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深淵に燃ゆる刃  作者: トキタケイ
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諸岡月舟②

 月舟は二度三度と素振りをすると、男の方を振り向き微笑んだ。

「なにを始めるつもりだ。俺はチャンバラを所望した覚えはねぇぞ」

 男の中の怒りが、さらにその熱を上げ煮えたぎっていく。


「もちろん分かっていますよ。ですが、私はあなたの命を奪うつもりはありません。万が一ということもありますから、これは保険です。そうは言っても、こんな棒切れでも当たり所によっては死んでしまうこともありますからくれぐれも気を抜かぬよう」

「舐めやがって」

 月舟の言葉を挑発と受け取り、男の怒りが最高潮に達した。その怒りを表すように荒々しく刀を抜くと、男は柄が軋むほどに固く握りしめた。

「その涼し気な顔ごとめちゃくちゃに切り刻んでやるよ」


 声を震わせ怒りをあらわにする男を、月舟はなおも穏やかな表情で見つめている。

「やる気は十分です。ですがちょっと待ってください。一つだけ教えて頂けませんか」

「…なんだ」

「あなたはどうしてそんなに強い相手を求めるのですか。今時、刀をいくら振るっても腹が満たされるわけでもないでしょうに」

「おめぇには関係ねぇ。だがまぁ、俺を倒すことが出来たら考えてやっても良いぜ」

「それは私のほうもやる気が出てきますね。では、お待たせしました。始めましょう」

 月舟はそう言って、まるで散歩でもするようにゆっくりと男へ向かって歩き出した。


 男は左足をやや前方へ踏み込み、刀を握る手を右肩の前へ寄せ、相手を迎える。

 しかしそれに対する月舟は一向に構えを取る気配を見せない。

 妙な緊張感の中、男は徐々に近づいて来る相手を瞬きもせずに視界の中央に捉えていた。

 不意に、月舟がその歩みを止めた。あと一歩で男の間合いに入ろうかという距離である。

「来ないのですか。私はこんなに隙だらけですよ」

 両手を広げて見せた月舟を目の前にして、男は動くことが出来なかった。

 その言葉の通り、確かに月舟は構えも取らずただそこに立っているのみである。いつでも仕掛ける機会はあるだろう。


 しかし男は動けない。

 男はこれまで、相手と刃を交えるまでもなく勝利を確信しそれを現実のものとしてきた。

 この時だけは違う。

 目の前に立つ相手に己の刃が届く様がどうしても想像できないのだ。

 

 初めて味わう感覚に、男は動揺していた。

「そっちから来たらどうだ」

 それは精一杯の虚勢であった。

 先ほどまで最大の熱量をもって煮えたぎっていた怒りは影をひそめ、代わりに恐怖に似た感情が顔を覗かせている。

「分かりました。このまま見つめ合っているのも退屈ですし。…ちなみに、お気づきですか」

 月舟は僅かに身を屈め、棒を背に隠すように深く構えた。

「ここはすでに私の間合いです」

 瞬間、男の視界は暗闇に包まれ、意識は奈落へ落ちて行った。



 焼くような陽ざしが顔に照りつけ、男の目を覚ます。

「はっ」

 男は飛び起き急いで立ち上がったが、足元がふらつき膝をついてしまう。

「やっと起きましたか。私が相手でなければ、この間に一体、何度殺されていたでしょうね」

 月舟の言葉が耳に届くと、男は力強く地を踏みつけ無理やりに立ち上がった。

 そして膝を震わせながらも再び刀を構えた。


「その様子では、なにをされたのかすらも分かっていないようですね。まだ続けますか」

 月舟が優しく諭すように言った。

「当然だ。俺はまだこうして生きて刀を握っている」

 男が気付けをするように吠えた。手足の感覚は戻りつつある。

 そこで男は顎の脈打つ痛みに気が付いた。

 そしてようやく自分は何らかの攻撃を顔面へ食らい寝ていたことを理解したのだった。


「それなら今度はそちらから来なさい。私はまだあなたの太刀筋を見ていません」

 そう言って月舟は棒を体の中心に構えた。

 一瞬、戸惑いを見せた男であったが、すぐさま月舟へ向かって駆けると、オォッという雄叫びとともに刀を振りかぶった。

 瞬きをする間もなく間合いに入り、頭上で一度煌めいた刀は残像も残さず振り下ろされた。


 次の瞬間、男の手に痺れるほどの反動が伝わり、地面に突き刺さった刃が土を跳ね上げた。

「農作業でもしているつもりですか。私はこっちです」

 右方から月舟の声が聞こえ、男は腰の回転を使い渾身の切り上げを放った。

 しかし刃はまたもや空を切り、気づけば無防備な男のわき腹へ重い一撃が食い込んでいた。

「うっ」

 口元から唾液を垂らしながら、男は力任せの横薙ぎを見舞うが、切先は月舟の鼻先の空気を裂き通り過ぎて行く。


「今のは何ですか。そんなものは一生かかっても私に届きませんよ」

 すかさず男の左手に棒が打ち込まれた。

「痛っ」

 鈍い痛みに、男の刀を持つ手が緩んだ。

「軸足の踏み込みも甘い」

 続いて左足に棒が打ち込まれる。

 男の態勢が大きく崩れ、次の一撃が襲う。

「いちいち痛みに気を取られ過ぎです。また手がお留守ですよ」

 月舟が男の右手に棒を打ち込むと、まるで鉄を打ったかのような甲高い音が裏庭に響き渡った。


「これは…」

 あるか無いかの間、攻撃の手が緩みそれを見逃さなかった男はすかさず辻風のごとき突きを放った。

 しかしそれにも反応した月舟はやや体を逸らしその突きを回避すると、飛びのき再びもとの構えを取った。

「どれも粗削りですが、ここぞという時の太刀筋には目を見張るものがありますね」

 先ほどとは違い、月舟の表情からは笑顔が消えていた。

「あなたの実力は十分に把握しました。そろそろ終わらせましょう」

 そう言うと、月舟は右足を大きく踏み出すと共に上半身を前傾し、棒を背へ回すように深く構えた。


 裏庭の緊張感が増し、男を包む空気が一気に冷えていくような錯覚に陥る。

 この構えである。

 月舟がこの構えを見せた後に、男は気づけば寝かされていた。

 タネは明らかではないが、二度も不覚を取るわけはない。

 男は自身に言い聞かせながら、じりじりと距離を詰めていく。

 月舟は、相手が間合いまであと爪の先ほどというところまで近づいて来たのを感じた。

 男はそこで立ち止まる。


「ほう」

 月舟から思わず声が漏れた。

 しかしその顔は涼しく、意識は遠くで歩く小動物の足音を聞き分けられるほどに研ぎ澄まされていた。

 対して男は汗だくである。目の前で微動だにしない月舟に全神経を向けている。

 さらに一厘とも呼ぶべき僅かな距離を詰めるが、月舟は動かない。

 緊張か疲れか、刀を握る男の手が痺れを帯び始める。

 ゆっくりと流れていた雲が太陽を隠した。



「オォ!」

 発するが先か、男が一歩、踏み込んだ。

「シッ」

 男の足が地から離れる間もなく、月舟の神速は放たれた。

 それ以前に、右手は男の顔を防御している。

 反撃の機会、それは不可避の一閃を腕で受けた後に訪れる一瞬。そのほかにないと踏んだ。


『ズッ』

 明確な反撃の幻想を打ち砕くように、男の腹に鈍い音そして衝撃と、最後に痛みが遅れてやって来た。

「…くそが…」

 次の瞬間、男は白目をむき、再び土煙を上げ豪快に倒れた。





 男が目を覚ました頃には日も傾き、裏庭は茜色に染まっていた。

「っ」

 体を起こした男のわき腹に激痛が走る。


 月舟の姿はない。

 男は歯を食いしばりながら立ち上がると勝手口へ向かい、そこの戸をなんとか開けた。


「おや、目が覚めましたか。お茶が入っています。そこに座りなさい。」

 家の中へ入った男に、月舟は向かいの席へ着席を促した。

 男は腹を押さえながら大人しくそれに従う。


「最後のあれはいけませんね。戦いにおいて、運に身を任せるなど言語道断です。しかし、怪我を恐れず相手に深手を負わせようという気概だけは立派であったと言ってあげましょう。」

 男の前に茶の入った湯呑みが置かれた。

 しかし、男はそれに手を付けずにじっと見つめるばかりであった。

「さて」

 月舟が椅子に深く座りなおした。背もたれが断末魔のような短い悲鳴を上げる。

「約束通り聞かせてもらいましょうか。あなたはどうしてそこまで強い相手を求めるのか。」

「……」

「男に二言はありませんね」


 しばらくの間、湯呑みから立ち上る湯気を眺める男であったが、やがてその口がゆっくりと開かれる。

「…強くなる必要があるんだよ」

「何故」

「……」

「殺したいほど憎んでいる人間でもいるのですか」

 その言葉に男の目が泳いだが、次の瞬間には視線は鋭い光となって月舟へ向けられた。


「俺は『研究所』の人間を一人残らず叩っ斬る。そのためには強くなる必要があるんだ」

 男の言葉を受け、月舟は目を細めた。

 そこにはどのような感情が含まれているのかは分からないが、どこか悲し気にも見えた。

「研究所とは、山の麓にあるあそこの事を言っているんでしょう。しかしあれはこの国お抱えの施設です。なぜそんな物騒なことを…」

「あんたはあそこで何が行われているのか知っているか」

「…多少は」


 月舟の声から毛ほどの動揺の色が感じられたようであったが、気のせいと男は続ける。

「それなら聞いたことくらいあるよな。あそこで行われている人体実験についても。そしてその被検体のほとんどが、ここらの居なくなってもさして問題のない人間ばかりだ」

「しかし、それはただの噂では…」


「これを見てもそんな事が言えるか」

 男が目を吊り上げながら袖を捲り、右手を顔の前に掲げると何重にも巻かれた包帯を解いていく。

 卓の上に包帯が積もり重なっていくにつれ、それは姿を現わしていく。

「俺のこの腕を見ても」

 男の肘から先は銀色の光沢を放つ金属で出来ていた。

 流線型の形状は美しくもあるが、冷たい輝きは生身の体には不釣り合いであった。


 蠢く指は怒りを表しているようであり、同時に悲しみも湛えていた。

「こんな見た目だが、俺の思った通りに、いや、左腕よりも器用に動きやがる。奴らは、俺の右腕をまるっきり機械に作り替えた」

「あなたはそれで…」

「これだけなら、便利な腕をくれてどうも、とでも言って済ますことが出来るかもしれねぇ。だが、俺の妹は、香織は……」


 卓に置かれた銀色の右手が固く握られ、金属が擦れる歪な音を響かせた。

「妹は全身をいじくられて死んだ。技術が未熟だった当時、妹は練習台にされたんだ。俺の手術が成功したのだって偶々だ。この腕のおかげで俺はなんとか研究所から抜け出すことが出来た」

 溢れる怒りに、途切れ途切れになりながらも男は語った。

 月舟はそれをただ無表情に見ていた。

「だから殺す。研究所の奴らを。何より、妹をガラクタのようにし、俺の腕を奪った実験の首謀者、研究所の頭である『榊開星』を斬らねば気が済まねえ」


 憎しみに歯を食いしばる男の口元から血が流れた。

「あいにく研究所の周辺には国の警備隊が常に見張っている。目的を果たすためにはそいつらを打ち破る必要がある。どうだ、俺が強くなりたい理由としちゃ十分だろ」

 話が終わると、男は血を拭い、肩を震わせながら俯いた。未だ怒りは収まらず、鼻息を荒げている。

「警備隊はどれも訓練された手練れ揃いです」

 月舟が口を開いた。


「今のあなたでは、一対一の勝負に持ち込んだとしても、手も足も出ないでしょう」

「あぁ?」

 男が威圧するような視線を月舟に向けた。

 しかし、月舟も脅しなどは気にもしない人間である。男に構わず続けた。

「ここで鍛錬を積みなさい。私が面倒を見てあげます」

「は?」

 途端に男の険が解かれた。呆気にとられ、口を半開きにして言葉を失っている。

「私の剣術をあなたに叩き込んであげます。私が良いと言うまで研究所へは行ってはいけませんよ。犬死にするだけですから」

「待て、勝手に話を進めるんじゃねぇ。俺はお前を斬るためにここに来たんであって、弟子入りするためじゃねぇ」

「それで結構。マメにここへ来なさい。指導してあげますから」

「くそっ、どうしてこうなった」

 男が困り果て、頭を掻きむしった。


「しかし、大事なことを聞き忘れていました。あなたの名前は何というんですか」

「ねぇよそんなもん。『おい』とか『お前』とか好きに呼びやがれ」

「そうでしたか。それでは、とりあえず『弟子』とでも呼びましょう。弟子よ、これからよろしくお願いしますね」

 月舟は微笑み、男に手を差し伸べた。


「馬鹿じゃねぇのか。またお前を斬りにここに来るからな。あくまでも斬り殺しにだ。間違っても教えを請いに来るんじゃねぇからな」

 男は差し出された手を取ることなく立ち上がり、背を向け玄関へ向かった。

 そして、入口に丁寧に立てかけられた刀を乱暴につかむとそれを腰へ差し、表へ出た。


「お待ちしてますよ」

 月舟の言葉を背に受け、自尊心がひき肉のように潰された屈辱に、涙が溢れるのを堪えた。

 腹を押さえながら河原へ帰っていく男の後を、長く伸びた影が悲し気に付いて行くのであった。


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