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暗証番号は「1111」

作者: 安藤博文


暗証番号は「1111」



先月、夫が他界した。

定年を迎えた日に不慮の事故、帰らぬ人となった。

「会社辞めたら、おまえの行きたい所に旅行しよう」。

朝、玄関で振り返りながら言った夫の最後の言葉。


新婚旅行はおろか、式すら挙げぬまま四十年近く連れ添ってきた。さして贅沢させてもらうわけでもなく、優しい言葉の一つもかけてもらえたわけでもなかった。子育てと日々の生活に追われ、いったい何が良くて一緒になったのか?そんなことすら考える暇もなかった気がする。

それゆえ、家を出る前に夫の口から出た言葉には驚かされたし、嬉しさが徐々にこみ上げてくる思いでいた。


鏡に映る疲れきった顔を眺めながら、約束を守ることなく去っていった夫のことを思い浮かべていた。


遺品を整理しているとパチンコの会員カードが出てきた。

思えば、休みの日には決まってパチンコに行く夫に、いつも小言をぶつけ不満の表情をあらわにしていた自分が悔やまれる。

私はパチンコが大嫌いだった。夫の財布をいつも乏しくさせ、結局、一握りのお菓子しか持ち帰れない。そのくせ満足げな表情でいることが理解できなかったし、何が楽しくて朝から晩まで台と向き合っているのか甚だ疑問だった。 

でも、本当は休みの日くらいは自分の方を向いてもらいたいという想い。歳を重ねても、稚拙な態度でしか表せなかった。


カードとともに夫が書き続けていたパチンコ日記がある。

パチンコから帰るといつもその日の結果を書き残していた。

最初のページはカードの暗証番号が書かれている。書き残す必要すら感じない「1111」。

続けて、初めてパチンコをすることとなったきっかけや、好きな機種の話、「貯玉」というシステムがあることがわかり、コツコツと貯めて行く様などが記されている。

日付の横には当日使った金額と貯玉数が必ず書かれていて、その日交換した菓子や雑貨と、何故か顔文字が記載されていた。年甲斐もなく顔文字を書いていたことに私は驚いたが

(´▽`)  \(^O^)/ (≧▽≦) 

この3種類しかないことが逆に微笑ましく思えた。


 記録を読み続けて気付いたことがある。貯玉の累計が一度として減っていない。日を追うごとに増える一方。「又負けた」が口癖だったが、どうやらあれは嘘だったようだ。私に横取りされるとでも思ったのだろうか?気の毒に感じた半面、悲しさもよぎった。

 


来客を告げるベルが鳴った。

見知らぬ複数の男女だが、夫の死亡を最近知って急ぎ焼香に来てくれたようだ。各々が一言二言別れの言葉を告げ、焼香を終えると長居をせず帰ろうとしていた。去り際に故人を思い出すように一人が話してきた。


「我々は、よくご主人と一緒にパチンコに行った間柄なんです。ご主人の奥様思いは我々の中でも評判でして、「女房が喜ぶんだ」と言って必ずお菓子などのお土産を持ち帰るようにしていました。負けた日はナケナシの小銭で我々から買い取るほどでしたから。

そうそう、結婚記念日に旅行をプレゼントすることを楽しみにしていました。以前から出た玉のほとんどを貯めていましたし、「女房、驚くだろうなぁ」と嬉しそうな顔が印象的で・・・。本当に奥様思いの素晴らしい旦那様でした。」


予想もしない夫の一面を知らされ、恥ずかしそうに振舞いながらその方達を見送った。ドアが閉まるより早くこらえていた涙があふれ出た。


お金がないのに通う姿。

鼻高々に持ち帰えるお菓子。

私に向ける満足そうな表情。

記憶のどれもがやっと結びつく。

いつも私を思ってくれていたのだ。抱きかかえた日記に涙がこぼれる。

濡れてにじんだ最終ページ、顔文字解説が目に映る。


(´▽`)  ちょっと嬉しそうにしていた

\(^O^)/ 両手をあげて喜んでいた

(≧▽≦) おいしいと感激していた


「これは私の顔だったんだ」


静寂の中、しばらくの間、涙が落ちる音だけが聞こえていた。

「おまえの行きたい所に旅行しよう」最後となったあの日の言葉。

あなたの言うとおり私行ってみますね。


明日は11月11日。私たちの結婚記念日。あなたのカードを持って私行ってきます。


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