0話 失恋現場
失恋現場、というものを生で見るのは人生初の出来事だった。
肺が凍ってしまいそうなほどの凍てつく空気感は、喉を通る唾の音でさえも聞こえてくるくらい静寂を保っていた。
盗み聞きするつもりなどさらさらなく、これはあくまでも不可抗力に過ぎない。
例え、どんなに罵詈雑言を投げかけられ悲観されようとも、無罪であることをここに主張しよう。
しかし、あのような容姿の女子を振ってしまうだなんて勿体無いことを。
よほど女子に恨みでもあるのか、興味がないのかは分からない。
だが、目の前で女子が涙を堪え震えている訳だ。よくもまあ、そんな剣幕で女子をフることができるなと逆に関心を覚えてしまうよ。
正直、全くもって男子の声は聞こえないのだが、非常に煙たがっているのは見てれば分かる。
男子生徒は、吐き捨てるように「じゃあ」と小言を漏らす。
その場に彼女を取り残し、少し小走り気味でその場を後にしていた。夕焼けの騒がしさが眠りにつくように、辺りはすぐに光を失う。
暫くして、日常の声が我々の耳に届くようになる。部活動をしている生徒たちの声の輪郭がはっきりしてくる。
辺りを見渡すと教室は電気もついていない。
渡り廊下から校舎の裏手を頬杖つきながら眺めているが、差し込む光はやたら眩しく、彼女の影を伸ばすばかり。
残された彼女の口から悲しさの塊が吐き出される。
その辛そうな声が耳に突き刺さる。彼女のことはよく知らないが、同情することぐらいは俺にもできた。
こんな悔しくて、惨めな姿は誰にも見られたくないだろう。
音を立てずに窓を閉め、俺は昇降口を目指した。
翌日、その噂は俺の耳にも届いていた。
C組の藤林茜がフラれたというものだ。
光のような伝達速度で学年内の女子の耳に情報が伝わる。人は目新しいものに興味を惹かれやすい。かといって、彼女にプライバシーはないのだろうか。
ともかく、彼女が「フラれた女」という結果になったのには変わりない。
学年内で彼女を見かける者の中には、彼女に対して陰でひそひそと烙印を与えることを何の悪びれもなく行う輩が現れるまでの未来は予測できる。
俺も誰かに関心があるわけでもないが、彼女の弱々しい声音が脳裏に焼き付いている。特に彼女の過去がどうであったかは知らないし、あの男子生徒にどれほどの好意を寄せていたのかも分からない。
尾鰭のつくような噂話を消し込むくらいのことはしてやりたいところではあるが、結局、彼女が誰にどう言われようが俺には関係ない。
だが、あれ以降、彼女自身に多少の興味が湧いたのは事実である。
この興味というのは、好意を持つであったり、話しかけたいというものではない。
初めて昆虫図鑑で海外のカブトムシの種類の多さと無骨さを知った時の感動、興味深い、という感情の方が近しい。
人の噂も七十五日というし、彼女には当分の間、辛抱の時期を要すると思うが、心の中ではほんの少しだけ頑張れと鼓舞している自分は意地悪な人間なのだろうか。
しかし、一週間後、彼女のことを覚えている人間はいるのだろうか。
藤林茜が世界から忘れ去られるのは、たった七日間の出来事ことだった。




