13.
ワゴンに乗せた食後の食器を炊事場へ運び込み、後の片付けをリアに依頼した後、大急ぎで主の居室へと戻る。
「おい、なんでそんなに急ぐんだ?」
「フィオナ様が、図書、館へ、お調べ、物を、しに、出、られる、の。お待たせ、しては、いけない、で、しょう?」
本当なら走り出したい気持ちをグッと抑え、息を上げつつもせかせかと歩いていくユウに、ウォーレンが大きなストライドで、顔色一つ変えず、悠然と続いた。
「図書館か。たまには読書もいいな……お前も読むのか?」
「わたしは、まだ、字が、よく読め、ないから、無理……!」
ウォーレンが、すっかり息が上がりきって足を止めた、赤いユウの顔を、「大丈夫か?」と心配そうにのぞき込む。
「ふぁ、近いっ!」
咄嗟に飛び出した右手が、目の前の左頬を捕らえた。
「っぅ……何すんだ、お前っ!」
ウォーレンが怒りの熱に任せ、その右手首を掴むと、ユウはギュッと目をつぶり、身を硬くしてうずくまって小さく肩を震わせる。
その姿を目にし、ウォーレンは、体中に思い切り氷をぶつけられたような感情を抱いた。
「……あ。オレ、また……」
掴んでいた手を離し、今度は、腫れ物にでも触れるかのように、震える肩に、そっと手を置いた。
ゆっくりと顔を上げたユウの眼には、余程恐ろしかったのか、うるうるとこぼれんばかりに涙が浮かんでおり、それが更に、ウォーレンを窮地に陥れた。
「あの、オレ……その……」
「ごめんなさい。ビックリしたからって、いきなり叩いたりして、ホントにごめんなさい」
潤んだ眼のまま、勢い余って床に額をぶつけてもおかしくない位、ユウは深々と頭を下げた。
「あ、いや、オレだって、その……」
ウォーレンは、うつむき加減でしどろもどろに何か呟きながら、顔を赤くしている。
ユウは、そんなウォーレンを不思議そうに眺めていた。
「すまなかったっ!」
だんまりを突然の謝罪が破る。
「今のはオレが悪かった。こっちこそ、驚いたからって、力で押さえつけようとして……。もう、しない。約束する。だから、許してくれ」
「ウォーレンさん……」
「オレ、お前の、そのきちんと謝れるところ、スゴイと思う。見習わなきゃな」
逸らすことを許さぬよう真っ直ぐに視線を合わせて、唐突に聞かされた言葉に、ユウは顔が熱くなるのを感じた。
「急ごう。フィオナ様がお待ちなんだろ?」
すっかり茹で上がったように赤くなった頬を押さえていたユウの手を取り、ウォーレンは歩き出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
図書館は王城の敷地内に併設されており、建国時からの歴史書や、歴代の王に関する書物、古い言い伝えに関する絵本など、様々な書物を有している。
「じゃあ、わたくしはこちらで調べ物をしていますわ。昼食の時間までには部屋に戻るつもりだから、それまでユウは自由になさってね?」
そう言って、古文書らしき古い書物を一冊手に取り、フィオナは館内の一画に席をとった。
「かしこまりました。お時間が近くなりましたらお声かけさせていただきます」
丁寧に頭を下げ、ユウはその場を離れた。
ウォーレンも、ユウに続いてフィオナの傍を辞する。
「どうしてついて来られるんですか?」
「言ったじゃないか。二週間、お前から色々と学ばないと、オレ、また、あの二人から大目玉をくらうんだぜ?」
暗に「ついてくるな」 と言ったつもりのユウに、ウォーレンは、全く悪びれた様子もなく飄々と返事した。
「お前、まだ字がよく読めない、とか言ってたな?」
そう言いながら、ウォーレンは近くの書棚にあった一冊の絵本を手にした。
「これさ、オレも子供の頃、よく読んだ絵本なんだ。オレ、この絵本読んで、感動してさ、大きくなったら立派な魔術師になる! って、みんなに宣言したんだよなぁ」
照れくさそうに笑いながら、手にした本をユウに持たせた。
「これ?」
「ずっと昔にこの国を創った、一人の魔術師の伝記だよ。五・六歳の子供向けに書かれてるから。読めるだろ?」
ユウは、そんなウォーレンの声に耳を傾けながら、ペラペラとページをめくってみた。
「少し難しそうなところもあるけれど、何とか読めそうです。ありがとうございます」
「じゃ、オレは、その辺を見てくるよ。また後でな」
ひらひらと手を振りながら離れていくウォーレンに、ユウは深々と頭を下げて見送った。
『偉大なる魔女』とタイトルされた絵本を手に、窓際のベンチに座る。
本を開くと、何となくカビ臭いようなにおいが鼻をかすめた。
* * * * * * *
今からずっと昔の事です。この大陸で、大きな戦争がありました。
強くて大きな力を求めて、大陸にあったたくさんの国が、お互いに見張りを置いて、殺し合い、奪い合いを繰り返していました。
そんな期間が長くなるにつれて、どの国の人々も、どの国の兵士たちも、終わりの見えない争いごとに、次第に精神を狂わせていきました。
そこに、一人の魔術師がやってきました。
濡れ羽色の髪を持つ、黒い瞳のその人は、人々が想像もつかないくらいの大きな魔力と、その物事を深く見通すすぐれた判断力で、何年にもわたったこの戦争を終わらせました。
そうして、この大陸を三つの国に分けて新たな国を創り上げ、人々が平和に暮らせるよう力を尽くしました。
戦争が終わってからしばらくして、人々が穏やかな生活を取り戻したことを見届けた魔術師は、いつの間にか、その姿を人々の前に現さなくなっていました。
その後、その人の姿を誰一人として見たものはおらず、人々は、その魔術師の事を『偉大なる魔女』 と崇め、忘れることのないよう、その功績を語り伝えることにしました。
その魔術師の名は――。
* * * * * * *
「……エヴァ=メル・ウォードン」
ぼそり、と小さな声で、本に書かれた魔術師の名を呼ぶ。
ユウは、名を口にした途端、耳の奥からキィィーンと金属音が響き、世界が歪むのを感じた。
――待チカネタゾ、我ノ力ヲ継ギシ娘。
消えそうになる意識の端で、いつかの声が聴こえたような気配を覚えた。
『魔女』 様のお話がようやく出せました。
”ようやく”なんて言ってる割には、魔女様の昔話部分、短いですけど(泣)
……頑張ります。
お立ち寄り頂きましてありがとうございます。
ここまでお付き合いくださったあなた様に、心からの感謝を。
諒でした。