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八章

 結局、航自身も勇太の冒険心を止めるすべなど持ち合わせてはおらず、時刻がついにそのときを迎えてしまった。

「来たぞ!」

 勇太の鋭い声で顔を上げれば、101号室の住人が外へ出て来るところだった。男は勇太の言ったとおり、鍵を掛けるような動作はせず、そのまま後ろ手にドアを閉めただけで、裏野ハイツを出て行った。

 その姿が見えなくなったのを見計い、勇太が先陣を切って立ち上がる。腰を低くし、足早に101号室へ近づくと、ドアの鍵が掛かっていないことを確認してから、航と翼に向かって大きく手招きをした。


 三人が揃ったところで、勇太は左右を確認すると、ゆっくりドアを開け、身体を滑り込ませるようにして侵入した。

 室内は電気が全て消されていて、中は真っ暗だ。

「これじゃ何も見えないな……」

 最後尾の航が玄関のドアを静かに閉めたところで、勇太は改めて懐中電灯のスイッチを入れた。

 タバコ臭い室内は、殺風景で物が少ない様子であったが、部屋の隅にはゴミ袋の塊がいくつか放置されていた。

「誰もいないな……」

 勇太と翼は玄関で靴を脱ぐと、慎重な足取りで中へ入っていってしまう。航は罪悪感と恐怖心から足が竦み、暫くその場に立ち尽くしていた。しかしこのままでは二人とはぐれてしまうんじゃないかという気がした航は、恐る恐る靴を脱ぐと、暗くひんやりとしたフローリングに足を踏み入れた。

 そんな航とは対照的に、物怖じを見せない勇太は、トイレや浴室と思われるドアを次々に開け、中を念入りに調べているようだった。

「ねえ、翼。何やってるの?」

「航か。見ろよ、これ」

 一方、翼が懐中電灯を使って照らしていたのは、部屋の隅に置かれたゴミ袋だった。近付くと若干の臭気を漂わせていて、思わず顔をしかめてしまう。

 臭いの原因はすぐに分かった。ゴミ袋の中には、大量のコンビニ弁当が開封されていないままの状態で捨てられていたのだ。

「どういうこと? なんでせっかく買ったのに……」

「おかしいよな。でも、一部はちゃんと食べてるみたいだぞ」

 翼がダイニングテーブルの上に光を移せば、そこには手をつけたコンビニ弁当と、中身が半分になったペットボトルのお茶が置いてあった。

「さっき冷蔵庫も見たんだけど、これと同じペットボトルのお茶が飲みきれないくらい大量に入ってた……」

 航は言い知れぬ奇妙さに、鳥肌が立ってしまった。

「ね、ねえ。もう出ようよ……これ以上探したって、何もないって」

 気味が悪くなり、たまらず勇太を呼び戻そうとしたが――。

「ちょっと待てよ。奥にもう一部屋あるんだ。そこを調べてからにしよう」

「で、でも、もう帰ってきちゃうんじゃ――」

「まだ五分も経ってないから大丈夫だって」

 そうは言われても、航の体感ではすでに一時間近くが経過しているような気分だった。

 勇太が構わず奥の部屋に繋がるドアを開ければ、そこには更に深い闇が広がっているように見えた。

 それぞれが持つ懐中電灯の僅かな光を頼りに、三人は固まるようにして進んでいく。

 窓には、月明かりを通さないほどの分厚いカーテンが引かれていて、外からの目を気にしていることが感じ取れた。


 そのときだ。


「うわっ!」

 突如、木の板が割れるような乾いた音が響いたかと思うと、勇太が驚いた声をあげ、バランスを崩して倒れ込んだ。

「お、おい、大丈夫か!」

 翼が慌てて勇太に手を差し伸べる。

「ああ……大丈夫。何か踏んだみたいだ……痛ってー……」

 舌打ちをしながら立ち上がって床を照らせば、そこには一組の布団が敷いてあるのが分かった。

 最初は、住人の男が寝るために敷いておいたのだろうと思ったが、すぐさま違和感に気づいた。掛け布団が、心なしか盛り上がっていたのだ。

 勇太が恐る恐る懐中電灯の光を枕元へ移動させると、そこには、目を見開き、長い髪を纏った女性の顔があった。

「う、うわあっ!」

 その瞬間、航は思わず大声を上げ、腰を抜かしてしまった。逃げようとするも、身体に力が入らず、上手く立つことが出来ない。


「おちつけ! 航!」

 ぴしゃりと言ったのは、勇太だった。

「……え?」

「よく見ろ! 人じゃない」

 勇太が掛け布団を捲ると、そこには着物姿の日本人形が横になっていただけだった。

 身長は五~六十センチ程度だろうか。改めて見れば、髪が長いだけで、顔自体は小さかった。

 人形は右腕が折れ、手がおかしな方向を向いていた。おそらく勇太が布団越しに踏んでしまったときに壊れたのだろう。

「なんで人形が布団に……」

「――そんなことより、どうする? これ……」

 航の言葉を遮って、翼が勇太の顔を窺うように呟いた。

「と、とにかく、一度出よう」

 動揺しているのか、勇太の声は柄にもなく震えていた。

「に、人形は、そのままでいいのか?」

「持って行くわけにもいかないだろ。それに、誰が壊したかなんて分からねえよ」

 勇太は吐き捨てるように言って、布団を掛けなおすと、足早に踵を返した。

「お、おい、一人で行くなよ、勇太」

 慌てて追いかける翼に続いて、航も部屋を出ようとした。そのとき、クローゼットの隙間から、何か赤い光のようなものが点滅したように感じた。しかし、玄関先で待つ勇太と翼に急かされていたこともあって、詳しく調べる余裕もないままに、航はその場を後にしたのだった。

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