本人の血を引く貴族の者が日本政府との仲介役にもなると。


 この話しに幾つかのコミュニティが乗った。

 今やオーストリア・ハンガリー二重帝国の復活など、アメリカ市民となった者は殆どが望んではいない。

 しかし、ハプスブルク家を代表に戴く事で日本の攻撃を防げるなら……

 手段を選んではいられなかったのだ。


 オットー・フォン・ハプスブルクと亡命貴族達は、オーストリア・ハンガリー二重帝国再興の足掛かりを欲した。

 オーストリア系とハンガリー系のアメリカ人は日本の攻撃を回避したかった。

 その二つの思惑が交差し結び付く事になる。


 なお、史実のオットー・フォン・ハプスブルクは戦後にオーストリアに帰国し政治家としての道を歩んだ後、2011年に天寿を全うし98歳で亡くなっている。

 果たして今回の歴史では、どのような最期を遂げるのか……



 オットー・フォン・ハプスブルクを旗頭にする事に成功した老伯爵、はオーストリア・ハンガリー帝国の貴族であったが、帝国の崩壊と共に領地を捨てるようにアメリカに逃げて来た過去を持つ。

 オーストリア・ハンガリー帝国は多民族国家であり多くの民族がいる。それが個々に独立を叫んでいた。 老貴族の領地は他の民族との係争地でもあった。オーストリア・ハンガリー帝国が存在し、その力があったからこそ領地を無事におさめていられた。

 しかし帝国の崩壊により平和な生活は崩れてしまった。

 逃げなければ一族郎党皆殺しにあっていたかもしれない。

 もう、オーストリア・ハンガリー帝国の復活などあり得ないと諦めていた。

 アメリカの片隅でアメリカ人として寂しく生きて行くしかないと諦めていた。

 しかし、ここにチャンスが訪れた。


 老伯爵の胸には熱い情熱が滾っている。


 だが、しかし……

 老伯爵は知らない。

 これまで老伯爵の力となり、資金援助をし、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の栄光を思い出させ、更には日本の事を吹き込んだ自称オーストリア人商人が、実は閑院宮摂政の工作員である事を……



 この後、アメリカ東部においてオットー・フォン・ハプスブルクはハプスブルク帝国の建国を宣言しハプスブルク皇帝を名乗る。

 オーストリア・ハンガリー二重帝国の名をアメリカで出してもそれに大した無意味は無いからだ。

 代わりにハプスブルク家の名を全面的に押し出した。

 オーストリア系アメリカ人、ハンガリー系アメリカ人のコミュニティと亡命貴族達が彼の支持母体である。

 アメリカの民主主義に馴染んでいる支持者達の事を考慮し、政体はイギリス風の立憲君主制としている。


 アメリカ全土を我が物にせんとするハプスブルク皇帝の戦いはこれより始まる。


 だが、それは閑院宮摂政の手のひらの上で踊らされている出来事に過ぎなかったのである。

 それをアメリカに住む者は知らない。

 

 果たしてこれからアメリカの大地は如何なる歴史を刻むのか。

 それは、まだ誰も知らない……


【to be continued】

【筆者からの一言】


これで3人目。クスクスクス。


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