面白みの無い従者の一日
三話♪
クレセンティア城は商業都市の栄えと同じほどの優美さを誇っている、一時間かけなければ城の端から端まで回ることなど出来ないし、城内は何度も歩かないと部屋の位置などわからぬまま、永遠に城の内部でさ迷う事になる。
所謂豪勢な迷宮とでも言おうか。
城に続く石畳の左右には綺麗に切りそろえられた植木があり、その外側にはローズガーデン、一目だけでは庭が燃えているのではないかと錯覚してしまうぐらいの真っ赤なバラはさることながら、その所々に小さく己を際立たせる、全てを無に帰す白バラは何とも風情がある。
バラ園以外にもこの城の所々に咲き乱れる花の色は、色彩鮮やかで、人の目を飽きさせることを全く知らない。
これは城を正面から入ったときに目に入る風景、裏手に回るとそれはがらりと変わる。
城の裏は正面よりも空間が大きく取られている、芝が薄っすらと生えているだけでそれ以外は目を引くものは皆無、その芝も所々剥げ、茶色い土色が顔を出している。
その空間は兵士が己を鍛えるための場所として使われている、いわば鍛錬所だ。
話は変わるが聞いてもらおう。
グレスベラント王国、歴代から数々の戦を他の地で繰り広げ、今に至る大きなる王国だ。
そのグレスベラント王国の南の領土を任されているのが、商業都市クレセンティアだ、因みに北西が鉄具都市ギレグランス、残りが魔法都市ポーカリエンス。各領主がその土地を治めている、その都市の周りにある小国がその領主各々に従属している。
そして大陸の中心に都市を構えるのが、王都市グレスベラントである。
そのグレスベラント王国の隣にある国、帝国ギルドン。
この帝国との関係が今は余り宜しくない、グレスベラントの国王、フェニシール・ドラグ=グレスベラントは帝国の帝王、ギルバルーツ=ギルドンと犬猿の仲より遥かに悪い。
つまりは、あんな国ぶっ潰してやる! と国王もしくは帝王の憤りが限界を超して戦争にでもなった場合、国の領土から兵士や魔法兵がかり出されることが可能性として無い訳ではないのだ。
そのため、クレセンティアはその可能性を軽視せず、また己を鍛えミリーナ様やその父方、いわばクレセンティアの領主様を守るため励んでいる。
その背景があることもあってか、城の裏手は広く取られ鍛錬所として使われている。
「もういい、早く俺の部屋に案内しろ」
龍牙がくたびれた様子で目の前を先導する男に声をかける。
ミリーナの従者となったその日のうちに、従者は城内の埃の位置すら把握していなければならないと言われた。何と言ってもミリーナに一日中お傍に仕えるのだから、そのためクレセンティア城を端から端まで龍牙は今案内をされているのだ。
そして、現在案内開始から一時間半経過した所で龍牙は面倒になりそう言った。
「これで最後だ、我慢して付いてくるんだな」
龍牙の提案は無下にされ、目の前を歩く兵士は歩みを早める、龍牙は露骨に嫌悪の表情で男を睨むも、相手は全く気にしていない様子であった。
最後の部屋を案内され、やっとのことで自分の部屋にたどり着いた。
龍牙の部屋は城の端っこ、ここしか空き部屋は無いそうだ、龍牙自身わかりやすくてよかったとは思っている、部屋の中もさほど悪くは無い、自分が前に住んでいたところに比べれば豪勢さは天と地の差だ。
「今日は案内だけで終わりだ、明日君を迎えに来る人がいるから、今度はその子の言うことに従うこと、いいね」
「わーったよ、はいはい」
龍牙は適当に男をあしらうと、部屋のドアを閉めた、やっとのことで自分に巡ってきた自由時間、龍牙は部屋の隅に置かれたベッドに寝転がった。
とは言っても、特にやることが無い。
龍牙が着ている衣類はラフな薄着のシャツと、この世界に来て着していたジーンズ、上着のパーカーは魔法の所為でボロボロになり修繕不可と判断し破棄された。
龍牙はごろりと寝転がってみる、広い窓から陽光が降り注ぐ、眩しさに龍牙は目を細めた、未だに太陽は高い位置にある、昼過ぎといったところか。
暫くそうしているが、次第に退屈になり終いには部屋を飛び出した、見て回るぐらいなら構わないだろうと思ってのこと、部屋に篭った所で何も無いと判断してのことであった。
自分の部屋を基点にグルリと城内を一周するという予定、時折すれ違うメイドや兵士は龍牙に一礼すると過ぎていく、なんだか妙な気分であった。
龍牙が魔法、【世界との架け橋】によって飛ばされてきたと言うことは城内で限られたものしか知らない、それ以外は倭の国から来たミリーナの従者と言うことになっている。
特に面白いものは無かった、先ほど案内された浴室を過ぎて城の裏手に回る、すると、コン! コン! とくすんだ音が聞こえた。龍牙は音のするほうへと視線を向ける、大きく縁取られた窓から外を覗くと、鍛錬所で二人の兵士が木剣で一戦交えている所であった。
一人が切りかかり、それを剣で弾く、弾かれたほうはすぐさま手首を翻して突きの動作、それを上半身を捻って交わし、捻る力を無駄に浪費することなく横に凪ぐ。
龍牙は近くにある扉から外へと出た、先ほどくぐもって聞こえた木剣の音も少し鋭いものとなっている、かなり力を入れて打ち込んでいるようだった。
龍牙は近くの石段に腰をかけてそれを眺めていた、結果は剣を横に凪いだ男の勝利であった、負けた男は地面にしりもちを着いて荒い息をしている。その男に男(勝利した方)は手を伸ばし立たせてやると、兵は一礼して城に戻っていった。
日の光りが一人の兵士に当たり、首筋に垂れる汗がそれを反射させる、それをなんとなく眺めていると、不意に。
「君もやるかい」
少し高い若々しい声が飛ぶ、途端目の前に木剣が視界に入り、龍牙はそれを慌てる様子も無く受け取った、どうやら先ほど打ち合いをしていた兵士がこちらにこれを投げたようだ。
「やらねぇよ、だりぃ」
龍牙は声をかけてきた男に向けて木剣を投げた。
声をかけてきた男は、真っ白な肌に整った鼻筋と少し垂れ目が印象的の好青年、長い漆黒の髪は後ろで縛られていて、身長は龍牙よりも少し高い。
その青年は龍牙が投げ返した木剣を受け取ると、パッとしない顔をする、そして。
「何でだい、やれば良いじゃないか、だから来たんだろう」
また龍牙に投げる。
「なわけねーだろ、暇だから見てただけだ」
投げる。
「暇ならやるといい、気分がすっきりするよ」
投げる。
「やらねーっつてんだろ」
少し強く投げ返す、剣が数回宙で回転する。
「強情だなぁ、やりたいくせに」
先ほどより少し早く投げ返される、段々とだが龍牙は腹が立ってきた。
「お前人の話きいてんのか」
「聞いてるさ」
「じゃあやらねーよ」
「そう言わずに」
「やらねー」
「そう言わずに」
「しつけー!」
龍牙は立ち上がった、右手に持つ木剣を振りかぶると、体をばねのように使い青年に向かって投げた。
恐ろしい速度で迫る木剣を青年は何てこと無いように、掴んだ、龍牙は少し驚いて目を見開くと、青年はニコリと笑う。
「ほら、イライラしているなら一戦交えようじゃないか、気分も軽くなるし」
青年は軽く木剣を放り投げる、ムッとする龍牙はそれを受け取ると青年の方に足を運んだ。
「あ、そういえば君って、昨日運ばれてきたミリーナ嬢の従者さん? 名前は確か・・・龍牙」
「今頃気がついたのか、だせぇ」
龍牙が鼻で笑うと、青年は苦笑いをする。
「そっか、君か、じゃあ自己紹介しておこうか、僕はギルモア=レビン。よろしくね、それより龍牙、剣の使い方知ってる?」
ギルモアが地面に落ちてある木剣を拾うと、そう言った、龍牙はギルモアから少しはなれて、剣を眺めながら口を開く。
「しらねぇ、鉄パイプなら使ったとこあるけどな」
「鉄パイプ・・・? なにそれ」
「知らなくてもいい代物だ」
「そう、じゃあ僕は攻撃しないから、君が好きに攻めてよ、一本でも当てたら君の勝ち、どう?」
龍牙はピクリと肩を動かした、まさか、舐められているとは思っても見なかった、ギルモアが首を傾げると龍牙は苛立ちが燻る瞳でギルモアを見る。
「いいのか、後悔するかもしれないぜ」
その殺気立った視線にギルモアは背中に冷たいものが流れた気がした。
「うーん、兵士として前言撤回は出来ないからねー」
ギルモアが言い終わった瞬間に龍牙は走り出していた。
あっという間にギルモアの懐にたどり着くと、龍牙は右手に持つ剣を地面に掠らせながらギルモアの顎に向かって振り上げる、ギルモアは臆する様子も無く首を横に向けて避けた、避けられたのを見た龍牙はその勢いを殺さずそのまま身を捻ると、自分の左腕で剣の軌道を隠しながら腹に向かって剣を突き出す。
少し驚いたようにギルモアは目を丸くするが、それは自分の体に剣が付く前に自分の持つ剣でそれを弾いた。
「君、嘘ついた?」
距離をとった龍牙に胡乱げな表情でギルモアは聞く。
「あ? んのことだ」
「剣の使い方が余りにも、出来てるから」
「適当さ」
龍牙は狷介に笑う、伊達に修羅場を潜り抜けてきたわけじゃあ無い、これぐらい出来ないと多対一では殺されてしまう、一瞬で一人一人の動きを判断し、最適な場所へと攻撃を叩き込む、不良に似合わない緻密な攻撃。それが龍牙の喧嘩スタイルだ。
目を見張るようなスピードでギルモアに龍牙は近づいた、剣での技術では圧倒的に不利な自分だが、攻略の方法は無いわけではない。
龍牙はギルモアへと迫ると剣を構える、それにつられてギルモアの表情も真剣になるのが見えた、それが龍牙の狙い。
先ほどの数秒のやり取りで剣での攻撃に警戒を与えたのは確か、それなら剣を囮に虚を突く攻撃をすれば、敵に隙が出来るはずだ。
龍牙は走る勢いそのまま、ギルモアへと肉薄すると身を急に屈めてみせる。
そのまま、足の力と上半身をのけぞらせた。
一瞬だが浮遊感に襲われ、龍牙の視界はグルリと一回転。
所謂サマーソルトと言う奴だ、足先でギルモアの唖然とした表情が見えた気がした。
龍牙は軽快に着地をしてみせると、足に力を入れて踏み出し剣をギルモアの懐目掛けて突き出した。しかし。
剣は虚しくも空を切る、それどころか無防備な腕をつかまれ引っ張られると、気がついたときには木剣が首筋に突きつけられていた。
一瞬で形勢逆転、龍牙は内心で唇を噛んだ、喧嘩では無いけれどまた負けた、二連敗だ。
「攻撃しねーんじゃねぇのかよ、ギルモア」
龍牙はギルモアを睨む、ギルモアの表情は酷く冷めていた、だが、急にフッと綻んだ。
「いや、負けたよ、サマーソルトが鼻先掠めたし、どうやら龍牙を甘く見てたようだ、兵士長として情けないね」
ギルモアは手を離し木剣をしまう。
勝ち、龍牙はそう思ったが、あんなに苦渋を呑まされた勝利など勝利として認めたくは無かった、龍牙は口を開く。
「あんなの勝ちじゃねー」
「そう? じゃあ今度は僕もちゃんと相手するよ」
ギルモアはそう言うと、仕事がこの後あるからとそれだけ言うと、城へと戻っていった。
ギルモアがいなくなると、龍牙は不意に引っかかるフレーズを反復した。
「兵士長として情け無い、あいつ兵士長だったのか?」
龍牙は兵士長に負けと言わせて喜んだらいいのか、兵士長と言わずに自分を弄ぼうと考えたと思われるギルモアに憤るべきか、どちらにせよ不快な気分が残るだけであった。
まあ、流れる汗と疲労感が大部分を占めてはいたが。