24.
その場の空気が、一瞬にしてビリビリと緊張する。
「……今、なん、て?」
「聞こえなかったのなら、何度でも言う。ユウ、私の妻になって欲しい」
突然の求婚を受けピシリと固まってしまったユウに、ルーカスはそっと手を伸ばし、髪を纏めているピンを抜き取る。
逸らされることのない視線に、ユウは足がすくんで動けなかった。
ほどかれたユウの黒髪に触れたルーカスの手が、つぅ、と毛先に向けて滑る。
「お願いだ。ユウ。頼むから、嘘でもいい、頷いてくれ」
毛先を滑り降りた手は、ユウの手を取り、その甲にルーカスはそっと口づけを落とした。
「……嘘でも、いいって……?」
「お前を、護りたい。全ての事から」
「……お話が、見えません」
「お前が好きだ。ずっと、傍にいて欲しい。こんな風に誰かを想うのは、お前が最初で最後だ。頼む。何処にも、行かないでくれ」
ふわりと引き寄せられ、柔らかに抱きしめられる。
「お願いだ、ユウ」
耳元にかかるルーカスの吐息に、ユウは一層、動揺の色を強めた。
「……あの、きちんと理由を話して頂けませんか? 殿下」
今にも爆発しそうな自分の心臓を落ち着かせるように、ユウは、少しゆっくりと声をかけた。
「突然そんな風に言われても、私には理解できません。それに、殿下は次期国王陛下。私は、異世界から落ちてきた得体の知れない小娘。どう考えても、無理です」
困ったような表情のユウを、ルーカスは小さく驚いたように見る。
「あ、でも、嬉しかったですよ? “好きだ” なんて、今まで誰にも言われたことなかったし。嘘でも……」
「嘘なんかじゃない、本気だ!」
少しはにかみながら話していたユウを、かみつくような勢いでルーカスが遮った。
「ユウが、好き、なんだ。愛おしくて仕方がない。この先も、ずっと傍にいて、俺の隣で笑っていて欲しいんだ」
ユウを抱きしめているルーカスの両腕に、力がこもる。
見上げた場所にある今にも泣きそうな顔をしたルーカスに、ユウは、ただならぬ事情を感じ取った。
「殿下、一度離してくださいませんか? 座ってお話ししましょう?」
ユウの右手がルーカスの背に回り、二、三度、そっと触れる。
「……すまない」
「珍しいこともあるんですね。殿下がこんなに慌てられるなんて」
ふわりと笑って話しかけるユウに、ルーカスは、先程とはうってかわって、全く視線を合わさなくなった。
「何かお飲みになりますか?」
「いや、いい。さっき、ヴィンスの所で散々飲んできたから」
勧められた椅子に座ってもなお俯いたままのルーカスが、ポツリ、と呟いた。
「ヴィンスの所で……。そうですか……」
そう言うと、一瞬だけ微かにユウの表情が曇った。
「さて!」
気を取り直すかのように両頬をパチン、と叩き、テーブルを挟んでルーカスの向かいの椅子にユウが座る。
「先程のお話、きちんとしてくださいますよね? 殿下」
力強い視線が、真っ直ぐにルーカスを見つめた。
視線の先の人物は、今もなお、苦い表情のままテーブルに目を落としていた。
「話も何も、俺は全部話したぞ」
「まだ何か、隠してますよね? 殿下」
押し問答を何度も繰り返してはそれをのらりくらりとはぐらかし、一向に視線を合わせない相手に、痺れを切らしたユウの口調が変わり始めた。
「隠してなんかいないさ。全て、話した」
そう言ってルーカスは口を噤む。
「殿下、いい加減にしてくださいね? 私に言えないことなんですか? だったら、何故、あんな冗だ……」
「冗談ではないと言っているだろう!」
目の前のテーブルを壊さんばかりに叩き付け、ルーカスが、ようやくユウを見た。
「で、ん……」
「あ……」
ユウの頬を、つぅ、と一筋、伝い下りていくものがあった。
「す、すまない……。決して、そんなつもりはなかったんだ」
手を伸ばして、そっ、と頬に触れる。
「……話すと、もっと泣かせてしまうかも知れない」
眉間にギュッと皺を寄せ、ルーカスの表情が苦しげに歪む。
「でも、どんなお話でも、話してもらえないことの方が、私は悲しい」
「……わかった」
頬を伝う真珠のような涙を、傷ついたものに触れるかのように拭って、ルーカスは、ようやく決意した。