着火
「おい、来たぜ」
万兵衛は月舟家の戸を開け、乱暴な挨拶と共に室内に脚を踏み入れた。
それにも慣れた月舟は、そちらへ目を向けることなくゆっくりと湯呑みを置いた。
「久しぶりではありませんか。一週間も顔を見せないとは、よほどの理由でもあったのでしょう…ね…」
万兵衛を見た月舟は思わず言葉を失った。
視線の先に立つ男が纏う空気。
それがまるで別人と錯覚するほどに洗練されている。
つい体に力が入ってしまうようなその雰囲気は、一人の男が強大な修羅場を潜り抜けてきたことを実感させた。
月舟は確信する。
天堂にあれほどの傷を負わせたのはこの男であると。
万兵衛はそれほどの手練れにまで昇りつめたのだと。
「…何があったんですか」
「ちっとばかり、また怪我しちまってな」
「まさか、熊とでも戦ったんじゃないでしょうね」
「察しが良いな。それは大きな、刃も通らない頑丈な奴でな」
「ふふ、嘘にしても稚拙ですね」
「知ってるよ、そんなこと」
口元に笑みを浮かべ、万兵衛は月舟の向かいに腰を下ろした。
月舟は急須を取り湯呑みに茶を注ぐと、決まりごとのように万兵衛の前に置いた。
「今日は茜ちゃんを連れてきていないのですか」
「ああ、あいつは置いてきた。今頃は魚でも釣ってるはずだ」
「…そうですか」
「今日はあんたを斬りに来たんじゃねぇ」
万兵衛は茶を一口すすり、いつもとは違ってゆっくりと湯呑みを置いた。
妙な緊張感が部屋を満たした。
月舟は万兵衛の言葉を待つ。
「話をしに来たんだ」
万兵衛は静かに、丁寧に言った。
「あんたは、意思のない人形なのかい」
月舟はそれに応えず、一切の身動きもしない。
自身に向けられる鋭い視線を、ただ正面から受け止めていた。
「俺と同じ、過去に研究所の連中に体をいじくられた被検体だったのか」
「……」
「どうなんだ」
月舟は湯呑みを口に運び茶を含むと、十分に味わってからゆっくりと飲み込んだ。
そして目を閉じ、ふぅと息を吐くと、ようやく口を開いた。
「私の脳は普通の人間とは違います」
意味を理解させるように、月舟は言葉を切った。
外で吹く秋風が窓を揺らし、隙間風が二人の足をくすぐった。
返答の気配を感じなかった月舟は、再びゆっくりと口を開いた。
「常人では目で追うことさえ難しい剣撃を容易に捉え、微弱な筋肉の動きから、まるで予知のように相手の動きを読み取ることが出来るのです」
「やはり、あんたは」
「そう、これは生まれ持っての才能ではありません。作られたものです。実験という名の改造手術によって」
「しかし、あんたは俺が門の前で戦った機械人間とは違う。至って正常だ」
「今はそうです」
月舟は意味深に黙り込んだが、万兵衛は追及しなかった。
そうせずとも月舟は話してくれると思ったからだ。
いつかは話すつもりだったのだろうか。
万兵衛を見つめる月舟の顔はどこか諦めたようで、安らかでさえあった。
そして思惑通り、月舟は続ける。
「研究所の目的は、敵を滅ぼすための兵器を作ることです。そのためには、人間が持つ良心というものは邪魔でしかない。取り払うべき不純物なのです。私にも、私を兵器たらしめる一つの転換器が備わっているのです」
「…なんとなく分かったぜ」
「刀です。正確には、刀で人を斬る感触、肉を切り裂く感触が私の脳に抗いがたい快感を与え、さらなる快感を求めるように働くのです。刀を持った私は人間ではありません。ただ快楽に従い、目の前の肉を裂くための機械なのです」
「だからあんたは今まで刀を持とうとしなかったのか」
「すべてはあなたを守るためでした。それ以前に、私はとうに刀を捨てたのです」
「……事情は分かったぜ。だが、あんたはなぜここにいる。今の話が本当なら、研究所はあんたを手放すようなことはしないはずだ」
「言えません。しかし、私は今、誰の意志でもなく私の意志でこの場所に居ます」
月舟の瞳には揺るがぬ信念が宿っていることを感じ、万兵衛はそれ以上聞かなかった。
それと同時に、月舟は天堂が言ったような意思を持たぬ人形などではないことを確信した。
口にはしないが、恐らくは月舟も消し去ることの出来ない過去を背負っている。
そして自分の意志で刀を捨てたのだ。
己の運命に必死に抗っている。
こんな人間を、人形や機械などと呼べようか。
「そういうことなら、俺はこれ以上追及したりしねぇよ。あんたほどの腕なら、研究所を抜け出すこともできるだろう」
「すみません」
「謝る事なんか何もないだろ。用はそれだけだ。帰るぜ。まだ傷が治りきっていないもんでな」
そう言って万兵衛は席を立った。
「安心したぜ。あんたはちゃんとした人間だ。機械なんかじゃねぇよ。またな」
月舟の返事を待たずに家の戸は閉じられ、部屋は静寂に包まれた。
「すみません」
残された月舟が言った。
「あ、万兵衛、早かったね」
日が暮れようとしている頃、ボロ屋に戻った万兵衛を茜の笑顔が迎えた。
すでに釣り上げた魚を枝に刺し、火を起こす準備がされている。
「少し話をしてきただけだからな。おいそれより、四匹も釣ったのかよ。上手くなったもんだな」
「へへ、いっぱい食べてはやく怪我を治さないとね」
正直、少なすぎる夕飯であったが、それでも茜がこうして待っていてくれるだけで充分である。
そんなことを思うたびに、万兵衛の心は揺れた。
目の前の少女が、万兵衛にかつて妹と過ごした日々を思い起こさせ復讐の炎を燻らせる。
こうして暮らしていくのも、実は悪くはないのではないか。
それは甘く暖かい誘惑であった。
これまでの人生を無に帰す危うい誘い。
万兵衛が散々嫌悪し、必死に拒んできた幻想である。
万兵衛は虚空を見つめ心を静めた。
「どうしたの?」
「いや、少し疲れた。おっさんの家までは少し離れてるもんで」
茜の言葉にハッとし、万兵衛は答える。
「それなら喉も乾いたでしょ? お水汲んでくるね」
茜はそう言って外へ飛び出した。
その気遣いこそが万兵衛を悩ませるとも知らずに。
薪からは濛々と煙が立ち上り、やがて炎が緩やかに燃えた。
万兵衛はその火を囲むように、魚を刺した棒を立てていく。
勢いよく燃える炎に炙られ、魚は芳ばしい香りを放つ。
薄い焦げ目がついたとき、それぞれを返し反対側にも火を通す。
そしてまた待つ。
「遅いな」
気が付けば外は薄暗く、家の中では揺れる炎が壁に影を作りだしている。
万兵衛は入り口から顔を出し、外を眺めた。
河からボロ屋までは若干の距離はあるが、戻ってくるまでにこれほど時間がかかることはないはずだ。
身が冷えるような不安が襲い、万兵衛は家を飛び出した。
河原には人影は見当たらず、ただ水音が辺りに響いている。
「茜!」
返事はない。
万兵衛は再び走った。
ボロ屋の裏。
そこには博士の墓が暗闇に佇んでいる。
茜はいない。
「ちっ」
土手を駆けあがり、道沿いに続く茂みの前で辺りを見渡す。
茜は幼いがこんな暗闇の中、木の実を探すなんてことはしない。
しかし万兵衛は必死に周囲へ視線を巡らせた。
「おい! 茜! どこにいる!」
声は暗闇に吸い込まれ、風に揺れる木々の音しか残らなかった。
何かに追われるように、万兵衛は再び河原へ走った。
やはりそこには茜の姿は無い。
「茜! どこだ!」
河に脚を踏み入れ叫ぶが、返事はない。
まさか、足を踏み外し流されてしまったのではないか。
「いや…」
そうだとしても、この緩やかな流れだ。
音もなく消えるなんてことがあるだろうか。
自問自答し、万兵衛はボロ屋へ向かった。
「もう、どこ行ってたの。おさかな焦げちゃってるよー」
聞こえた声は、希望を求めるあまりに脳が作り出した幻聴であった。
「あ…」
焼け焦げた魚の前で、万兵衛は立ち尽くした。
必死に冷静になろうとするが、眩暈のような浮遊感が襲いその場に崩れ落ちる。
「あの野郎、どこへ…」
荒い呼吸で呟くが、万兵衛はある考えから必死に逃れようとしていた。
振り払おうとしても、どうしても離れない一つの可能性。
ただそれを信じたくなかった。
「茜が連れて行かれた…」
焦げた魚が炎の中へ倒れ、火の粉を舞わせながら激しく燃え盛った。
真っ白になった頭で万兵衛はそれを見た。
赤く揺れる光の中で、魚はその形を失っていく。
それは、この先に少女を待つ運命を映しているように思えた。
「どうする…」
万兵衛は震えた己の手を見つめた。
そして、それは固く握られる。
おもむろに立ち上がり、壁に立てかけられた刀を手に取る。
「やってくれたな、研究所の奴ら。やってくれたな、榊の野郎」
万兵衛は仇の名を口にし、刃を炎にかざした。
まるで燃えるような刃は憎悪に輝き、命を欲するように熱を帯びていく。
黒い熱は機械の腕に伝わり、そして万兵衛の心を歪に染める。
万兵衛はそれに従った。
研究所へ乗り込む。
その時が来たのだ。
万兵衛は刀を鞘に収めると、それを腰へ差した。
その時、入口で物音がして、万兵衛はばっと振り返った。
「お久しぶり、万兵衛さん。元気だったかしら」
薄紅色の着物、煌く長槍。
警備隊隊長、天堂椿がそこに居た。
「てめぇ…」
「また相手をしてくれるって言ったわよね。だから来たの」
そう言った天堂の唇が歪んだ笑みを浮かべた。
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