九章
101号室を逃げるようにして離れた三人は、今回の件を絶対口外しないという約束を交わして解散した。
勇太が亡くなったという知らせを受けたのは、それから五日後のことだった。
険しい表情で電話を切った母親からその事実が告げられたとき、航は暫く言葉の意味を理解出来なかった。
状況が飲み込めぬまま、両親と共にお通夜へ行くと、何度か遊びに来たことがある庭先には、白黒の提灯がしめやかに掲げられていた。傍らでは集まったクラスメイトや学校の先生たちが啜り泣き、一様に肩を落としている。
これは本当に現実なのだろうか? ついこの間まで、死とは無縁とも思えるほど活発だった勇太が亡くなっただなんて……。
「航――」呆然としていた航が振り返ると、翼がいた。「ちょっと、いいか?」
二人は人ごみから少し離れた場所に移動した。そこで彼から聞いた話によれば、勇太の死は、一言で言えば『不慮の事故』だったらしい。
親戚一同で海に行った際、岩場から遊び半分で飛び込んだ勇太は、岩礁に右腕を強打したことで、泳げなくなって溺れてしまったのだそうだ。
「右腕……?」
そのとき、ふと、航の脳裏に浮かんできたのは、あの101号室で見た日本人形の姿だった。あの夜、勇太が踏んで壊してしまった箇所も、確か、右腕ではなかっただろうか?
航の不安そうな表情を見て、翼も何を考えているのか察したようだった。
「裏野ハイツは関係ない。偶然だって」
「そ、そう、だよね……」
「ああ。とにかく、この件は終わりだ。みんなのところに戻ろう」
「うん……」
航は自分自身を納得させるように、何度も頷いた。
勇太の父は会社の重役を務めているらしく、弔問には多くの大人たちも訪れていた。
家は大きめの一軒家だったが、玄関は大小さまざまな黒い靴で窮屈なくらいに埋まっていた。
一時間ほどのお経が終わり、棺桶の中で安らかに眠る勇太に手を合わせると、航は静かに外へ出た。両親は、まだ中でそれぞれの親同士と話をしているようだった。
慣れない数珠をポケットに仕舞い、張り詰めた気分を緩めるように大きく息を吐いたとき、なにげなく向けた視線が、ある人物の後ろ姿を捉えた。
――えっ! どうして……?
航はその瞬間、思わず目を疑った。去り際だったため、ほんの一瞬程度しか見えなかったが、その容姿に見覚えがあったのだ。
「航? どうした?」
心配そうに声を掛けてきた翼に対し、
「つ、翼……今の人……見た?」
航は敷地の外を指差して震える声で訊ねる。
「今の人って?」
「さっき、居たんだ……」
「居たって、誰がだよ?」
「だから……101号室の、あの男だよ!」
「え……? み、見間違いじゃないのか?」
「い、いや、あれは、間違いないよ……ねえ、どうしてあの人が居たんだろ? もしかして、僕たちがやったこと、バレてたんじゃ……? だから勇太は殺――」
「ば、馬鹿言え!」その先に続く言葉を言わせまいと声を荒げた翼は、すぐさま、はっとして、ボリュームを落とした。「勇太の死は事故だ。――だいたい、俺たちが忍び込んだのは、せいぜい七~八分だ。裏野ハイツからコンビニまで、往復だけでも十五分は掛かるんだぞ。あの住人が帰ってくる前に、ちゃんと部屋を出たんだ、バレるはずがない!」
「でも、もし、コンビニに寄ってなかったら?」
「兄ちゃんがいつもどおり来ていたって言ってたし、それも間違いないさ」
「じゃあ、途中でタクシーを使ったとか……それで、どこかに隠れて僕たちのことを――」
「落ち着けって、航。考えすぎだ。万が一見られていたとしても、あの暗闇だぞ。分かるはずはない」
「じゃあ、なんであの人がここに来てたの?」
矢継ぎ早な質問に、翼は視線を逸らしたがやがて思い立ったように顔を上げた。
「……もしかしたら、勇太のお父さんの仕事関係者だったのかもしれない……。そうだ、それなら説明がつく」
「……関係者……?」
「ああ」
「そ、そうなのかな……」
このとき、航は自分の考えを否定してもらうことで、半ば強引にでも安心を得たかったのだ。それが、ほんの一時だけだとしても――。
けれど、それがまさか、本当に、つかの間の安息であったとは、このときの航は、想像していなかったのだった。




