嘘がつけない音。
心臓を押さえれば
ここに答えがあるから。
違う違う違う。
今日も心の中で、そう三回繰り返して目を開ける。
「何してんだよ?」
「な、」
綺麗な鳶色の瞳も、長くうわむきな睫毛も吐息が触れそうな距離にあって、思わず呼吸がとまる。
それを自覚して顔が熱くなる。
でも、君はそんな私に気づかないで、いらいらと舌打ちをした。
「昨日、お前、約束忘れて帰ったろ」
「え」
「数学。教えろって言ったくせに」
「あ、う、ごめん。忘れてた」
正直に言えば、途端に片眉が吊り上がる。
顔が整っているせいが案外と怖い。
「お前、俺に喧嘩売ってんのか」
「売ってないって!」
「これだから馬鹿は」
吐き捨てられた台詞に、かちんときた。
「頭がちょっといいぐらいで調子乗らないでよ! 私だって謝ってるでしょ!」
「謝れば全部チャラになるなんて甘いこと考えてる奴にそんなこと言われたくないね!」
「謝ってる人間にそんな態度とるなんて、頭よくても性悪よっ!」
「はっ。それが仮にも俺に勉強教えてもらおうとしてた奴の言い草なんて笑えるね!」
叫びあって、息が上がって、二人でお互いにふんっと顔を背けた。
「なんで、ああなるかな、私……」
深いため息が零れる。
君は悪くない。
忘れたのは私なんだから。
どうしてか私は君とはすぐに喧嘩してしまう。
ちょっと俺様気味な君も問題だけど、短気な私にも十分に非はある。
それに加えて最近は友達に言われた一言に、一人ぎくしゃくして慌てているのに。
「あぁ、もう最悪」
「何が最悪だって?」
「わぁああっ!?」
いきなり後ろから顔を覗き込まれて、驚いて声を上げる。
君はうるさいと耳に指を突っ込む仕草をしてみせた。
「うるっさいなぁ。落ち着けよ」
「お願いだから心臓に悪い登場やめてよ!」
「一人で驚いといて責任転嫁かよ」
「な、わ、私だって!」
うんざりとした君のようすに、我に返る。
短気な私がここで言い返すから毎回喧嘩に発展してしまうのだ。
「私だってなんだよ?」
黙った私に君が続きを促す。
急かされて言いたいことがまとまらなくて、そのまま口を開く。
「わ、私だって、ちゃんと悪いと思ってるわよ!」
「……は?」
君が心底驚いた表情を浮かべるから、私はどうしょうもなく恥ずかしくなって、でも後戻りできなくて開き直った。
「私だって悪いと思ってるんだから! いつも口喧嘩しちゃうとこ、反省してるんだから! でも、怒られたら素直に謝れなくなるのわかってよ!」
一気にまくし立てて息が苦しくなった。
肩で息をする私に、呆けていた君が一拍おいて笑い出した。
「な、何だよ、逆ギレで反省とかなんなのお前笑えるんだけど」
「わ、笑うなぁっ!」
恥ずかしくて顔が熱くて、でも君はひとしきり笑うと目尻の涙を拭って言った。
「悪い。俺も言い過ぎたよ」
「……お互い様だから許す」
今、優しい目をするなんてずるい。
心臓の音が早いのはきっと叫びすぎたせいだ。
顔を伏せる私に君がなぁ、と声を投げる。
顔をあげれば、悪戯っぽい瞳とぶつかる。
「俺のこと好き?」
「な、な、何言ってんのっ!?」
予想外の台詞に引きかけた熱が再発して、混乱して言葉を噛む。
そんな私に君はなんだかちょっと嬉しそうに笑って、ひらひら手を振る。
「信じんなよ。冗談だ、馬鹿」
私は言葉もなく口をぱくぱくさせる。
そんな私を一瞥して、君は駆けていく。
その背中に先日、友人から言われた一言がフラッシュバックする。
『あんた、あいつに恋してるでしょ?』
みるみる顔が赤くなるのがわかる。
違う! こんなの恋じゃないよ!
思わず、心の中で叫ぶ。
でも、
「こんなの恋じゃないのに」
高鳴る胸は収まらなくて。
私はずるずるとその場に座り込んだ。
喧嘩してばかりなのに。
君は俺様なのに。私は短気なのに。
こんなの恋じゃないのに。
そう思っても、心は嘘を吐けない。
だって、この心臓の音がすべての答え。
青い恋をしている10題
4.こんなの恋じゃないのに
『確かに恋だった。』より