その1
とある県のとある町、そこは紛れ込みやすい場所だった。特に明野陽平が通う清の聖学園は酷いものだ。生徒数も多く、条件的には被害者が出やすいと言える。持つ空気が既に違うのだ。感じるものは、吐き気を催すほどすさんでいる。この町は呪われているのだ。それを知る者は数少ない。だがその内の一人が、香津美スミスだった。
その香津美が桐子を殺すまでの経緯は、今朝、桐子から陽平に贈られた一通のラブレターだった。
「おせーな」
この日の彼の朝はいつもと違っていた。学校からはまだ少し遠いY字路、そこにあるミラーの下でいつも桐子と待ち合わせている。いつもなら、先に彼女が待っていて、遅れて来た陽平の頭を軽く小突いてから文句をたれるのだ。
彼は右往左往しながら、かれこれ十五分も朝の貴重な時間を浪費している。携帯にメールを送ってみても返事がない。いくらコールしても電話にも出ない。痺れを切らすと共に、諦めてその場から歩き始めた。
「よっ。今日は一緒じゃないんだな」
しばらく歩くと、今日も朝から陽平に向けて軽い挨拶をする声が聞こえる。彼が肩を叩かれ振り向くと、お馴染みの男子が立っていた。
「雅人か。おはよう」
入学以来の友達である佐伯雅人が話しかけて来たのだ。陽平とはウマが合うようで、気がつけば一緒にいる機会が多い友人だ。この二人は至って普通であり、どれくらい普通かと言えば、登校中の生徒の中にまぎれてしまえば、雑踏の一角となり果ててしまう様などこにでもいる人間だ。共通していることは、とりわけ長所もないところだろう。
「なあ陽平。面白いこと知ってるか?」
「また根も葉もない噂を仕入れて来たのか?」
雅人は噂が好きなのだ。暇さえあれば、色々な噂を取材と称して聞いて回っている。彼は新聞部や放送部などに所属しているわけではない。あくまで趣味として、噂を楽しむタイプの人間である。
「今日から転校生がうちのクラスに来るそうだよ」
「へぇー」
「興味無い? 転校生が女子でも?」
「無いな。全く」
陽平は携帯をみつめたまま雅人の話を半ば上の空で着信を気にしている。自分からメールを打つわけでもなく、電話をかけるわけでもないのに、新着メールを問い合わせ続けている。今の彼は、今日の待ち合わせに遅刻した桐子のことが気になっているのだ。一向に桐子からの音沙汰がない。病気ならメールか電話がかかってくる。彼女とはそういう関係なのだ。
「何やってんの?」
「桐子から連絡がない。風邪かな?」
「はいはい、また桐子ね。お前らそろそろ付き合えば?」
彼は一瞬顔をしかめた。雅人の言うとおり、桐子が眼中にないわけがない。転校生にときめかない理由こそ、桐子なのである。いつからともなく彼は彼女を女性として意識していた。中学校最後の年に、彼は気がついたのだ。きっかけらしいきっかけは無かった。いついかなる時も一緒で、思い出の中には必ず彼女がいただけのことだった。
「陽平くん。ノーコメントは肯定ですよー」
言葉に困った陽平に、雅人が冷やかし交じりに茶化すような軽口を叩いた。
「はいはい、少し黙れ。ちょっとメール打っとく」
「つまらん。からかい甲斐の無い奴だ」
高速でタイプ音を鳴らし、五秒足らずでメールを送信する。クエスチョンマークを入れてわずか七文字の、早い分だけ無愛想な内容だ。
「で、なんて送ったのさ?」
「今日は休みか? とだけ」
正門をくぐり下駄箱まで行くと、陽平の下駄箱から、あからさまに何かがはみ出していた。パステルピンクの封筒だ。邪魔になるので取り出してみる。手に取ると神の悪戯でない限りは、それがラブレターだと一目でわかるはずだ。封がハートのシールで閉じられていて、表には明野陽平様へと書かれていた。
彼は戸惑うも、満更ではないようだった。生まれて初めてラブレターを貰ったのだから無理もない。死ぬまでそんな経験をしない人間もいるはずだ。
「ひょっとして、ラブレターか?」
「お前は必ず感動に水を差すよな」
雅人は噂好きで有名だが、それはただ単に仲間内での話のネタにしか過ぎないのである。仲間が彼のネタになることは絶対にないのだ。羨ましそうなジェラシー交じりの雅人の表情が、そのあて名書きをみて悪い笑顔に変わった。
「あ、これってさ。桐子の字じゃない?」
「俺もそう思った」
女子特有の丸字に、更に癖のある筆跡は間違いようのないものだ。そんな字を書く女子は、二人とも桐子以外知らない。
「懐かしいねぇ。半年前、この字にツッコミ入れたの思い出したよ」
「丸っ!! 事件だよな」
彼らの間ではそう呼ばれている。ただ大げさに雅人が事件通りの言葉を叫んだのが、仲良くなるきっかけでもあった。内容も完全なラブレターで、書いた人間より読んでる人間の方が、痒くなりそうな甘い言葉責めに、陽平は身をよじる。そして捩じる。
「なあ、陽平。友人として言わせてくれ」
「なんだよ」
「お前ら、よっぽどの理由がない限り付き合わないのはおかしいレベルだぞ」
彼は諭されなくともわかっていた。ただきっかけがなかっただけで、今日と言うチャンスを逃すつもりはさらさらなかった。いつの間にか始まったものも、形にするならばけじめをつけなくてはならない。息まく彼は誓った。今日を二人の記念日にしようと。しかし、教室に着くと桐子はいない。不思議に思いながらも余礼が鳴る。
「はいみんな。席に着くように」
そして、先生に連れられて噂の転校生、ハーフの女子が現れたのだった。香津美スミスだ。顔はブレザーが不似合いなほど大人びていて、青い目で少し尖った目つきと、どことなく冷めた表情の女の子だった。
先生と香津美は教卓の前に立つ。にこやかな先生とは対照的に、香津美はものおじもせず、笑顔を作るわけでもなく、味のない表情で姿のない桐子の席を見ていた。
「ではスミスさん。自己紹介をしてくだ――」
「よろしく。香津美で構わない」
先生の言葉を遮る自己紹介の後に、香津美は桐子の席についた。そこは丁度、陽平からみて右斜め前の席だった。
「そこは四条さんの席ですよ」
先生の注意をものともせず、ため息で一呼吸置いてから、悪態をついた。
「もしくれば、席は空けます。きっと今日からここが私の席になる」
クラスメイトも先生も、問絶句している。もちろん陽平も顔をしかめて、香津美の後ろ姿を見据えている。静寂の中で彼女は彼の方に振り向いて、気持ちもなさそうに謝った。
「ごめんなさい。あなたには先に謝っておくわ」
彼は思った。謝られても気分の悪い物に変わりはない。彼女は当然しかとされた。気まずい空気の中で、ホームルームが終わるチャイムが鳴り響いた。