決着、そして…
二つの刃。
常人にその神速を目で追うこと能わず、ただそれを放つ二人のみが行方を知る。
万兵衛と月舟、双方が死に際に見る緩慢な時間の中に居た。
互いの刀が緩やかに進んでいく。
それらは二人を隔てる距離のちょうど中心で交わろうとしている。
神の速さが出会う時、その先には一体どのような未来が待ち受けるのだろうか。
それは師である月舟にも、弟子である万兵衛にも分からない。
否。
神の存在しないこの世に、そのような疑問自体が不毛である。
刃は交わることはない。
より鋭くより熱く燃ゆる刃こそ、その低みから、まるで深淵より差す一筋の光の如く敵を斬る。
「…!」
一部始終を見ていた天堂の目に、同時に刀を振りぬいた万兵衛と月舟の姿が映った。
どちらが勝者であるかは判断がつかない。
だが部屋を満たす静寂が彼女に決着を告げている。
その時、未だ動かぬ万兵衛の結われた髪が解け、彼の顔を覆うように垂れた。
それと同時である。
月舟の身体が傾き、そのまま前のめりに倒れた。
「ぐっ…、う…」
小さく唸り声を上げる月舟から、徐々に血だまりが広がっていく。
万兵衛はゆっくりと身を起こすと、憂いを帯びた瞳でそれを見つめた。
「ぐっ…、万…兵衛…」
僅かに顔を上げた月舟が、力を振り絞り弟子の名を呼んだ。
迫る別れに、万兵衛は月舟へ最後の言葉を掛ける。
「…感謝するぜ。あんたのおかげで俺はここまで強くなれた。俺にとってあんたは…。人生でただ一人の先生だった」
「よして…下さい…。未練が残るじゃ…ないですか」
微笑んだ月舟の口から勢いよく血が溢れた。
それでも眼差しはなおも強く万兵衛を見据えており、何か伝えるべきことがあるかのように見えた。
万兵衛は、弱々しく震える月舟の口から発せられようとしている遺言に耳を傾ける。
「…万兵衛。研究所の、…本部へ、東京へ…行くのです。そこ…で、あなたの…復讐…は、果たされ…る」
「…そこに榊がいるのか」
月舟は答えなかった。
瞳からは光が失せて行き、そこにはもう万兵衛の姿は映っていない。
誰もが抗えない死の理が、かつての最強の剣士を飲み込もうとしていた。
「万兵衛…、あなたは…私の……」
月舟はそう言って悠久の眠りについた。
どんな武をもってしても打ち勝つことの出来ない絶対の力が全てを連れ去り、そこには月舟の肉体だけが取り残された。
しかし月舟は最後に、万兵衛に残した。
彼の剣は万兵衛の中に息づいている。
師を越えた今、彼はそれをはっきりと感じることが出来た。
万兵衛はゆっくりと目を閉じた。
悲しみの涙など流さない。
そんなものはとうに持ち合わせていなかった。
贈るはただ感謝のみ。
幾ばくかの時間の後、再びゆっくりと開かれた目は背後で言葉を失っている所長へ向けられた。
万兵衛が無言で歩き出した時、所長の身体が恐怖に跳ね上がる。
「ひ、ひぃぃぃっ」
所長は無様な鳴き声を上げ、部屋の扉へ向かって一心不乱に駆ける。
そのままいとも簡単に万兵衛の横を通り過ぎたかと思った瞬間、やかましく響いていた足音は止み、所長の脚が宙を舞った。
「ぎゃあぁぁぁ!」
片足を切断された所長は床に転がり、耳をつんざくような叫び声を上げた。
そこへ、刀から血を滴らせながら万兵衛が歩み寄る。
「逃げもせず律儀に見てやがったのか。まさか月舟が斬られるとは思わなかったか?」
「あ、あぁ…。く、来るな」
所長は怯え上がり、残された脚で必死に後ずさる。
「わ、私を殺すのか」
「分かり切ったことを。俺がなんのためにここへ来たと思ってやがる」
「……ふ、ふふ。あは、あはは」
突然、所長は逃げることを止め、まるで気が触れたかのように笑い出した。
万兵衛はそれを気にも留めず、刀を諸手で持ち直してから構えた。
「ふ、復讐か。本当に馬鹿らしいことを考えるものだ。私を殺して何になるというのだ。それであの河原の少女やお前の妹が戻って来るとでも?」
「……」
「我々研究所の人間から命を奪うことが死者への鎮魂になるとでも? 貴様は死んだ妹を、数多の魂を喰らう凶悪な鬼にでもするつもりか。ふふ、お、可笑し過ぎる」
復讐を否定する所長の言葉は、それこそがまさに今、己の命を奪わんとしている万兵衛に対するせめてもの復讐のようでもあった。
しかしそのような陳腐な言葉で万兵衛の心が揺らぐはずもない。
一切の慈悲を持たない刃は冷たく光り、もうじき訪れる終わりを知らせる。
「ふふ、ふふふ。よろしい、斬れ、斬るがいい。貴様のエゴで、私という一人の人間は殺されるのだ。ただそれだけの事なのだ。あは、あははははは!」
瞬間、刃は振り下ろされた。
所長の笑い声が途絶え、部屋はもとの静けさに包まれた。
「……」
万兵衛は床に転がる首を一瞥すると、刀に付いた血を振り払い鞘に収めた。
「万兵衛さん…」
まるで見えていないかのように横を通り過ぎる万兵衛を、天堂は呼び止めた。
全てが済んだら互いの命を懸けた果し合いをするという約束を反故にされたくなかったからではない。
万兵衛のあまりにも淡々とした足取りに抑えきれぬ不安感を抱いたからである。
もしや、所長が最後に残した言葉が何らかの影響を与えたのではないか。
疑念を隠せず、それ以上の言葉を掛けられないでいる天堂へ、万兵衛は温度のない視線を向けた。
「今日は帰らせてくれ。頼む」
天堂の答えも待たず、万兵衛はそのまま出て行った。
静まり返った部屋の中で、天堂はただ遠ざかっていく背中を見つめていた。
空を微かに照らす太陽が夜の終わりを知らせる。
暖かな光は山々を、河原を、そしてそこに住む人々の家々を包んでいく。
「よし」
ボロ屋の裏庭で、万兵衛は深く息をすると手に持っていた鍬を地面に突き刺した。
足元には老人の墓、そしてもう一つ、土が小高く盛られた簡素な墓があった。
彼は額に浮かんだ汗を拭うと表へ出た。
遠くに見える山からちょうど朝日が覗き、眩い茜色の光に万兵衛は目を細める。
しかしその視線は逸らされることなく、連なる山々、さらにその先へ真っ直ぐに向けられていた。
まるで目に焼き付けるように、万兵衛はしばらくそこからの景色を見つめた。
晩秋の風が吹き、川面を震わせる。
季節の終わりを告げるそれを、万兵衛はゆっくりと吸い込み、そして歩き出した。
腰に差した刀が男の歩みに合わせて穏やかに揺れている。
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