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深淵に燃ゆる刃  作者: トキタケイ
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天堂椿③

 夜の森に飛沫が舞う。

 それらは地に、辺りの草木にぶつかっては雨のような静かな音を立てる。

 今夜は雲一つない月夜。

 しかし雨は降り続く。


 誰もが寝静まる半宵、この森で二人の男女が互いに命をぶつけ合い、真紅の雨を降らせていた。

 刀は切り裂き、槍は貫き続ける。

 それは誰にも止めることは出来ない。

 息を吐く間もなく振るわれる刃は相手の信念を蹂躙せんと血に塗れ、醜く、そしてどこか美しくも、さらに赤く染まっていく。


「くっ」

 万兵衛が瞼に垂れた血を拭った。

 その手から槍が僅かに肉を攫っていく。

「気を抜くなんて、感心しないわ」

 そう言った天堂の腕を、刀が裂いた。


 得物と同様、血に塗れた二人は他者の侵入を許さぬ極限に居た。

 ただ目の前の相手を斬る。

 それしか許されぬ二人だけの異世界に居るのだ。


「楽しいわね」

 天堂は言う。

 その顔は紅潮し、まるで恋に盲目的な少女のようである。

 ここまで己を傷つけ、脅かす存在は出会ったことがなかった。

 真剣勝負での完全敗北。

 その歪んだ願いが成就する予感に、彼女の胸は高鳴った。


「……」

 万兵衛は答えない。

 惑っているのだ。

 異質な高揚感に。


 互いが己にしか理解できない理由で斬り合う。

 血を流し、暴力により相手を屈服させんとしている。


 それなのに、こんなにも相手が理解できる。

 天堂がどこを貫いて来るか、どのように命を奪ってこようとしているのか。

 それはまるで、気心の知れた友人と酒を飲み交わしているかのような心地であった。


 万兵衛が機械の右手で頭上からの攻撃を受け、微かな笑みを浮かべた。

「お前がこんなに面白れぇ奴だったなんて知らなかった」

「私こそ、あなたがここまで素敵な相手だったなんて…」

 天堂の言葉を遮るように、その頬を刃が掠めた。

「気ぃ抜いてんじゃねぇぞ!」

「ごめんなさいね」

 言うと同時、天堂は万兵衛の顔面へ風も起こさぬ神速の突きを放つ。

 万兵衛は耳の肉を犠牲にそれを躱し、相手の懐へ飛び込むと渾身の力で振り下ろした。

 天堂もそれを躱すが、勢い余った万兵衛と衝突し、互いに跳ね飛ばされる。


 二人が次の一撃に備え、立ち上がったのは同時であった。

 どちらも息を切らし苦しそうに呼吸を繰り返していたが、表情は眩しいほどに晴れ晴れとしていた。

「こんな相手がいたなんて、今までどうして気が付かなかったのかしら」

「水を差すようで悪いが、この辺りには俺なんかよりも遥かに強い奴がいるぜ」

「…教えてほしいわね」

「森を抜けたところにある村に諸岡月舟という男がいる。奴なら間違いなくあんたの望みを叶えてくれるだろうな」

 そう言った万兵衛の思惑とは裏腹に、天堂の反応は薄く、むしろ興が削がれたといった様子に冷め切っていた。


 そして静かに口を開く。

「彼のことはよく知っているわ。確かに彼以上の腕前を持つものは居ないでしょうね。でも私、意思を持たぬ人形には興味がないのよ。というより、そんなものに負けたとしても喜びを感じる事なんて出来ないわ」

「…どういう意味だ」

「下らない話は終わりましょ。あなたも彼と知り合いなら、直接聞いてみればいいじゃない。その前に、私を倒さなくてはいけないわね」


「くそっ、勿体ぶりやがって」

 そのように口にしつつ、万兵衛は肩から大きく踏み込むと、隠れた死角から素早く斬り上げた。

 天堂はそれを柄で滑らせるように流すと、刀の勢いを利用して薙いだ。

 身を屈めた万兵衛は頭上で風が裂かれる音を聞きながら、相手の喉元へ突きを放つ。


 しかしそれは迷いの一手であった。

 天堂は槍を地に突き立てると、それを支えに飛び、万兵衛の背後へ着地した。

 振り向きざまの薙ぎ払いは、万兵衛の背を一文字に裂く。

「ぐっ」

「駄目じゃない、集中しなきゃ」

 態勢を立て直そうと、万兵衛は振り返りつつ飛びのくが槍はそれを逃さない。

 きら、と槍先が光り、相手の左太腿へ深々と突き刺さる。

 血が噴き出し、万兵衛は膝から崩れ落ちるが、天堂は既に次の手を放っていた。

 心の臓目掛けたそれは、確実に命を奪う終わりの一撃だった。


「さようなら」

 天堂がどこか悲し気にそう言ったようだった。


 万兵衛の脳裏に亡き妹の顔がよぎる。

 明るく、どこまでも無邪気な笑顔。

 それは万兵衛の死を迎え入れるものであろうか。


 否、その笑顔はとうの昔に奪われたのだ。

 万兵衛はその幻影を背負いながら生き続けなければならない。


 暗闇に万兵衛の眼光が鋭く煌めいた。


 膝立ちの姿勢から右足を踏み込み、そして放つ。

 幾度となく目にした、月舟の剣。

 見ることも、避けることも叶わぬ光速の居合。


 時が止まったかのような静寂のあと、天堂の目に映ったのは振り抜かれた刀、そして切先の無い己の槍だった。

 瞬きにも満たない間であったが、天堂は斬り落とされ地に落ちていく槍先に目を奪われてしまう。

 それは愚かなほどに致命的な隙であることは言うまでもない。


 後方への逃避を図る天堂のどてっ腹に鋭い衝撃が走る。

「ぅっ」

 短く唸り、天堂は崩れ落ちた。

 耐えがたい激痛に立ち上がることができない。

 意識が遠のく中、震える手で腹の傷を確かめる。

 自分が終わりゆく様を、見逃すわけにはいかなかった。


 しかしそこには一滴の血もついていなかった。

「峰打ちなんざ初めてだ」

 万兵衛の言葉に、天堂は顔を上げた。

 それは絶望に満ちた表情をしていた。


「どうして…」

「茜に感謝するんだな。あいつは誰も死ぬことなくこの一件の解決を望んでいた」

「…解決ですって?」

 そう言って力を振り絞るが、限界に達した体は立つことさえできない。


「まだ終わってないわ。こんな終わり方、こんな中途半端な…」

「なら立ってみな。意識を保っているだけで精一杯だろうがな」

「くっ」

 再び起き上がろうと試みた天堂は血を吐き崩れ落ちる。


 やがて彼女のすすり泣く声が聞こえた時、万兵衛は刀を鞘に収め踵を返した。

「待ちなさい」

「これ以上続ける気はねぇ。あんたの負けだ。こんなことを言うのはおかしいかもしれないが、楽しかったぜ。河原の住人に手を出さねぇと約束するなら、また相手してやってもいいかもな」

「ふざけないで」


 遠ざかっていく背中を睨みつけるが、その足は止まることはない。

 感じたことのない屈辱に、天堂の目からは熱い涙が次々と流れる。

「これが敗北の味だというの。こんな生ぬるくて、下らない…」

 その目からは力が失われていく。

 天堂の目に映る万兵衛の姿は遠く、次第にぼやけて見えなくなっていく。


「…必ず終わらせてもらうわよ、万兵衛さん」

 そう言い残し、天堂は気を失った。


 しかし拳は固く握られ、彼女の心には新たな炎が滾るのであった。

 


読んでいただきありがとうございます。

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