枕歌
昭和初期、生活苦に耐え兼ねた親に身売りされたタキという娘。見知らぬ温泉街で、いつかは故郷に帰れると期待を持たされながら必死で働くが、最後に待っていたのは客に体を売ることであった。少女タキはどんな運命に・・・?
小説「 枕 歌 」
昭和57年春、大学を卒業して私が就職したのは地元の大崎建設という従業員20人程度の建築施工会社である。当時は内需拡大政策などによる好景気で、公共事業を中心に建設ラッシュの時代であった。次から次へと仕事が舞い込んで、社長の口癖は、とにかく早くに工事を終わらせること。ゆえに日曜でも休みということを知らず、来る日も来る日も仕事であった。当時、世間の人はそれをモーレツサラリーマンとか呼んでいた。しかし、世の風潮は急速に移り変わって行き、「働き過ぎの日本人」と世界の批判を浴び、輸出黒字を削減するよう諸外国から迫られていた。そして労働基準法の改正により就労時間に規制が掛かるようになった。世論を反映して、建設業界全体が第二第四の日曜日は、何とか無理してでも休もうということとなった。朝早くから夜遅くまで働いて「家に帰っても、このところずっと子供の寝顔しか見ていない。」とぼやいていた課長が久しぶりに休みをとって遅くまで寝ていたら「ママ、知らないおじさんが寝てる。」と泣かれてショックだったと苦笑いをした。それでも当時の私は仕事を覚えるのが楽しく、失敗を繰り返しながらも幾つもの建物の工事管理をしてきた。そして数年後には中堅の責任者となっていた。その後いくつかの現場を経験して、私にとっても会社にしても大きな仕事が廻ってきた。「旅館 大村屋 増築工事」である。その現場は全国的に有名な久保山温泉という温泉街の一画にある老舗の宿の裏庭で200坪ほどの広さの土地に7階建ての客室を増築するという計画であった。この辺りの旅館は階段を横から見たような奇妙な外観が多いが、どうやら増改築を繰り返したのが原因らしく、山の斜面に段々畑ならぬ段々建物になっていた。ゆえに3階かと思えばそこが玄関であったり、廊下が迷路のようになってしまい、宿泊客が部屋に戻れないなどというクレームで有名な旅館も多かった。かの黄門徳川光圀公も愛用されたと言われるこの老舗「大村屋」も土地を有効利用して業務拡大をし、近代的な旅館の経営展開を図ろうというわけである。
初夏とはいえ、山の温泉地特有の強い紫外線を放つ日差しと、寒いくらいの木陰の温度差が心地良く感じられた。私は社長の愛用車に社長と営業部長を乗せて「大村屋」の玄関先の車寄せに付けた。「大村屋」の主人の都合で午後3時頃が手空きの時間帯となるので、増築工事の顔合わせをしたいというのであった。「さすがに由緒正しそうな建物だねぇ岩井さん。」後部座席から降りながら背の高い社長がその玄関の構えを見上げた。「なにせ創業280年という老舗旅館ですからなぁ~」と小太りで頭の禿げ上がった岩井部長が不機嫌そうに答えた。社長は先代社長の息子で、世界的に有名な東京の商事会社を中途退社して急逝した先代の代わりに社長として入社したものである。入社して間もないのに他愛も無い意見を言うので古株の岩井部長は、この自分より一回り以上も若い社長を煙たがっている。「大村屋」の表玄関は太い丸柱が左右に前に競り出ていて、それに乗っているナポレオンハットのような屋根の軒梁は、その複雑な曲がりを継ぎ目無しの1本もので受けている。これだけでも相当な値打ちものと見える。間口3建、奥行き2建の巨大な玄関ポーチの奥には間口2建の素通しガラスの引き戸があるが、大きさの割にはスムーズな動きで音も静かである。これは割りと最近のものらしい。広い玄関ホールはすぐ左側にカウンターがあり左側のノレンの奥は下足置き場になっているらしい。「いらっしゃいませ。」と笑顔の素敵な女中さんがカウンター越しに声を掛けてきた。「私、大崎建設の大崎と申します。ご主人様と3時の約束で参りました。」と社長がネクタイを締め直しながら答えた。玄関ホールの正面にはショーウインドウがあって、鎧や皿や食器や古い書き物などが丁寧に陳列されていた。「いやー社長さん、しばらくでしたね。みなさんもよくお越しくださいました。さ、どうぞこちらへ。」と明るい声で恰幅の良い、いかにも主人らしい貫禄のある初老の紳士がグレーの和服姿で現れた。客の接待慣れが板に付いているらしく、その笑顔にはすぐに心を許してしまいそうな魅力があった。ゴルフの話やら飲み会の時の話やらで大崎社長を瞬時に笑わせるテクニックも商売慣れに輪を掛けているようであった。「ささ、こちらにどうぞ。」とゆったりとした柔らかい皮のソファーで囲まれた広い応接間に通された。そこにはスーツ姿の40歳くらいの男性が立っていて、一番奥には80歳前後の和服の婦人が座っていた。「紹介しましょう。こちらが総支配人の高木、そして大女将、私の母です。」大村屋の主人は終始ほがらかに笑顔を振りまいて手の動かし方もオペラ俳優かと思えるくらいのオーバーアクションであったが、その動きはなめらかであった。支配人の高木という人は、いかにも誠実、実直という人柄で「総支配人の高木です。どうぞ宜しく。」と一礼をした。次ぎの番だと言うように、全員が老婦人に目を移動させた。重々しい時間が流れた。「ほら、かあさん。」と主人がせかした。「あ?あたしかい?あたしは大村タキと申します。大女将とか呼ばれていますけどね、倅も嫁も言うことを聞いてくれないし、ふん、名ばかりでね。」と寂しそうに笑顔を作りながらも訪問者一人一人に何かを頼むように目配せをした。その品格と重厚感は天下の老舗旅館「大村屋」の歴史の深さを物語っているようであった。我が社の社長は「このたび増築工事を仰せつかり誠に有難うございます。大崎建設の大崎でございます。どうぞお見知り置きを」と2人に名刺を差し出した。大崎社長は心なしか手が震えているようでもあった。「こちらが営業部長の岩井、そして彼が常駐させていただきます宮本です。」私たちは名刺を差し出すと後ろのドアがノックされた。誰も返事をしないうちにドアが開き着物姿の婦人が舞うように入ってきた。「ま~大崎社長、お久しぶりね~!ゴルフのコンペ以来じゃなーい?あら~皆さんいらっしゃいませー。」とゆっくりとお辞儀をするとすぐに体を起こし「京ちゃん、お茶―!お客様3人様ねー。」と廊下に向かって呼びかけた。良く通る声の効果をより一層高めるためにか、右手を口の脇に添えていた。「恐らくこの人が社長の奥さんで女将なのだろう。」私はそう結論付け一礼した。女将が入って来てからは、急に場が賑やかになり、私は冗談も交えながら工事の進行の説明をした。すると終始難しい表情をしていた大女将が杖を立て、ゆっくりとソファーから立ち上がる素振りを見せた。総支配人がすぐに立ち寄り手を貸した。「あたしはこのままで良いって言ったんだよ。そんなエレベーターの付いた7階建てのビルなんて大村屋の伝統に会わないって言うんですよ。今でもあたしは反対だよ。」と言いながら、いろいろなところに手を付きながら立ち上がった。「もう、かあさん!これはみんなで相談して決まったことなんだからさぁー、もっと前向きになろうよぉー。コンサルタントも言ってたろう?このままじゃあ大村屋は5年後に倒産するって。」老婦人は聞く耳を持たず、一歩づつ杖をつきながら、部屋を出て行ってしまった。また部屋中が重々しい空気になった。「もう!まったく考えが古いんだから!」と女将が顔をゆがめた。
大女将は特に昔からの御得意さんが来た時は顔を出すらしいが、その息子が事実上の主人で、大概は主の嫁である若女将が「大村屋」で采配を振るっているようである。20歳くらいの一人娘がいるが、女将修行というのは名ばかりで、赤いスポーツカーで飛び出して行っては数日戻らないようなことが多いらしい。
何はともあれ、私は意気揚々として仕事に取組んだ。建物を作るには強固な基礎と土台が重要である。上層部にいくら手を掛けても、足元がしっかりしていなければいけない。まず基礎を作るにはそれに見合った穴を掘らなくてはならない。地鎮祭という工事の災害防止祈願を終え、ユンボと呼ばれる穴堀り専用の機械を入れ、大型のダンプを3台チャーターして、いよいよ仕事を開始した。「大村屋」は南側にアスファルトで舗装された対面通行の道路があり、かなり急なくねくね道だが、これがメインストリートである。その道路の両側に幅が2mくらいのゆったりとした歩道が走っていた。歩道を目で辿ると、ところどころに小さな東屋のような休憩場があって、そこには和風の長椅子が置いてあった。歩道は奇麗なブロックが敷かれていて、品のある旅館街を形作っていた。「大村屋」の東側は小川が流れていた。その川幅は1mくらいであるが、奇麗な薄緑色をしていた。水の色からして以外と深いようである。そして人の背丈ほどもある堤防に守られていて多少の大水が出てもこちらに被害がないように作られているらしい。この川は基礎の底面より高い位置になるので、私は川の水がしみ込んで作業の進行に支障が起きると懸念していたのである。大きなポンプを幾台も用意して、湧水に備えていた。また、建設予定地の北側は杉の木の防風林がきちんと等間隔に幾本も立っていたが、「大村屋」の歴史の深さを無言で語る証人のように立派な大木であった。その防風林の奥には雑木が好きなように生い茂っていた。ゆるい下り斜面になっていて、その先に何があるのかはあまりに草木の勢いがよくてわからなかった。工事の計画では既存の建物の西側からトラックと進入させ、北側の奥の防風林の手前から順次掘り始めて行くこととした。
工事は順調であった。掘った土も癖のない赤土で、気掛かりだった湧水もなかった。予定通りのペースで進んでいった。何台目かのトラックが山盛りの土を積んで出て行って間もなくユンボの運転手が私を呼んだ。「監督さん、これ何かね?」とバケットに山盛りの土の中から一本の褐色の木の枝のようなものを引抜いた。それは直径2センチくらいで長さが30センチくらい。微妙な曲線を描き両端がコブのように太っていた。「動物の骨だね。」と私は答えた。それは敷地の一番奥の杉の木の立ち並ぶすぐ手前の2mくらいの深さから発見された。「動物って言ったって、結構大きな動物だよね。」としみじみと見直した。「まさか、人骨だったりしてね。」と顔を見合わせてニッコリといたずらな目でお互いの感覚を確かめた。「まだあるよ。ほら。」と運転手は褐色の棒をバケットから引っ張りだした。一応「大村屋」の主人に尋ねようと振り返ると、主人はすでに早足でこちらに近づいてきた。一見ニコニコしているように繕ってはいるが目つきは険しいものがあった。歩きながら懐から封筒を取り出し、ひとつは私に、もうひとつはユンボの運転手に差し出すと右手の人差し指を自分の口の前に立てた。「気にしないで続けていいよ。」と言って店に入ると特級酒を持ってきて栓を開け、ユンボのバケットや掘った穴に惜しげもなく全部撒いてしまったのである。そして、穴に向かって手を合わせてひと拝みすると、こちらに近づいてきた。「昔ね、どこの誰だか知らない流れ者の奉公人が幾人もいたんだよ。埋める墓もないしね。仕方なしに裏庭に埋めたと言われてたけど、やっぱり出たか。」主人は人の良さそうな笑顔を我々に作ってみせた。「こんなの警察にでも知れたら、しばらく工事にならないよ。みんなも困るだろ?私が生まれる前の話だから警察も困ると思うし、私も困るんだよ。みんな困ってさ、だ~れもいいことないんだよ。」主人はつまらなそうな表情で骨を見つめた。「だから黙って仕事を続けてよ。」突然と険しい表情になり我々を睨みつけた。我々はその迫力に圧倒されうなづくと、主人はあの屈託のない人懐こそうな笑顔に戻って「じゃお願いします~」と行ってしまった。私とユンボの運転手は封筒の中を見ると3万円のお金が入っていた。当時の私の給料は、支払い総額で9万円であり、それは大変な金額であった。そこに、荷を降ろしてきたトラックがバックでゆっくりと入ってきた。「なんだい?コバンでも出たかい?ずいぶん嬉しげじゃ~ね~かい?」身を乗り出してこっちの様子を伺うトラックの運転手には適当に取り繕って、ユンボの運転手は土を積み込み始めた。
掘り出された仏は一体ではなかった。一番奥から一列に並ぶように埋まっていて全部で6柱であった。2階の廊下から見ていた主人が、その都度特級酒を一本持ってきて拝んだが、最後のほうでは「ここに酒を置いておくから・・」とに言われ、我々だけで処理した。だんだん仏の埋まっている法則性がわかってきたが横になって埋葬されているのもあり、しゃがんだ状態の仏もいた。
突然とんでもない事故が起きた。工事の計画では穴堀りは3日で掘り終わる予定でいたが、その3日目のことだった。最後の6柱目の骨が出て、穴掘りももうすぐ終わろうとしているその矢先、荷を積んで出て行ったはずのトラックの運転手が血相を変えて、現場に転がりこんできた。「か、監督さん!エライことをしちまった。ばあさんを跳ねちまったぃ!」と膝間づいて右手で大通りを指差した。「大村屋」のすぐ南面にある信号の横断歩道をトラックの前輪が踏んでいた。その左側の後輪のところにはすでに通行人などが作った円陣で組んで取り囲まれ、誰がどうしたのか確認できずにいた。「どいてください。お~い、どいてくれ。」人混みを分けて恰幅の良い旅館の主が出てきた。「かあさん!かあさん!」と叫んで主人は、倒れている老婆をそっと抱き起こした。工事現場の車が横断歩道のところで、仕事場の主人の母親と接触事故。ありえない、絶対あってはならないことにオロオロしている私の耳に遠くから救急車の音が聞こえてきた。「飛び込んできたんだよ。向こうから飛び込んだんだよ。避けられっこねぇがな。」という、そんな言い訳が通用するわけないようなトラックの運転手の言葉と、しゃがんでいた通行人の一人が「大丈夫!息もしてるし脈もあるよ。」と大声で言った言葉で私の真っ暗な胸の中に一筋の光が差し込んだ。
救急隊の人は手際良く動いた。「奥さん、名前言えますか?お名前は何ですか?」と声を掛けたが応答はなかった。酸素マスクを装着して指先に何やら挟んだ。血圧の計測をしたり帯を緩めた。もう一人の救急隊員は「脳震盪だと思われます。おそらく大したことはないと思いますが、いちおう脳外科に行って精密検査が必要です。どこか掛かりつけの病院はありますか?」と主人に聞いたが「お任せしますので、一番良い病院に連れて行ってください。」と救急隊員の肩をつかんだ。
「救急車には私も乗ることを希望したが「警察が来るからあなたは事故処理をしてください。」と救急隊に言われ、運転手とともにその場に残った。救急車がいなくなると同時頃、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。警察である。ワゴンのパトカーから鑑識官たちが降りてきて、いろいろと聞かれた。一部始終を見ていたという「大村屋」のすぐ東隣の饅頭屋のアルバイトの20歳くらいの女性とダンプの運転手は別々のところで警察の聴取を受けた。時々警察の人が「ウソ言うと罪が重くなるんだぞ!」とか「ホントですよ、ホントにそうなんですよ。」とダンプの運転手の声が聞こえたが、双方の言っていることが大体合致したということで、警察の説明があった。ちょうど私の会社の営業本部長も現場に到着し「一体どうしたんだ?」と泣き出しそうな表情で車から降りてきた。ちょうど警察の事故処理班の説明が始まったところであった。「ま、本人が気がつけばね、いろいろわかることだけど、とりあえず今、病院から連絡があってね、大女将は軽い脳震盪で気を失っただけらしい。怪我は無く、もうすぐ退院できるだろうとのこと、ね。で~この運転手はね、あ~運転手さんだな~信号が赤だったので、この横断歩道の手前で停まったんだな?そうだね?」と聞くと運転手は大きく何度もうなづいた。「そのとき、歩道にしゃがんでトラックを拝むようなことをしている大女将サンを見たわけだよね?」と今度は現場の隣の饅頭屋の店頭でアルバイトしている20代の女性の目を捕えた。女性も何度もうなづいた。「で、次が肝心なところだ。こりゃ本人が気が付いたら確認だ。」と鑑識官を鋭く見た「信号が青になったので車を発車させようとしたら突然大女将が後輪に突っ込んできたとこうゆ~んだいな~これがわからね~。普通自殺なら前輪だべ?後輪は巻き込み防止の鉄格子がついてら~なぁ~。大女将はこれにぶつかって気を失ったらしい。」ベテランらしい鑑識官はアゴを撫でた。トラックの運転手は変なおばあさんだな~と思いながら左側のバックミラーで見ていたという。信号が青になり、ギアを入れ発車しようとした、その時にコツンと違和感があったのでサイドミラーを見たら、大女将が後輪のところに倒れていたという。「ま、運転手さんが、動かずにいてくれたから、大女将も手を潰さずに済んだってところかな?」刑事は突然パトカーに走り寄ると無線のマイクを握った「はい、こちら久保山11・・・はい了解、そちらに向かいます。」と回りに向かって大声で「あと頼むぞ、大女将が気が付いたらしい。ああ、あんたらも来てくれ。」そういって我々は部長の車でパトカーのあとについて大女将のいる病院へ行った。
大女将は天井をじっと見つめていた。大女将には我々のことはまったく眼中にないという感じだった。警察の問い掛けにも息子の呼びかけにも反応しなかった。「ショックで記憶が飛んだんじゃねーのか?」とかささやく人もいた。しばらくして医者が入ってきた「どうですか大女将さん?ご気分は?・・・ああ、さっきからず~っとこれだ。脳波にも異常はないし、CT検査も異常なしだ。どこも悪くないですよ。びっくりしただけだ。ねえ大女将さん?」と廻りを安心させるような口調だった。「あのぉ~大女将さんが、これを持ってらしたんですけどぉ~」と看護婦が古びたクシを出した。「泥まみれだったので洗っておきましたけどぉ~・・」と差し出すと「あ!それを!」と大女将は突然起き上がり、クシを手にした。そして頬に持って行き、おいおい泣き出したのである。「あの~よろしかったらお話は後日にしていただけませんか?」と息子である「大村屋」の主が周囲の人に目配せをした。「では~また~落着かれた頃~来てみますかな。」そう言って警察関係の人たちは退散した。会社の部長と私とトラックの運転手も近くの家族の方々に深々と謝って、引き返した。
その後の警察関係の人の話によれば、大女将は訳を話してくれたとのこと。歩道にいた自分の目の前に大きなトラックが停まり、何気なく道を見たらクシが落ちていた。そのクシがトラックの後輪にまさに今引かれそうだったので慌てて拾おうとしたら、ガツンと頭に衝撃があり、いつの間にか病院のベッドで寝ていたというのだ。いくら歩行者優先保護責任とはいえ後輪に飛び込まれてはどうにもならないということで、トラックの運転手は無罪放免、私も会社からも責任を問われることはなかった。工事はそのまま私が総責任者で進めることとなった。それにしても、あのクシは何なのだろう?大女将が大事にするクシがなぜ道に落ちていたのか?いろいろな疑問が湧いてきたが、本人にきちんと謝ってないので、私は再度病院に向かったのである。
その日は雨で、仕事は休みとなった。大女将はすやすやと寝入っていたが、私の気配を感じてか目を開けた。「ああ、監督さん。来てくれたのですか?すまないね。」私は恐縮して「いえ、私こそ起してしまって、あのこの度は現場の者がとんだ御迷惑をお掛けしてすみませんでした。」深々とお辞儀をした。「いえ、私が勝手なことをしたからで、あなたがたにはかえって不名誉な目にあわせてしまいました。こちらこそすみませんでしたよ。」大女将は窓を伝わる幾スジもの雨を見つめて、また真顔に戻ってしまった。そして濃い褐色の半月形のクシをマジシャンのように両手の中で転がしていた。私は何を話していいのかわからず、仕事の状況に触れた。「今日はこんな天気ですから、仕事にはなりません。雨の日は連絡ナシでも休むのが当たり前になっています。」雨に濡れてガラス窓の外の様子はモザイクにかかっているようだった。風も出てきたようで木々が揺れているのはわかった。大女将はしばらく黙って下を向いていたが、ひとつ小さくうなづいて言った「今の時代は素晴らしいわ。難しいことはわからないけれども人権っていうのかしらね。きっとこれからは法律や道徳で守られて、私らが歩んできたような酷い扱いはないでしょうね。今の社会は昔より成長しているって言うのでしょうかね。あまりにあきれるような出来事が多いから、昔のほうが良かったことも多いですけどね。もしそうなら、その成長っていうのは、このクシの持ち主のような人達の犠牲があって成り立っているのかも知れないって思うのですよ。今、あなたは当り前という言葉を使いましたね。」私はどのような展開で自分がたたまれてしまうのか、恐れながら大女将の話に食い入っていた。「まあ、これは私の懺悔として聞いてください。そのかわり、面白半分で人に聞かせないでくださいね。とくにうちの関係者にはね。私はそのことを隠したまま死んでいったら、このクシの持ち主が浮かばれないし、そういった時代があったことを若い誰かにきちんと伝えておきたいと願っていたのですよ。」大女将は話を始めた。私は、その内容を以下の通りに書き降ろしたが、多少の脚色と想像が入っているのはご勘弁願いたい。
話は昭和初期のことである。昭和5年、時の浜口内閣は不況対策としての金融引き締めをおこなった。それは貧民層の生活をさらに圧迫する失策となった。株価は暴落して巷には失業者があふれた。特に地方の農村や漁村部は特に深刻な打撃であった。米価や繭の値段が暴落し、やっと作った米は、そのほとんどが小作料と税金に消えた。多くの百姓の主食は芋であった。芋の煮た汁に粟やヒエやソバを混ぜ、夏は道端の雑草、冬は木の皮などを混ぜたもので空腹を凌いだ。昔から「貧乏人の子沢山」というように、当時は生まれる子供は7人くらいが平均であった。10人兄弟などもざらであった。男児は6~7才になれば結構な働き手となるが、貧しい家庭にとって女児はやっかいであった。家は狭く、食事は粗末なので家事というほどの仕事は一人いれば十分であった。家畜などを飼うのも女の仕事であったが、人間の食べ物もないので当然家畜を飼う手段もなかった。そこで「口減らし」の為、「ご奉公」あるいは「花嫁修業」という名目の元、公然と人身売買がおこなわれていたのである。子供というのは5才くらいまではいくらも食べないが、成長期に入るせいか突然食欲の旺盛な時期に入ることがある。その時期に入る頃を手放し時と考えられていた。その代金はおよそ米一俵分である。一俵は60Kgであるから今で言う3万円くらいであろうか、その多くは遊郭や温泉街で丁稚奉公を経て売春婦にさせられたという。
クシの持ち主は岡村タキといった。信州の韮崎というところの養蚕農家の生まれである。養蚕は日本では特に長野県や群馬県で盛んであり、古くは「続日本書紀」に、朝廷への租税で上野の国(今でいう群馬県地方)から「絁」(あしぎぬ)を納めたという記述もある。岡村家は代々養蚕で生計を立ててきた。まだ30代前半のタエの父は、その両親、祖父、そして勿論タエの母親である女房とともに無我夢中で働いた。朝は暗いうちから桑を切りに出掛け、夜中までせっせと働いた。当時の一般的な養蚕農家は自宅の敷地の一番日当たりの良い南側に養蚕のための平屋の小屋を作っていた。嫁は男手と一緒に働いた。「うちの嫁は丈夫で働き者」というのが、その家の自慢であった。朝はどこの家よりも早起きし、夜もどの家より遅くまで働いているというのが自己満足であった。夜中にランプの明かりが養蚕小屋から漏れていると、近所の人が様子を見にくるのである。誰々さんの家は、今から桑をやるところだとか、誰々さんのとこは蚕の糞掃除をしていたとか情報に事欠かなかった。しかし、いつしかそのような見栄はどうでも良くなり、人々は長時間に渡って働かなくてはならなくなっていったのである。
春が来て桑の葉が出てくると「はるご」と言ってその年の最初の蚕が養蚕組合から送られてくる。A3版くらいの大きさの枠の中に障子紙のような細かく白い網が張っていて、それに黒い粉の汚れが付いているように見える。これが生まれたばかりの蚕の幼虫である。そんな小さなものが家を占領するほどに膨れ上がるのだから不思議なことである。タエの祖父は温厚な人であったが、桑を蚕に与えているときなど通路に這っていた蚕を間違って踏み潰したりすれば、豹変して怒鳴りつけた。養蚕農家では蚕のことを「おこさま」と呼んでいた。人が寝る場所は必要最小限に狭まれた。その当時の農家の収入は、意外と良かった。肥料代や幼虫の管理費などは、ビックリするほど差し引かれたが、大きな収入源であることは間違いなく、夏には「なつご」、秋には「あきご」、晩秋には「ばんしゅうさん」、「ばんばんしゅうさん」まで頑張った。
養蚕をしない、というか出来ない時期があった。それは田植えと稲の刈り取りの時期である。それから真冬は桑がないので当然のことで養蚕は不可能であった。男達や若い女手は土工となって道路工事などの現場で働いた。タエの家は庭先の大きな物置で蚕を飼っていたが、古くなっていた上に台風で屋根を飛ばされてしまい、借金をして新しく養蚕小屋を作った。生活は楽ではなかったが、10年後には元はとれる計算であった。しかし、繭の値段が急落した。昭和4年までは一貫(60Kg)で6円20銭くらいで落着いていた繭相場であったが、昭和5年には2円33銭に急落した。昭和8年には3円近くまで持ち直したが、その後2円まで落ちた。頼みの綱である米価はもっと悲惨なものであった。冬場の土工事には失業者が殺到し、需要と供給のバランスと称して給金も暴落した。
タキの母は昭和元年に近くの村から嫁いだが、そのときはタキの家は17人家族だった。父の兄弟姉妹が8人、父の両親も健在で父の祖父母の親までが生活を共にしていた。タキは昭和2年の生まれで、岡村家の長女であった。物心付く頃から生まれたばかりの弟をおぶい、妹の手を引いて子守をするのが日課であった。さらに近所の比較的裕福な家の子供の子守を親が請負ってくることもあったが、その報酬は粗末な昼食であった。男の子は物がわかるようになると農作業を手伝うこととなった。タキは近くの神社で小さな子供達が遊ぶのをうらやましく見ていた。もっとも子守もたくさんいたので子守同士で工夫をし、お手玉やあやとりなどをした。
初夏のある日の午後である。神社の境内で弟のおしめを替えると心地良さそうにスヤスヤと寝入ってくれたので、タキは弟を日陰の板の上に置き、鬼ごっこやかくれんぼを楽しんだ。久しぶりに自由に走り廻った。が、その間に弟は野犬の群れに連れ去られてしまった。たまたま鍬を担いだ父親の友人が近くを通り、幼い命は無事であったが、そのときの父親の言葉がいつまでもタエの頭から離れずにいた。「やっと生まれた後取りだぞ!お前ら余分な口使いとは違うんじゃ!」と顔を真っ赤にして怒鳴る父であった。その幾年か後にその意味を痛感させられる日が来るとは、夢にも予想も出来なかった幼いタキであった。
タキが8才になって間もない9月の半ばの頃のことである。秋の夕暮れは釣瓶落しといわれるが如く、長野の山間部は急に暗くなった。蚕に桑を与えてからタキの母は慌てて台所仕事に取り掛かる。男達が桑を山の畑から採って戻って来るまでが夕食を作る時間である。夕飯と言っても、鍋で押し潰した麦や芋を煮たドロドロのおかゆであった。食べられそうな雑草もたっぷりと切り込んである。タキの家は茅葺屋根で南の玄関を入るとすぐ右側に馬小屋があった。しかし、食糧難のため馬は売ってしまい、今は桑屋となっていた。玄関の土間を進むと突き当たりが炊事場である。壁も天井も真っ黒に煤けていて囲炉裏の火で悶々たる煙が立ち込めていた。その手前に囲炉裏があってタキの母は暗闇の中をせわしく動いていた。真っ黒い鍋を囲炉裏の中央に掛け、オタマでかき混ぜた。タキも火熾しをしていた。夜になると弟たちの面倒は大姑が見てくれた。というより、孫が可愛いので離さなかった。大姑は軽い痴呆になっているので昼間は乳飲み子は預けられなかった。タキの母が乳飲み子を手にできるのは乳を欲しがる時だけだった。真っ暗になった外に物音が聞こえた。タキの父と祖父と父の弟が無言で家に入ってきた。タキの母は「おかえりなさい。」と言いながら水の入ったタライを置いた。土間から板の間に上がる前にタライの水で足を洗うのが男達の習慣であった。黒い影が黙々と動き、裸になった男達が手ぬぐいで体を拭きながら囲炉裏の廻りに座った。その奥にもう一つの板の間があったがそこにはタキの祖母とその上の夫婦が卓袱台を囲んで座って何かを話していた。その廻りの空いているところにタキの父親の兄弟姉妹が座った。木の御椀に食事を盛ると配る順番は決まっていた。タキの父親、その親、またその親に配ってから父親の兄弟姉妹そしてタキ達に配られた。タキの母親の食事はなかった。というより、その場で食べる時間はなかった。「お義父さん、お代りいかがですか?・・・。」とお盆を差し出すと無言で御椀が乗ってきた。タキの母はせっせとオタマを鍋に差し込み、食事を盛った。タキの母の食器は無かった。片付けをしながら、その残飯を手摑みで口に入れるのが母の食事だった。残飯と言っても、飯粒ひとつでも残すと「目がつぶれるよ。」と叱られていた時代であるので食器はそのまま仕舞っても良いほどきれいになって戻ってくる。したがって漬物のカスでも魚の皮や頭でも、口に入るものは何でも頬張った。食器を片付けながら鍋から削りとった焦げつきの残飯を慌てて口に放り込んだりするのである。これは当時の地方の農村部の一般的な食事情であり、ごく当たり前のことであった。一般家庭に風呂は無く、時々本家や近所の有力者のところに「もらい湯」をした。普段は自分専用の手ぬぐいで体を拭いてあとは寝るだけである。
その日、タキは生まれてはじめておかわりをした。母親はハッとした表情で父親をすごい形相で見たが、父親は表情も変えずに黙々と食べ続けていた。母親は泣きそうな表情になりながらも笑顔でタキを見て「た~んとお食べ~」と器に盛り付けた。母の悲しそうな顔に「かあちゃん、どうしたん?」と薄暗がりのランプの中でタキは訊ねた。父親がたくわんを口の中でボリボリと砕きながら、ぶっきらぼうに言った「仕方ねえ。このままじゃあ共倒れだ。なあ、おっかあ。」と自分の母親に答えの糸口を求めた。お湯を器に入れて、食器に付いた食べ物を箸でかき回し「ああ、女っ子は銭食いなだけだよ。仕方ねえさ。仕方ねえ。」と自分に言い聞かせるように、何度も何度もうなづきながら湯を飲んだ。タキは意味がわからなかったが、家族全員が意味ありげな視線をタキに投げかけた。それはそっと獲物を狙う肉食動物のようであった。その夜中に父親の怒鳴る声と母親の悲痛な叫びが聞こえた。意味はわからないが、タキは大きな不幸が自分に近づいていることを悟った。
数日後、タキは父親と二人で村のバス停にいた。秋も深まってきたが日も高くなったのでわりと暖かい朝であった。タキはこれから起こるであろう不幸を予感して下を向いて立っていた。「まだかや~おそいのぉ~今日は地主さんとこへ勘定に行く日だでな~」父は妙にソワソワしていた。「あ!きたきた。」と一面に広がる桑畑の遠くのほうで、一抹の砂煙が見えた。タキの父親はいつになく優しい表情でタキの前にじゃがんだ。「いいかや?これはな、ご奉公なんだぞ・・・な。一生懸命働いて~金持ちの男をつかめろ~。なぁ~タキ。こんなとこいたんじゃ~おめえ・・・いつになったって食うや食わずの貧乏暮らしだ。こりゃあな、おめえのためなんだぞ。」父はおろおろしながら継ぎはぎだらけの自分の両膝を両手で擦りながら次の言い訳を思いついた。「おめえのためなんだ。うん、そ~ゆ~ことだ、うんうん。」と自分で自分の言葉にうなづいていた。バスが近づいてきた。タキはボロボロのカスリの着物に茶色の帯をしていた。藁草履は昨夜母がこしらえてくれたものだった。しゃがみこんで下を向き、眉間にシワを寄せて棒で地面に何かを書いていた。「これはな、かあちゃんからだ。」と半円型のツゲのクシを差し出した。それは母がいつも使っていたものであった。タキは無造作に膝の上に放り投げられたクシをゆっくりと両手で拾いあげた。大きな音と熱気、そして木の焦げる臭いが土煙とともに2人に降りかかった。思わず2人は立ち上がった。バスからは黒い洋服を着てハンチングハットをかぶり、べっこうの黄色いサングラスを掛けた背の高い男が降りてきた。「は~い!お次は~ええ~と岡村タキちゃんね~。」と手帳をめくっていた。「はい、じゃ~乗ってね~。ユウが、おと~ちゃんねぇ~。はい、じゃあここ、名前書いてェ~。」父親は何やら男から封筒を渡された。どうやら契約成立らしい。タキは男に両脇を抱えられて吊るされ、バスに乗せられた。「じゃね~。発車、オ~ライ!」と男が言うとバスはゆっくり動きだした。「とうちゃん!」タキは開いているバスの窓から身を乗り出して、父親に叫んだ。「あ~達者でな~」と言いながら、父は難しい顔で札を数えていた。バスの前面には「臨時」と赤い字で書かれていた。バスの中の椅子は木製の長椅子である。中にはタキと同じくらいの女児が4人乗っていて、一番後ろの席にきれいに並んで座っていた。みなうつむいて、シクシク泣いていた。タキもその並びに腰掛けながら、母親の使っていたツゲのクシを膝の上に置き、両手でいろんな方向にして、その形を幾度も確かめた。
当時のバスは木炭自動車である。最後方にドラムカンのような炉があり、その上の水の入ったタンクを木炭の火力で暖める。その蒸気が動力となって車輪が駆動するものである。普通の道でも30キロくらいのスピードしか出なかったが、軽井沢を超え内山峠を超える山越えである。たちまちのうちにスピードダウンしてついには歩いたほうが早いくらいになってしまった。黒い服の仲買人が立ち上がって手を叩いた。「さあ、おじょーたち。悲しみタイムはおあずけね~。今日のうちにこの山越えないと今夜はこのバスの中に泊まることになるわよぉ~。山の中、クマちゃんや野犬ちゃんたち、たくさんいるから食べられちゃうかもよぉ~。それが嫌なら降りて後ろから押すのを手伝いなさ~ぃ!」少女達と仲買人の男も降りてバスを押した。バスの運転手だけが乗っていて、客たちがバスを押すという滑稽な事態であった。昼頃にはそれでも峠に着いた。「峠の茶屋」という、いかにもその通りの休憩所が現れた。少女達はいろいろおしゃべりをするようになっていた。「へ~い!運ちゃん、休憩するわよ~!」と仲買人が言った。「ヘイ!おじょ~たち!カモン!」と店のほうへ手招きをして仲買人は自分から入っていった。外の赤い敷布の長椅子に腰掛けていた少女たちに、サイダー1本と白いむすびが2個ずつ配られた。「さあ遠慮なくおたべ~!」と黒服の仲買人が言うと「わ~!」という歓声を発して少女たちはむすびを頬張った。「う、うめ~!」と足をジタバタする子に「ま、はしたない。静かに食べるのよ。」と色眼鏡が言うと少女たちは、また一斉に笑った。「こんなの食べたことないでしょう?これからおじょーたちの廻りはお金持ちだらけよぉ~。うまくすれば、毎日こんなの食べられてよぉ~」男は元気つけるつもりだったが、急に少女達は静かになってしまっていた。
なんとか峠を超えたバスは夕方近くになって、賑やかな温泉街に辿り着いた。少女達は一人、また一人と降ろされ、迎えの人に連れられて雑踏の中に消えていった。バスの乗員はタキと仲買人ともう一人の少女と3人きりになっていた。バスは温泉街の外れのバス専用ロータリーのところで停まり、2人は降ろされた。「ベイビー!グッドラック!バイバイ!」男は走り去るバスの中から2人に手を振った。2人は同じところで働くのかと期待したが、2人の男の人が向かえに来ていた。一人は背の高い昇り旗を持った男、もう一人は年配の小太りのハッピを羽織った男がバスから降りてきた仲買人と何やら話している。男達は何かの文句不平をいい、仲買人はかん高い相変わらずの話し方で首を振りながら弁明のようなことを言っている。何かの交渉らしい。そんな中を2人の少女は、なぜか見つめあっていた。タキは小太りの男に呼ばれた。2人は離れ間際に「私はタキ!」「私はナオよ!」と名乗って、お互いの顔を脳裏に焼き付けた。
「こっちだ。」小太りの男はなにやら不満そうにタキの前を歩いていた。タキは、古い神社のような反り上がった屋根の大きな屋敷の裏に通された。防風林であろうか杉林が立ち並んでいて、風の音と森のにおいがした。そこの引き違いのガラス戸を引くと外の閑散とした雰囲気とは別世界で、幾人もの割烹着の女中さん達が忙しそうに小走りで物を運んでいた。中には怒られたり、自分の言いたいことを地団駄を踏んで訴えている姿もあった。「おい!早くしめろ!料理が冷めちまうじゃねえか!」と金物のように鋭い声が飛んできた。「おお!やーやーすまね~。これ、はよう~こっちゃこぉ。」小太りの男に手招きをされてタキは足早に中に入った。右の奥では厨房で物を作っている男の人達が数人いて、そのうちの一番年寄りの人がジロっとこちらを睨んだ。「なんでえ、番頭さんですかぁ~こりゃ失礼しやした。」その人は突然とにこやかになったが、鋭い視線をタキのほうに送った。「女将!女将!連れてまいりやしたぜ!」タキを連れてきた番頭さんと呼ばれる男が廊下のほうに声をやると女将と呼ばれた人は「まったく~少しは気~利かせてもっと早くに到着させろってんだよぉ~、あんたかい?今一番忙しい時でね、面倒みてられないから、裏の釜戸の火でも見てておくれ。」と言って立ち去ってしまった。この20代中頃の女将と呼ばれる女性こそ若かりし日の大女将である。タエは案内された釜戸のある場所に番頭に連れられて行った。晩秋とはいえ風もなく、大きな杉林の立つ裏庭で、大きな口を開けた釜戸の中では赤々と火が燃えていた。「ここにある薪を均等になるように中に放り込むんだよ。間があったら薪小屋からここに運んできな。」と番頭が暗闇に指を差した。杉林の奥には確かに何か建物が建っているらしいが、何か出てくるようで気味が悪かった。タキは釜戸に薪を投げ込んだりしたが、確かに暇であった。頭からクシを抜いてじっと見た。「・・・かあちゃん。」と頬に持っていった。
一般の夕食時間はとっくに過ぎ、夜も更けていた。遠くで笑う男女の声や三味線の音、時折木々のざわめく風の音がした。赤々と燃える炎は暖かく、いつまでもこうしていたかった。少女達の連れて来られる時期は、晩秋が多いという、たいがいは3ヶ月で一度目の節目が来て逃げ帰ることを試みる少女がいるという。その頃には峠は家が埋まるような雪に閉ざされ、もちろんバスは運行しない。それを歩いて超えることは死を意味することぐらいは8才になれば容易に理解できるのである。「あんた、薪のくべかたも知らねんかい?」突然タエの背中から弓矢のような鋭い声が飛んできた。「いいかい?ある程度くべたら蓋をするんだよ!それじゃあ熱がみ~んな逃げちまうじゃないか。」そういって女将はドンと音を立てて蓋を閉めた。辺りは急に暗くなり、寒くなった。「おお~さむ。こっちに来な。」とアゴで裏口を差した。先ほどとはまったく違う世界のような静かな場所にお膳がポツンと置いてあった。「たべな!」女将は、そら恐ろし気な目つきでタエを見据えた。タエはゆっくり正座しながら恐る恐る箸に手を伸ばした。「あんた、名前は?」女将は両手を互いの袖口に入れ、腕組みをしているようだった。「岡村タキです。よろしくおねがいします。」「ふん、岡村だか中村だか、そんなことはどうでもいいことなんだよ。タキです。今度誰かに名前を聞かれたらそう答えな。」女将は薄笑いを浮かべて続けた「いいかい、よく聞くんだよ。あんたの父親には20円という大金を貸したんだ。あんたはそれをここで返さなくちゃならない。明日から一日1銭の給料をやるから踏ん張るんだよ。全部払い終えたら~あんたは自由の身だ。実家に帰るなり好きな男と一緒になるなり好きにすればいいさ。わかったらしっかり稼ぐんだよ。」と言って女将は奥に消えた。女将のこの言葉は仲買人に入れ知恵されたものである。いつかは自由になれるという希望を持たせないと労働意欲に欠けるし、思いつめて自殺でもされたら元も子もなくなるという。タキのもらった食べ物は薄暗くてよく見えないが、汁ものとオジヤのような食べものだった。今までに口に入れたことのないような、栄養万点の味で素晴らしく美味しい食べ物だった。「あんた、そんな小さい体で大丈夫なんかい?」と背中のほうで声がした。タキの母親くらいの年の女給が腕組をして近づいてきた。「あ、岡村・・・あ、タキです。宜しくお願いします。」と箸を置いてお辞儀をした。「早く食べちゃいなよ。あたしはあんたの教育係りを言い付かったんだよ。これから風呂や寝るところの説明をしなきゃあならない。あ、名前はマツ。みんなはオマツさんって呼んでるよ。」と恰幅の良い、また厳しいようで、どこか優しい感じのする人であった。食後に案内された風呂は薄暗いがとても広かった。タキは風呂には、滅多に入ったことがなかったので戸惑った。マツは一緒に入ってその作法を教えた。2人で湯船につかると、しみじみとマツが言った「あんた、悪い時代に生まれたね。まあ、そんでも日本が南国の土地を開拓すれば楽になるって偉い兵隊のお客さんが言ってたから、もう少しの辛抱だよ。」タキは湯の温度が熱くてマツの話がなんのことだかわからずにいた。狭い布団部屋がタキの寝る部屋だった。窓もない狭い部屋で両側に布団が積み重ねられていた。タキの使う布団は座布団のように小さく畳まれていて、一番奥に置いてあった。「じゃあ、明日は5時に起きて炊きつけからだよ。」と言ってマツは去っていった。タキは布団に入り、持っていたランプの火を吹き消した。しかし、なかなか寝付けず女将の言った一言に興奮していた。自由になれる。20円働けば自由。一日1銭だから10日で10銭、100日で・・・1円?教育というものを知らないタキは自分の名前を書くのがやっとだった。20円と1銭の関係がうまく理解できなかった。
タキがうまく引っかかったので女将は気分上場だった。朝早くから湯沸し、掃除、客室の布団の上げ下ろし、配膳の手伝い、食器洗い、薪割り、洗濯と大人顔負けの働きぶりだった。3才の時から妹や弟をおんぶに抱っこしていたせいか、中居さんと同じだけのものが持てた。そんなタキがもっとも辛いと思うのは、女将に「給料から引いておくよ。」と言われることである。食器を落として割ってしまったり、配膳中に料理をこぼしたりするたびに言われた。その都度、タキは胸に針でも刺されるような痛みを感じた。
番頭の見習いで19才の若者がいた。名を竹吉といった。竹吉は働き者のタキに好意を持って、いろいろ優しい言葉を掛けた。老舗「大村屋」に来て10日目の昼休みのことである。昼寝をしようと座敷に寝転ぶ竹吉にタキが話し掛けた。「あの~すみません。ちょっと教えてもらいてぇのですが~」竹吉はタキの姿を見て、急に嬉しそうな顔になった「なんだい?話してごらんね。」タキは難しい顔をして「一日に1銭頂くと20円になるのに何日かかるのですか?」と聞いた。「なんだい?タキちゃんはそんなにお金を貯めて何を買うつもり?」とリラックスした笑顔をタキに向けたが、事態は深刻そうだった。「ああ、いや、いんだよ。そのうち気が向いたら話してくれ。えーっと一日1銭なら10日で10銭だね~。100日で1円」と竹吉は目を丸めてタキを見た。「1000日で10円、ということは2000日かかるって~ことだな~これでいいかい?」タキは「ありがとう。」と言って走りだした。忘れないようにと自分の城である布団部屋に行き「にせん、にせん、・・・」とつぶやきながら女将さんが炊きつけに使えと持ってきた紙の白いところに小さな一本棒を書き始めた。「10が10で百、百が10で千だから百が20で二千だ!」と百のかたまりを20書き終え出入り口の壁に貼った。この布団部屋に入って戸を閉めることをするのは、この旅館の中でタキだけであった。タキのいないときにも多くの女中さんが出入りするが、何かを出し入れするのにいちいち中から戸を閉める必要はなかった。戸を閉めて中で過ごすのはタキだけであった。「10日経ったから、こうだ!」と10本の棒に○印をつけた。自由になれる日が少し近くになったとタキはニコっとした。
人は希望を持つと、かくも体が動くものかとタキは休む間もないようにせっせと働いた。大人だけの世界にも慣れてくると女給や番頭、竹吉などにも愛想を振りまくようになった。夕飯の配膳の時なども元気良く、他の女給の仕事にまで手を出してくる様であった。「タキちゃん、いいわよ。私のお客さんのところだから。」と。しかし女将に減給されないように、汁物や倒れそうな器の扱いには突然慎重になった。そのギャップを見て他の女給達は失笑した。冬の盛りになるとタキにとって最も辛い仕事は洗濯となった。昼間でも汲み置きの水が凍るような寒冷地の温泉街である。この寒さの中、宿の東側を流れる川で洗わなくてはならないのである。冬とはいえ雪は滅多に降らない土地であるが、川の両側の枯れ草にはビッシリと氷がついていた。切刻まれるような水の冷たさにタキの手は紫色に腫れ上がり赤い小ヒビがびっしりとついた。汚れが落ちてないと女将の「給料引くよ。」の恐ろしい声が響いた。
2月になったある日、タキはいつものように山盛りの洗濯物を持って川に行った。土手を上がり5段の石段を下がると川岸に着くのだが、久々に降った雪で足を滑らせ、転がり落ちてしまった。大きな籠が跳ね上がり、白いシーツや浴衣などが散乱した。そのうちの何枚かは川に達していて、ゆっくりと流れはじめていた。タキは手の平と足の脛を擦りむき、広い範囲で血がにじんでいた。「あいたたたた・・・・」と腰を抑えながらゆっくりと起き上がり、流れのほうに目をやると浴衣が一枚流れて行くのに気が付いた。日頃はゆっくりとした流れに見えたのに、その浴衣はまるで放たれた野うさぎのように右へ左へ揺れながらどんどん流れていった。「浴衣は50円もするんだからね。洗濯には気をつけるんだよ。」と女将の声が聞こえるようで、タキは慌てておきあがると足を引きずりながら川岸を走ったが、途中で石につまづいて再び大きく転倒してしまった。両側を高い石垣で積まれた川は、大きく左カーブになり、とうとう浴衣の姿は見えなくなってしまった。タキは川に尻餅をついて半ベソをかいた。声を上げて大泣きをした。「なんであたしがこんな目にあうんだぁ~!」流れて行ってしまった浴衣の方向に石をぶつけた。顔を両手で塞いで伏せって泣いているとすぐ近くで「タ~キ」と女の子の声がした。今度はどんな不幸がいるのかと、そっと顔を上げてみた。涙で歪んで景色はピントが合わなかったが、目の前に青白いものが揺れていた。目をこすって見直すと、そこには4ヶ月前に同郷からこの地に一緒に来たナオの姿があった。「探し物はこれかな~?」と水の滴る浴衣をぶら下げていた。タキは消えてしまった50円と懐かしい同郷の同志の2つが並べて置いてあるのを見て「ナオ~!」と叫んで思わず抱きついた。「キャー!つめた~い!やめて~!」ナオは思わず叫んだ。タキはビショビショの浴衣ごとナオを抱きしめたのであった。
ナオとタキは一緒に洗濯をしながら自分の境遇や故郷のことなど話は尽きなかった。「いつまでもこうしていたいね。」タキは紫色の手でナオの頬を撫でた。「もう行かないと、この幸せが壊れるから・・・。」と洗濯物を持ち上げて2人は別れた。洗濯の時間は午前10時と決め、毎日逢う約束をした。
タキは洗濯が一番嫌だったのに、今では一番好きになった。ほんのわずかな時間だが2人はいろいろな話をした。女将に怒られたことや嫌な女中のこと、故郷のこと、家族のこと。ナオも泣き出すこともあった。この時間があれば、どんな苦しいことにも耐えられる。タキはそう思った。ナオに逢えた偶然に感謝した。ナオも5年後には一緒に帰ろうと言った。
タキがここへ来て初めての春がやってきた。タキの赤切れも段々と消えていったが、ひどい荒れた手であった。ある日の朝、庭掃除をしていると風呂敷を持った男がくぐり戸から入ってきた。「あの~すいやせんが、ご主人様に取り次いでいただきたいのですが・・・え~はい、その時にご用件を申し上げますので・・・」とタキに何度も頭を下げた。薄汚れた着物にハンチング帽を深めにかぶり、45歳くらいの人の良さそうな男であった。タイミング良く新聞を取りに女将が玄関に現れた。タキは女将に近づいて男の存在を目配せして知らせた。「なんですの?おたくは・・・」女将は斜に構えて鋭い視線を男の足から目に持っていった。「へい、私は名前をタツと申します。薪割り、家の修理、植木の剪定、何でもこなせます。3度の飯さえいただければ結構ですので置いてやっていただけませんか?」と何度もお辞儀をした。女将の顔色はさらに冷めて「どこの馬の骨だかわからない男を中に入れるわけにはいかないね~帰っておくれ。」と向き直ると後ろ手に玄関の硝子戸をピシャンと閉めた。すると男は「いえ、奥様の言われることは当然です。裏庭の軒先にでも寝かせていただければ結構です。どうか置いてやってください。」と硝子越しに男が土下座して地面に頭を擦り付けていた。「ちょっと、あんたね~朝早くお帰りになるお客さんもいらっしゃるんだよ。・・・迷惑だね~こっちに来な。」と女将は裏庭に連れて行った。「あんた、飯さえ食わせれば、何でもするって言ったね。」と女将は腕組をした。「へ、へい、何とかお願いします。一生懸命働きますので。」と男はまた土下座をした。「へ~悪くない話だね。なら、そこの薪割り、植木の手入れをしてみな。寝るところは薪小屋だよ。下手なことしてみな。駐在所はすぐそこだからね。・・・叩けばホコリが出そうだね~。」と意味ありげに女将は口だけで微笑んだ。男は「有難うございます。」と何度も繰り返した。
タツという男はその日から、それは一生懸命働いた。植木の手入れも植木屋以上の腕前であった。誰に会ってもきちんと挨拶し、愛想も良かった。行儀も良く、食事の時は姿勢も崩さずきちんと食べた。何をしていたのか言わないが、壁の修理や屋根の手入れまで、実に手馴れたものであった。女将に許可を得て、薪小屋を改造して床上げをし、自分の寝る場所をこしらえてしまった。いつしか「たっつぁん、たっつぁん。」と従業員から呼ばれ、溶け込んでいった。
そしてタキとって初めての夏がやってきた。いくら標高の高い温泉地とはいえ内陸部特有の暑い日もあった。洗濯はタキとナオ、2人にとって冷たくて気持ち良いようになっていた。石垣の曲がったところはどちらの宿からも死角となっていていた。しかも天然の砂浜が出来ていて、その座り心地も良かった。日なたはジリジリとするが、日陰は涼しかった。2人の合う場所は初夏の午前の気持ち良い風が吹いていた。天然の砂浜に低い草が生えていた。2人はそこが定位置と座って足を放り投げ、後ろに手をついた。「ナオ、今日はすごいのがあるんだよ。」いたずら好きそうな目でタキはナオの目を捉えた。「ホラ!」と懐から両手にひとつずつ大福を取り出した。「ホヨー!すご~い!でもどうしたの?これ?」と左手の人差し指を立てて先端を2回曲げた。「私はそういうことはしません。お金持ちのお客さんの部屋の布団を上げに行ったらね、そこの部屋のおばあちゃんがくれたの!妹もいるって言ったら2つね。」とナオにひとつ差し出すと「イタ!」っと言いながら、地面に後ろ手についていた右手をさっと目の前に持ってきた。ナオの白い手首に赤い血がつーっと流れた。タエはナオの尻の辺りを見ると、赤黒い丸々太ったマムシが第2の攻撃に控え、その鎌首を持ち上げていた。静かな温泉街に少女達の叫び声が響き渡った。
タキは女将の部屋で正座していた。足はしびれを切らし、感覚がなくなっていた。一時間ほど経って女将は現れた。女将は鼻息が荒く、興奮していた。「あんたはここへ来て以来、ほんとに良く働いてくれて、感心していたんだがね、まさかあんな所でサボっていたとは夢々思わなかったよ。」女将は興奮の余り次の言葉が見つからず、しばらく貧乏ゆすりだけをしていた。重い緊張した空気が10分くらい流れた。「あんたが良く働いてくれるから、番頭ともう少し給料を上げてやろうかと言っていたところなんだよ。あ~あたしゃ~残念だよぉ~!」と言ってまたしばらくの間が出来た。裏庭の野鳥の声が響いていた。「それに、なんだい?大福が2個落ちてたそうじゃないか?どっちが盗んだんだか知らないけどね、いくらなんだからって人様のものに手を掛けるとはね~あ~あたしは情けないよ。」下を向いていたタキは不意に頭を上げ「あの、それは田中さんの奥さんが・・・」と言いかけたが、女将はそれ以上話をさせなかった。「まったく、あたしの立場も考えなよ、あんた。うちはドロボー養成所じゃあないんだよ。」タキは唇をかみ締めた。「女将さん!」タキが叫んだ。「なんだい?大きな声を出して。」「すみません女将さん。ナオは、一緒にいた子はどうなったんですか?」タキは必死でたずねた。女将は薄笑いを浮かべて答えた。「ふん、運の良い子だよ。この前、ここらで一番大きな宿の四川館ってとこのお嬢さんが山遊びでマムシに噛まれたんだよ。その血清を取り寄せるのに大騒ぎだったのさ。東京の大きな病院からヘリコプターを飛ばしてね。何が何でも助けろ~!ってさ。そりゃもう大騒ぎだったよ。すぐそこの阿部医院にその血清が残っていたんだってさ。あ~あ、あたしのとこにも運が廻ってこないもんかね。」と言いながら暗い廊下に女将は消えていった。タキはホッとして胸を撫でた。
この旅館街で一番の老舗「四川館」にいるナオがマムシにやられた時、ナオをおんぶして医者まで連れて行ったのは竹吉だった。尋常ではない悲鳴にタキの身になにかあったのかと帳場から飛び出すと、東側の堤防からその叫び声は聞こえた。「どうしたんだタキちゃん?」と聞くと「この子は友達なの、助けて!」と必死の形相でタキは竹吉に訴えたのである。近くの砂場にいたマムシで竹吉は事態を把握した。「よし!ここに乗れ!」と見知らぬ少女を背中に乗せて診療所に直行したのである。「阿部医院」というその診療所は、旅館組合が出資して出来たもので、急な食当りや具合の悪くなった客をすぐに診てもらうように、旅館街のはずれに造ったものである。その後は結核患者などの隔離病棟となっていく運命を背負っていた。そのときは「運がいいな~。」と医者の言う言葉の意味が2人ともわからなかったが、とにかく助かるということで安堵した。血清注射の後で「少し寝ていなさい。」と医者に言われナオは待合室の長椅子に体を横たえた。竹吉は許可なく仕事場を離れたので大目玉を頂くことに気が付くと「じゃあ、オイラはこれで。」とナオに言うと足早に診療所を出た。玄関のところでいかにも金持ちの奥さんらしい50歳くらいの婦人とすれ違った。「あ、ちょっと・・・」と竹吉は婦人に呼び止められた。竹吉が振り返ると「もしかして、大村屋の方かしら?」と婦人は肩に乗せていた日傘を上げ、ゆっくりと顔だけを竹吉の方に向けた。眉を上げ、すこし微笑んでいるようにも見えた。「あ、はい。竹吉です。」その圧倒的な貫禄の違いに竹吉は思わず大きくお辞儀をしてしまった。「うちのが大層お世話になったそうで・・・」そう言い終ると、一見眠そうな目つきの婦人が途端に鋭い視線に変化し、カッと睨みつけられた。竹吉は背筋が凍るような恐ろしいものを感じた。婦人はプイっと玄関の方に向き直るとさっさと歩き出した。
ナオが回復してから幾日かの昼過ぎのことである。庭の水打ちをしていると「四川館」の大門の木戸のところに竹吉がいるのを発見した。竹吉は郵便物を郵便局に出しに行くのが日課となっていたが、ナオのことが気掛かりで「四川館」の方向に足が向いてしまったのである。ナオは裏木戸を通って垣根越しに中を見ている竹吉の後ろからそっと近づいた。「たけきちさん。」と声を掛けると「ウワー!びっくりした!」と飛びのく竹吉。「な、なんでオイラの名前を?」と下がる竹吉に一歩ずつ近づきながら「そりゃ、命の恩人だもの、なんとかして名前を調べますょ。先日は動揺していてお礼も挨拶もできませんでした。本当に有難うございました。」ナオはオロオロする年上の青年をからかうようないたずらな笑顔を向けた。「お、オイラたまたま通っただけだ。じゃあ・・」と言ってその場から離れようとした。「あのぉ!毎日この時間に水打ちをします。お願いことがあるので、また来てください!」ナオはとっとと早足で去って行く竹吉に向かって叫んだ。
「大村屋」に帰った竹吉は、帳場に入り帳簿の整理をしていたが、頭の中ではナオとの言葉のやりとりを繰り返していた。そうしては喜んだり落ち込んだりを短時間の間に繰り返していた。「お前、なにニタついてんだ?」温厚な番頭もさすがに竹吉の様子に注意を向けた。「いや、なんでも・・・」と口ごもりをしているとカウンター越しにタエが裏庭に出て行くのが見えた。「あ、すみませんが、手洗いに行ってきます。」竹吉は裏庭に面して窓のある従業員用の手洗いに入って中から鍵を掛けた。窓はすでに開いていた。外を見るとタキが小枝を拾っていた。「タキちゃん。タキちゃん。ここだよ。」と窓から小さな声でタキを呼んだ。「竹吉さん。なにしてるの?」とタキはからかわれたのと勘違いし、その場から離れようとしたが「ナオちゃんに会ったんだよ。」という声に反応した。竹吉は素早く事の説明をした。「なにか大変なことがあるのよ。お願いだから、もう一度行ってあげて、竹吉さん。」タキは神様に拝むように手を合わせた。
次の日、竹吉はいつものように帳場で仕事をしていた。カウンターの前の柱に大きな時計が掛かっていたが、昨日ナオと会った時間が近づいていた。「竹吉、もう郵便局は行ってきたのか?」と番頭が尋ねた。「あ、今行くところです。」と言いながらも腰が重かった。突然、タキがカウンターに現れた。竹吉はギョっとした顔でタキに釘付けにされた。タキは通るついでにカウンターを雑巾掛けする素振りをして、竹吉の目を捉え、時計を見てから素早く竹吉を睨んだ。竹吉は「郵便局に行ってきます。」と立ち上がった。タキはニコっとして、その場を離れた。
竹吉が「四川館」の前を通るとナオがまた水打ちをしていた。竹吉はその場にいるはずのナオが想像した通りにいたのでドッキリしてしまった。「あっ!」っと小さく声を出し、ナオは嬉しそうに竹吉のほうに桶を持ったまま近づいてきた。黒く澄んだ瞳に桜色の頬が眩しくて、目を下に向けてしまった。「すみません。ご足労くださいまして。」と竹吉に深くお辞儀をした。その言葉使いと身のこなしは、明らかにタキのそれとは違っていて気品があった。竹吉はその品格に圧倒されて、かしこまってしまった。「ああ、いえ、あの・・」と自分よりはるかに年下の娘に動揺していた。「これ、タキに渡していただきたいのですが、お願いできますか?」と手紙を渡されたのである。竹吉は自分のこととは関係ないことにがっかりし、また今までに経験したことのない胸の苦しみを感じて早くにその場を離れたかった。「ああ。」と言ってぶっきらぼうに手紙をワシ摑みにして走り出した。後ろから「よろしくお願いします。」とナオの声がしたが、竹吉は動転して我武者羅に走った。ポツポツと冷たいものが額に当たったがやがて本降りの雨となり、竹吉は懐に手紙を抱いて走った。宿に到着すると酷い自己嫌悪に陥った。竹吉は雨に打たれたまま裏庭に行き、大きな杉の木に何度も頭をぶつけて「ワー!ガー!」と叫んだ。
盆が過ぎると、突然というほど涼しくなった。夜などは寒いくらいであった。客間には炬燵が用意された。タキの仕事は日増しに増えていったが、それもタキがなんなくこなしてしまうので一定のところに落着いた。朝は4時に起きると庭の掃除、玄関から廊下の掃除、風呂釜の薪を入れ、朝食の配膳、部屋の布団上げ、朝食の後、食器洗い、洗濯、客の靴磨き、部屋の掃除、風呂の掃除、昼食の後、薪割り、板場の外で野菜の皮剥き、洗濯物の取込みとアイロン掛け、夕食の配膳、布団敷き、食器洗い、ホッとできるのは寝る前の風呂の時間である。客の部屋に入って布団の上げ下ろしをするようになってから、女将に毎日風呂に入るように言われた。ただし、夜の10時以降であり、他の客がいないことが条件であった。
タキがすべての仕事を終え、風呂に浸かって部屋に向かうと暗い廊下で呼び止める者がいた。竹吉である。「これ、預かってきたよ。」とタキに手紙を渡した。なぜか少し寂しい表情で「よかったね。おやすみ。」と言って竹吉は去っていった。手紙の裏を見ると「ナオより」と書かれていた。タキは感激に手を震わせながら暗いランプの光の中で活字を追いかけた。タキは何度も何度も読み返したが、字がよく読めなかった。途中、すこしわかるところもあったが理解できなかった。拭っても拭っても涙があふれてとうとう読めなくなってしまった。タキは嬉しくて、また悔しくて手紙を抱きしめてしゃがみこんでしまった。
ナオの手紙を受取った次の日の朝、庭から玄関にかけて掃除をし、廊下の雑巾掛けをしているとタキの脇を板前達が通った。「ウワッス!ウワッス!」と掛け声を掛けるような挨拶を交わしながら板場に入って行った。廊下の掃除が終わって帳場の掃除に掛かった。中で机に向かって書き物をしている竹吉を見つけた。竹吉もタキの姿を発見するが、恥ずかしそうに下を向いて書き物で顔を隠した。「何が書いてあるか知りたいのに!」と自分に注意を向けるように念力を送ったがダメだった。仕方なくタキは懐に手紙を忍ばせたまま、裏庭の薪置き場に行って、所為籠に薪を詰めては薪運びを始めた。薪にする木は定期的に山から切り出し、大八車に乗せて裏庭の奥にある薪置き場と呼ばれる倉庫の前に山積みにされる。これは契約している木こりの仕事である。その倉庫に積まれている薪を少しずつ釜戸の近くに運搬するのもタキの仕事であった。一度に運ぶと火事の危険があるので小運搬するのである。しばらくすると竹吉が表からの通路からひょっこりと顔を出した。「まったく竹吉さんたら、こっちを見てくれないんだから~」とタキはふくれた顔で見た。「いや~廻りの人が気になっちゃって・・」と竹吉は五分刈りの頭をポリポリと掻いた。「昨日はありがとう。こんなのまで頂いて・・。」と胸の折り目に手を差し込み、鈴を取り出して耳元で2回鳴らしてみせた。竹吉は下を向いてはにかんでいた。「あのう~竹吉さん。言いにくいんだけどぉ~」と体をねじりながらタキは言った「あたしぃ~字がよくわからないんで、何て書いてあるか教えてもらえる?」竹吉はハッとした「え?タキちゃん字が・・・ご、ごめんね、おいら知らなかったもんだから・・」と怖気づいたが、2人が持っている立ち話の時間はもう無かった。竹吉は急いで読んで聞かせた。「タキ、げんきですか。わたしもげんきです。このまえはびっくりしたでしょう。いろいろあったけど、タキが近くにいてくれるから、わたしもがんばれるよ。ここへ来てもうすぐ一年になります。きっとまたあえるよね。げんきでね。じゃあまた。」タキはありがとうと言ってその場を離れた。川に洗濯に行き、手紙に書かれた文字と竹吉の声を重ねると、ナオの書いた字の発音方法が理解できた。嬉しくて嬉しくて何度も何度も手紙を読んだ。タキはなんと、その日のうちにナオの書いた字を覚えてしまった。その後、客室の廊下にある広告などにも読める字があることに気がついた。タキは字が読めることがとても嬉しくて、いろんな字の書いてあるものを見た。新しい字も覚えたかった。廊下で催し物の広告などに目を止めると「なにボーっとしてんだい?あんたには関係のないことだよ。」と女将の叱責が飛んできた。
タキはナオに手紙を書きたかった。ある日、昼休みで裏庭の薪置き場の材木の上で寝転がっている竹吉に薪を籠に入れながらそのことを相談すると「じゃあオイラが書いてやるから、そのまま自分で字を写せばいいや。」という提案であった。「何て書いたらいい?」タキは手紙など書いたことなど勿論なかった。「そんなことオイラにもわからんちゃ~」竹吉も困った。「思ったことをそのまま書けばいいんじゃないか?」とタキの顔を覗きこんだ。タキは何処で誰がこの2人を見て、何を言われるかわからないので、竹吉に尻を向けて話をした「じやあ、この前はびっくりしたね。元気でいる?また会いたいね。手紙ありがとう。でいいかなぁ?」いつの間にか薪を入れる籠は一杯になっていた。「わかった。じゃあ、あとでオイラが書いておくよ。帳場に鉛筆の小さいのがあるから、それもあげるよ。」タキは胸が熱くなった「竹吉さんて、いい人ね。」と言って竹吉を見つめた。
タキがここへ来て2回目の冬が来た。山間部の温泉街の冬は平地とは寒さが違った。家の中でも汲み置きの水が凍った。雑巾掛けや洗濯などで、薄氷の張る水に手を入れるのは本当に辛かった。当時は下駄や草履は持っていたとしても、それは水に当たると弱いことを知っていた。ゆえに足は濡らしても履物は濡らさなかった。下手をすれば下駄も草履もない。外でも素足で人は生活をした。現代のように一般人が靴下を履く習慣はない。家の中では素足である。足袋を履いて下履きで外出するのは上流階級の者である。しかし、タキは外に出るときは草履を履かせてもらえた。それはいちいち足を拭いている時間が惜しく、旅館の中が汚れるからである。足も手も赤切れが酷く、紫色に腫れ上がり細かい赤いヒビで覆われていた。しかし、タキは竹吉のおかげで胸の奥に暖かいものがあった。人は廻りの環境に対して、何かその中に喜ばしいことを探そうとする者がいるし、他から見れば恵まれた環境に見えるのに辛いことを見つけ出すのが得意な人もいるようである。タキは新しい希望を持つことができて「苦労が楽しいように見えるよ。」と女給達は感心する者もいた。
ナオはタキより2歳年上であった。ナオの実家はもともと資産家で、ぶどう酒の蔵元であった。幾人もの職人を雇って順調な経営であったが、異常気象でぶどうが不作続きの上、急激な金融引き締め政策に行詰まった。日本中が不況のどん底であり、ぶどう酒のような贅沢品から売れなくなるのは当然であった。生産過剰で売れ残ったものが続々と返品されてきた。悪い時には冷静な判断が効かないものである。人は追い詰められると最悪の判断をする。財界人の知り合いの薦めで不慣れな株に手を出し、大損をしたのがナオの実家の終わるときであった。6千坪のぶどう園と実家の酒蔵を手放しても、まだ多くの借金が残った。ナオの父親は行方知らずとなり、母は農薬を飲んで自殺してしまった。祖母と2人の兄がいたが親戚を頼ってバラバラに暮らすこととなった。親戚先も食べ盛りの女児など受け入れるゆとりはなく、このような事態となったのである。ゆえにナオは読み書きソロバンは勿論、ピアノ、長刀などの才があった。お辞儀や言葉使い、箸の上げ下ろしにまで作法には厳しくしつけられていた。12歳のナオに18歳の竹吉が堂とするものを感じ取り、自分と同等以上の人間としての誇りのようなものを見出して怯んだのかもしれない。それ以上にナオの美貌に恋心を抱いたのである。
タキとナオの手紙のやりとりは竹吉を通じて頻繁に行われた。直接の手渡しは危険が多かったので手紙の隠し場所を作った。タキへの手紙は薪置き小屋の隅にある古い桶の中に、ナオへの手紙は垣根の竹の穴に差し込んでおくようにした。昼休みの時を狙ってタキは竹吉に字を教わった。手に読めない字を書くと竹吉がタキにしか聞こえない声で「そ」とか「つ」という具合に発声して教えた。その甲斐があって、1ヶ月ほどの後にはひらがなは全て読めるようになった。ナオの達筆をまねて、タキの字も上達していき、ナオも驚くほどであった。ナオの書面での指導で少しずつ漢字も覚えていった。
厳しい冬が過ぎて暖かくなった。ナオからの手紙がいつものところに入っていた。春雨が木々の葉に当たり、サーっと静かな音が林の中に広がっていた。明るい空から新緑を透かして来る柔らかな光もタキは好きだった。手洗いに入って鍵を閉め、いつものように読もうとするとハッとした。「タキ、わたしは明日から客をとるように言われました。これ以上のはずかしめはありません。もう竹吉さんとも会えない。さよなら。」いつもは紙をいっぱいに使って、沢山の文字が書かれているのに、これだけである。タキが返事を書いた。「どうしたの?客をとるってなに?なんだかわからないけど、元気出して」しかし、それきり返事は来なかった。竹吉も心配した。いつもの竹の穴にタキからの手紙を丸くして差し込んだ。タキの手紙はなくなるが、返事の手紙が入ってなかった。昼休みの短い時間であるが、竹吉が薪小屋のところで休み、タキが籠に薪を入れてる間の短い時間に話ができた。「ナオは明日から客をとるように言われたって書いていたけど、何のことなの?」と竹吉にたずねた。「え?」っと言ったきり竹吉は深刻そうな表情になってしまった。「ねえ、大変なことなの?」と竹吉を見上げると突然ニッコリして「いや、たいしたことじゃないよ。お客が少ないから外へ出て『うちに泊まりませんか?』って声を掛けることだよ。そんなに深刻な話かなぁ~。そんなに大変な仕事じゃないさ。」とタキの頭をポンポンと叩いて、竹吉は去っていった。
次の日、奥の座敷で女将が大声を張り上げていた。タキは客室を一部屋ずつ廻って布団を上げ、シーツと枕カバーを回収する仕事をしていた。廊下に出るとよく聞こえたが部屋にはいると女将の声は聞き取れなかった。「・・・あんたのような半人前が・・・」とか「・・・20円もの大金を渡すわけないだろう?」とか聞こえた。「今度は誰が怒られているんだろう。」タキは30部屋以上ある客室を廻るのに1時間の上かかったが、まだ女将の怒りは静まらないようだった。1階に下りて女将の部屋の前をシーツと浴衣の山を持って通り過ぎる時「失礼します。」と言って女将の部屋から出てきたのは竹吉であった。「竹吉さん・・・」とタキが言うと悲しそうな顔を向けたが、急に笑顔になってタキにうなづき帳場に入っていった。タキが2階の廊下に置いてある残りの洗濯物を取りに行くと階段越しに女将のかん高い声がいやおうもなく聞こえた。「聞いてくれます板長。昨日今日はいった若造が20円貸せだって、なに寝ぼけたこと言ってやがんだよってえのさ。春先はおかしいのが現れるっていうけどさ、頭イカレっちまったんじゃないのかね?あたしゃーあの子は賢そうなんで一目置いていたんだけどねー残念だよー」竹吉が20円必要だということで女将が貸せないという話のようだ。10歳のタキには全く意味不明の話であった。
ナオとの音信が不通となって半年が過ぎた。タキは寝る前に必ずナオ宛に手紙を書いた。長い文章になることもあれば、疲れて眠く、3行くらいで終わることもあった。紙は竹吉が用意してくれた。それは宛名書きに失敗した封筒であったり、贈り物の包装紙だったりである。当時の白い紙は貴重であった。古い新聞紙ですらB5版くらいに切って手洗いの脇に重ねて置かれた。それを良くもみほぐして手洗いの用足しに使った。捨てる紙などなかったのである。
6月の初めの頃のことである。真夏のように強い日差しであったが、風が強い日の午後であった。タキが洗濯物をたたんでいると裏庭が騒々しくなった。「戸板を外して持ってこい。」とか「医者を呼んでこい。」とか聞こえた。勝手口の小窓から覗くと板場の人や帳場の人が5,6人でしゃがみこんでいた。「おい!きこえるか?たっつぁん!お~い!返事をしろ~!」パンパンと手を叩くような音もした。突然に勝手口が開いて竹吉が血相を変えて入ってきた。「女将さん!女将さん!」と草履も揃えずに上がった。「どうしたの?」とタキが聞くと「たっつぁんが屋根から落ちたらしい。」と言いながら、奥に大股で歩いていった。
タツは即死だった。木造3階建ての老舗旅館「大村屋」のこの建物の一番上の屋根に届くハシゴはなかった。タツは雨樋が詰まっているので掃除をしに屋根に上ったのである。ハシゴは調理場の下屋に一度載せてから大屋根に掛けられていていた。3階の屋根から落ちたのである。目立った外傷は見当たらないが顔全体がいつもと比べて歪んでいた。また、耳から血が流れていた。女将は裏庭に寝かせたままのタツを見て「チッ!」っと悔しい表情をしたが、すぐに近くでオロオロしている者に言いつけた「隣近所に知られないように、その杉の木の根元に埋めてしまいな。」と言ってその場を去ろうとした。が、もう一度振り向いて言った「いいかい、そこに4個の丸い石があるだろう?1個、2個、3個、4個、その次ぎのところに埋めるんだよ。わかったね。」そうに念を押した。
5回目の盆が過ぎた。昭和は14年になっていた。そしてタキの誕生日が来て14才となった。来年の春には帰れる。あと少しだ。山間部の冬支度は早い。一般に盆が過ぎれば最早冬支度であり、寒い季節はもうすぐであった。タキにとって、いよいよ寒い季節が来たと胸を躍らせる待ち遠しいことであった。部屋の出入り口の○印はあといくらも残さずにその主を失おうとしていた。春の彼岸も近づいたある日、タキは女将に今後の身の振り方について相談した。「女将さん。あと幾日かで約束の2000日になります。わたしは実家に帰りとうございます。」タキは正座して手をつき、深々とお辞儀をした。女将は持っていたお茶をゆっくりと飲んでいたが、タキの話の途中でむせ返り「オーッホホホホ、」と大笑いをした。「ご苦労さん。よく働いてくれたね。って言いたいところだけどね。あんた。貸した金には利息って~もんが付き物なんだよ。誰だって他人にタダで金貸すわけねえだろ?いいかい?後であんたひいきの番頭さんにでも聞きな。元本福利で年4割の利息で20円借りると、いくらの支払いになるのかね?ってさ。腰抜かすんじゃないよ。今はね、あんたの借金は50円の上の支払いになっているんだよ。オーッホッホホホホ・・・」女将が袖を口に当てて大笑いをした。タキは下を向いたままガタガタと震え出し突然両手で女将の襟を摑んで締め上げた。「こんなに働いたのに、借金が増えてるってえのはどういうことなんです?働いても働いても・・・」タキは女将を締め上げた。すぐに近くの者達がタキの手を取り、床に押さえつけた。女将は咳を何度かしてから襟を正した。「あんたの親父がね、知り合いを通して泣いて頼むから、あたしも仏心を出して、せっかく金を都合してやったのに、その神様のような人に暴力を振るうとはどういった了見かね?あ~恐ろしい世の中だよ。」そう言いながら右足でタキの顔を踏みつけた。「ま、いいさ。あんたがどうしても信州のド田舎に帰りたいなら、帰らせてやるよ。その代わり利息分、あと3年ここで働いてもらうよ。それでチャラにしてやるさ。」と言ってタキを強く踏みつけた。「その代わり明日から、新しい仕事が待ってるから楽しみにしてな。」と言って笑いながら女将は奥の部屋に消えて行った。その夜、タキは遅くまで番頭や見習いの竹吉を相手に利息というものについて聞きまくった。あまりにしつこいので、タキには友好的な番頭も怒鳴ることであった。タキは泣き崩れた。
次の日の朝、タキは女将に呼ばれた。「おやまあ、そんなに目が腫れ上がって、よほど悔しかったんだろうねえ~。あたしもあの後、大人気ないことをしたと反省したんだよ。だけど安心しな、今日からの仕事は今までと違って楽な仕事だよ。奇麗な着物も着れるしね~。オ~ッホッホホホホホ。」近くの女中に目配せをしてから女将は大笑いをした。それは勝者の雄叫びであった。女中は隣の部屋の襖を開けた。そこには色あざやかな着物がいくつも立てかけられていた。今夜からこれを着て仕事をするんだよぉ~。オ~ッホッホホホホホホ。いいかい?お客さんはね、お酒がだ~いすきなんだ。たくさん注いで差し上げるんだよ。それからね、酔ってくると箸使いがおろそかになるから、食べ物を食べさせて差し上げるんだ。いいね。それから、ここが一番大事なんだけど、こっちの家族はみんな裸で寄り添って寝るもんなんだよ。お前を見ると自分の娘みたいにかわいくなって一緒に寝たがる人もいると思うけど、家族を思ってかわいそうだと一緒に寝てあげな。いいね?酔っ払いが相手だからわけのわからないこともされるかもしれないけど、それがおまえの仕事なんだよ。3年頑張るんだよ。お客に対して、もし昨夜のような取り乱しをしてみな、あんたの代わりにあんたの妹を連れて来るからね。」女将は猫のような無表情の目を向けた。タキは何をさせられるのかと胸がドキドキで来たが、あまりに楽そうなのでかえって気味悪かった。女将は言うことだけ言うと、ボーッとして立ちすくむタキの脇を通り抜けて座敷を出ようとした、が突然振り返った「あんた、その汚いクシだけど、これに取替えな。客が嫌がるだろう?」そう言ってから女将は鏡台の引き出しを探し、沢山のクシの中から赤い半円型のクシを取出し、タキに差し出した。タキは、そのクシをそっと手にすると女将は乱暴にタキの髪から褐色のクシを引抜いて窓から外に放り投げてしまった。「やめて~!」とタキは腰窓から裸足のまま外に飛び降りた。女将の部屋の裏庭は背丈もある熊笹の群生である。誰も通れないようにわざと生やしているものである。いくら朝とはいえ薄く楽、鬱蒼とした笹薮の中をタキはクシを求めて歩き回った。「おーっほっほっほ・・・」女将の笑い声が後ろから聞こえた。
タキはお昼になっても戻ってこないので、女中頭のマツが向かえに行った。タキはクモの巣で白髪のようになり、無数の藪蚊に刺され、笹の葉に擦れて頬も手も細かい傷だらけになり、右足を引き摺りながら酷い形相でクシを持って現れた。
タエはその夜、女将に連れられて初めてお座敷に行った。二階の奥座敷であった。男のボソボソっとつぶやく声のあとに「キャーッハッハ・・!」女性の下品な笑い声が聞こえた。「失礼いたします~。」廊下に座って小さく障子を引き、片手で袖口を押えてから大きく開けた。「おお~きたきた~ははははは・・こっちゃ~座れ~い~。」恰幅の良い50才くらいの頭の禿げ上がった男が真っ赤な顔をして笑い転げていた。2人の酌婦が男の両脇にいたが、女将が目配せをすると突然正座をし「ほな、わてらはこれにて、またお声掛けをお待ちしてます~。」と言ってお辞儀をすると「なんじゃ~お前らもここにおれ~。今夜はみんなで一緒に寝よ。え?どうじゃ?ハナ、みつ?ハッハハハハ・・・」貫禄のある笑い方であった。女将は「旦那さん。ご注文の品をお持ちしましたよ。さ、こちらに。」と目でタエを呼んだ。タエはその男に見覚えがあった。以前、大福を2つ頂いた初老の奥さんの連れ合いであった。奥さんがリューマチということで長期で滞在していたが、湯治の効があってか1週間くらい前に東京に帰ったのであった。タキは目を大きくすると「そうか、ハッハハハわしを覚えておるか~?」と言って両膝に置かれていたタキの手を右手を伸ばして摑み、引き寄せた。「旦那さん、この子は生娘ですからね。お手柔らかに、手荒なことはご法度ですよ~。オ~ッホホホホホ・・・」と女将は笑いながらもタキに一瞬鋭い視線を送ってから部屋を出た。
タキはいわゆる美形ではなかった。ただ何となくその辺りを歩いているような素人風で、酒の注ぎ方も知らず、話し方も動作も粗野であり、敬語などは滅茶苦茶であった。意外にも、そこがお偉いさん達に受けた。
その男に隣室に敷かれてある布団に誘われた時は「もう寝るんですか?ふんじゃ~ベベがシワになるからちょっと待ってくんなやれ。」と自分で着物を脱ぎきちんとたたんでから布団に入った。その間にも男は「かわいいの~かわいいの~」と言いながら作業の邪魔をした。考えてみればタキは実家で同じようにして寝ていた。夏はひとつの蚊帳の中で重なり合う様に寝ていた。蚕のいる場所が最優先なので、人の寝るところは最小限に抑えられていたのである。冬は蚕のいない時でも、それこそ重なり合うようにして寝た。それが一番暖かいということを家族全員が体で知っていた。この男は父親と同じにおいがした。いわゆる「ワキガ」であった。無性に懐かしさがこみ上げてきた。男の腕の中で「とうちゃ~ん」とささやき続けていた。
この地域は山間部の割には雪が少ない。冬のシーズン中に5回くらいしか降らず、すぐに溶けてなくなってしまう。上州名物といわれる「からっ風」も山の頭を越えて行くらしく、さほどの風も吹かない。春には里では酷い風の日が多いが、次の日の朝は静かな陽気であった。女将は外が薄明るくなってきたので、布団をたたみ、いつものように身支度を始めた。女将は母を思うタキに嫉妬していたのかもしれないと言った。女将の生家は父親が国会議員を長くしており、母も毎日パーティやら何やらで不在のことが多かった。一緒に家族で食事をすることなどほとんど無く、子供のことより自分の楽しいことを求める親に何の感情も持たずに育った。嫁入りが決まった時も、沢山の嫁入り道具を持たせてもらったが、それらはみな、お金があれば揃うものであった。実家には何の気持ちもなく、家族を恋うタキがうらやましく思えたのかもしれないと言う。
次の夜も、奇麗な着物を着て座敷に連れて行かれた。「お~来た来た。さ~さ、ここに座れ~。」いかにも偉そうな男性に酒を注ぎ、肴を食べさせ、そして添い寝をした。男達はみな同じようなことをしたが、タキにはその意味がわからなかった。どの男も言い合わせたように同じことをするのが滑稽だった。朝になるといつの間にかいなくなってる客もいれば、朝食も一緒に食べたがる男もいた。大の大人が赤ん坊のようなことを言うのがおかしくて笑った。どのくらい儲かるのか知らないが、女将は気味の悪いほどタキに優しくなった。「あんたは夜のお勤めがあるから、休んでな。」と昼間は特別な仕事はさせようとしなかった。女中さんの手伝いをしようとしても「あんたはいいんだよ。大事な手が汚れたら大変だからね。でもね、あたしだったら体を売ってまで家に帰ろうとはしないけどね~」と言いながらタキの肩にぶつかって去った。タキは体を売るという意味がわからずにいた。手や足を切って売る人もいるのだろうか?ああ、恐ろしいと思い、女中さんの背中を見て背筋を丸くした。
タキは縁側に座って母にもらったクシで髪を剥き、母の歌っていた子守唄を歌っていた。庭のスズメを見るのが好きだった。故郷にも同じスズメがたくさんいた。スズメを見ているといろいろな場面を思い出した。家族のこと、ナオのこと、今は昨夜のことを思い出していた。長い口髭を生やした強面の兵隊の偉い人が赤ちゃん言葉になってタキの膝枕に頭を乗せてきたのである。タキはたまらなく思い出し笑いをした。すると後ろから男の人の捨て去るような声がした「ずいぶん楽しそうだね。」振り向けば竹吉だった。タキの顔には、まだ微笑みが残っていた。竹吉は、何やらの用事でタキの後ろを通り過ぎるところだった。難しそうな表情でタキを見下ろしていた。「・・・タキちゃん。君は変わった・・・」そう言ってまた歩き出した。「ねえ、どうしてみんな冷たいの?」タキは竹吉の着物の裾を摑んだ。竹吉は一瞬立ち止まるが「わるいけど、その手、どかしてくれ・・・」と言って足早に去った。
梅雨も終わろうとしていたある日、2階の手摺に布団を干していたタキは体の異変に気付いた。股間を中心に赤い湿疹ができているのである。当時はまだ、女性の下着は普及していなかった。布団を持ち上げるのに手摺に足を掛けた時、めくれた裾から見えた足の内側に湿疹を発見した。米粒大のその斑点は、先端が水っぽくなっているのもあり、実に気色の悪いものだった。その後も誰にも相談せずに、月日が経っていった。この温泉の効能に皮膚病というのがあるが、実際に皮膚病を目的に湯治に来る人もいた。しかし、タキの体には日増しに湿疹が広がっていった。
客の多くは軍の関係者だった。不況のさなか、軍の上層部だけは金廻りが良かった。タキの病気を発見したのは、客として来た軍医であった。すぐに女将が呼ばれ、タキの病状が説明された。「病名は梅毒、客の誰かからうつされたもので、伝染性の高いものである。すぐに病院に連れて行って、適切な処置をすること。」という。今やタキは大事な稼ぎ頭であったので、女将は翌朝、番頭に言いつけてタキを医者に連れて行かせた。しかし、医者の診察結果は「手遅れ」であった。毒素が脳に廻ってしまっているとのことである。すでに言語障害や眼球の微動が起きていた。一般の人との接触はなるべく避け、隔離することという。番頭からの電話を受けて女将の対応は早かった。「すぐにタキを連れて帰ってください。あ、それからタキを隔離するところだけど・・・・裏の薪置き場でいいでしょ。あそこにゴザでも敷いて寝かせるように、お願いしましたよ!あ~まったくついてないよ~」そう言って電話を切ると、プリプリしながら女将は姿を消した。
番頭の絶望的な表情を見てタキは何か良くないものを察知した。玄関の脇にある看護婦の詰め所で3人の看護婦が何かを話しながらタキのほうを見ていたが、タキと視線が合うとたちまち急がしそうに仕事を始めた。「・・・ばんとうさん・・・」とタキはうつむく番頭の顔を覗きこむと、外の紫陽花の花を見ながら「帰るか・・・」と番頭はポツリと言った。タキは番頭の運転する車の中で、ずっと下を向いたままだった。この山あいの温泉地では初夏を迎えて、実に心地のよい昼下りとなった。三味線や女達の笑い声が遠くで聞こえた。車から降りると番頭とタエは裏口に向かった。タキがその戸に手をかけようと近づくと番頭がその大きな腹でその行方をさえぎった。タエは番頭の顔を見上げたが番頭は薄暗い横顔をこちらに向けず、顎で前の建物を示した。「え?・・・」タキは暗い林の中のその薄気味悪い建物を捕えた。番頭はその建物に向かって歩いた。背中が「こっちだよ。」と言っていた。それは広さ6帖くらいの床のない建物で、出入り口はお粗末な板を組み合わせた引き戸で両脇は薪が積み上げられていた。真ん中は通路になっているが、人が一人と通れるくらいしか空いていない。そこにムシロが敷かれていて、タキが使っていた布団が敷いてあった。タキは「ここにタツさんが寝泊りしていたんだね。番頭さん。ありがと・・・」と言いながら倒れ込むようにゆっくりと布団にもぐりこんだ。「ここにメシと水置いておくでな。」そういって番頭は宿に戻った。雑木林の中をタキの泣き声が響き渡った。
次の日の朝は快晴であった。女将は仲買人に連絡をして、タキの代わりの新しい奉公人を頼んだ。今度は十代半ばで、すぐに「接客」できる女児を希望した。女将は、タキのような粗野な子がこんなに稼いでくれるとは思わなかったのである。仲買人は、すぐに連れてくるとのことであった。女将は何もなかったように清清した気分で玄関先の水打ちをしていた。新しい女児が3人来ることになった。これは儲かる。女将は鼻歌を歌っていたが、突然険しい表情で一点を睨んだ。薄暗い防風林の一角にタキがいた。「女将さん・・・」タキはすがりつくように女将に近づいてきた。「ひ!ヒェ~!」女将は腰を抜かさんばかりに後ずさりした。「な、なんだい!あんた。こっちに来るんじゃないよ。」と袖口を鼻に当てた。「お願いがあります。女将さん。」タキは髪は乱れて目の下は黒く、女将を見据えた目は真っ赤に充血していた。「わたしに薬をください。・・・なんでもしますから、いっぱい働きますから・・・治る薬があるって・・お医者さんが・・・」と言いながら、苦しそうにしゃがみ込んでしまった。「誰か!誰か来ておくれ~!」女将はその場を逃げるように離れた。女将はタキの実家にタキを引き取ってもらうべく、仲買人を通して連絡を取った。しかし、返事は来ないという連絡が入った。その後も何度か手紙を出したというが、タキの実家からの連絡はなかった。
タキへの食事は一日に2回届けられた。客の食べ残しで、本来捨てるものであった。女将の言いつけで、薪置き場には外から鍵が掛けられ、タキは自由に外へは出られなくなっていた。薪置き場の廻りは酷い糞尿の臭いが漂い、静かな林の中をタキの苦しそうな声が響き渡った。最近、屋根から落ちて亡くなったタツの代わりに奉公で入った三次という男が何も知らずに食べ物と水を運ぶ役を言い付かった。扉の下の隙間から皿が出ていて、食事の載った皿と交換してくるのが三次の言われたことであった。中からは「ありがとう。」と声がしたり、咳込む声がしたり、時には泣き声が聞こえたりした。
竹吉はタキのことをナオに知らせようと、いつもの竹の穴に自分で書いた手紙を入れに行った。その日は文房具の買出しもあり「四川館」の前に着いた時は薄暗くなっていた。早々にいつもの垣根の竹桟に向かうと3人の女が立っていた。「兄さん、宿が決まってないなら、うちに泊まって~な。」と2人の女に絡まれるようにされた。そのうちの1人の女は下を向いて顔を伏せていた。竹吉はギョっとした。ナオであった。ナオは客引きをしていた。顔は判別つかないくらい白く塗られ、唇が真っ赤だった。薄い桃色の縦縞の着物を着て裾を少し広げ、赤い腰巻が露骨に見えていた。竹吉はゆっくりとナオの方を振り返るとナオはゆっくりと向うを向いた。さらに髪を掻き揚げる素振りでナオは顔を隠した。「あら、この2人、もう知り合いなのぉ~焼けるわね~」と他の2人が冷やかした。そこにちょうど4人の男が通り掛り、2人の女が宿の勧誘を始めた。竹吉とナオはその群れから少し離れた。「タキが大変なんだよ。裏の薪小屋で寝ている。」竹吉はそう言うと、ナオは鋭い視線を投げかけた。竹吉は事の重大さを目で訴えた。
サラサラと風の音がした。夕涼みするにはちょうど良い気候であった。薪小屋の中は、明け方にはさすがに寒くなるが、布団を掛ければ凌げる陽気であった。薄暗い小屋の中で、今は昼なのか夜なのかタエにはわからなかった。もう私は死んでいるのかもしれない。そう思うと鼻歌を歌ってみた。母親の歌っていた子守唄である。聞こえる、自分の発声した音が母親の声に聞こえた。「タキ。タキちゃん!」タキは母親との楽しかった日々を夢見ていた。そんな夢心地の中でタキはその声に目を開けた。「だれ?」と声を出したわけなのに「ガレガレっ」という音しか出せなかった。扉のところの人影は逆光でわからなかった。「ほんとにタキなの?」と人影は近づいてきた。板壁の隙間から差した光の帯にその顔が映し出された。「かあ・・ちゃ~ん・・・」タキは手を差し伸べた。が、それが懐かしい唯一の友人の顔であると認識するとタキの顔はグシャグシャになって涙で何も見えなくなってしまった。2人は抱き合おうと手を出したが「こないで!」とタキは袖口で顔を塞いで、向こうを向いた。肩を震わせて泣きじゃくった。「タキ・・」とさらにナオが手を差し伸べると「あっちに行って!あんたも死にたいの?」と叫んで咳込んだ。「お願いだから外に出て・・・」と咳をしながら言った。「タキ、もう一度だけ顔をみせて。」ナオが涙を流しながら言った。タキは涙をこらえ、そっとナオの方を振り返った。ナオはその痩せこけて、すっかり病人らしくなったタキを見て膝間づいた。ナオはそっとタキの髪を撫でて両手を廻して細い肩を抱いた。「やめて~・・やめてって言ってるのに~」タキは声を振り絞った。2人は狭い部屋の端と端で大泣きに泣いた。
奉公人の三次は、食事を運んで1ヶ月が過ぎた。いつしか皿の食べ物も残しがちになり、とうとう水さえもそのままになってしまった。三次は女将がその女の存在を煙たがっているのを察知してか「せっかくの食事、手付かずですぜ。それにいつ行っても同じ姿勢で寝てるし、ほんとに生きてるんでしょうかね?」女将に好かれる技を瞬時に悟った三次は、なるべく冷たく言った。番頭が女将に言い付かってにタキの様子を調べに行った。雑木林は静かな風が舞っていて、サラサラと葉の擦れる音がさすらっていた。避暑地の夏の静かな午後であった。以前は林の木を伐採して、のこぎりで適当な長さに切り、薪割りをしてここの小屋に置いていたが、大きな木は切り尽くしてしまったし、今は材木は定期的に木こりから購入している。番頭は扉に取り付けられた閂を外し、そっと開いてみた。先ほど届けられたらしい食事と水が足元に置いてあった。薄暗い部屋の中、板の隙間から木漏れ日が差し込んでいた。確かに着ているものは肌蹴て、息をしている風もない。酷い糞尿の臭いがした。「タキ・・・タキ・・」木の棒を拾ってつついてみたが、痩せこけた青白い顔に正気はなかった。番頭は女将を呼びに行った。女将はいそいそと薪置き場に近づき、「そうかぇ?タキも気の毒なことをしたもんだよ。」と吐き出すように言った。女将もタキの最期を確認しに行くことにした。ハエの羽音と悪臭が漂っていた。女将は思わず着物の袖口で鼻をふさいだ。番頭と女将がタキの顔を覗き込むと青白いカビのようなものがタエの顔に生えていた。よく見れば、胸や腕など、肌蹴ているところには皆、青白いカビが生えていた。「夏で蒸し暑いせいかねぇ・・」と拝みながらその場を離れようとした女将は、そのカビが動くのを発見した。よく見ればそれはなんと蚊の大群であった。薮蚊の大群が血の気のないタキの体から最後の正気を必死で抜き取ろうとしていたのであった。ギョっとしながら反射的に女将はタキの頬に向かって蚊を仕留めるべく平手打ちした。パチンと昼下がりの林の中を乾いた音が鳴り響いた。タキの頬は女将の手形の通りに蚊がつぶれ、赤黒くその形がタキの痩せた顔に現われた。女将はタキをたたいた右手の手の平を鋭く見た。するとタキの頬と同じ赤黒い色になって幾匹かの蚊は動いていたと。「ああ・・・おかみさん・・・来てくれたんですね・・」タキはうっすらと目を開けた。次の瞬間、タキについていた蚊の大群が女将と番頭を目掛けて攻撃してきた。そのように女将には見えたという。「ギャー!」それこそ七転八倒しながら女将と番頭は大村屋の裏口を目指して転げまわって命からがらたどり着いた。女将は泥だらけになり、髪を乱して右手を恐ろしいものを離すように左手で押しのけた。女将はその後、何度も手を洗い続けたという。
その後、3日ほど経ち例の小姓の三次が言うには、タキの口や鼻にはハエが多く出入りしていて、目は干からびているという。昨日の夕方と同じ寝方をしているし、息もしていないようで今度は間違いないという。「そうかそうか。」と女将は小姓に言いつけ、棺桶を作らせた。裏庭の5番目の丸い石の次のところにタキを埋める穴も掘るよう指示した。棺桶といっても屋根の修理のために取り寄せた杉の粗板の組合せで作らせたものである。手荒のことをしたら、すぐに壊れそうであった。タキはムシロごと吊るし上げられて、そのままゴロっと特製の棺桶に放り込まれた。肌蹴た着物の裾からは干からびた糞の塊りがゴロっと落ちた。棺桶は薪割りの台に載せられ、一応坊主も呼ばれた。薄暗い裏庭の一角で葬儀は行われた。見届け人は女将と小姓が3人であった。カナカナカナカナ・・・・林の中でヒグラシが鳴いていた。森には爽やかな秋風が吹いていた。坊主はお経を始めた。が間もなく、ギョっとした顔をして後ろにのけぞり、棺桶を震える手で指差した。棺桶の中から何やら女性の鼻歌が聞こえるのであった。すると女将があわてながら「向こうの納屋で生まれた子猫の声だがね。早く続けて!」と坊主を叱りつけた。早々に坊主はお経を切り上げ退散していった。あとは小姓らが棺を穴に下ろし、埋めるだけだった。棺にロープを廻して、すこしづつ棺は穴の底を目指して進んだ。もう少して到着するところで、また鼻歌のような声が棺から聞こえた。今度は間違いなく穴の中から聞こえた。「ヒ!ヒエ~!」小姓の一人がロープの手を離してしまい、棺は穴の底へガタンと落ちた。よく見れば棺の横が壊れ中からタエの痩せた白い右手がポロリと放り投げられていた。その10cmくらい先にはタエのクシがあった。「何をふざけているの!」2階の廊下で一部始終を見ていた女将が一括した。「早く終わらせて!次の仕事が待ってるんだよ!」腰を抜かしながらも小姓たちはスコップを握り、棺を埋め始めた。3人の小姓は皆あとで同じことを言ったというが、棺桶から伸びた白い手はクシを求めて這っているように動いていたという。静かな林の中を風のささやきのようなタキの鼻歌と土を落とす鈍い音が鳴り響いていた。
その後、日本は戦争一色に染まっていったが、やがて平和な世の中となり、人々はそれなりに裕福となって、人権尊重の世の中になった。困って苦しんでいる人を助けるのは当たり前の世の中である。しかし、この「当たり前」という言葉は時代とともに自在に変化していく言葉ではなかろうか?今の世の中、携帯電話を持っているのは当たり前、つい10年ほど前は持っていないのが当たり前であった。道で倒れている人を助けるのは当たり前であるし、いまではどんな人も貧しいというだけで、見捨てられるような医療はないのが当たり前、なのであろう。また、巨匠、野坂昭之の「ほたるの墓」太平洋戦争が終わった頃、駅で死にそうな身なし子が沢山いるのは当たり前、それを無視して通り過ぎるのは当たり前であったらしい。終戦と同時にマッカーサー元帥の言うことに従うのは当たり前になり、戦争中は上官の言うことは天皇陛下の言うことで必ず聞かなければならなかった。お国のために死ぬのは当たり前、多くの敵を殺すと喜ばれるのは当たり前、戦場に死体が転がっているのは当たり前、戦争に行くのは当たり前、死ぬほど困ったら子供を売るのは当たり前、明治維新にはチョンマゲを切るのが当たり前、その前はチョンマゲをするのが当たり前、という風に「当たり前」ということは時代とともに変化していくものかもしれない。
戦前の人身売買の実態は悲惨なものであった。現代はお金のためなら自分から進んで体を売る少女がいるらしいが、何かヒューズが切れてしまったように思える。
ところで「なぜ売春をしてはいけないのか」について、誰にでも納得の行く答えを出せる人はいるだろうか?私は女将からタキさんの話を聞いて、自問自答を繰り返してきた。答え「子供が出来たら大変だろう?」問い「じゃあ、完璧な避妊をすれば良いんだね?」、答え「悪い病気にかかるぞ。」問い「病気にかからないようにすればいいの?」、答え「自分の身体を商品化しているのはまずいだろう?」問い「あなただって、自分の身体を使ってお金をもらってるんじゃないの?」、答え「女は一人の男に貞操を貫くべきだ。」問い「一夫多妻の国もあるよ。」答え「法律でいけないことだと決められているから。」問い「だから、なんでいけないことなのよ?」さあ、どうしたら納得できる答えになるのだろうか?
これには幾つかの柱があると思われる。まず、この話のような身売りされて売春を強要されることは、誰が考えても人道違反である。たったの5歳の女児が客をとらされたという例もあるという。次に社会性の問題である。人は社会性を持った動物である。個人の欲望や利益だけのために、まっとうな社会生活を曲げてはならない。買う人がいるから売る人がいるので、相手のまっとうな人生のあり方を考えれば買う側も拒否しなくてはならない。年端も行かない女児が自分で稼いだ金と称して社会性を手に入れた錯覚を起させてはならない。特に昭和33年4月1日施行の「売春防止法」には、幼い童女がその身を拘束され、大人の意のままにされることを「管理売春」というが、この法律はこれを強く「防止」するものである。「禁止」ではないところが、お上の温情であるという。世の中には、手に職もなく明晰な頭脳もなく、あるいは急な大金が必要で、それしか生きていく手段のない女性がいるという。家族や子供のために稼ぐのは、少しは目をつぶろうというのであろうか。しかし、遊ぶ小使い欲しさに体を提供する、そんなことは許さないというので「防止」するのであろうか。
私のようなたったの3万円で買収されるような優柔不断の若者に懺悔をするこの老婆にひとつ尋ねたいことがあったので物の勢いで聞いてみた「実際、その頃の旅館の経営は、それほど厳しいものだったのですか?」すると女将はクシを撫でながら答えた「大企業のお偉いさんや政治家、軍部のお偉いさん達で連日ごった返していました。彼らは外部に話が漏れるのを恐れて、われわれの請求するだけ、眉一つ動かさず払ってくださいました。」うらやましい限りである。言っただけ払ってもらえる。そんな世界があったのだ。「ただ・・」女将は続けた「タキに関して言えば、今で言う消耗品のようなものだったかもしれません。安くてすぐに補充できる、だから直して使うようなことはしなかったのかもしれません。」大女将はクシを撫でて泣いていた。
時代の移り変わりと共に「当たり前」が変化した。大女将は、いくら時代のせいとはいえ若かりし日々の人権無視、まったくの自己中心的な行為を省みて、自責の念にかられているのであった。大女将は工事が始まってからというもの6人の無縁仏に懺悔の意味を込めて、その亡骸を積んだダンプを拝んでいた。もうすぐ運び終わるところで突然目の前に思い出のクシがダンプから転がり落ちたのだ。女将の驚き様は尋常ではなかったはずだ。無我夢中でそのクシを拾おうとして、歩道から手を伸ばしたところ、ダンプの車輪の側に固定されている巻き込み防止の鉄骨に頭をぶつけたのである。女将から話を聞かなければ、我々からすれば昔の人の骨、その持ち物であろうただのクシであった。私は人ひとりの人生について、その扱いのあまりの粗雑さを反省した。「はいはい!また骨がでたわけね。はい!特級酒!ドボドボ・・酒もったいね~!」と事務的にタキさんの御霊前に酒を掛け、苦笑いを浮かべながら工事を進めた自分が情けなかった。
私は女将の話を聞いた次の日、再び工事現場に戻った。今までの工事現場とは、まったく違う場所に来たような気がした。老舗「大村屋」の北側の空き地は大きな穴が掘られていて、基礎工事が進んでいた。その奥の薄暗い雑木林の中を注意して見ると、ひときわ黒っぽい塊りがあった。それはよく見れば小さな古い建物であるが、完全につぶれていて屋根らしき所からは次の雑木が生え、うっそうと雑草で覆われている。あれがタキさんの最後の居場所だったのか。私は改めて手を合わせた。今まで何でもなかった木の集合体がずっしりと重いものとして目に映った。突然、足元にカラカランと乾いた音がした。私と一緒に口止め料をもらったユンボの運転手がちょうど人の大腿骨くらいの白い木の根を放り投げたのであった。「監督さん!骨だったりしてね。」と能天気な大笑いをしていた。