Chapter 4 親愛なる貴方へ。
日差しが水面を裂くように煌めく昼下がり。シアは岩場に腰を下ろし、尾鰭でゆるやかに水をかき分けた。ウィンがそっとそばに寄り添う。
「シア、今日は水面まで散歩しようか」
「うん、行こう」
二人は波の揺れに合わせて、岩を飛び、浅瀬へ出た。潮の香りがほんのり鼻をくすぐる。すると遠くに、人影がふわりと見えた。足音は近づくにつれ、波間に揺れる。
「ウィン……あれ、人間だよね」
シアの瞳が輝く。
「そうだね……少し隠れた方がよさそうだ」
二人は岩陰に身を潜め、人間たちの会話を小さな波に耳を澄ませるように聞いた。
「王子様、いつまでも結婚相手を決めず、困ったもんだ」
「またメッセージボトルか……あの放蕩っぷり、どうにかならんか」
「ほんと、浮世離れしたことが好きなんだから。現実の相手の心配もせずに……」
シアは小さく息を呑む。
「……手紙の相手……」
ウィンがそっと触腕で肩に触れる。
「……気づいたか。おそらく、彼らが話しているのが、君が返事を送っていたあの人のことだ」
シアは尾鰭で小さく波を立て、心の中で揺れた。彼に正体を明かすべきか、これまで通り手紙の形を維持するべきか。どちらも正解には思えない。
「ウィン……わたし、どうしたらいいのかな」
「君の心次第だよ。無理に決めなくてもいい」
水際を歩く人たちの話は続く。王子は幼いころの難破事故を経て、修道女を想い、長く心を寄せているらしい。シアは胸の奥で、手紙の言葉と波の揺れを重ねる。文字に託した想いが、ついに現実の姿を映し出す瞬間が近い。
「でも……正体を明かすと、驚いちゃうかな」
シアは小さく俯く。
「それでも、文字の海で繋がった君の想いは、届くかもしれない……。届かないかもしれないけどね」
岩に腰を下ろしたまま、シアは潮風に髪をなびかせる。波の音が胸に響き、心臓の鼓動と重なる。砂を踏み鳴らす音がゆっくりと近づくたび、シアの胸は少しずつ高鳴った。
「……でも、もし怒られたら、わたし、どうしよう」
「怒るはずがない。文字で届いた君の想いは、ずっとずっと誠実だったんだから。一番そばで見ていた僕の事を信じられないわけじゃないだろう?」
シアは小さくうなずき、尾鰭で水面をぱしゃんと弾く。泡がきらめき、光の破片のように砕ける。その泡のひとつひとつが、手紙の先の相手に届く波紋のように見えた。
水面を渡る風に、海の匂いと文字の香りが混ざる。シアは深呼吸をして、決心を固めた。正体を明かすかどうか、今、選ばなければならない瞬間が、もうすぐ来る。
「ウィン……わたし、会ったとき、全部話そうと思う」
「うん。君がそう思うなら、それでいい」
人影はさらに近づき、波のきらめきの中で、人間たちの声が小さく混ざり合う。シアは胸に手を当て、波の揺れに合わせて心を整えた。文字の海で繋がった想いが、ついに現実に届くとき――その瞬間を、静かに待つために。
海は静かに揺れ、光を反射し、泡はゆらりと星屑のように散った。遠く、人影が月の光に溶けるころ、シアの心は決まっていた。
この先、正体を明かす勇気を持つか、文字のまま秘密を守るか。どちらを選んでも、波は優しく二人を抱き、文字の海は遠くまで届く。
そしてシアは“最後の”手紙を書き始める。
――書き出しはこうだ。
いつものように、『親愛なる貴方へ。』
そして、
『――貴方の文字は春の木漏れ日。
わたしは“春”も“木漏れ日”も見たことはないけれど、あなたの文字を読むといつもインクの上を桜が踊っています。
貴方は深海を見たことはないでしょうけれども、もし貴方が読むわたしの文字が、貴方だけに向けて書いたその言葉たちが、貴方の目にもインクの海を泳いでいるように見えたなら、こんなに幸せなことはありません。
わたしは貴方に伝えなければならないことが……いいえ、伝えたいことがあります。
それは――』
伝えない→True End
伝える→Happy End
今までのお話全話に挿絵を追加しました。




