権兵衛の葬列
部活が終わったのはいつも通り19時過ぎでした。でもその日は校門前で帰宅部の友人の圭子がかじかんだ手を擦りながら私を待っていました。
「え、どうしたの。もしかして待っててくれた?」
「うん。ごめんね、ちょっと一緒に帰りたくて」
「……そっか、絶対寒かったよね。早く帰ろ」
圭子は入学時に私の中学校に転校してきた子でした。ここは田舎なので、保育園からの幼馴染ばかりです。そこへ突然新しい人が入ってきたので周りの皆はかなりよそよそしく、都会から来た圭子も慣れない環境に戸惑っている様子でした。同じクラスの私はたまたま隣の席になったことから自然と仲良くなりました。
そんな経緯があったからか、彼女は少し、私に依存していたかもしれません。当時はあまり意識してませんでしたが今振り返るとそう思います。私自身、決して友人の多いタイプではなかったため、うまく噛み合っていました。
でも帰宅部の彼女がその時間まで学校に残っていたのは初めてでした。よほど彼女にとって嫌なことがあったか、家に帰りたくなかったんだなと思いその時はあえて何も聞きませんでした。
私たちは自転車に乗って、肌を突き刺すほどの寒さに耐えながら坂を降りました。坂の下は一面の田んぼでした。冬は土と枯草だけの寂しい景色ですが夏には綺麗な緑が風に揺れて波を作ります。ただ夜は一年中黒いだけの土地が広がります。明かりは少なく、地元民でもちょっと不安になるような場所です。
お互い少し離れた家に住んでいましたが途中までは道が同じだったので、そんな田んぼに挟まれた直線をひたすら漕いで進みました。暗さと寒さと静けさは圭子にとってまだ慣れないものでした。普段この時間を通ったことは一度もなかったとあとで聞きました。なのでその時まで私は”あの事”を彼女に言ってないことに気づきませんでした。
学校側から8本目の交差点に差し掛かったときです。
「あ、圭子。ちょっと止まって」
「なに、急にどうしたのよ」
「暗いけど見えないかな? 奥の街灯の両側にさ」
「ええぇ何それ……ん、なにかうごいて、るの?」
ずっと昔からです。この道には『権兵衛の葬列』と呼ばれる人影の行列が日没以降に現れます。毎日出るわけではありません。”夕立の後には必ず出る”、”双子を連れて歩くと出てこない”、”酒を持っていると影に手招きされる”など様々な言い伝えがありますが、名前の由来も不明なのでどれも正しいのかはわかりません。はっきりしている特徴は”明かりの下では見えない”こと、”触れなければ害はない”ことです。『権兵衛の葬列』は地元の人なら全員何度も見ている現象です。様々な物を持つ人影が長い行列を作るそれは、初めて見た幼い頃は怖くてもやがて当たり前になって気にしなくなります。
他の土地から来た圭子は初めて『権兵衛の葬列』を見ました。この町で暮らすならいつかは必ず見るものです。私も含め地元民にとっては日常なので人と話すこともまずありません。圭子は噂にすら聞いていませんでした。
「初めて見るとびっくりするよね。でも大丈夫だから。触らなければ何もないって言われてるし」
「え? あれが? 何もないのウソでしょ!?」
「ど、どうしたの。沢山いるけど、ただの人影でそんなに驚かなくてもいいのに。怖いの苦手だったっけ?」
「いやダメ、あれは、嫌、はやくはやく消えてよ!!」
圭子はパニックになっていました。ただの黒い影の行列を異常なほど怖がっていました。自転車が倒れる音が遠くまで響きました。その場にしゃがみ顔を伏せて彼女は叫び続けました。携帯のなかった頃なので、私もどうしていいのか分からなくなり、とにかく彼女を落ち着けようと駆け寄って声を掛けました。
お互いそんな状況のまま何分経ったのかわかりませんでした。強烈な眩しさで顔を上げると正面に軽トラックが来ていました。叫び声を聞いて通りかかった人が心配して来てくれたのです。よく見れば仕事終わりの私の父でした。
いつのまにか影は消えてなくなり、圭子も安心したのか体力が尽きたのか、ぐったりと脱力しました。父に事情を説明し、私たちの自転車を荷台に積んで圭子を家まで送りました。 ご迷惑をと謝罪する圭子の両親には『権兵衛の葬列』について説明しませんでした。話しても意味ない気がしたのです。
その後の圭子は体調を崩し学校も休みがちになりました。そして中学を卒業する半年前に親の都合でまた引っ越していきました。それまでに彼女とあの日について話すことはありませんでした。
圭子にはいったい何が見えていたのでしょうか。私たち地元の人とは全く違うものが見えていたように思います。とても恐ろしい何かが、彼女にだけ見えていたとすぐに理解できれば……もう少し違う対応をしてあげられたかもしれません。
私は今もこの町に暮らしています。ここで生まれ育ち、就職し結婚して子供もできました。今でもあの道で『権兵衛の葬列』を見ます。あの頃から変わらない、ただの人影の行列です。
ゆっくりと人口の減るこの町にも、たまに田舎暮らしを夢見て引っ越してくる人がいます。町全体で歓迎していますが、私は素直に喜べない。圭子と同じようにこの町にあるものに馴染めないまま、すぐにいなくなるのではと思えてならないのです。自分達の故郷を否定されるようにはなってほしくありません。私はこの町で死にたいと思います。