天堂椿②
天堂が一歩、摺り足で距離を詰めた。
それに応じるように万兵衛も僅かずつにじり寄る。
やがて互いの得物の先が触れ合いカチと音を立てた後、両者動きを止めた。
この場面、槍を持つ天堂に対し、刀で向かう万兵衛は未だ射程に至っておらず、そこからは明らかな不利が窺えた。
懐に入りさえすれば状況は一気に覆る。
万兵衛は考え、静かに機会を窺う。
一方、天堂。
彼女の様子からはその心の内は察することは出来ないが、万兵衛がこれまでの相手とは比べ物にならない手練れであり、下手に動けば不覚を取るということは明確であった。
これより互いの一挙動が命運を握る。
そのような緊迫した中、天堂の口が開き万兵衛の意表を突いた。
「ねぇ」
「……」
その言葉に、万兵衛は応じない。
ただ相手の動きに集中し、踏み込むその時を待っている。
「一つだけ教えて欲しいの。どうして一人だけで研究所を襲ったりしたのかしら」
「……」
万兵衛は戸惑っていた。
天堂が悠長に話している隙でも突いてやろうかと考えていたのだが、槍先に込められた殺気は緩むことはなく、交わる刃から伝わってくるのだ。
まるで、槍と使い手がそれぞれに異なる意思を持って対峙しているかのような錯覚に陥る。
下らぬ幻想に囚われまいと、万兵衛は深く息を吐き再び精神を研ぎ澄ます。
「ごめんなさい、言われなくても分かるわ。あなたも私と一緒で、誰かに終わらせて欲しかったのよね。でも残念だったわね。あの連中ではあなたの望みを叶えることなんて…」
「おい」
万兵衛の集中はたちまち霧散し、天堂の言葉を遮った。
どのような場面であっても気の高ぶりを抑えることが出来ない。
それはこの男の未熟さであると言うほかない。
これが天堂の狙いであるならば思うつぼだが、そうでは無かった。
彼女は続いて投げかけられる言葉に耳を傾けた。
「俺がわざわざ殺されに行ったと言いてぇのか。舐めんじゃねぇ。てめぇのような死にたがりと一緒にすんじゃねぇよ」
「なら、なぜあんなことを?」
「妹の命を奪った研究所の連中を斬るためだ。その腕試しとして、てめぇの部下を使わせてもらったまでよ」
「仇討ちのためだけに…?」
「そうだ。俺の目的は研究所の連中を斬ることであって、てめぇら警備隊には恨みはねぇ。だが、必要があれば斬るし、邪魔をするなら皆敵だ」
「……下らないわ」
瞬間、跳ねるように槍が万兵衛を襲う。
万兵衛はそれを潜り抜けるように躱し踏み込むと、斜めに斬りかかる。
すでに槍を引いていた天堂は両手で柄を支え、刀を受けた。
不意を突く一撃からの流れるような防御であった。
「そんなものがあなたの生きる理由だというの?」
「なんとでも言いやがれ」
万兵衛は力を込めるが、天堂はその細腕で押し返す。
これは、競り合いに持ち込めば男である己が有利と踏んでいた万兵衛にとっては誤算であった。
拮抗しているというほどではないが、天堂は後ずさりつつも万兵衛の攻めに耐えている。
「生きている人間が死んだ者にしてあげられることなんて何もないわ。何をしても喜びもしなければ、その者の死が報われることなんて決してないのよ」
「そんなことはねぇ。俺の望みは妹の望みでもある。研究所の奴らを斬ることこそが俺の喜びであり、妹の喜びだ」
「間違いに気づかないのね。いいわ、この槍でその歪んだ野望ごとあなたを穿ってあげる」
「歪み切ったてめぇに言われたくねぇ。邪魔をするなら容赦しねぇぞ」
「その調子よ。私ははなから手加減なんて望んでないわ」
「その落ち着いた態度が気に入らねぇ」
万兵衛は相手の体勢を崩そうと、体重を乗せ強く押した。
天堂はそれに逆らうことなく後方へ跳ぶと、着地と同時に万兵衛の首元へ向け突いた。
「ちぃっ」
槍先が掠め、僅かに裂けた首からは鮮血が舞う。
一撃がとてつもなく迅い。
だが目で追えないほどではない。
再び天堂の懐に潜り込み薙ぎ払うがそこには相手の姿がなく、刀は虚しくも宙を切り裂いた。
下か。
考える間もなく、長槍の柄が万兵衛の顎をかちあげる。
飛びそうになった意識を気合で引き戻した万兵衛であったが、この数瞬、電撃的な突きは既に放たれ、先日ふさがったばかりのわき腹を再び裂いた。
「『アレ』にやられたのは、こっちで合ってたかしら」
「ぐっ」
槍が引き抜かれ、万兵衛の着物が血に染まっていく。
顔を歪ませつつ片手で腹を押さえる万兵衛を見て、天堂は恍惚とした表情を浮かべる。
「さっきの話を聞いて、一つ気付いたことがあるの」
「……」
「あなたが連れていた、あの茜という少女についてよ」
万兵衛の腹からは血が流れ続け、脈打ちながら鋭い痛みを伝える。
脂汗を浮かべる万兵衛に、天堂はさらに目を輝かせる。
「あなた、妹さんのことがとっても好きだったのよね」
「……」
「嫌と言いつつあの子の面倒を見てあげてるのって、もしかして、あの子に死んだ妹を重ねてるからじゃないのかしら」
「……ふざけるな」
「可愛いわよね、あの子」
「いいから、かかってこい」
「いまいち本気を出しきれていないみたいだから、そんなあなたに良いことを教えてあげる。今、研究所の人間は幼い女の子を探しているわ。何のために、なんていう必要もないわね。使い捨ての実験材料として使う以外にないもの」
「…」
「いつまでもそんな調子なら、私はさっさとあなたを殺して研究所に報告しに行くわ。河原に丁度いい材料があるってね。どう? 少しはやる気に…」
その時、天堂の眼前に一陣の風が吹いた。
それは彼女の髪を僅かに切り裂き、はらはらと散らした。
「いいから来い」
万兵衛が静かに発した。
「……」
天堂は己の敗北を予感し身震いをした。
それは彼女にとってこれ以上ない幸福感をもたらしたが、頬を伝う汗は別の感情を表しているようであった。
不可視の太刀。
純粋な殺意が天堂に向けられ、彼女は今まで感じたことのなかった本能的な恐怖を覚えた。
「…楽しくなってきたわ」
しかし天堂の恐怖は歪んだ炎に飲み込まれ、すぐさま消し炭と化した。
歓喜に握られた槍は月明かりを受けて眩く輝き、手負いの焔へと向けられる。
もはや二つの火を消すことなど誰にも出来ない。
どちらかが一方を飲み込むことでしか決着はあり得ないのだ。
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