10.
夕焼けが美しい、王城の中庭にある東屋のベンチに、ユウはただぼんやりと座っていた。
赤く焼けつくような夕陽が、ユウの頬を撫で、その色に染めている。
小高い丘の上にある王城からは、城下の街が一望でき、また、中でもこの中庭の東屋からは、遮るものなく夕日が地平線へと沈みゆく様を眺めることができたので、ユウは、これまでにもこっそりとここを訪れていた。
「貴様、ここで何をしている!」
不意に静寂を切り裂くような怒鳴り声が響き、ユウは、聴き覚えのあるその声の主に視線を向ける。
「ウォーレン、さん?」
「ここで何をしていると、訊いているんだ! この“罪人”が!」
そう言うが早いか、ウォーレンは、ユウの左腕を掴み、捻じり上げた。
「ぃたっ!」
不快な汗がユウの額に滲む。容赦なく力が加え続けられている左腕は、今にもボキリと鈍い音を立てあさっての方向を向きそうな勢いだ。
「ウォーレン! 何処だ!」
「殿下! 来てはなりません!」
ウォーレンの意識が逸れ、腕にかけられる力が緩んだ隙に、ユウは掴まれた左腕を解放するべく、必死の抵抗を試みた。
が、しかし、日々の訓練で鍛えられた成人男性の力には到底敵わず、ウォーレンは、再び、ユウの動きを封じ込めてしまった。
「は、な……してっ!」
痛みで滲む涙も気にせず、ユウはウォーレンを振り返り、キッと睨み付けた。
「ウォーレンっ! お前、何をしている!」
正面からした声にユウが視線を戻すと、そこには、王女フィオナによく似た面立ちの男性が立っていた。
「殿下! 早くこの場を離れてください! こいつは……!」
「あなた、フィオナの侍女殿、ですね?」
現れた男性の言葉に、ユウはこくりと頷いた。
「い゛っ?!」
ウォーレンが殿下と呼ぶ男性は、おかしな音を発したあと驚きの表情を浮かべるウォーレンの手を勢いよく叩き払い、ユウの眼尻に浮かぶ涙を、その手でそっと拭った。
「お前、フィオナ様の……?!」
「はい、昨日までは見習いでしたが……」
赤く痕の付いた左腕をそっとさすりながら、ユウはウォーレンを見た。
ウォーレンは、信じられないといった表情のまま、あわあわと立ち尽くしている。
「……お前、騎士団長から何も聞いていないのか?」
そんなウォーレンを尻目に、フィオナによく似た男性は、ユウに向き直った。
「失礼しました、侍女殿。私は、ジェラルド。ジェラルド・ベイルシャール。フィオナの双子の兄です」
「フィオナ様の、双子のお兄様、ですか。……あ、私、ユウです。ユウ・サカキと申します、ジェラルド殿下。お救け下さり、ありがとうございました。」
事の進展にようやく追いついたユウは慌てて礼をとった。
「大丈夫ですか? 申し訳ありませんでした、ユウ殿。怖い思いをなさったでしょう? あなたがこの城に来られてすぐ隣国へ出ておりましてね。昨日、ようやく戻ったところです。そのウォーレンも私の供として出ておりました。知らなかったとはいえ、なんとお詫びを申し上げればよいか……」
ジェラルドは、ユウの赤く腫れた左腕にそっと手を添え、目を閉じて何か小声で呟く。
すると、添えられた手が、ぽう、と仄かに光を持ち、ユウの腕の赤みは嘘のように消え去った。
「あ……」
「私の力では、完全に、とはいきませんが、ひどい痛みはなくなったはずです。いかがですか?」
「ありがとうございます、ジェラルド殿下。もう痛くないです」
ユウはジェラルドに向かって深々と頭を下げた。
「良かった。当然のことをしたまでですから、どうぞお気になさらず」
にこり、と優雅に微笑むと、ジェラルドは言葉をつづけた。
「……ところで、この男、どういたしましょう? あなたのお気の済むようになさってください。お決めになられた処分に、私は異議を申しませんから」
と、未だ呆然と立ち尽くす自身の従者を呆れた眼差しで見遣り、溜息を吐いた。
「え? あ、いえ、あの……私、そんな……」
ユウが困ったような顔を見せ、ずり、と一歩後ろに引き下がる。
そこに、「ジェイ殿下はこちらか?」 と二人連れの男性が現れ、前を歩いていた男性の胸に抱きこまれるように、彼女がぶつかった。
「きゃ……」
「おっと……。大丈夫ですか?」
「あぁ、申し訳ありません、アドルフ殿下。さ、ユウ殿。こちらへ」
ジェラルドはユウの手を取り、彼女を引き寄せ、自身の背中に隠した。
それまで呆然と立っていたウォーレンも、いつの間にかジェラルドの傍に就いていた。
「……で、どうなさいました、アドルフ殿下。私に何か?」
ジェラルドは目の前に立ちながらも、視線の合わないアドルフに問いかけた。
「ん、ああ、いや。特別、用があってと言うわけではなかったのだが、明日の朝早くに出立することになりましたので、一言、と……」
声をかけられ、我に返ったように話し出すアドルフであったが、やはり、視線はジェラルドと合うことはなく、彼の向こう側にいる、ユウを見ていた。
「そうでしたか。それはご出立前のお忙しいところ、わざわざありがとうございました。こちらも一ヶ月もの長い期間、大変お世話になりました。どうぞ、無事ご帰還されること、お祈りしておりますよ」
にこやかにジェラルドが謝辞を返すと、アドルフはようやく自身が追ってきた王子に視線を合わせ何か言おうと開いていた口を真一文字に噤んだ。
「アドルフ殿下、明日の準備がありますので、そろそろ……」
後ろに控えていた従者が小さく伝えると、アドルフは「うむ」 と呟き、ジェラルドに向き直った。
「では、我々はここで」
不機嫌そうにくるりと踵を返したアドルフとその従者は、そのまま振り返ることなく、中庭を後にした。
「ジェラルド殿下。先程の方は……」
姿が見えなくなってから、ユウはジェラルドにそっと訊ねた。
「隣国、カーエンタールの王太子、アドルフ・カーエンタール。あなたは、できるなら関わらない方がいい。とても厄介なヤツですから」
ジェラルドは、フッと笑ってユウに告げた。
「さて、我々もこの辺で。次にお逢いした時に、ウォーレンへの処罰、お伺いしますからね?」
「……!」
「で、殿下っ?!」
慌てる二人を見て見ぬふりをして、ジェラルドは元来た道を戻り始め、ウォーレンはそんな主を冷や汗をかきながら追いかけて行った。
ゆっくりと一人で夕陽の沈んでいくのを眺めるつもりでここに来たユウだったが、気が付けば、太陽は既に地平線に沈み、辺りも茜色から闇色へと変わりつつあった。
「……ま、いっか。きっと、明日もいい天気。だから、また、明日」
窓に灯りが点りだした家々の影を、少し羨ましそうに眺めて、ユウは中庭を後にした。
ユウ、またまた王子様と出逢いました。
片や、紳士的な王子様。
片や、厄介者扱いされる王子様。
う~ん、王子様だらけ。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
そんな我慢強さTOPクラスのあなた様に、心からの感謝を。
諒でした。