Chapter 1 しんぁぃなるぁなたへ。
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「名前も知らないあの娘に手紙を書きたい。けど書き出しはどうしよう?
そうだ……そうだな、こんなのはどうだろう?書き出しは――」
◇◆◇
――海の底には言葉があった。
海の底には、まだ知らない色がたくさんあった。人魚のシアは珊瑚の丘を越えて、光の射すほうへ泳いでいった。
「ねぇウィン、これ、なぁに?」
小さな指先に摘まれたのは、透明な瓶。
口が小さく、栓がしてあり、その中には紙のようなものが丸まって入っていた。
「ふむ……“人間のメッセージボトル”だね」
ウィンがゆらりと触腕を揺らした。メンダコの肌に陽が反射して、淡く黄金色に光る。
「つまり、瓶の中に“ことば”を詰めて海に流したってわけだ。潮に運ばせて、誰かに届けるんだよ」
「“ことば”って……しゃべるやつ?」
「しゃべるのじゃなくて、書かれたやつさ。見てみるかい?」
シアはこくりと頷いた。ウィンは小さな脚で器用に栓を抜く。ふわりと空気の泡が弾けた。紙が海の光を受けてゆっくりと開いていく。
「うわぁ……これ、模様みたい。なに書いてあるの?」
「“文字”だよ。ヒトが声の代わりに残す、記憶のかたちだ。」
「でもヒトってシアたちと一緒でしゃべれるよね?なんでもじ?なんか使うの?」
「あぁ〜……人間はねぇ色々なことを他の人に伝えたがるんだよ。
――僕たちは死んだら身体は海底に沈み、心は泡沫に消えるだけって考えるけど、人は文字を残したがる。だって人が死んでも文字はずっと残るからね。彼らには自分で死んだあとに残したいことが沢山あるんだろう。」
ウィンが触腕で紙を押さえ、丁寧に読み上げる。
「――“親愛なる貴女へ。あの嵐の夜、わたしを救ってくれたあなたの瞳を、今も覚えています。”」
「“しんあいなるあなたへ”?……」
シアは小首をかしげた。
「なんだか、やさしい音。……ねぇウィン、これ、“ラブレター”ってやつ?」
「よく知ってるね」
「この前クラゲが言ってた。“ヒトは好きなひとにお手紙を書くんだ”って」
シアは紙を胸に抱きしめた。
その文字の中に、懐かしい泡の感触を感じた気がした。
「“あの嵐の夜、あなたの瞳”……」
その夜を、彼女は覚えていた。
荒れ狂う波の中、沈みかけた船。木片の間に挟まれた、小さな人影。その少年を抱き上げて、息を吹きかけ、陸の近くまで運んだ。
――彼の髪に触れた時のぬくもり。あれが、はじめて“ヒト”に触れた瞬間だった。
ウィンが彼女の表情を覗き込む。
「どうした、シア?」
「この“ひと”、きっとシアのこと、書いてるんだよ」
「は?」
「“海の光のような髪、空のような瞳”って! ほら、わたしだもん!」
「……偶然じゃないかい?」
「偶然でもいいもん!」
頬をふくらませたシアが、瓶を抱えてくるくる回る。水泡が尾鰭のあとを追って昇っていく。
「ウィン、文字、教えて?」
「……また無茶を言うね」
「いいでしょ? だって、シアも“お返事”書きたいの!」
ウィンはため息をついた。
「ヒトに手紙なんて送って、どうするつもり?」
「お礼言うの。“あのとき助けてくれてありがとう”って」
「助けたのは君のほうじゃないか」
「それでも、書きたいの!」
その声は、泡よりも軽やかで、まっすぐだった。ウィンは仕方なく笑って、紙切れを引き寄せる。
「いいかい、これは“ア”の字。“愛”って書くときに使う」
「“あい”……」
「“ヒトは愛で動く”とかね」
「“海は潮で動く”のと、どっちがつよいの?」
「さあ、難しいね。……でも、どちらにせよ君には愛はまだ早いさ」
その夜。
シアは貝殻をすりつぶして白い粉をつくり、海藻の汁で淡いインクをこしらえた。文字の形はぎこちないけれど、心はまっすぐだった。
『しんぁぃなるぁなたへ。
わたしも、あなたを覚えています。海の上で助けたときのあなたの顔、ちゃんと。』
「ウィン、これでいい?」
「いいね。けどどう?やっぱり面倒だっただろう?」
「うーん。ヒトってむずかしいね」
「少なくとも君よりは単純じゃないね」
「またそれ言った!」
シアはふくれっ面で筆を置くと、そっと紙を瓶に入れた。蓋を閉める前に、ひとことつぶやく。
「――どうか、届きますように」
海流が瓶を抱き上げ、ゆっくりと遠くへ運んでいく。青の向こう、彼の国へ。
ウィンがその背を見送りながらぽつりと言った。
「まったく、ヒトに恋文とはね」
「こいぶみ?」
「恋する者が書く文、ってことさ」
「恋って、なぁに?」
「……いずれわかるさ。君が、もう少し波に揉まれたころにね」
シアは笑った。泡が弾け、尾鰭が金の光をまき散らす。
「じゃあ、もう少し波に揉まれてくるね!」
ウィンがあきれ顔でその後ろ姿を見つめた。




