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深淵に燃ゆる刃  作者: トキタケイ
6/31

少女①

 扉のない入り口から朝日が差し込んでいる。


 昨夜、壁によりかかり酒を飲んでいた男はそのまま眠ってしまっていた。

 部屋の中央では火の消えた魚油が沈黙している。

「屋根のある場所で目覚めるなんざ、いつ振りになるか」

 男はそう言って立ち上がり伸びをすると、体中が軋みを上げた。

 部屋には茣蓙が敷かれている場所があり、そこで横になることも出来たのだが、老人が息絶えた場所で眠りにつくというのは若干の抵抗があった。


 男はボロ屋を出て、河の前までやって来た。

 ころころと心地よい音を立てながら水は流れ、朝の新鮮な空気は風に乗り男の頬を撫でた。

 河の中に手を突っ込むと、左手に爽やかな水の冷たさが深く染み込み、男の目を覚ます。

 それは機械の右手にまで伝わるかのような清涼感である。

 水中への得体のしれない物体の侵入に、小魚たちが慌てて散っていく。

 それを気にも留めず、男は両の掌で水をすくうと、勢いよく己の顔にぶつけた。


「さてと」

 ボロ屋へ戻った男は腰に刀を差し、再び外へ出ると河原の道を歩き出した。

 目的は言うまでもない。今日も月舟を斬るために村へ行くのだ。

 昨日は手も足も出なかったが今日こそは、などとは考えていない。

 だが行かなくてはならない。

 己よりも数段上の存在、それを放っておいたままでは、どうにも前へ進むことは出来ないのだ。

 真剣での勝負に、月舟は木の棒を用いて臨んだものの、男がそれに勝っている点は一つとして見当たらなかった。強いて言えば、諦めの悪さと礼儀のなさくらいであろうか。


「フッ」

 男は苦笑する。

 老人が言ったように、自分はまさに井の中の蛙であった。蟻の巣を襲撃して喜ぶ悪童となんら変わりがない。男の自尊心を支えていたこれまでの勝利は、形を失い極めて不安定と化していた。


 しかし、それよりも男の頭の中はある一つの事で満たされていた。

「奴が構えた時の、あの技……」

 月舟が得物を背に隠すように構えた際の、目にもとまらぬあの一撃。

 男はそれを二度も目にしておきながら防ぐことすら叶わなかった。

 不可避の斬撃。それは男にとって全くの未体験であった。

 もしあれを攻略できれば。そして、あわよくば自分の物に出来たなら。

 脳内では幾度となく月舟の構えを思い浮かべるがそこから先が分からない。

 それも当然である。月舟が一撃を放った時には、男は気絶していた。

 何をされたのかすら分からずに意識を断ち切られてしまったのである。


「くそっ」

 男はもどかしさに歯噛みをした。恐らくあの技は一朝一夕で体得できるようなものではないのだろう。

 だが機会はいくらでもある。月舟は「マメに通うように」と言った。

「俺はあの技をモノにしてみせる。あんたは自分の技に斬られることになるだろうぜ」

 不敵に笑い河原を歩く男は不気味に映るが、心配はいらない。これまで孤独に生きてきた男にとって、己との会話で気持ちが昂るなんてことは日常茶飯事であった。



 ふと何者かの声が聞こえ、男はすかさずにやけ面を隠し立ち止まった。

 少し離れた茂みの向こうが何やら騒がしい。

 不審に思った男はそこへ近づいていくと、声は徐々にはっきりと聞こえてきた。


「やめて!嫌だよ、やめてよ!」

「静かにしろ!抵抗しなけりゃすぐに済む!」

「早くしろよ。後がつかえてんだ」

 少女のか細い声と、二つの野太い男の声である。


 こんな場所でいったい何を、と考えずとも理解できる。

「おい」

 男は確認するまでもなく茂みの向こうへ言った。

 その声に気付き、細身の男、そしてやや太めの男が立ち上がり姿を現わした。

 どちらも粗末な着物を着ており、腰には帯刀している。

 風貌がまさに浮浪者という名を表していた。だが河原の住人とは違う、男が何度となく斬ってきたいわゆるならず者と言われる人種である。


 それを見た男の口角がぐっと吊り上がる。

「なにをしている」

「なにって、営んでんのよ。まだこれからってところだが」

 太めのならず者がそう言って、男とは異なる下品なにやけ面を見せた。

「そうそう、あんたも混ざる? 俺の後だけどよぉ」

 細身のならず者もニヤッと卑しく笑った。

「助けて!この人たち、無理やりウッ…」

 太めのならず者がしゃがむと同時に、その声は遮られた。

 男が覗き込むと、幼い少女が顔を掴まれ必死に抵抗している。

 目からは涙が溢れ、太めのならず者はそれを汚らしく丁寧に舐め取った。


「無理矢理じゃねえだろ?おめぇがこんなすべすべの脚をさらしながら挑発するもんだから、乗ってやったんじゃねぇか」

「違うよ!やめて!臭いよ!」

「なんだと?興奮すること言うじゃねぇか」

 なおも抵抗する少女の目からはとめどなく涙が溢れる。

 その表情は恐怖と不快感で歪み、着物ははだけていた。

 男が止めければならず者の歪な情の餌食になっていたところである。


「感心しねぇな。嫌がってるじゃねぇか。今時それを咎めるような奴はいないが、よくもそんな小便臭いガキに欲情できるもんだ」

「何?おじさん、邪魔するの?」

 聞き捨てならんとばかりに細身のならず者が茂みから身を乗り出し、男の肩を掴んだ。

「世の中にはな、こういうのじゃなくちゃ興奮しない奴だっているんだよ!」

「それは難儀なこった。さぞ生きにくかろう」

 男は肩に触れた手を一瞥し、振り払うこともせず言い放つ。


「ウッ」

 次の瞬間には、男の鋼鉄の右拳がならず者の腹にめり込んでいた。

 男は苦痛に顔を青ざめる相手の胸倉を掴むと、そのまま直下へ叩きつけた。

「てめぇ!」

 茂みに顔を突っ込み動かなくなった相棒の姿を見て、太めのならず者は慌てて立ち上がった。

 その顔は茹蛸のように真っ赤に変わっていく。


「どうする、あんたの相棒は寝ちまった。構わず続けるかい、営みってやつを」

「やってくれるじゃねぇか。後悔するなよ。俺は穴さえあればなんだっていいんだ。てめぇを動けなくなるまで痛めつけて、思う存分ほじくってやる」

 太めのならず者は刀を抜き、それを片手に持ち雄々しく歩き出した。

「その意気だ。来な」

 男は口元の笑みを崩すことなく相手を迎える。

 しかし、着実に近づいて来る相手を見ても一向に刀を抜く気配は無い。

 挑発している訳ではない。何かを窺っている。


 相手が間合いに入ろうかという時、男がようやく動きを見せた。

 左足を引き、右足に深く体重を乗せ身を屈める。

 右手は刀に添えられており、それは背に回されるように隠れている。

 昨日月舟が見せた必殺の構えである。


 それを見たならず者の歩みが止まる。

「なんだそれは。首を刎ねてくれとでも言ってるみてぇじゃねぇか」

「いいから来い」

 前方を上目で伺いながら、男は呟く。


 目の前のまるで隙だらけの相手に、ならず者は勝利を確信したかのように刀を高々と掲げる。

「首と胴、両方使ってやるよぉ!」

 下卑た台詞とともに刃は振り下ろされ、男の首筋へ一直線に走る。

 男の目には、それがまるで時間が引き延ばされたようにゆっくりと映った。

 ここだ。

 瞬間、男は見極めた。


 柄がつぶれるほどに握りしめ、力任せに振りぬく。

 刀から男の手へ肉を斬る感覚が伝わり、視界には顔の横を掠め地に突き刺さる相手の刃が映る。

 男はすかさず飛びのくと構え、次の一撃に備えた。

 しかし、相手が追ってくることは無かった。


「ぐおおおお!腹が、はら、いてえぇぇぇぇ!」

 ならず者が足をバタつかせ、流れる血を両手で受け止めている。

 その様子を見て安堵する男であったが、己の頬からもだくだくと血が流れていることに気付き、一気に鼓動が速くなる。

 そして相手がなおも暴れ牛のようにもがく様子から、深手を負わせるに至らなかったことを悟った。


 男の一撃はならず者の厚い脂肪を裂くに留まり、内臓に達することは無かった。

 月舟ならばその胴体を両断することなど造作もないだろう。

 男の一撃は、つまるところ相手の腹を撫でただけの、猿真似と呼ぶべきものであった。

「ちっ、やはり上手くいかんか」


 男は刀を鞘に収め、痛みにもがき苦しむならず者のもとへ歩み寄った。

「見たか、知ったか。俺は強いだろ。分かったらさっさと消えろ」

 その言葉に自ずと虚しさを感じたが、これ以上続ける気が失せた男は相手に逃走を促すようにそう言い放つのだった。

「くそっ、せいぜいケツに気を付けるんだな」

 捨て台詞を吐き、ならず者は相棒を抱えて遠くへ走って行った。

  血が行き先を示すように点々と残されている。

 だが己の未熟を十分すぎるほどに理解した男に、それを追う気はない。


すぐにでも月舟のもとへ行き、本物の技を確かめたかった。

「はぁ、出来ねぇことくらい分かってたけどよ…」

 男は頭を掻きながら元の道へ歩き出す。

「おじさん、ありがとう」

「あぁ?」

 振り向くと、そこにはならず者に襲われていた少女が立っていた。

 涙は止まっていたが、疲れ切った顔をしている。

 大の男二人を相手に、必死に抵抗していたのだから無理もないだろう。


「ああ忘れてた。良かったな助かって。これからは昼間でもこういう人気のない道は歩くんじゃねぇぞ。それと俺はおじさんじゃねぇよ。気を付けな」

 ひらひらと手を振り、男は再び歩き出した。

「どこ行くの?」

 その言葉に男は答えず、少女に背を向けたまま歩き続けた。なんとなく面倒ごとの匂いがしたからだ。


 しかしその不安は的中し、男の着物の袖がか弱い力でもって引かれた。

「どこ行くの?」

 今度は男の腰の高さに少女の顔がある。

 表情からは年相応の奥ゆかしさで隠された好奇心が見え隠れしていた。


 男は火を吹き消すかのような深いため息をついた。

「どこでもいいだろ。早く家に帰って父ちゃんや母ちゃんに、素敵なお兄さんに助けてもらったとお話ししてこい。外は危険だってことが良く分かっただろ」

「いないよ。お父さんもお母さんも」

 少女の言葉に、男は眉をひそめた。

 それは少女が表情一つ変えずに言ったことに対してもそうであるが、いよいよ面倒なことになったと思ったからだ。


「それならこの道をまっすぐ行ったところの河原に、お前のような人間がたくさん住んでいる場所がある。そこで家を構えるでもいい、誰かの世話になるでもいい、とにかくそこへ向かえ。そこならばお前を見ても営むなんて言葉を思い浮かべる人間はいないはずだ。恐らくな」

 男はそう言って少女の手を振り払い歩き出した。


 再びため息をつく男の背後から小さな足音が付いてくる。

「まぁ、村に置いて来るでもすればいいか。なんとでもなる」


 男は不安を振り払うように頭を掻きむしった。


読んで頂けて大変嬉しいです。

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