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深淵に燃ゆる刃  作者: トキタケイ
16/31

もう一つの火

 季節は初秋。

 ボロ屋が立ち並ぶ河原には金色のススキが生い茂り風に揺れている。

 赤とんぼは踊るように飛び回り穏やかさの中に少しの賑やかさを演出している。

 また一つ季節が巡ったのだ。


「よし行くぜ」

 薄暗いボロ屋から一歩踏み出し、万兵衛は言った。

 傷は癒え、身体には力が漲る。

 後ろに立つ茜は、万兵衛の気迫を感じてかいつになく真面目な表情でその背中を見つめていた。

「今日こそは月舟を斬る」

 万兵衛が何度となく口にした台詞は、今日ばかりは真に迫っていた。





「よお、来たぜ」

 万兵衛は言い、月舟邸の戸を壊さんばかりに勢いよく開け放った。

 戸は激しい音と共に僅かに跳ね返り、やむなしといった具合に沈黙した。

「どうも」

 月舟はいつもの落ち着きで椅子に座り茶をすすっていたが、その言葉には万兵衛の到着を待ち望んでいたかのような響きが窺えた。


「傷はもう癒えたのですか」

「全快とはいかねぇが、刀を振るう分にはなんの問題もねぇ」

「それは結構」

 言われるでもなく、月舟は立ち上がり裏庭へ続く扉の方へ向かった。

 万兵衛も特に何かを発するでもなくそれに続く。


 茜だけが所在なげに二人の様子を見ていた。

「お前はここで菓子でも食って待っていろ」

 万兵衛に言われ、茜はようやく椅子に腰かけた。

 しかしその表情は不安の色を隠せず、すぐには卓の上の煎餅には手を出さなかった。

 説明もつかぬ異様な空気が部屋を満たしていた。


 二人からは、久しぶりの再会に湧き上がる高揚感が溢れていたがそれだけではない。

 一刻も早く立ち合いたい。

 殺気立つような闘気が、意図せず少女を怯えさせていた。




 裏庭に着くや否や、万兵衛は刀を抜いた。

 落ち着けと言わんばかりに月舟はそれを一瞥すると、壁に立てかけてあった棒を手に取り万兵衛の向かいに立った。

「やっぱり真剣は使わねぇんだな」

「当たり前でしょう。あなたのその気迫、もしかしたら私の気のせいかもしれない。相手が病み上がりならばなおさらです」

「それは油断とは言わねぇかい」

「いくら言い合っても、無駄なことです」

 そう言って月舟が体の正面に棒を構えた。


「そうだな。俺がいかに成長したか、その身を持って…ぅおっ」

 万兵衛が言い終わる間もなく、月舟は踏み込みすでに万兵衛の脳天めがけ駿速の一撃を放っていた。

 しかし万兵衛には全てが見える。

 殺意を帯びるほどに鋭く振り下ろされるそれを、まるで吸い寄せられたかのように万兵衛の刃が受け止める。

 『ゴッ』という籠った音を立て棒は静止し、僅かな木くずを散らした。

 万兵衛にとっては初めてといえる月舟との鍔ぜりであった。


「お見事です」

 交わる得物の向こうで、月舟が、これも初めての攻撃的な笑みを浮かべた。

「この程度で褒めて貰っちゃ困る」


 そこで万兵衛は気づく。

 純粋な力比べにおいては、俺は月舟に勝っている。

 こうして押し合いに持ち込んでしまえば、月舟からの攻撃を食らうことは無い。

 しかしいつまでもこうしているわけにもいかない。


 万兵衛は渾身の力で刀を押し、月舟の体を引き離した。

 そこへすかさず横薙ぎに振るう。

 月舟は身を屈めそれを躱すと、万兵衛の腹へ重い一撃を打ち込んだ。

「ぐぅっ」

 鈍い痛みと共に治りかけの傷が鋭く痛んだが、万兵衛はさらに地ごと割らんばかりに刀を斜角に打ち下ろした。

 だがそこにはすでに月舟の姿は無い。

 攻撃の気配を感じ、一息速く後退していたのだ。


 態勢を整え再び構える月舟を、万兵衛は睨みつけた。

「怪我人に対して、ひでぇことするじゃねぇか」

「あなたに対する敬意だと思ってください」

「へっ、嬉しいねぇ」

 万兵衛はそう言って持ち手を肩の高さに構え、摺り足で月舟との距離を縮める。


 それを見た月舟は刀を下ろしたかと思うと、それを背に回し、身を深く落とした。

 右足は大きく前に出し、強く踏み込まれている。

 つむじは完全に前方へ向けられ、万兵衛を睨んでいる。

「出たな」

 風を吸い込むかのような威圧感を前に、万兵衛は冷や汗を垂らした。


 しかし、次にはそれに身を任せるが如く構えを解き、刀を右手に下げた状態で月舟に向かい合った。

「どうしたのです」

 見えていないはずの月舟が、万兵衛へそのように発した。

「これでいい」

 万兵衛はそれだけ返すと大きく踏み出した。


 月舟は答えない。

 ただ神速の一閃を放つその時を待っていた。


 やがて、月舟が間近に迫る万兵衛の存在を感じ取った。

 刀であればすでに間合いである。

 互いに棒の届く距離は把握している。


 いつ来るか。

 月舟がさらに精神を研ぎ澄ませた瞬間、万兵衛は両腕を下げた姿勢で無防備にもその間合いへ踏み込んだ。

 否、この状況で考えなしに死地へ飛び込むほど万兵衛も愚かではない。

 月舟もそれは理解していた。

 しかしそれ以上に、己の技が打ち破られることはないという自負があった。

 それにもう始まっている。

 刀に添えられた月舟の手は風を動かし、数瞬の後に不可避の神速が放たれようとしていた。


 それは電流が伝わるように万兵衛にも感じられた。

 だがそれでは遅い。

 頭か腹か。

 考える間もなく月舟の手は消え、空間を薙いだ。



 庭に残響が駆け抜けた。

 激しい金属音。


 それと共に月舟の目に映ったのは万兵衛の右腕に受け止められた、ただの棒であった。

「どうよ!」

 右腕から全身に伝わる衝撃を感じながら、万兵衛は驚きに満ちた月舟の顔面へ刀を振り下ろす。

「フゥッ」

 呼気を吐き出し、月舟は斬り上げ迎え撃つ。

 二つは数瞬交わり、刀は地を刺し棒は天を指した。



 辺りから一切の音が消え、地に刺さった刃がそのまま倒れる。

 それと同時に万兵衛の体が傾き、砂埃を上げ地面に打ち付けられた。


 月舟は身を起こし、荒い呼吸で万兵衛を見下ろす。

 白目を剝き動かなくなった弟子を、ただ見つめていた。


 そして自身の頬に一筋の血が伝った時、零れだしたように言葉を発した。

「成長しましたね、万兵衛」


 気を失った万兵衛には、それは届かなかったであろう。

 だがこの瞬間、最強の剣士は彼を一人の相手として認めたのであった。

 

 熱く焦がすような月舟の視線はなおも万兵衛に突き刺さる。

 

 ここに一つ、新たな火が燃え上がった。


読んでいただきありがとうございます

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