3.
気が付くと、ユウはベッドの上にいた。
(元の世界では倒れたことなんて一度もなかったのに……)
ゆっくり身体を起こして、こちらに来てから随分と弱くなった、と嘆くように、ふぅ、と大きく息を吐く。
「お気づきになられましたか?」
いつからか部屋にいた明るい栗色の髪の女性が、こちらを向いてニコリと微笑む。
「宜しければ、お水はいかがですか?」
彼女は水差しからグラスに水を注ぎ、ユウの前に差し出した。
「……ありがとう、ございます」
「お目覚めになられたこと、お伝えして参りますね」
そう言って、彼女は部屋を出て行った。
よく冷えた水を注いだグラスは、崩れそうになった気持ちを留めてくれた。
一口含むと、それは乾ききっていた身体に染み込んでいった。
「失礼するよ」
声の方向を見ると、開かれていたドアに寄り掛かるように、身なりをきちんと整えた一人の男が立っていた。
ユウが視線を戻し、何も言わずにいると、その男は不服そうに近寄って来る。
「口がきけないのか?」
頤をグイと下から押し上げられ、強引に視線を合わせられる。
ユウの目の前にあった深い藍色の瞳は、何故か驚いたような表情を浮かべていた。
「殿下、どうなさいました」
聴きなれた声が、耳に届く。
「……ヴィンス、か。では、やはり、この娘が?」
殿下、とヴィンセントに呼ばれた男は、スッと目を細めた。
「ユウ、です。殿下」
「……ふん。えらく気にかけてやっていると聞いたが?」
「当然でしょう? 言葉も生活も全く違う世界に、突然放り出されたんですから」
「……それだけか?」
整った顔が、ずいっ、とユウに近づく。
パチン、と、突然部屋に響いた乾いた音は、その空気を一瞬で入れ替える。
音の源は、男の左頬に飛んだユウの右手だった。
「……何をする」
「さっきから何なんですか、貴方? ヴィンスに殿下と呼ばれるくらいなんですから、きっとお偉い方なんだろうな、とは思いますが」
ユウは自分のとった行動に自分で驚きながらも、ムッとした気分のまま言い放った。
瞬間、男が豪快に笑いだした。
「え?」
何が起きたのか全く分からず、ユウはヴィンセントに助けを求めるような視線を送る。
「……殿下。ユウが困っていますよ?」
「ふっ。ヴィンス、お前、面白いものを拾ったな」
「ルー」
涙目で皮肉を投げた、自身が殿下と呼ぶ男を、ヴィンセントはしかめ面で見ていた。
ひとしきり笑い、ユウの方へ向き直った男が、その薄く整った口を開く。
「私はこの国の王太子、ルーカス・レイモンド・ベイルシャールだ」
「ユウ・サカキです」
「ユウ、か」
「はい」
「……良い名だ」
ルーカスは、くしゃりとユウの前髪をかき上げて、露わになった額にその唇を落とした。
途端に茹で上がるようにユウの顔が赤くなる。
「……なっ!」
抗議をしようと口を開くも、パクパクと動くだけで、声にならない。
「邪魔したな」
そう言って、ルーカスは部屋を出て行った。
「大丈夫ですか? ユウ」
真っ赤になっているユウの顔を、ヴィンセントが覗き込む。
「……無理です」
その顔を見られたくないユウは、慌ててシーツを頭からかぶり込む。
「……すみません」
「ヴィンスが謝ることないでしょ」
「ルーは……王太子殿下は同い歳でね、兄弟同然に育ったんです」
ユウは包まったシーツから、頭だけをスポッと出した。
「ルー、アート、レンと私。歳が近かったから、小さい頃は、四人、いつも一緒でした」
どこか悲しげなヴィンセントに、キリリと彼女の胸が苦しくなる。
「やはり、きちんと伝えなかったのが、間違いだったのかもしれない」
彼の、消え入りそうな声が聞こえた。
「私のせいだね、ヴィンスの大切な人たちを怒らせちゃったの。ごめんなさい」
(ヴィンスは、何も、悪くない。悪くないのに、何故、こんなにも辛い思いをしないといけない?)
もう何度目かの自責が、ユウを罪悪感に縛り付ける。
「ごめん、ね。ヴィン……」
ユウがそこまで口にすると、グイ、と引き寄せられた。
ぽすん、とヴィンセントの胸に抱きとめられる。
「ユウは何も悪くないんだ。だから、何も気にしないで」
大きな手で、そっと背中を撫でられる。
まるで陽だまりのように温かい。
「慣れない馬車は疲れたでしょう。さぁ、今日は、もう、お休み」
柔らかなヴィンセントの声が呪文のように響き、ユウは瞼をゆっくり下ろした。
今日のユウちゃん。
王様の次に、王子様に遭遇。
…この方、当初は、こんなキャラ設定じゃなかったのですが…あれ?
何処で間違えた???
こんなおバカにお付き合いいただき、ありがとうございました。
そんなあなた様に、最上級の感謝を。
諒でした。