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深淵に燃ゆる刃  作者: トキタケイ
15/31

邂逅

 万兵衛が負った傷の治りを待ち、一週間が経とうとしていた。


 浅い傷は全て塞がったものの、深く切り込まれた肩とわき腹の傷は回復しておらず、僅かな身動きでも鋭い痛みが襲うのであった。

 月舟にはしっかりと体を休めるようにと言われたが、万兵衛にとっては何もせずに待つということが苦痛でしかなかった。


「ねぇ、今日は月舟さんのところにいかないの?」

 茜がボロ屋の隅で横になっている万兵衛に言った。

 それはいかにも暇を持て余しているかのようであり、万兵衛と同じく落ち着かない様子であった。

「行かねぇよ。おっさんにこうするように言われてるからな」

「ごろごろしてろって?」

「そうだ」

「うそだー。なまけものー。ぐうたらー」

「…うるせぇな」

 万兵衛は茜の声を背に受け、身を守るように身を縮めた。


 茜に言われずとも、万兵衛は一日でも早く月舟の所へ行きたかった。

 そして確かめたかった。

 機械人間との一戦で感じた、万能感にも似たあの感覚。

 それが果たして土壇場で生き延びるための一時的なものであったのか。

 それとも新たに体得したものであるのか。

 今の状況では月舟こそ、これ以上ない相手であった。


「万兵衛のなまけものー!」

 壁を見つめ物思いにふけっていた万兵衛に、茜が不意にのしかかった。

「いってぇ!」

「あはは、万兵衛の顔おもしろーい」

「おいこら、笑い事じゃねーぞ」

 わき腹を襲う激痛に万兵衛は悶絶し、それを見た茜は笑い転げた。


「どきやがれ!」

 子供特有の冷徹な無邪気さに戦慄しつつも、万兵衛は茜を跳ね除けた。

 茜は尻もちをつくと拗ねたように頬を膨らませた。

「いたーい」

「俺はその何倍も痛ぇ。なにしろわき腹に穴が開いてるからな。いいか、お前はこれから人の痛みが分かる人間に成長しろ。怪我人にのしかかるなんて非道なことはしちゃいかん」

 身の危険を感じた万兵衛はやけにしおらしく諭した。

 己がどれほど参っているか、少女でも理解してくれると信じてのことである。


「だって、毎日つまんないんだもん」

「それなら河で釣りでもしてこい」

 邪魔者が消える上に食料も確保できて一石二鳥だ。とは言わなかった。

 これ以上この厄介者に傷を抉られるようなことになっては困る。

「飽きた。ねぇ、月舟さんの所に行こうよー」

「用もねぇのに行ってなんになる。さてはおめぇ、月舟の所に行って茶と菓子を出されるのを期待してやがるな」

「ち、違うよ!」


 なんとなしに言った万兵衛の言葉は、茜の図星を指した。

 確かに、二人が月舟の家へ行くと彼は必ず茶と菓子を出してもてなした。

 芋や得体のしれない魚が主食の二人にとっては、それらは御馳走以外の何ものでもなかった。


「卑しいガキだ。俺らのような貧民はそれらしく生きるべきだぜ」

「ひどいよ。そんなこと言うんだったら傷口広げちゃうから」

 そう言って茜は再びのしかかろうと、勢いをつけるように身を屈めた。

 万兵衛は恐怖し、すかさず身を起こし壁際に後ずさる。

「待て、物騒な真似はよせ。それとお前のような子供が傷口を広げてやるなんて言うもんじゃない」

「だったら…」

「分かったよ。月舟の所に行けばいいんだろ。だから勘弁してくれや」

「やったぁ!」

 無垢な笑顔で飛び跳ねる茜が、万兵衛の目には邪悪な悪魔に見えた。

 弱った体では、この悪魔に抗う術など皆無である。

「ったく、末恐ろしいガキだ」

 万兵衛は壁に立てかけてあった刀を手に取り、無気力な溜息を吐いた。





「万兵衛おそいよー!」

 月舟の家の前に立つ茜が呼んだ。

 離れたところを歩く万兵衛は腹を押さえながら汗を流しており、その無邪気さに答える余裕などなかった。

 茜はそれを足踏みしながら待ち、やがて万兵衛が追いつくと早く開けてくれといった様子で目を輝かせた。


「そんなに菓子が食いてぇか。おいおっさん、来たぜ。」

 万兵衛は戸に手を掛けたが鍵がかかっており開けることは出来なかった。

「留守か? おい、おっさん」

 再び呼びかけ戸を叩くが反応はない。

 どうやら万兵衛の言う通り、月舟は留守のようであった。

「そういうことだ。残念だったな」

「そんな…」

 ここまで来て御馳走をお預けになった事実に、茜はこの世の終わりのような顔をした。


 万兵衛としても怪我を押してやって来たのが無駄になり、ここからボロ屋へ帰ることを考えると憂鬱になるのであった。

「そんな顔するな。帰りに木苺でも探して行こうぜ」

「…うん」

 茜はなおも落ち込んだ様子であったが、万兵衛の言葉に少しは機嫌をなおしたようだ。

 互いに足取りも重く、二人はもと来た道を歩き出した。





 万兵衛と茜は、両脇を緑が生い茂る道をゆっくりと歩いていた。

 夏も終わりが近づき、日差しは若干の荒々しさを残し優しく降り注いでいる。


 しかし二人はそんな季節の変わり目に風流を感じるでもなく、木苺のなっている木はないかと道の脇に目を向け歩き続けるのであった。

 今は空腹を満たすことが最優先なのである。


 だが、ついてない日とはとことんついていないもので、木苺はおろか食べられそうなものは何一つ見つからない。

「帰ったらまた釣りでもするか」

 万兵衛が諦めたように呟いた。

 そして道の脇から歩く先へと視線を移した時、前方から一人の人間が歩いて来るのが見えた。


 薄紅色の着物を着た若い女である。

 長い黒髪を揺らし、暑さを感じさせない涼しい表情でゆっくりと歩を進めている。

 緑に囲まれた道を行くその薄紅は映え、万兵衛は不覚にも美しいと感じた。

 しかしそんな浮ついた気持ちはすぐさま消え去る。


 女の手に握られた長槍。

 可憐な乙女がそのような得物を持っていること自体、異質ではあったが、万兵衛はその長槍から放たれるただならぬ歪な空気を感じ取った。


 相当な数を斬ってやがるな。


 そう思った万兵衛の額からは自然と汗が流れた。

 茜を連れている今、面倒ごとだけは避けたい。

 女が近づき、妙な緊張感ととともにすれ違っていく。

 思わず軽く息を吐き、万兵衛は安堵した。

 茜を危険な目に会わせたくないというのが一番の理由であったが、もし何かあったら果たして手負いの体で太刀打ちできるかという心配もあった。

 万兵衛は一目で女がそれほどの人間であると見極めたのである。


「ねぇ、あなた」

 すっかり気を抜いていた万兵衛の心臓が跳ね上がった。

 振り返ると、女は立ちどまって視線をまっすぐに万兵衛へと向けていた。

「なんだ」

 その凍えるように冷たい視線に気圧されまいと、万兵衛はぶっきらぼうに答えた。

 無意識に体に力が入る。


 そんな万兵衛をよそに、女は無表情に口を開く。

「先日、山の麓にある研究所が何者かに襲撃されて、警備をしていた門番が殺されてしまったの。犯人の手がかりを探しているんだけど、なにか知らないかしら」

「…さぁな。俺はただの貧民層の人間だ。研究所のことなんてなにも知らねぇ。あんたが何者かは分からねぇが、そうやって俺達を脅かすようなことはやめて欲しいぜ」

「この槍のことを言っているのかしら」

 女はそう言ってまっすぐに伸びる柄を優しくさすった。

 そして万兵衛を安心させるかのように微笑む。


「これは護身用よ。今時、昼間であろうと女が外を歩くのは物騒だもの。困った時代よね」

 女の微笑みは妙に不気味であり、いまにもそのまま槍を構え貫いて来るのではないかという危うさを放っていた。

「へっ、俺にはあんたの方が物騒に見えるが」

 緊張しつつも万兵衛が挑発じみたことを言ったのは、彼の性格が無意識にそうさせたからであった。危険な状況であるほど楽しんでしまう、難儀な性癖を持ち合わせた男であるのだ。


「どういうことかしら。まさか、私がこの槍で人を殺したことがあるとでも? あなたこそ、その腰に差した刀、随分と使い込まれているようだけど」

「ただの女が良く分かったな」

 女の冷気を帯びた視線に、万兵衛の攻撃的な視線がぶつかる。


「怖い顔をして、どうしたのかしら」

 女がまとう不気味さがより濃く淀みを増した。

 それは万兵衛ごと辺りを包み込み、さらに緊迫感を高めていく。


 二人の間にはまるで一触即発といった張り詰めた空気が流れていた。

 万兵衛の右手がゆっくりと刀に伸びる。


「女の人に見蕩れてないで木苺探してよー」

 その時、茜の声が場の緊張感を打ち消した。

 万兵衛ははっとして刀を握ろうとしていた手を止める。

 女からも先ほどまでの不気味さは消え去っていた。


「可愛らしい子ね、あなたと違って。」

「茜だよ!」

 茜は弾けるような笑顔を女に向け、女はそれに微笑みで返した。

「こいつは俺の子供じゃねぇよ。訳あって俺の家で飼ってるだけだ」

 万兵衛はめんどくさそうに頭を掻いた。

 子供を連れているだけでも煩わしいというのに、親子だと思われることは不愉快でしかなかった。

「…詮索はしないわ。趣味なんて人それぞれだもの」

「そんなんじゃねぇよ。やかましいわやたら飯は食うわで、一刻も早くどこかに捨てたいくらいだ」

「万兵衛ひどーい」

 そう言って茜は万兵衛の腹を殴った。

 それに万兵衛は声にならない声を上げ、腹を押さえ悶絶した。


「こんな感じだ。俺にとってこいつは厄介者でしかねぇ」

「ふふふ、おじさん弱いのね」

「万兵衛はね、まだおじさんじゃないんだよ。こんなんだけど」

「それはごめんなさいね」

 女が口に手を当て、静かに笑った。


 その何気ない仕草でさえ、まるで演出されたように美しく目を奪われたが、女の笑い声と共に揺れる長槍が万兵衛の油断を許さなかった。

「もういいかい。俺は何も知らねぇし、こんなガキに手を焼くほどだ。あんたが探している人間とはなんの関係もない。」

「そのようね。失礼したわ。それじゃ、万兵衛さん。茜ちゃんも。」

 女はそう言って二人に背を向け再び歩き出した。

 万兵衛は今度こそ遠ざかっていく女の姿を見届け、自身も帰り道へ向き直った。


「綺麗な人だったね」

 茜が何かを探るように言った。

「ああいうのは俺の趣味じゃねぇよ。それにしても…」

 道の先を見つめる万兵衛の体が微かに震え、表情は愉快げに歪んだ。

「あの女、なんて殺気だ」

 万兵衛は呟き、背後に遠く消えて行く女の姿を一瞥した。





 研究所に戻った天堂は自身の部屋に入ると入り口のすぐそばの壁に長槍を立てかけた。

 そこで足元に一枚の茶封筒が落ちていることに気が付く。

 どうやら戸の隙間から部屋へ差し込まれたものであるようだ。


 天堂はそれを拾い上げ、中の物を取り出した。

 それは手に収まるほどの小型の記録媒体であった。一緒に一枚の手紙も封入されている。


『先日依頼された映像のコピーを差し上げます。これがあなたにとって何かしらのお役に立てば幸いです。お礼は結構です。私はただ、あなたのその御顔が素敵な笑顔に変わるのなら他にはなにも…』

 天堂はそこまで読んでその手紙を破り捨てた。

「部屋には来るなと言ったのに、あの男…。本当に気持ちが悪いわ」

 そう言うと部屋の奥へ行き、机の上に置いてある画面付きの電子機器の電源を付けた。

 そして椅子に座るとその機械へ記録媒体を差し込み、動画を再生した。


 天堂は画面へ顔を近づけ、食い入るように映像を見る。

 色素の薄い瞳が左右へせわしなく動き、画面の中の男を追う。

 やがて映像が終了した時、天堂はふうと息を吐きながら背もたれへと深く身を沈めた。


 口元に浮かべた笑みは呆れたようであり、これ以上ない喜びを表しているようでもあった。

「とんだ嘘つきね、万兵衛さん」

 怪しく光る目は天井を見つめ、その後ゆっくりと閉じられた。

「でも見つけたわ。彼の向かった方向、あれは河原の集落かしら。それとも、その先の村か…。あぁ、早くあなたと斬り合いたいわ」

 天堂は目を開け、もう一度動画の再生を始めるとまた食い入るようにそれを見つめた。

 その様子はまるで恋情を寄せる相手を想う無垢な少女のようであった。


読んで頂けて大変嬉しいです

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