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深淵に燃ゆる刃  作者: トキタケイ
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交わる刃②

 万兵衛が振り返った先には一人の男が立っていた。


 真っ白な寝巻のような着物を着て、薄く短い髪は乱れに乱れている。虚ろな目は上を向き、雲の散らばる青空を眺めていた。

何よりも目を引いたのが、右手に持つ抜き身の刀であった。それが力なく垂れさがった手に支えられ、緩やかに揺れている。


「……あ」

 その男は口から唾液を垂らしながら、息を漏らすように言った。

「おい、大丈夫か」

 万兵衛は男の不可解さにしばらく身動きが取れなかったが、ここに迷い込んだ浮浪者と言う可能性もあると考え恐る恐る問いかけた。

「はっ」

 突然、男の目に光が宿り、だらしない口元が閉じられた。

 表情は戸惑いに満ちており、今の置かれている状況が理解できていない様子である。


 そしてその視線は万兵衛へと向けられた。

「ここは…、俺はいつの間にこんな所へ、いや、そんなことはいい。あんた、早く逃げるんだ。のんびりしていたら死ぬぞ!」

「警備隊ならたった今斬り殺したぜ。それよりあんたは何者だ。そんな恰好で、こんな場所で何をしている。」

 話が通じる相手だと分かり、万兵衛は立て続けに質問を投げかけた。

 無視して帰ることも出来たが、男の異質さが不思議とそうさせたのであった。


「お、俺は善三という者だ。寂れた村で娘と暮らしている。いや暮らしていた。すべて滅茶苦茶にされちまったんだ。奴らは俺の体を好き勝手にいじくり回し……あぁッ」

 突然、善三は頭を抱え、膝をついて苦しみだした。

「お前はまさか…」

 万兵衛は歩み寄ろうとするが、善三は白目を剝き、口を開け放ちもとの魂が抜けたような表情に変わった。

「おい、しっかりしろ」

 善三はこと切れたかのように沈黙し、万兵衛の言葉には反応を示す様子はない。

 口から洩れた唾液が顎から滴り落ち地面を叩いたとき、突如としてそれは始まった。


 善三の目がぐりんと万兵衛を向きいたかと思うと、視線の先へ膝立ちの姿勢のまま弾かれたように飛び掛かる。

「なっ」

 善三の予期せぬ行動に体を緊張させた万兵衛であったが、その手に握られた刀が軋みを上げる音を聞き、相手が敵意を持って襲い掛かってきていることを理解した。


 だが予想以上に速い。

 善三が空中で振るった刃が迫り、万兵衛は刀へ手を伸ばす暇すらなくそれを右腕で受けた。体重の乗った一撃が全身に衝撃を伝え、凄まじい重圧に万兵衛の膝が折れる。

「ぐうっ、重てぇ…!」

 着地した善三がさらに刀を押し込み、その怪力に万兵衛は体を反らせやっとのことで持ちこたえる。

 火花を散らして刀を止める腕の向こうで、間近に迫る善三の口がぎこちなく動いた。

「だ、だから、言ったんだ。逃げろ、と。あ、あんた、おぉ、お終いだ」

 次の瞬間、善三が放った前蹴りが万兵衛の腹に食い込んだ。

 突き飛ばされた万兵衛は肩から地面に落ち、土煙を上げながら六尺ほど滑り止まった。

「がはっ」

 万兵衛は腹の中からせり上がってくる血を吐き出し、身体を震わせながら善三を見た。

 善三は立ち尽くしたまま体を揺らし、見開いた目で万兵衛を見据えている。


「やってくれたな…」

 万兵衛は膝に手をついて立ち上がり、腰に差したなまくらを乱暴に引き抜いた。

 それを見た善三の目がさらに大きく見開かれたかと思うと、勢いもつけずに再び万兵衛へ跳んだ。

 投げ出されたように宙を舞う善三が目の前まで迫り、力なく下がった手が不意に刀を握りしめた。

 手元が消えてしまったかと感じるほどの高速の斬り上げが襲い、それを辛うじて捉えた万兵衛は刀身の腹で受けた。

 しかし巨木で振り払われたかのような重みに、刀は万兵衛の腕ごと持っていかれ、そこを瞬時に返す刃で振り下ろされる。

「んぐっ」

 万兵衛はそれを横に転がり紙一重でかわすと膝立ちのまま薙ぎ、善三の腕ごと刀を落としにかかる。

 垂れ下がった無防備な腕に、万兵衛の刀が数瞬の余裕をもって達する。


『ガッ』

 されど刀は鈍い金属音と共に善三の腕をはじいたのみで、両断すること叶わなかった。

 そういうことか。

 それならばと、万兵衛は再び襲い掛かって来る刃を頭上にかすめ、舞い散る己の髪を振り払いながら善三の脛へ刀をぶつける。


 だがこれも刀から手に鉄を打った衝撃を伝え、それが痺れとなった時、善三の拳が撃鉄のように脳天へ打ち下ろされた。

「ぅっ」

 万兵衛は顔面を地に叩きつけられうめき声を漏らす。その視界の隅に見えたのは、突き立てんと己に向けられた切先であった。

 身を転がしすんでのところで躱した万兵衛の耳に刀が地面を突き刺す音が届き、その顎を善三の蹴りが掬い上げた。

「がっ」

 蹴り飛ばされ、背中から叩きつけられた万兵衛はすかさず立ち上がる。

「顎はさんざん鍛えられてるもんでな」

 だが休む暇はなく、善三は既に間合いまで迫っている。

 万兵衛は飛びのいて振り下ろされた刀から逃れると、そのまま踏み込み相手の腹から胸へかけて斬り上げた。

 善三は体を逸らしそれを目で追いながら躱すと、その状態のまま腕を跳ね上げ突きを放つ。

 挙動の読めない攻撃に不意を突かれ、反応が遅れた万兵衛の左肩をそれが貫いた。

「くうぅっ」

 熱い痛みに顔を歪める万兵衛に、第二第三の突きが襲う。


「あ、あんたを殺したくない。でも、やめられないんだ。肉を裂く感覚が、ボロ雑巾のようになっていくあんたを見、見るのが、気持ちいいんだ」

 善三は舌足らずに言いながらも突きを放ち、万兵衛のわき腹を裂く。

「俺がこんなところで死ぬ訳ねぇ。茜がしこたま魚を釣って待ってるんだ。なんとしても生きて帰らせてもらうぜ」

 体中を切り刻まれながら発した万兵衛の言葉に、降り注ぐような連撃が突然やんだ。


「…あかね…?」

 唯一無二の勝機を得、万兵衛は刀を引いて善三の大きく開いた口へ突きを打つ。

 千載一遇の機会、僅かに力んだか、溜めを経て放たれた刃は反射のように振るわれた善三の拳に弾かれた。

 飛ばされた刀は遠くの茂みへ消え、武器を持たぬ万兵衛へ容赦なく横薙ぎが振るわれる。

 万兵衛の視界にそれは入ったが、視線は善三へ、そしてその背後へ向けられていた。

 身を屈め飛び込むようにその先へ転がると掴む。地に横たわる門番の刀を。

 背後に迫る刃が風を斬る音を聞き、万兵衛は振り向きざまに跳んだ。

「ぁ…」


 善三の目に、頭上で太陽を背に振りかぶる万兵衛の姿が映った。それが落下しながら刀を振り下ろす様を捉えた瞬間、すべてが暗闇に包まれた。

 


 万兵衛の刀は瓜を割るように善三の頭部に深々と斬り込まれ、鼻の頭の辺りで止まっている。

 裂かれた頭からは、穴の開いた油樽のように薄緑色の液体が流れだしている。

 目の前の光景に考えを巡らせる余力も残っておらず、万兵衛は肩で息をしてただそれを眺めた。

「ぁ…ぁ…」

 突然、立ち尽くし沈黙していた善三から声が漏れた。


 その体が震え出し、やがて打ち上げられた魚のようにのたうつ。

「あああああああぁぁぁぁぁ!」

 天を仰ぎ開かれた口から轟く叫びは空気を震わせ、一帯に生い茂る木々からは驚いた鳥たちが飛び立った。

「なんだ、うるせぇ…」

 万兵衛は耳を塞ぎ後ずさった。

 しかし善三は謎の液体をまき散らしながら、壊れた機械のように叫び続ける。

「いや」


 万兵衛は知っていた。

 今の善三は壊れた機械であり、それ以外の何ものでもない。万兵衛がその手で壊したのだ。

「何事だ」

 騒ぎを聞きつけ、門の周辺に三、四人の警備隊員が集まってきた。それらは万兵衛を見つけると、口々に何かを叫びながら走り寄って来る。

「…流石に分が悪いか」

 万兵衛はそう言うと、未だ叫び続ける善三を残し山道を駆け下りる。


 残された善三を駆け付けた警備隊員が囲み、そのうちの一人が血を流し横たわる門番に気付いた。

「なんてことだ、斬り殺されている。それにこの男は…」

 戸惑いを隠せず善三と門番を交互に見る警備隊員へ別の警備隊員たちが歩み寄り、状況を飲み込もうと話し合う。

「こいつを殺したのは、まず間違いなく先ほど逃げた浮浪者だろう。そこで叫ぶ男を斬ったのも恐らくそうだ」

「本当に浮浪者なのか。下の住人にそれほどの腕を持つものがいたなどとは信じがたいが」

「我々も下の住人を全て把握しているわけではない。知らぬところで腕を磨いていた者が居たとしてもおかしくはない」

「今はそのようなことはどうでもいい。すぐに上へ報告をするのだ」

 明らかに動揺した警備隊は考えもまとまらず、各々考えを述べる。


 そこへ、一つの影が足音と共に歩み寄る。

「どうしたのですか」

 その声に、警備隊員らは一斉に振り向く。

 そこには一人の女が立っていた。


 腰まで伸びた長い黒髪を揺らし、切り込みが入った薄紅色の着物からは透き通るように白い脚が魅惑的に覗いている。特徴的な切れ長の目は、警備隊員に視線を向けていた。

 女の妖艶な佇まいはその場にいる全ての人間の目を釘付けにしたが、彼らが目を奪われた理由はそれだけではなく、女が持つ得物がそうさせたためでもあった。

自身の身長をはるかに超える長槍。それは、切先を天高く掲げられ陽の光を反射し猛々しく輝いていた。

 美しく儚げな女性と物々しい槍という不釣り合いな様相は、それを見た誰もの視線を嫌でも集めた。


「何事です」

 透明感のある声に、警備隊の目が覚める。

「はい。先ほど身元不明の男が立ち入り、門番を斬り逃走した模様。いかがいたしましょう、天堂隊長。」

 警備隊の一人が天堂と呼ばれる女の問いに答えた。

「身元不明、とは。内部の人間ではないのですか」

「いえ、身なりから察するに、下に住む浮浪者の仕業かと」

 その言葉に、天堂は涼し気な目を僅かに細める。

「下の住人にこのようなことを成せる者がいると?」

「しかし、そうとしか……」

「……いいわ。上には報告しておくから、あなた達は後始末をお願い」

「それとあそこに立つ男は…。生きているのも不思議なほどの深手を負っていますが」

 天堂が指し示された先に蠢く善三を見ると、その口角が微かに振れた。

 それを隠すように黒髪を翻し、猫のように滑らかな歩みで門へ向かう。


「あれは研究所が開発した新兵器よ。人を残して、念のため近づかずに回収班を待ちなさい」

「はい」

 天堂が門の前に立つと、扉は自動で開き研究所内へ迎え入れ、やがて重苦しい轟音と共に閉ざされた。

 残された警備隊員は門番の処理に取り掛かり、緊張が解かれたように心の内を漏らす。

「隊長は相変わらず淡々としている。俺はこいつが浮浪者なんぞに不覚を取ったなどと未だに信じられんというのに」

「涼しい顔をしてはいたが隊長も警備隊の一員だ。心の中で泣いているに違いない」

「天堂隊長の泣き顔か…」

「おい、恐れ多いぞ」

「貴様こそ、何か考えているような顔をしていたではないか」

 男くさい話題が飛び交う中、警備隊による仲間の弔いは続く。


 万兵衛が起こした騒ぎは彼らの心に大きな波を立て、それはやがて研究所全体へ広がっていくことになる。

 しかし、誰よりも大きくその心を揺り動かされたのは他の誰でもない。

 その人物は、冷徹な器に灼熱の魂を宿していた。



 天堂は長く続く研究所の廊下を進む。

 灯りを反射するほどに磨かれた床に足音を響かせ、不意にその口元が堰を切ったように歪に微笑んだ。

「外部の人間が警備隊の人間を斬り、研究所の技術を結集させた兵器を壊したですって」

 ふふ、と淑やかに漏れた声を手で押さえ、天堂は歩調を早める。

「…会いたいわ」

 そして口から手を離すと、今度はそこから悩まし気な吐息を漏らした。

「はぁ、どうすれば会えるかしら。もし会えたなら…」

 天堂は顔を紅潮させ、身を震わせながら長い廊下を進む。

「どんなふうに私を痛めつけるかしら」


 灼熱の魂は、その色を淀ませながら禍々しく燃え滾る。


読んで頂きありがとうございます。

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