解かれる凶刃
月舟は部屋に入ると、まるで春の河原を歩くようにゆっくりと万兵衛へと歩み寄る。
その途中で、その穏やかな瞳は入り口に立つ天堂を一瞥した。
「あの、先生、私…」
「…それがあなたの選んだ道なのですね」
全てを察した月舟に説明は不要だった。
彼は恐らく、天堂が長年抱えていた心の歪みを見透かしていた。
彼女は万兵衛に一筋の光を見出した。
何も言わずとも彼がそれを理解したのは、きっと同じく…。
「…なんで、あんたがここに…」
未だに状況を理解できない万兵衛は、かろうじてそのように問いかけるのが精一杯であった。
「先生、いつ来てくれるのかと。危うくその男に殺されるところでしたぞ」
「使いの者が訪ねてきて、私も急いでやって来たんですけどね」
親し気に話す月舟と所長を見て、万兵衛の脳は益々混乱を極める。
しかし、それと同時に拭いきれない一つの不安が彼を苛んだ。
「嵌められたのか、俺は。なんだよ先生って。あんたが今までしてきたことは、全て俺をこの場で殺すためだったのか?」
万兵衛は月舟に対し師と呼んだことさえないが、心の中では目標とすべき剣の極致として尊敬の念を抱いていた。
その秘めた想いを裏切られ、万兵衛から失われた怒りが再び産声を上げた。
「なぜわざわざ俺をここまで強くした。あんたも所詮、ただの戦闘狂だったのか。戦いに快楽を覚える機械だったのかよ…!」
「万兵衛」
怒りに震える万兵衛を、月舟がなだめるように制した。
声色は柔らかく、表情は安らかな慈悲に満ちていた。
まるで、これから迎えようとしている残酷な結末を微塵も感じさせないような、そんな表情であった。
「私もとうとうここまで来てしまいました。だから、あなたに全部お話ししましょう」
「…全部?」
子供のように月舟の言葉を反芻する万兵衛を尻目に、話は続けられる。
「私はかつて、警備隊隊長として研究所の守護を任されていました。本当に昔のことです」
「あんたは、何を…」
「衰退したこの国を守り、そして復興の道を支える。それが私の使命だと感じていました。私が強くなることで国も強くなる。そう信じて疑わなかったのです。そんな時、ある話が私の元に舞い込んできました」
そこで月舟は言葉を切り、表情を曇らせた。
しかし、すぐさま元の穏やかさを取り戻すと、再び口を開く。
「機械化による人体の強化です。私は迷いなくその誘いに飛びつきました。己の限界を超えた力を手にすることが出来る、国を守るための力を。その一心で。しかし、あなたも知っての通り私に施されたのは、私を非情な人斬りの機械に作り替えるための脳手術でした」
「…それでもあんたはここに居る」
「そう、私はここに居る。刀を持った私は、まるで自我を失ったように目に映る全ての人間を斬りました。私を慕う部下でさえ嬉々として斬り、そんな己を呪いました。そして刀を捨ててもなお、私は己の使命を捨て去ることが出来なかったのです」
「だから私達にそれを託そうとお考えになったのですね」
話を聞いていた天堂が言った。
「そうです。私は警備隊の指南役としてここに残ることを決めました。道は違えど私にもまだすべきことはあると。しかしその頃です、研究所のよからぬ噂を耳にし始めたのは」
「外の人間を使った人体実験…」
「…研究所は主に身元の不確かな人間を被検体とし、実験の道具としていたのです。私は分からなくなりました。果たして研究所を守ることが国を守ることになるのかと。そんな時です。あなたが私の元を訪ねてきたのは」
「俺を鍛えることで研究所は壊滅し、間接的でもあんたの願いは叶えられる。それならなぜ、こうして自ら研究所へやって来た」
「私は考えました。もしあなたの復讐が果たされたならば、人々の想いが研究所に打ち勝つことが出来たなら、それが国の決定であると。私はあなたを通して、国の行く末を見定めようとしていたのです」
「……それは勝手な話だ。自ら手を下さず、成り行きに任せようとする臆病者の考えだ」
「ええ、ですからとうとうこの時が来てしまったのです。私はついに自ら答えを出さなくてはいけなくなった。警備隊として。この場に居る侵入者を排除しなくてはならない」
「…やるんだな」
万兵衛は低く、抑揚のない声で言った。
そこからは一切の迷いも感じられない。
「万兵衛、私を斬り復讐の道を進むのです。その先にきっと国の未来がある。私はあなたを全身全霊で阻止します。その先にも一つの未来が待っているからです」
「俺にはあんたの考えが良く分からねぇ。だが、俺の復讐を邪魔するものは誰であろうと斬る。それだけは何があっても曲げられねぇ」
「それで良いのです。万兵衛、怒りで刀を握るのです」
月舟から穏やかさが消え失せ、その右手がゆっくりと腰の刀に伸びた。
かつて捨て去った刃。
破壊を目的とし、何者も守る事をしない災いの一振り。
それが今、あっけなく解き放たれた。
「共に生きる道はない。生き残りたくば私を越えていきなさい、万兵衛」
「是非も無し。もはやあんたは憎むべき敵だ。斬り捨てるまでよ」
万兵衛は諸手に握った刀を肩の高さに構え、正面の月舟を見据えた。
目に映るのは最強の剣士でもなければ、尊敬すべき師でもない。
己の復讐を拒む一人の警備隊員である。
しかしそれはあまりにも大きく、強く万兵衛の前に立ちはだかる。
かくして二つの凶刃は対峙してしまった。
月舟の言葉通り、一つの戦いが唯一の未来を導こうとしている。
その未来で、果たして刃は深淵に燃えているのであろうか。
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