小さな手
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眠りに落ちる瞬間まで、何も特別なことはなかった。高校時代バイトしていた名残りでずっと働かせてもらっている喫茶店の営業を終え、迎えた普通の夜。ベッドに倒れこんで、スマホを置いて、ただ目を閉じただけのはずだった。
――なのに。
目を開けたとき、世界は変わっていた。
見知らぬ天井。
息を吸えば、空気が甘い。微かに聞こえるカラスでもスズメでもない鳥の声も、異様に感じた。
慌てて身体を起こそうとして、思うように身体が動かないことに気がついた。自分の身体のようで自分ではないみたいな感覚だった。今までに経験したことない感覚なのに直感で良くないことだと理解してしまったのか心臓がバクバクしているのがわかった。
ゆっくりと自分の手を見た。
小さいくて、細い。子供みたいな…
「え、なに……こりぇ……?」
ここは夢?
それとも、まだ寝てる?
[コンコンッ]
「まあ、お嬢さま。お目覚めになられましたか。
ただいまお顔をお清めする用意をさせていただきますね。」
目の前の女性が優しく微笑みながら、そっと抱き上げようとする。その体温が、現実を決定づける証拠みたいで、逃げ場がなくなった。
頭の奥で何かがきしんだ。
昨日までの私の部屋、スマホ、朝の車のハンドルを握る時間、全部が遠のいていく。そんなものは初めからなかったかのように。
ああ、戻れない。ここ、どこ……?
「……いや、いや……!」
小さな喉から絞り出した声は幼児のそれで、
次の瞬間、視界が真っ白にかすんだ。
22年間生きてきた自分の、坂本穂乃香の身体ではないこと。それだけはいやでも理解出来た。
現実を受け入れられず、私はそのまま後ろに倒れ、
優しい笑みが焦りの表情に塗り替えられたのを最後に、糸のように細かった意識が、ぷつりと切れるみたいに闇に落ちた。
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