果たし状
ボロ屋への帰り道を行く万兵衛と茜の頭上では太陽が眩く輝いている。
今日はいつもより早めの帰宅になりそうだ。
だが得るものは多かった。
今まで月舟にかすりもしなかった万兵衛の刃がついに届いたのだ。
万兵衛は、相手へかすり傷を負わせたぐらいで浮かれてはならないと己を戒めるのであったが、それでも高揚した気持ちを抑えきれずにいた。いつもより軽快な歩調がそれを表している。
やがて木々に覆われた道を抜け、二人が住む河原の集落が見えてきた。
普段はこの場所も閑散としたものであるが、今日はなにやら様子がおかしい。
二人が河原に着いてからまず目についたボロ屋、つまり立ち並んでいる中でも最も端に位置する一軒の前に、人だかりが出来ており人々が騒ぎ立てている。
「誰かがご飯でも配ってるのかな」
「この河原にそんな気前の良い人間はいねぇよ」
茜は期待に目を輝かせ言うのであったが、万兵衛はあっさりと一蹴した。
しかし正直なもので、万が一ということもあると万兵衛の足はふらっとその人だかりのもとへ向かう。
ボロ屋の前まで来た万兵衛は、群がる人を力ずくでかき分け前へ進んでいく。
茜も懸命にそれに付いて行き、押し退けられた人々から「なんだてめぇ」などと罵られつつもなんとか喧噪の源へ辿り着いた。
そこには二人が期待していたようなものはなく、ボロ屋の中で肩から血を流した老人が痛みに耐え座り込んでいるのみであった。
「なんだ、じじいが一人、怪我しているだけじゃねぇか」
万兵衛は落胆し、本音を隠すことなくそのまま口にした。
その言葉に、老人を取り囲む知人と思しき男どもがそれぞれに万兵衛を見た。
その目には、友人の危機を些末事として扱われたことに対する怒りが窺える。
「おい兄ちゃん、それはねぇだろ。こいつは刺されたんだ。見ろ、こんなに血が出てる。ただ事じゃねぇぞ」
一人が険のある言い方で言い放った。
しかし万兵衛は心底興味がないといった様子でそれを聞き流す。
「刺されるようなことをしたんだろ。やけに騒がしいと思って来てみれば、下らねぇ」
「こいつは何もしてねぇ! 見知らぬ女がここへ来て、こいつを槍で刺して帰って行ったんだ」
「槍だと」
ボロ屋から出て行こうとする万兵衛の足が止まり、座り込む老人のもとへ再び歩み寄る。
「その槍の女はどんな奴だった」
「とても…」
怪我を負った老人が痛みに顔を歪ませながら口を開いた。
「とても美しい女だ。あんなの今まで見たことがねぇ。まあ、こんな所に住んでちゃ当然だが。とにかく、もうすっかり枯れちまった俺がムラつくほどにとんでもねぇ上玉だった」
「てめぇの性事情はどうでもいい。その女は何も言わずてめぇを刺して帰って行ったのか」
「いや、奴はここに来て『片腕が機械の男を知らないか』と聞いてきた。だから俺はこう言ったんだ。そんな男は知らねぇが俺のココは今、機械のように固くなっている、とな」
老人は顔に脂汗を浮かべながら、己の股間を指さした。
「刺されて当然だ馬鹿野郎」
万兵衛は吐き捨てるように言い、立ち上がった。
槍を持つ女。
思い当たる人間は一人しかいない。
かつて月舟の家から帰る途中すれ違った、薄紅色の着物に身を包んだあの女。
危機感を覚えるほどに妖艶な、それでいて冷ややかな視線で相手を見つめる長槍使い。
しかし、目の前の老人を刺した人物があの長槍の女だとして、万兵衛を探す理由はなんだろうか。
それに万兵衛の腕が機械であるということを知る人間は限られる。
「研究所の人間…」
考えは一つの結論に辿り着き、万兵衛は呟いた。
あの女は恐らく研究所に関わる人間、もしかしたら警備隊に所属する者であるのかもしれない。
研究所を襲った人間が万兵衛であることを知り、この河原まで追ってきたのだ。
この老人は自業自得ではあるがそのとばっちりを喰ったのだろう。
「ついに追って来たか」
万兵衛はそう言って老人に背を向け外へ歩き出した。
茜も老人に視線を送りつつ万兵衛園の袖を握り、後を付いて行く。
「待て」
それを老人がしゃがれた声で引き留めた。
「女はこれをなるべく多くの人間に見せるようにと言って立ち去って行った」
差し出したのは一枚の紙きれであった。
万兵衛は足早に老人の元へ行きそれをひったくるように取ると書かれている文字に目を走らせた。
『万兵衛殿
貴殿との決闘を申し込む
今日より子の刻に、貴殿と初めて会った林道にて待つ
応じない場合は、日に一人、この河原の住人を端から亡き者とする
天堂椿』
それは誰もが理解できるほどに果たし状という体を成していた。
しばらくその果たし状を見つめていた万兵衛であったが、やがてその口元は愉快そうに歪んだ後、すぐに固く閉じられた。
「これは俺に宛てられたものだ。まったく、ご丁寧にえげつないことをしやがる」
そう言って紙を懐にしまい込み、今度こそボロ屋の外へ出た。
「良かったな、じじい。この河原で、一番端に住むのはおめぇだ。おめぇを刺した女はまた明日会いに来るってよ」
笑い声を上げる万兵衛を、集まった人々が退き道を作った。
その道のど真ん中を万兵衛は進み、茜は申し訳なさそうに続く。
そこに居る誰もがその狂気的な笑みに気圧されていた。
「あのおじさん、すごく痛そうだったね」
茜が少し先を歩く万兵衛に駆け寄り顔を覗き込んだ。
「槍で突かれりゃあな」
万兵衛はなんとも素っ気なく、茜を見ずに答える。
「お手紙、なんて書いてあったの?」
「俺と斬り合えとさ。狸寝入りを決め込めばこの河原の人間を順番に殺していくと」
「え…」
茜は驚き、立ち止まった。
口を手で覆い、明らかに動揺している。
「どうするの」
「どうもしねぇよ。なんで俺があんなじじい共のために体を張る必要がある。それに、手紙の内容はあいつらも知っている。命が惜しけりゃ逃げでもするだろ」
「そしたら…」
「その隣の奴が殺されるだろうな。そいつがいなけりゃ、またその隣だ。俺らのところまで来たらなんとかすりゃ良い。子の刻なんて、俺は夜はぐっすり寝たいんだよ」
「そんな…」
「行くぞ」
万兵衛はそう言って茜の不安を気に留めることなく歩き続けた。
日もすっかり落ち、万兵衛と茜はボロ屋の中で火を囲み魚を食していた。
相変わらず十分な量とは言えないものの、それでも晩飯があるだけ幸せだと、二人は黙々とそれを口にした。
ふと、茜が向かいに座る万兵衛に目を向けた。
無言で焼き魚を貪っている。
いつもと同じである。目の前の飯に集中し、口数が減る。
しかし、茜はその様子に若干の違和感を覚えた。
無理に食事に集中しているような、何かを迷っているような様子に見える。
「ねぇ万兵衛」
「なんだよ」
万兵衛が魚を頬張りながら答えた。
それもどこかぎこちなく感じられた。
「本当にあのおじさんを見殺しにするの?」
「言っただろ。わざわざあいつらのために動く気はねぇ。俺は自分のことで精いっぱいなんだよ。訳の分からねぇ人間のちょっかいに構ってやるつもりはねぇよ」
そう言って二匹目の魚を手に取った万兵衛へ、茜はさらに問いかける。
「自分の事?」
「そうだ。おめぇも分かってると思うが、俺には妹の仇を討つために一日でも早く強くなる必要がある。余計な体力は使ってられねぇんだよ」
「万兵衛の妹がそう言ったの?」
「あ?」
「何があっても、誰が死んでもいいから早く仇を討って欲しいって、言ったんだ」
「おいおい、知ったような口を利くじゃねぇか。おめぇのようなガキには分からねぇだろうな。妹がどれほどの無念の中で死んでいったか。俺には分かる。言われずともな。そしてその無念を晴らして欲しいということもな」
万兵衛は目の前の少女をまっすぐに見つめた。
瞳に移る炎が勢いよく燃え揺らめいている。
その炎は同じく茜の瞳にも宿っていた。
二つの炎が、それぞれに異なる意味を持って向かい合っていた。
「万兵衛は妹が好きだったんだね」
「たった一人の大切な家族だった」
「きっと妹も万兵衛が好きだったと思うよ。私も、万兵衛の優しいところが好きだよ。でも今は、今の優しくない万兵衛は嫌い。たぶん、万兵衛の妹も…」
「俺はな、そういった話が大嫌いなんだよ。部外者が勝手に代弁者面して、やれあいつは敵討ちなんて望んでないだの、やれ死んだあいつもそう思ってるだの。今の時代、そんな綺麗ごとは糞にも劣る代物だぜ。やられたらやり返す、奪われたら奪い返す。親父を亡くしたてめぇなら、それぐらい分かってると思ったんだがな」
そこまで言って、万兵衛は急いで口をつぐんだ。
茜には、彼女の父親がすでにこの世にはいないことを伏せている。
つい熱くなってしまったが故の失態であった。
「いや、おめぇの親父はまだ生きてるかもしれないんだったな」
「知ってたよ」
少女の瞳に燃える炎が勢いを増したように見えた。
しかしそれは決して見間違いではなかった。
涙をこらえる茜の目が潤み、より強く輝いていく。
「お父さんはもう死んじゃったんだよね。知ってたよ。村で連れて行かれたのはお父さんが初めてじゃなかったもん。連れて行かれたら、絶対に帰ってこないことも知ってるよ」
「お前は今まで…」
「万兵衛も、万兵衛の妹もそうなんだよね。研究所に連れて行かれたら、みんな実験に使われて、それで殺されちゃう。お父さんも…」
「それなら、なぜそうして落ち着いてやがる! てめぇも唯一の家族を奪われたんだぞ! 憎いと思わねぇのか!」
万兵衛が怒鳴り、ついに涙を流した茜へと詰め寄った。
「思わないよ。あのね、お父さんが言ってくれたの。『茜は優しい子だ。どうか優しいままで、決して人を憎むようなことのない人間に育ってくれ』って。だから、私は誰も憎いとは思わないよ。お父さんは優しい私が好きだったんだもん」
「…おめぇはそれでいいんだな」
「うん。私にはそれしか出来ないから」
「……」
それを聞いた万兵衛が諦めたように目を閉じた。
この時、一方の瞳に宿る炎が完全に消え去ったのだった。
「ガキが無理してんじゃねぇよ。おめぇが父親のために誰かを憎んだとしても、きっとおめぇを嫌いになんてならないだろうぜ」
「そんなこと、万兵衛には分からないよ」
「それは、そうだが…」
先ほど言った言葉をそのまま返され、万兵衛は言い淀んだ。
茜はそんな様子を見て、精一杯の笑顔を作って見せた。
「でもちょっと悲しいな。私もお父さんのこと大好きだったから」
「だったら存分に悲しめばいいだろうが。ったく、おめぇはもっと好き勝手やる奴だと思ってたが、年不相応な生き方しやがって」
万兵衛はため息を吐き、元の場所へどかっと腰を下ろした。
そして食べかけの魚を手に取ると再びそれを貪る。
「おめぇの考えてることは分かった。それがおめぇの生き方だってこともな。それは尊重するよ。だが、おめぇも分かってほしい。俺はなんとしても妹の仇を討たなくちゃならねぇんだ。だから余計なことに首を突っ込んでる暇はねぇ」
そこまで言い、万兵衛は恥ずかし気に顎髭をいじりながら続けた。
「しかしまあ、もしこの家が襲われるようなことになったら、一緒に暮らす者としてついでにおめぇのことも守ってやるよ。ついでにな」
「不器用なんだもんね、万兵衛って」
茜はクスクスと転がるような笑い声を上げた。
万兵衛の顔は薄暗い家の中でも分かるほどに赤面し、それを隠すように魚を一気に口へ詰め込むと、咀嚼しつつ立ち上がった。
「やはり二匹じゃ腹も膨れねぇや。おい、俺はもう寝るぜ。おめぇも食べ終わったら火を消して寝るんだな」
「わかったー」
やれやれとこぼし、万兵衛は茜に背を向け横になった。
揺らめく炎が、その背中を撫でるように影を作っている。
「万兵衛」
「なんだ」
「万兵衛の妹って、どんな子だったの?」
「そうだな、少なくともおめぇよか可愛げがあったぜ」
燃え盛る炎の中で、薪が小さく弾け火花を散らした。
火花は舞い、やがて儚く消えて行く。
「しかし、目元なんかはちっとばかりおめぇに似てたかもな」
それを最後に万兵衛は何も言うことはなく、やがてゆっくりと肩を揺らしながら静かな寝息を立てた。
家の外では秋の虫達がやかましいと言えるほどに鳴き、月あかりが夜を照らしていた。
暗い室内では万兵衛の横で茜が横になり、時折うーんと唸りながら夢を見ている。
その時、万兵衛の体が音もなく起き上がった。
そして隣の少女に見ると、暗闇の中で文字通り影のように立ち上がり枕元の刀を手に取った。
そのまま外に出た万兵衛の姿を、月が浮かび上がらせた。
振り返ったその顔は無表情であったが、微かに微笑んでいるようにも見えた。
「おめぇのために行くんじゃねぇぜ。俺は俺のために奴を斬りに行く」
万兵衛はそう言って足音もなく駆けた。
誰もが寝静まる河原を、決戦の場所へ。
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