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深淵に燃ゆる刃  作者: トキタケイ
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「…お兄ちゃん」

 暗闇に少女の声が響く。


「お兄ちゃん!」

 声は徐々に大きく、はっきりと聞こえてくる。

「お兄ちゃん!助けて!」

 その声に目を覚まされるように暗闇が晴れ、冷たい地下牢が姿を現わした。


 牢屋の中には一人の少年。その手は強く鉄格子を握るが、少年の非力では強固な牢は微動だにしない。

「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」

 少女は牢屋の中の少年に向けて小さな手を伸ばす。

だが少女の腕は白衣を身にまとった男に引かれ、抵抗もむなしく少年との距離は離れていく。


「おい!やめろ!俺を、俺を先に連れて行け!頼む、妹はまだ……あぁッ」

 鉄格子を掴む少年の手を、看守らしき男が鉄の棒で打った。少年の右手の指は無残にひしゃげ、激痛とともに熱く脈打つ。

「うるせぇぞ小僧。そんなに頼まなくても、お前もすぐに連れてってやるから大人しくしてろ」


「嫌だ、お兄ちゃん!お兄ちゃん!」

 蹲る少年を見て少女は涙を流しなおも悲痛な叫びを上げるが、その姿はやがて暗闇に消えて行く。

「待ってろ香織、お兄ちゃんがすぐに助けるからな!」

 顔を上げ振り絞るように叫ぶ少年であったが、その声は無慈悲に閉じられた鉄扉に阻まれ、少女に届くことは無かった。

「うぅ…、香織…」

 地下牢には、少年のすすり泣く声だけが反響していた。

 やがて地下牢は明るさを失っていき、元の暗闇に包まれる。


     



 人の気配を感じ、男は目を覚ました。

 顔に無精ひげを生え散らかし、伸びた髪を頭の後ろにまとめている。

 色褪せた紺色の着物を身に纏い、腰には一振りの刀を差している。


 男は小高い丘の上に立つ巨木の下に腰を下ろし、束の間の眠りについていた。

 その巨木は初夏の日差しを遮り、男へ心地よい風だけを届ける。

 澄んだ青空には小さな雲が取り残されたように一つだけ浮かんでおり、誰もが眠りこけてしまうような、穏やかな昼下がりであった。


 だがそんな平穏にそぐわない、淀みのある視線が男に向けられていた。

「あれ、おじさん起きてたんだ」

 男が声のする方へ目を向けると、そこには粗末な着物を着たゴロツキ風の男が立っていた。

 口元には卑しい笑みを浮かべ、手には刀が握られている。

「おじさんじゃねぇよ。俺はまだ、えぇと、いくつだっけ。とにかく二十とそこらしか生きてねぇ。こんな見た目だが」

 男はそう言って、髭の生えた顎をざりざりと撫でた。


「それで、何か用か。言っておくが食いもんは持ってねえぞ。俺を襲ってもなんの得もねぇから他を当たるんだな」

「いやそうじゃねぇんだわ」


 再び眠ろうとする男を遮るように、ゴロツキが刀を鞘から引き抜いた。

 それを見た男の眉がわずかに動く。

「さっきそこで拾ってさぁ。そんで、俺って人よりちっとばかし腕っぷしが強いっていうか、まぁ、ここらじゃ敵無しなわけね」

「それは良かった。早くそれを持って喧嘩仲間のところへ自慢しに行け。俺は昼寝の途中なもんでな」

「まさに鬼に金棒ってわけよ。ねぇ、おじさんで試し斬りさせてよ」

 男の言葉を無視し、ゴロツキは刀を肩に担ぎながら歩を進める。

 しかし、男もそれを無視して目を閉じ今度こそ眠りにつこうとしていた。


「いいの? 斬っちゃうよ?」

 不意に、ゴロツキから笑みが消えた。

 それでも男は目を閉じたまま穏やかな呼吸を繰り返している。

 風が強く吹き、巨木の枝を大きく揺らし数枚の葉を運んだ。


「良いんだよねぇ!」

 唐突にゴロツキが叫び、男の顔面へ向けて力任せに刀を振るった。

『ガッ』

 鈍い音と共に刀は止まる。

 風は止み、丘の上には小鳥のさえずりだけが聞こえている。


「…やりやがったな」

 男の目が開いた。

 刀は男の頭部を両断することなく、背後の巨木に切り込んだのち静止していた。

 しかし、刃は男の頬を掠め、そこからは一筋の血が流れる。


 男はその血を指で拭うと、まじまじと見つめてからゆっくりと立ち上がる。

「お、やる気になった? 無抵抗の相手を斬ってもそこらの死体を斬るのと変わらないんだよね」

 ゴロツキは飛びのき、諸手で刀を振りかぶる形の、自己流の構えを取った。

 それを見た男はフッと鼻で笑い、ゴロツキに向けて右の掌を広げて見せた。

 その右手にはまるで火傷でもしたかのように包帯が何重にも巻かれている。


 そして一言、放った。

「斬ってこい」

 男の予想外の言葉に、ゴロツキは刀を振りかぶったまま動きを止めた。

 気付けば男からは先ほどまでの呑気は感じられず、代わりに体温を奪われるような威圧感を放っていた。

 得も言われぬ緊張感に、ゴロツキの額に一筋の汗が伝う。


「斬れって言ってんだ!」

 落雷のような怒号に、巨木の枝で羽を休めていた小鳥は飛び立った。

 それと同時に、ゴロツキは「ひっ」と情けない声を漏らし固く目を閉じながら刀を振り下ろした。


 確かな手ごたえを刀から感じ、ゴロツキは恐る恐る目を開ける。

 だがその目に映ったのは、右手に刃を握る男の姿であった。

「なっ…」

 予想だにしない光景を前に、ゴロツキは無我夢中で刀を引き抜こうとするが、それはまるで根を張ったようにびくともしない。

「俺のより良いもん持ってるじゃねぇか」

 男は捕らえた刀を左右から眺め、それを離した。

 勢い余ったゴロツキは尻もちをついて倒れ、怯えた目で男を見上げる。


「立ちな。そこまで斬り合いがしてぇなら付き合ってやる。その代わり、俺が勝ったらその刀をここに置いていけ。それよりもまずは死なねぇように頑張ることだな」

 男は腰に差した刀を抜き、それを引きずるようにゆるりと構えた。

「はぁ、はぁ」

 恐怖に呼吸を荒げるゴロツキは立ち上がり、祈るように刀を握りしめた。

 顔中から噴き出した汗が、陽ざしを受けて輝いている。


「どうした、怖気づいたか。だがもう始まってる。せいぜい殺す気でかかってこい」

 両の手をだらんと脱力させた男の構えは一見、隙だらけのようであるが、刀の重さを感じさせぬ左手と正体のつかめぬ右手、それらが放つ説明のつかない圧迫感にゴロツキは身を震わせた。


 重圧に押しつぶされそうなゴロツキはまさに必死であった。

 己が直面したことのない脅威。それが目の前に迫っている。

 穏やかな昼下がりは、いつしか命を懸けた正念場と化していた。


 この時代に生きる者にとって、抗うことこそ生き延びる術である。

 それをゴロツキも本能的に理解していた。

「う、うわぁぁぁ!」

 ゴロツキは叫び、男に向かって駆け出した。

 


「ああぁぁぁ!」

 半狂乱になりながら振り下ろされた刃は宙を斬り、地面に突き刺さった。

「どうした、土でも耕してんのかよ。俺はこっちだ」

「あぁぁ!」

 男の挑発に、ゴロツキは相手の姿を目で追うこともせずに、声のする方へ一心不乱に斬り上げた。

 男は刃が顔の横を通過するのを目で追うと、刀を持つ手に僅かに力を込め相手の軌道に対し十字を切るように振り上げた。

 その一閃は、ただ風を切る音と残像のみを残した。


 瞬間、裂けたゴロツキの腹から真っ赤な血が噴き出す。

「熱っ、痛えぇぇー! 血が、血が!」

 ゴロツキの手から刀が離れ、地に落ち沈黙した。

 叫び、両手で噴き出す血を受けるが、傷口からは鮮血がなおも止まることなく流れ続ける。

「これが斬り合いだ。チャンバラとはわけが違う」


 相手に反撃の意思がないことを悟り、男は刀を鞘に収めた。

そして苦痛にのたうち回るゴロツキの腰から鞘を引き抜き、続いて刀を拾い上げた。

「約束通りこれはもらうぜ。その傷なら頑張れば死にゃしねぇよ。これに懲りたら大人しく生きることだ」

 ゴロツキから奪った刀を腰に収め、男が言い放った。

だがその声は届くわけもなく、ゴロツキはヒィヒィと鳴き声のようなものを漏らしながら這うように丘を下って行く。


 やがて丘の上は元の穏やかな空気を取り戻した。

 相変わらず雲はゆっくりと流れ、小鳥は歌うようにさえずっている。


「なんだか一方的にいたぶったみたいで後味が悪いぜ」

 男は顎髭をいじり、僅かに顔をしかめた。

 そして何事もなかったかのように再び木陰に入ろうとした時、男の腹が豪快に鳴った。

「…じじいの所に行って芋でも分けてもらうか」

 ぼりぼりと頭を掻きながら男は丘を下って行くのであった。


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