深淵に燃ゆる刃
天堂は万兵衛が住むボロ屋の前に立っていた。
入り口に扉は無いが、外からは薄暗い室内の様子を窺うことは難しい。
その薄暗闇の、やけにしんとした雰囲気に天堂は一抹の不安を覚える。
「万兵衛さん、来たわよ」
それが半ば無駄であると確信しつつ、天堂は家の中へ呼びかけた。
彼女の思惑通り、声は室内の冷えた空気に染み込み、答えは返ってこなかった。
「……」
天堂は念のため、というより、それも無駄なことであると知りながらも家の裏へ向かった。
そこにはもちろん誰もおらず、二つの簡素な墓が立っているのみである。
片方の周りには一本の草も生えていないことから、天堂はそれがごく最近作られたものであること、また、それが誰の墓であるかを理解した。
「茜ちゃん、彼はやはり行ってしまったのね」
そう言った天堂の表情には、普段彼女が見せない優しさがあったが、恐らくそれはこの場に己以外の何ものも居ないという安心感があったからであろう。
天堂はすぐにその優しさを内にしまい込むと、再び表へ向かった。
「あんた、ここの男に用か?」
声のする方を見ると、そこには隣の家に住む老人が立っていた。
ボロボロの着物を着て、ぼさぼさの髪と髭を自由に伸ばしている。
薄汚れた布を持っており、河へ顔でも洗いに行くところだろうか。
「ええ、とても大事な用があって」
天堂は言った。
老人の視線は多くの男がそうであるように執拗であったが、彼女は己にそのような魅力があることは自覚していたし、人間の雄が生じる生理現象として仕方なしと納得することで嫌悪感を押し殺した。
「あいつはいねぇよ。出かけて行っちまった」
「それはいつ?」
「昨日の朝早くだ。この時期だから栗でも拾いに行ったのかと思ったが、今日になってもまだ帰って来ねぇ。それにおかしなことを言ってたな。『たまにでいいから墓に花でも供えてやってくれ』なんて。なんとなくだが、しばらく帰って来ねぇような…」
「彼は帰ってこないわ」
「あん?」
老人は理解できない様子だったが、天堂はそれに背を向け歩き出した。
「おい、待ってなくていいのか」
その言葉に、天堂は立ち止まり横目で老人を見た。
「追いかけるわ。とても大事な約束なの。命よりも大事な」
「命より大事な約束って、一体どんな約束をしたんだあんたら。それよりその槍、まさかあんた、先日ここの爺さんを襲った…」
「彼には私を殺してもらわなくてはいけないの。時間が惜しいからもう行くわ」
「なっ」
唖然とした老人を尻目に、天堂はまた歩き出した。
研究所とは逆方向の、かつて踏み込んだことも無い道を彼女は進んでいく。
空には薄く雲がかかり、冷たい風は強かに彼女へ吹きつける。
ふと鼻先に何かが触れ、天堂はそれを手で確かめた。
「雨? いや…」
気が付けば次々と降るそれは、冬の訪れをささやかに告げるかのような純白の粉雪だった。
天堂はその一つを手のひらに受け止め、そして握りしめた。
「きっと追いついてみせるわ。きっと…」
足取りは力強く、視線は前を見据えたまま揺るがない。
降りしきる雪の中で、一輪の華が熱く咲いていた。
「へっきし!」
粉雪舞う山道で、万兵衛は豪快にくしゃみを放った。
ズッと鼻をすすると、彼は再び道の先を見つめ歩き出す。
「もうこんな時期か。どうりで冷えるわけだ」
そう言って小さく笑うと、息が白く曇り散って行った。
万兵衛はいっそう険しくなる山道を着実に進んでいく。
雪を解かすように熱い視線は揺らぐことなくただ前を向いている。
だがそれよりも熱く、眩しく輝く炎が彼の中に燃えていた。
何者も止めることの出来ない、灼熱に滾る復讐の炎が。
「待ってろ、きっと辿り着く。そして必ずてめぇを斬る」
拳は握られ、機械のそれは歪に軋みを上げる。
万兵衛が行く道は、一体どれほど長い道のりになるだろうか。
しかし彼は進む。
妹の無念を晴らすその時まで、深淵に刃は燃ゆる。
完結です。
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