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深淵に燃ゆる刃  作者: トキタケイ
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少女②

「来たぜ、月舟」

 男は扉を壊れんばかりの勢いで開け放った。

「待っていました。逃げずによく来ましたね」

 椅子に腰かける月舟は、手に持っていた湯呑みを置くとゆっくりとそちらへ顔を向けた。


「おや、今日はお子さんも連れてきたのですか。可愛らしいですね」

「俺の子じゃねぇ。付いてきちまっただけだ」

 男はあからさまに鬱陶しいという様子で少女をに視線を落とした。

「そうですか。どこの子でしょうか。お嬢ちゃん、お名前は?」

「茜!」

「おいこら、こいつのことはどうでもいいだろ。さっさと始めようぜ」

 刺々しい男の声色に、少女が驚き小さく跳ねた。


「茜ちゃんが怯えているではありませんか。すみません、私たちはこれから裏庭でチャンバラをする約束をしているのです。すぐに終わりますからここで待っていてくれますか」

「うん」

「言ってくれるじゃねぇか。チャンバラだぁ?すぐに終わるだぁ?おら、早く来い」

 男は青筋を立て、一足先に勝手口へ向かった。

「それではまた」

「またねー」

 月舟は茜に言うと、男が開け放った勝手口から裏庭へ出た。



 裏庭では男がすでに刀を抜いて待っていた。月舟はそれを横目に、昨日と同様、壁に立てかけられていた棒を手に取ると男と向き合った。

「いやでも真剣は使わねぇつもりか」

「その必要がありませんから」

 今はまだ、と言いかけて月舟はやめた。

 強さを求める者に自惚れを誘うようなことを言うわけにはいかない。目の前の男にはまだ無力のどん底にいてもらう必要があるのだ。


「早速ですがどうぞ、好きなように打ち込んできなさい」

 月舟は構えた。

 男が繰り返し思い浮かべたあの構えである。

 右足は踏み込まれ、対して左足は引かれている。

 刀を隠すように背に回し、つむじをこちらに向けたそれは、やはりどこからでも斬りかかることの出来そうな無防備な構えに見える。

 しかしこの威圧感はなんであろうか。

 まるで大砲の砲口を向けられているような、本能的な逃避を余儀なくされるような、そんな威圧感がその構えから放たれている。


 男は自然に流れる汗を拭う余裕もなく、刀を右肩に担ぐように構え、それに相対する。そしてじりじりと月舟との距離を縮めた。

 間合いは昨日の一戦で把握している。それは男がこれまでの人生で培ってきた危機回避能力の成せる業であった。

 だがこの時ばかりは、それだけではどうにもならない。相手の一撃を受けきらなくてはいけないのだ。

 未だ攻略不可能な、不可視の一撃を。

 唾を飲み込んだ男の喉がごくり、と鳴った。それは月舟の耳にも届いたが、当然岩のように微動だにしない。


 男の足先が、月舟の間合いに触れた。

 実戦であればここからの挙動、視線、呼吸に至るまでが男の生死を左右する。

 月舟の頭はすぐそこにあるが、男は動くことは出来ない。

 後方へ深く引かれた月舟の刀、肩の高さに掲げられた男の刀、距離だけを考えれば男の有利は明確である。

 しかし男は動けない。対する月舟は『動かない』のだ。

 恐らく、いや確実に、こちらから仕掛けた瞬間に敗北は決定する。それはまるでこの世の理であるかのように男は理解していた。


 なぜだ。

 純粋な問いを自身に投げかける。

 せめて月舟が繰り出す一撃のその一端だけでもこの目でとらえることが出来れば。

 如何にして仕掛けるべきか。男の思考は堂々巡りに陥ってしまった。

 かに思えた。

 『仕掛ける』。その言葉に、男の脳裏に一筋の閃きが走った。


 男が仕掛けた時にはすでに勝敗は決している。それはすなわち、そこに決定的な隙が生じていることを示している。

 つまりそれでは遅すぎる。ならば…。


 男は構えを解いた。

 そして後ろへ引いた右足へ体重を乗せると刀を地と水平に構え、切先を月舟のつむじへ向けた。

 それを見た月舟の眉がぴくりと振れた。


 男の策、それは間合いの外から放つ渾身の突きであった。

 間合いに侵入した突きは、初動を成さない攻撃として月舟を襲う。そう考えた。

 どうだ、月舟敗れたり。

 男は右手で刀をぐっと握り、左手で照準を合わせるように前方へかざした。

「どうだ!」

 叫ぶと同時に刀は一筋の線となり、壁を突き破るように間合いへ侵入、吸い込まれるように相手のつむじへ奔る。

 突き進む切先と月舟の頭部との間は、拳一つ分の距離にまで迫る。

 相手の深く引かれた刀にはまだ手が添えられたままである。

 やけにゆっくりと流れる瞬間の中、男にはすべてが見えていた。

 勝利を予感し、その口元が牙をむくように不気味に笑う。


 しかしその瞬間のさらに刹那、男は僅かな空気の流れを感じた。

 それはまるで月舟へ吸い込まれるかのようであった。

 気づいたときには遅い。

 ため込んだ気を放出するかの様に月舟の手元が風を動かし、男の意識を吹き飛ばした。



 男は目を覚ました。

 視界の中心で輝く太陽に目を細め、またもや己は敗れたのだと理解する。

「はあ」

 ため息をつき起き上がると、顎に鈍い痛みが走った。昨日打たれたのとほぼ同じ箇所である。

 砂を詰められたように腫れたそれは、強く脈打っている。

 男は顎をさすりながら、重い足取りで無人の裏庭を後にした。





「おや、茜ちゃん、おじさんが起きたみたいですよ」

 男が勝手口から現れたのを見ると、月舟は言った。

「おそーい」

 茜の朗らかな笑顔が妙に癪に障った男であったが、子供に腹を立てるなどみっともないと思い懸命に堪える。


「……もういいぜ。続きをしようか」

「今日はお終いです」

 壁に立てかけられた刀を手に取ろうとした男を、月舟が制した。

「何故だ」

「発想は良かった。私の技を破ろうという工夫が感じられました。しかし、今日は何というか、昨日と比べて殺気が感じられなかったというか、なんと言えば良いのか…」

「はっきりと言いやがれ」


 強気な男であったが、内心は痛いところを突かれた、といった感じである。

「まさか、自分が殺されることはないと高をくくっていたのではないでしょうね。それで、あんな様子見のような突きを放ったのでは?」

「そんなことは、ねぇよ」

「茜ちゃんから聞きました。あなたは暴漢に対して、私の真似事をしたそうですね」

「うん、ギューって縮こまってね、シュッてやって、やっつけてくれたの」

「黙れクソガキ!」

 目を輝かせながら話していた茜の顔から瞬時に笑顔が消え失せた。

 他人の真似事をしたなどと知られては、男にとって自ら格下だと宣言したようなものである。

 男は顔面を紅潮させ、肩を震わせながら恥に耐えている。

 

「気にしちゃ駄目ですよ、茜ちゃん。おじさんは少し照れくさいだけなんです。不器用な人間なんです。本当は茜ちゃんが助かったことを誰よりも喜んでいますよ」

「不器用って何?」

「生きるのが下手糞って意味です」

「可哀想…」

「てめぇら…」


 男は刀を握りしめるが、どうすることも出来ない。どうあっても月舟には敵わない。

 それどころか、幼い少女に対しても何も言えない始末である。

 視界にとらえた湯呑みをたたき割ってやりたい衝動に駆られたが、そんなことをしても己の人間性の貧弱さを証明するだけである。


 男はただ顔を赤らめ震えていた。

「剣術を学びたいのなら、そう言えば良いのです。『先生、どうかご指導よろしくお願い致します』と。そうでしょう、弟子よ」

「……」

「お腹痛いの?」


 男がこれほどの屈辱を感じたのはいつ以来であろうか。

 昨日感じた屈辱なんてものはまだ序の口であった。

 ここが孤独な井戸の底であったのなら、畜生と泣き叫んでいるところである。

「…分かったよ、今日は帰る。だが明日は本気で殺しに来るからな」

 男は二人に背を向け、玄関へ向かった。その背中は未だ虚しく震えている。


「待って!」

 茜はそう言って椅子から飛び降り、男の後を付いて行く。

「なんでおめぇが付いてくる。おい、こいつはここに置いていくぞ。俺はガキの面倒を見るなんて御免だ」

 男の訴えに、月舟は微笑み、一口茶をすすってから答えた。

「それは私も無理です。こう見えても多忙なもので。何より、茜ちゃんがあなたに付いて行きたいのなら、それを止めることはしたくありません」

「勘弁してくれよぉ」

 男はいよいよ泣き出しそうになった。

 身元の分からない少女の面倒を見るなんて、面倒以外の何事でもない。一人で生きてきた男にとって邪魔でしかない。


「話してみると意外と明るくていい子ですよ。きっと日々の癒しになるでしょう」

「犬っころを飼うのと訳がちがうんだぞ…」

 着物の袖をつかむ茜を、男は恨めしそうに見つめた。

 それを見つめ返してくる瞳は、男の心中を意に介さず全くの無垢である。

「そういうことで、そろそろ帰って頂けませんか。私はこれから用事があるもので」



 月舟に締め出されるように、男は家の外へ出た。

 先ほどまで燃えるように赤らんでいた顔は、今では亡霊のように沈んだ表情をしている。

「行こ」

 茜が裾を引っ張ると、亡霊は手綱を握られた馬よろしく素直に歩き出した。

「おめぇなんか、暴漢にめちゃくちゃにされちまえば良かったんだ」

「不器用なんだもんね、おじさんって」

「おじさんじゃねぇよ…」

 隙間風にも似たその言葉は、男の口から洩れてすぐに消え去った。


 強烈に差す太陽に、男は成仏してしまいそうな気持ちになる。

「ねぇ、おじさんって…」

「おじさんじゃねぇ…」

「…お兄さんって、名前はなんていうの?」

「名前なんざ持ってねぇよ…」

「じゃあ私が考えてあげる!かっこよくて、つよそうなやつ!」

 男は歩みを止め、茜を見つめた。

 曇りのない笑顔が男のささくれ立った心をさらに荒ませる。

 そして、「はぁ」と地響きのようなため息をつくとまた歩き出した。

「勝手にしろ。もうどうにでもなれや…」

 

 男の言葉を額面通りに受け取った少女は、夏の陽ざしのように眩しい笑顔を作った。


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