表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

失われた絆

掲載日:2025/11/17



** 1944年 秋 **


ベルリンの地下室は湿気と恐怖に満ちていた。


ダヴィド・レヴィは、カール・シュミット一家にかくまわれて二年になる。上階からは、カールの妻アンナと、子どもたち──ヨハンとグレーテルの足音が聞こえてくる。


「また配給が減った」


カールが階段を降りてきて、わずかなパンをダヴィドに渡した。


「申し訳ない。君の分を頂いて...」ダヴィドは言った。


「何を言っている」カールは首を振った。「君は僕の親友だ。過去に大学で一緒に学んだ、あの日々を忘れたのか?」


二人は微笑み合った。だが、その笑顔には影があった。連合軍の爆撃は日に日に激しくなり、ソビエト軍は東から迫っていた。


「カール」ダヴィドが真剣な表情で言った。

「もし何かあったら、君たちは私を見捨てて逃げてくれ。」


「...そんな話はするな」


────


ソビエト軍がオーデル川を越えた。ベルリンはパニックに陥った。


「カール、徴兵令状が来た」アンナが泣きながら言った。


五十歳のカールにまで召集がかかったのだ。国民突撃隊、フォルクスシュトゥルム。老人と少年による最後の防衛線。


「行かなくては。」カールは静かに言った。


「カール、君が死んだら...」ダヴィドの声が震えた。


「ダヴィド」

カールは友の肩を掴んだ。

「必ず戻る。戦争が終わったら、また一緒にあのカフェでコーヒーを飲もうじゃないか。」


「約束だ」


二人は抱き合った。それが最後だった。


────


ベルリンは地獄と化していた。


カールは市街戦の最前線に立たされた。

訓練も不十分な死を待つ老人たちに、ソビエト軍の戦車を止めることなど不可能だった。


4月下旬、赤軍がベルリン中心部に迫っていた。カールの部隊はノイケルン地区近くで激しい戦闘に巻き込まれた。


カールは瓦礫の中で倒れていた。

足を撃ち抜かれ、動けなかった。


しかし、この世界は無情だ。

ソビエトの兵士が近づいてきた。


「待ってくれ。」

カールはロシア語で叫んだ。

「私は戦いたくない。友人がいる、ユダヤ人の友人を助けてきたんだ。頼む、見逃してくれ....」


だが、兵士たちは聞く耳を持たなかった。彼らの目には、憎しみと怒りがあった。彼らの故郷を焼き払ったのはドイツ軍だった。戦場では、個人の良心など関係なかった。


────銃声が響いた。


カール・シュミットは、友との約束を果たせぬまま、瓦礫の中に倒れ、その生涯を終えた。


**1945年5月**


戦争がついに終わった。


ダヴィドは地下室から出た。三年ぶりの太陽は、目を刺すほど眩しかった。


アンナと子供たちは生き延びていた。だが、カールの姿はなかった。


「カールは?」


アンナは泣き崩れた。

「わからないの。4月から消息不明で...」


ダヴィドは走り出した。病院、避難所、捕虜収容所。あらゆる場所を探し回った。


「カール・シュミットを知りませんか?」


何度も何度も尋ねた。


─────


二週間後、ダヴィドは臨時の遺体安置所に辿り着いた。


そこには、名前も分からぬ死者たちが並べられていた。市街戦の混乱で、身元確認すらできない遺体が山積みだった。


係員が記録を調べた。「シュミット...ノイケルン地区付近で発見された遺体の中に、その名の身分証を持った者がいます」


ダヴィドは震える足で、その遺体の前に立った。


カールだった。


「いや...いや、いや、いや!」


ダヴィドは友の遺体にすがりついた。三年間、命がけで守ってくれた友。自分のために家族を危険に晒してくれた友。


「カール、約束したじゃないか。一緒にコーヒーを飲むって。また議論しようって...なんで。」


だが、カールは答えなかった。


** 1945年、夏 **


ダヴィドはカールの墓の前に立っていた。


アンナとヨハン、グレーテルも一緒だった。


「パパは英雄だったんでしょう?」十二歳のヨハンが尋ねた。


「ああ」

ダヴィドは答えた。

「お父さんは、私の命を救ってくれた。そして、人間の尊厳を守るために戦った。ナチスに逆らい、友情を貫いた真の勇者だ」


「パパを殺したのは...」


「戦争だよ」

ダヴィドは少年の頭に手を置いた。


「憎しみと恐怖が生み出した戦争が、お父さんを奪ったんだ」


〜エピローグ 1946〜


ダヴィドは毎週、カールの墓を訪れた。


彼は法律家として、戦後の混乱の中で働いた。シュミット家を支え、ヨハンとグレーテルを自分の子供のように育てた。


ある日、墓前で独白した。


「カール、君が私にくれた命を、無駄にはしない。君の子供たちを守る。そして、二度とこんな悲劇が起きないよう、生きていく」


風が吹き、木の葉が舞った。


ダヴィドには、それがカールの返事のように思えた。


友情は死によっても断ち切れない。だが、彼らが再び笑い合うことは、永遠にできなかった。


戦争は、最も美しいものさえ奪っていく。


---


〜記憶は生き続ける。失われた命のために。守られた命のために。〜

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ