はじまりのひ
二話目♪
龍牙の生活は暴力で始まり、暴力で終わる。
そんな生活が彼にとって普通であった。
そう、普通。
普通と言うのは、人がその現状に満足も不満も無い状態、それが普通だと思う。
そのことに関していえば、龍牙は暴力で始まる生活に満足しているわけではないし、暴力で終わる生活になんら不満を持ち合わせていないのである。
それが彼の普通。
暴力こそが普通なのだ。
それ以上もそれ以下も無い。
故に彼の普通が壊されるとしたら、何処か別の世界、平行世界であろう。
変な気分だ、頭がぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような、吐き気を催すには不十分で、不快感を覚えるには十分なくらいの違和感。
―――やめろ、気持ちわりぃ!
龍牙は内心で毒づいた、自然と瞼の裏に優しげな光りが灯っていることに気が付く、薄っすらと赤みを帯びたその光りは、きっと瞼の裏に流れる血管の所為であろう。
ゆっくりと、光りに目が慣れるように少しずつ瞳を開いた。
最初に目に入ったのは、染み汚れ一つ無い真っ白な天井であった。
完全に覚醒していない頭でボーっと円蓋を仰ぎ見ながら、体を起こした。
回りも白で統一された、何の変哲も無い一室のベッドに自分は寝かされていた。
壁には大きな出窓が取り付けられていて、そこからは風で揺れる木の葉が爽やかな音色を龍牙に届ける。
「お目覚めになられましたかな?」
急に声をかけられ、龍牙は振り返った。
枕元に一人の老人が歯を見せてニゴリと笑う、所々歯は抜けていて、黒ずんでいるところも見える、どのくらいの時間虫歯を放置しておいたのだろうか。
「あんた・・・誰だ」
龍牙の瞳にあの刺すような鋭い眼光が舞い戻る、それを見た老人は少し後ずさると、笑みを絶やさず口を開いた。
「私めはシュバルツ=レギシュと申します、あなた様の治療をしておりました」
「治療? 俺は何処も怪我してねーぞ」
龍牙は自分の体を見回すとそう言った。
「それはそうでございましょう、私めが精魂込めてあなた様の外傷を癒したのですから、暫くお待ちを・・・ミリーナ様をお連れします」
シュバルツはそう言うと、部屋から出て行った。
「ミリーナ? ああ、あの小動物か・・・」
龍牙は真新しい記憶を引っ張り出すとそう呟いた。彼女、ミリーナに抱いた第一印象がそれだ、睨むと怯えた子犬のように身を縮めるため、小動物。
それよりも、自分はなんでここにいるのだろうか、確か兵士のコスプレ集団と戦って、竜巻に体を持っていかれて、そこから先の記憶が完全にシャットアウトされている。
すると、部屋のドアが開いた、ドアの外から薄地の衣服に身を包んだミリーナと複数人の兵士、それとシュバルツが入ってきた、ミリーナの衣装を見た龍牙は目を丸くする。
鮮やかな青を基調した衣装、それが彼女の蒼髪と紺青色の瞳を邪魔せず、逆に落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「龍牙さん、目が覚めたんですね」
ミリーナが起き上がった龍牙を見ると、穏やかに微笑んだ。
「ああ、ってかミリーナ・・・なんだその格好は、どっかのパーティにでも行くのか?」
「あ、これですか、普段着なんです」
「普段着? 馬鹿いうなよ、なんの冗談だ」
「貴様、ミリーナ様に何たる口を!」
ミリーナの傍らにいた兵士が龍牙を睨むと、腰にさす剣に手を添える。
「あぁ? こいつと普通に喋ってなにがわりーんだよ、雑魚男」
龍牙はさめた視線で男を睨んだ。
「なにっ」
「やめて」
剣を抜く寸前ミリーナが手で兵士を静止させる、兵士は一度ミリーナの顔を見ると、渋々剣から手を放し一歩後ろに下がった。
「少しだけ、龍牙さんと話をさせてください」
ミリーナが振り返るとそう言った、兵士達の表情が幾分か強張るのが見える。
「私めが傍にいましょう」
シュバルツがそう言うと、彼らは顔を見合わせるも何も言わず全員部屋から出て行った、ドアが閉まり足音が消えるのをミリーナが確認すると、フゥと小さくため息を吐いて振り返る、その表情にはいくらか疲れが見て取れる。
ミリーナは衣装の裾を踏まぬようにスカートを上品に持ちあげながら、龍牙のベッドの傍にある椅子に腰を下ろす、シュバルツはドアに背中を預けている。
ミリーナは座ったまま口を開く様子が無かった、何も言われないなら何も言えない、龍牙は何処か気まずいと思いながらも窓の外に目を向ける、少しだけ風が強くなってきている、木の葉が先ほどより強くなびいているのが見えた。
「あの、怪我はもう治りましたか」
ミリーナの声で室内の静寂は破られた。
「みりゃわかんだろ・・・そろそろ帰る」
龍牙はそれだけ言うと、ベッドから降りる、それを見たミリーナは口を開いた。
「えっと、何処に」
「はぁ? 家に帰るに決まってんだろうが」
「え、ええと。そうですよね・・・あの」
「龍牙様、あなた様のお宅は何処に」
しどろもどろのミリーナの助け舟を出すように、シュバルツが龍牙に言った。
「東京だ、墨田区」
「申し訳ありませんが、そのとうきょうがある国は何処でしょうか」
「テメェ、からかってんのか、日本だよ」
憮然とした表情で龍牙はシュバルツをにらみつけた。
「その国はこの世界には存在しませぬ」
シュバルツは抑揚の無い声でそう言った、何を言っているのかわからない龍牙は表情を険しいものに変える。
「意味わからねぇことばっか言いやがって、殺すぞ」
だが、龍牙は頭の片隅でそれをわかっているような感覚に苛まれた、そう、自分が今いる場所は自分が知っている所では無いのではないか。
根拠なんて何も無い、だが、奇妙な既知感が在るのは確かだ。
「本当のことでございます故、私めからは何もいえませぬ、ただ、昨日の朝方この都市の南にある森に只ならぬ魔法が行使されました」
シュバルツは言葉を区切ると、龍牙からミリーナに視線を移す、ミリーナが頷くとシュバルツは再び龍牙を見た。
「禁忌の魔法でございます、それも世界を破滅に追いやることが可能な、【世界との架け橋】と言う次元を歪ませる魔法」
「魔法・・・」
龍牙は小さくつぶやいた、自分を弾き飛ばした奴が使っていた不可思議な能力、それが魔法だということに龍牙は少しだけわかっていた。
「そうでございます、あなた様は不運にもその魔法の対象者、別の世界から連れ込まれた被害者なのです」
龍牙は口の端を渋い顔で吊り上げる、何の反論を出したところで無駄だとわかった、ここは自分が知らない世界。別世界だ。
「じゃあ、どうやったら帰れんだよ」
「あなた様を連れ込んだ魔法は、膨大な魔力と人力が必要とされます、関わってはいけない他の世界とこの世界を共有させるには、それ相応の犠牲も・・・」
「つーことは、今のところ帰れる手段がねーんだな」
「察しがよろしいようで、ところで、あなた様がこの世界に来る前、何をされたのでしょうか、それを知ればもしかしたら帰れる目処が立つかもしれませぬ」
「それなら知ってる、あの野郎に・・・・・・?」
龍牙は困惑の色を濃くした、印象が強く残ったものは脳内に強く記憶させられるはずだ、事実龍牙自身、怒りを覚えた事なのだから。
しかし思い出せない、あの野郎とは誰だ、何をされた、思い出そうとすればするほど重要な記憶の断片は龍牙の脳の回路から巧みに抜け出していく、水を掴もうとするようなもどかしさが込み上げ、終いには考えることを諦めた。
龍牙はため息と同時にベッドに腰を下ろす、ついに歳か。
「どうしたんですか、龍牙さん」
ミリーナが心配そうに声をかける、龍牙は苛立ちの募った表情でミリーナを睨む、別に睨んだつもりは無いのだが、結果として睨んだように見えてしまった、ミリーナは引きつった表情で瞳をパチクリとさせる。
「思い出せねぇ、何があったか、そこだけ真っ白だ」
自分が彼を怒らせたのでは無いんだとミリーナは判断をしたのだろう、安堵のため息を吐く、するとシュバルツが龍牙の前に立つ。
シュバルツはしわの深く刻まれた目を細めて、龍牙を見つめる、龍牙はよくわからぬままシュバルツの漆黒の瞳を見返した、暫くするとシュバルツは龍牙の視界から離れた。
「フム・・・ミリーナ様、龍牙様は頭を強くお打ちになられたようで?」
「あ、そうです、血が出ていましたから」
「それほどの衝撃で頭を打ったのでしたら、一時的な記憶障害が在り得るかもしれませぬ、一番強く印象に残った記憶が押し込めれたのでしょう」
記憶障害、こんなにも靄がかかったような状態が記憶をなくしたと言うことなのだろうか、少し前に頭をかき混ぜられたような違和感はその所為なのかもしれない。
「それじゃあ、もとの世界に帰る手立てはねーってことだな」
「残念ですが、そのようです」
逃れようも無い事実、と言う奴だ。龍牙は諦めた、どうこう言った所で帰れるわけではない、重要な記憶も無くしている。
つまりは、何も知らない世界に身一つでおっぽり出された迷える子羊と言ったところ。
「あの、ごめんなさい龍牙さん、私が兵士さん達をもっと早く止めていれば」
「謝って帰れんなら、お前には百万回ほど謝ってもらうが、帰れない以上お前の非礼は聞くだけ無駄だ」
「あう・・・そうですね」
素っ気無く返すものの、ミリーナに非は無い、自分が兵士をただのコスプレ集団だと思って喧嘩を挑んだのが事の発端だ、龍牙はそのことをわかっていた、ただ今おかれた状況にいささか動揺が隠しきれず、ミリーナに当たってしまったと言うのが彼の本心だ。
「ミリーナ様、私めから提案があります」
「なんでしょう」
シュバルツがミリーナに言った。
「龍牙様をあなた様の従者として雇われては如何でしょうか」
シュバルツの口から出た言葉は余りにも突飛過ぎたものだった、ミリーナは面を食らったように目を見開く。
「龍牙さんを、私の従者に?」
「はい、聞いたところによりますと、龍牙様は兵士を素手で倒したと聞きました、ミリーナ様の側近の護衛として、また、この世界のことを学ぶにはミリーナ様の傍にいるのが一番良いかと」
龍牙は内心苦い顔をする、ここまで来たら察しが悪い奴でも気がつく、ミリーナはこの城の偉い奴だと。
ミリーナは龍牙に視線を向けた。
「龍牙さん、えっと・・・どうですか?」
ミリーナ自身全く持って構わないそぶりを見せる、自分の所為で彼に迷惑をかけたのだから、それくらいのことをしなければならないと彼女なりに考えてのことであろう。
龍牙はミリーナに目をやると、少しばかり考えてみる。
従者と言うことは、ミリーナに従うと言うこと、はっきり言ってしまえば面倒くさい、しかし、これを断って一人放浪したところで帰る手段が見つかるわけでもない、なら、少しでもここにいて帰る手立てを考えてもらうほうが、賢いやり方と言うものだろう。
「お前が良いなら、俺は構わない」
「決まりですな、ミリーナ様」
「はい、龍牙さん、よろしくお願いしますね」
ミリーナは目を細めて龍牙に微笑した、龍牙はそれを一瞥すると、窓の外に目を向けた。
風が強く吹きすさんでいる、荒れそうだ。
そう、とても。