7.
ユウが王宮に移って、一ヶ月が過ぎた。
リアからルーカスとヴィンセントが様子を見に来ていたと告げられたあの日以来、余計な力が抜けたユウは、乾いた大地が雨水を吸い込むかのような勢いで仕事を覚え、侍女として恥ずかしくないほどの成長を遂げた。
「ユウ、こちらへ」
ナディアは、取り替えたシーツを洗濯場へ運び終えたユウを呼びつけた。
「ご用ですか?」
呼ばれた理由がわからず不安げなユウに、ナディアは優しく微笑んだ。
「よく頑張りましたね、ユウ。あなたには、今日から、正式にフィオナ様の専属侍女としてお勤めをしてもらうことになりました。おめでとう」
そう言って、フィオナの瞳の色と同じ紫のお仕着せをユウに手渡した。
「さ、早く着替えていらっしゃい。フィアナ様が、あなたとお話しするのを、ずっと待っていらしてよ?」
「……はい、ありがとうございます!」
薄っすらと涙を浮かべたユウは、ナディアに深々と頭を下げ、自分に与えられた部屋へと戻っていった。
「良かったですわね、ヴィンセント様。ルーカス殿下のお目も、あながち節穴ではなかった、ということですわね。」
「ナディア女史? 殿下への不敬罪に当たりますよ?」
ユウが走り去った逆の方向から、何の気配もなく現れたヴィンセントは、苦笑いしながら自身を振り返ったナディアをたしなめた。
「あら。それは失礼いたしました。そんなことくらいでお怒りになる殿下ではないと思っていたのですけれど」
二人は互いに顔を見合わせて、どちらからともなく、和やかな笑みを浮かべた。
しかし、その空気も長くは続かなかった。
「ユウは……あの子は、とても強い。とても強く見える分、ひどくもろくて、弱い」
「そうですわね。とても頑張り屋さんで、何に対しても必死に、懸命に立ち向かう。でも、その分、小さなきっかけで壊れてしまいそうですわ」
「いつかユウは……あの子は、すすんで自分自身を犠牲にしそうな気がするのです……」
もうとっくに姿の見えなくなったユウの走って行った方を見る厳しい表情のヴィンセントの横顔を、ナディアは哀しげに見遣った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
部屋に戻ったユウは、ナディアから渡された紫紺のお仕着せを眺めて、何とも言えない複雑な表情をしていた。
(私、“罪人”扱いなのに……。フィオナ様のお傍にお仕えしてもいいの?)
実際のところ、ユウ自身、ルーカスの一言であれよあれよと訳の解らぬうちに侍女見習いとなった現状の全てを、納得して受け入れていたわけではなかった。
(ヴィンスは……どう思う?)
一ヶ月前にここに連れてこられ、国王陛下に謁見した翌日、侍女見習いになることが決まってから、ユウは、ヴィンセントと一度もまともに顔を合わせていなかった。
以前、リアが言っていたように、ヴィンセントは、ユウのことを見ていたのかも知れない。
だが、ユウ自身は、一度もその姿を見かけることはなかった。
ここに来てから顧みることのなかったヴィンセントのことを想った途端、張りつめていた緊張がブツリと途切れ、ボロボロと大粒の涙が床を濡らした。
「……いけ、ない。泣いちゃ、負け。私、一人でも、ガンバらなくちゃ……」
無意識に漏れた言葉に、慌てて口元を押さえても、あふれる涙は止まることがなく、次第に言葉とも取れない嗚咽に変わった。
「……ユウ? いるのか?」
暫く時間が過ぎて、ようやくユウの涙が落ち着いたところに、ドアの向こう側から、ルーカスのユウを捜す声がした。
(見つかっては、イケナイ)
息を潜め、部屋の隅に小さくなって、その人がこの場から離れていくことを祈る。
が、しかし、その願いは空しく、カチャリ、と小さな音を立てて、ドアノブが廻り、ユウの身体は、その微かな音にさえ、びくりと揺れた。
「ユウ……」
ルーカスの、感情が揺れた声に、ユウはゆっくりと顔を上げた。
「……何故、泣いて……?」
声の主の、驚きを隠さないその顔は、酷い痛みに耐えるかのようにも見え、ユウは、キュッと唇を噛んで、その視線から逃れるように目を逸らした。
次の瞬間、ユウの視界は遮られ、身体は強い力に閉じ込められた。
「辛いなら、どうして言わない? お前は、もっと、人を頼れ。でなければ、お前が消えてしまう……」
頭の上から響く苦しげな声に、おさまりかけたユウの涙が、再びあふれだした。