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人形姫は花園に咲む  作者: 宇美百子
番外編
3/3

人形姫は月夜に綻ぶ


 俯いてはいけない、と自分に強く言い聞かせる。それでも視線は下がり、意識を遠くにやっている自覚があった。


 騎士団員の昇進を祝う祝賀会とだけあって、参加者の平均年齢がいつもよりぐっと低い。普段の饗宴とは比べ物にならないくらいがやがやと騒がしく、あちらこちらから笑い声や茶化す声が聞こえてくる。


 両親はすでに下がっており、姉は団の高官たちと談話の最中だ。私はというと、来るべき人が迎えに来ないので、お人形よろしく壇上で座っているところだ。


 遅れるとも聞いていないし、なにか緊急事態が起きているのだとすると心配でたまらない。それと――待ち人が来ないのに、こんなに着飾った自分がばかみたいだ、とも思う。


 このドレスのテーマは星の精だそうです、お美しい第二王女さまにはきっとお似合いですわ、と慇懃無礼な侍女が数日前に教えてくれた。

 お下がりでいいと言ったのに、姉はすでに私の新しいドレスを準備していたらしい。先にドレスの件とパートナーを伝えられていたら、この祝賀会自体を断っていただろう。


 色合いはすこしだけ緑がかった空色で、前身頃から下半身全体に繊細なビーズが取り付けられており、夜会の光をきらきらと反射させている。

 スカート部分は透けていて、小さな風でもふわふわと揺れる。背中は編みあげになっており、着付けの際に侍女たちがぎゅうぎゅうと縛ってくれた。


 肩と胸元に布はないけれど、私は肉づきがよくないので下品には見えないだろう。袖は長く、透ける素材に細かな刺繍がしてあったため大変驚いた。どのくらいのお金と時間をかけたのだろう、と考えると胃が痛む。


 お金も時間もきっとたくさんかかったのに、私は立ち上がることすらしていない。私が踊れば盛り上がって喜ばれるだろうと思うけれど、誰と踊れば当たり障りなく終われるのかわからない。


 姉は離れたところにいるから指示を仰ぐこともできない。大きな笑い声が上がるたび、そんなわけはないのに、ひとりぼっちな状況を嗤われているように感じて身がすくむ。


 いっそのこと消えてなくなってしまいたい。


 考えていることを万が一にでも悟られないよう、微笑んだ顔を騎士たちに向ける。

 王女として、とくに負の感情はどんなときでも隠せるようにしなければいけない。国の上に立つ人間が憂いを見せることで、すぐさま憶測が飛び交い、誰も彼もを不安にさせる。


 顎を上げ、しゃんと前を見据えた。人形ならば人形らしく、この場の雰囲気を壊さないよう、少しでも華やかになるように澄ました顔で座っていよう。


 しばらくして、会場の雰囲気がざわりと揺れた。どうやらダンスが始まるようだった。

 フロレンティーナが真ん中のほうで相手を次々に変え、くるくると舞っている。ペンを持ったり大臣たちと舌戦を繰り広げたりするよりも、馬に乗ったりダンスをしたり、身体を動かすことのほうが向いているのだ、と語っていたことを思い出す。


 姉があまりにもたのしそうで、思わず笑みがこぼれた。彼女の桃色のドレスは布が多く、明らかに動きづらそうなのに、まったくそれを感じさせない足さばきだ。

 最初はぎこちない動きだった騎士たちも、きれいな形なんて気にしないと言わんばかりのフロレンティーナにつられるようにして踊り始める。


 お酒が入っているせいか、場はどんどん盛り上がる。女性騎士と男性騎士、という組み合わせだけでなく、男性と男性、女性と女性でも踊り始めた。上官たちはその光景を見て笑っている。


 異質だけれど、悪くない。様式や決まりを重んじた、堅苦しい雰囲気は彼らには似合わない。


 ホールのどんちゃん騒ぎを眺めていると、その端、踊っていない人たちをかき分けて近づいてくる頭が見えた。黒くて短い髪に見覚えがある。

 その人影はつかつかと、まるで目標が一つしかないかのように、迷いなく近づいてきた。


 もう来ないかと思っていた。祝賀会が始まってすでに一時間は経っているはずだ。だから諦めていたのに、どうして?


 近づいてきた人影――アルベルトは私の前に来ると、すっと壇上にいる私を見据えた。額に汗が浮かんでいるのがわかって、私のほうが動じてしまう。


「ミア、おいで」


 彼の言葉に導かれるようにして、音も立てずに腰を上げる。この壇上にアルベルトが登ることは許されないから、自分から降りてこいと彼は言うのだ。


 あれだけうるさかった会場がしんと静まり返っている。アルベルトから差し伸べられていた手を取ると、ホールの中心まで連れ出される。人がごった返していたその場所は、今は私たちのために空けられている。


 そのまま自然にホールドを組んで――紫の瞳は、私に向かってにっこりと微笑んだ。


 なにをしているの、と言う間もなく、演奏が始まる。美しい円舞曲に合わせ、身体は流れるように動き出した。


 なぜ私はアルベルトとダンスを踊っているのだろう。

 数週間ぶりに会う彼は、また身長が伸びていた。十八歳を迎え、宰相としての勉強と同時進行で騎士の仕事もおこなっている彼は、ずいぶんとがっしりした身体つきになっている。


 アルベルトやフロレンティーナばかり前に進んで、私はいつまでも子ども扱いをされている。どこにも行けず、前に進むことも後ろに戻ることもできない。自分ではなに一つ決められないお子さまのまま。

 またしても開かれた差に、ぎゅっと唇を噛んで俯いた。「考えごとか?」と上から小声が降る。


「ごめんなさい、心配しなくてもちゃんと踊るわ」

「考えごとをさせた俺が悪いな?」

「どういう意、」


 言い終わる前に腰を持ち上げられ、ふわりと身体が浮く。持ち上げられた状態でぐるぐると回されて、ダンスのこと以外考えられなくなる。

 地面に足がついたところで一曲目が終わった。彼が支えてくれなかったら腰が抜けていたかもしれない。何をするのと少しだけ恨めしい気持ちでアルベルトを見上げたが、知らん顔をされた。


 これ以上踊るとおかしな噂が立ちそうだ、と思っていれば、アルベルトも同じことを思ったのかバルコニーに向かった。やさしくて強引な手が私の指先を掴んで離さない。


 この人は姉の婚約者候補で、姉と思い合っている。だからこれらの行動に意味はないはずだ。ないのにどうして――どうして彼はいつも私の心を掬ってくれるのだろう。


 来てほしいと思ったときに現れて、連れ出してほしいと思ったときに手を引っ張って歩いてくれる。


 いつもそうだ。彼は私が隠した気持ちを全部見抜いているみたいに、なんでもない顔をして私の望んだことを実行してしまう。

 好きな人の妹だからってそこまでしなくていいのに、私の顔をのぞいて「どうしてほしい」と問いかける。


 だから私みたいな女に好かれるのだ。


 バルコニーから庭園へと続く階段を降り、広い庭にある四阿に二人で腰かけた。侍女は彼とだから間違いがおこるはずもないと思ったのか、遠くのほうで控えていた。


「着くのが遅くなって悪かった」

「平気よ。フローラが踊っているのを見て? あんなにはっちゃけている姿を見たのはいつぶりかしら」

「……厭なことは言われなかったか」


 きょとんと彼を見つめると、彼は珍しく自信をなくしたように俯いていた。


「誰に? どうして?」

「言われていないのならいい。変なことを聞いてすまない」

「アル、どうしたの? 謝ってばかりで変ね」


 空気を変えたくてくすくす笑うけれど、アルベルトの表情はひとつも明るくならなかった。


 いやなことは、なかった。アルベルトがいない時間は不安でいっぱいだったし、孤独に飲み込まれそうだったけれど、壇上にいる王女に直接なにか仕掛けてこようとする人間なんていない。遠巻きにひそひそと話す声はいくつか聞こえたが、慣れたものだ。痛くも痒くもない。

 それに、アルベルトはちゃんと来てくれた。約束の時間は少し過ぎたけれど、今ここにいて、私と話をしようとしてくれている。


 隣にいてくれるだけで私がどんなに喜んでいるのか、きっとアルベルトは知らない。


「久しぶりにアルと踊ることができてうれしかったわ、ありがとう。誰かと踊ることも何ヶ月かぶりだったから、少し心配していたのよ? でもアルのリードがあったから、無様なことにならずに済んだわ」

「ダンスは小さいころから不得意ではなかっただろう?」

「でも、フローラには及ばないもの」

「あれは踊っている時間が違う。一日中踊り続けても疲れない、と言うような化け物だぞ」

「ちょっと、私の姉を捕まえて化け物だなんて」


 大げさに驚いた顔を作ると、アルベルトも小さく笑った。

 ぱちりと目が合った瞬間、夏にしてはやさしい風が吹き、私の髪が乱れる。彼の右手が伸びてきて、落ちてきた髪を耳にかけられる。

 その繊細な手つきに思わず胸をどきどきさせていると、私を見つめていたアルベルトがすっと視線を逸らした。


 アルベルトの様子がどこかおかしい。それほど大きな違和感ではないけれど、いつもはもっと威風堂々としていて、澄んだ紫はまっすぐに私を見ていたはずだ。こんなふうに目を逸らしたり、俯いたりするような人じゃなかった。


 疲れている? もしくは――傷ついている?


「アル、なにかあった? だから遅くなったの?」

「……どうしてミアには気づかれるんだろうな。なにかあったかと訊かれればあった。でも、言いたくない」

「言いたくない、そう、わかったわ」


 はっきりとした拒絶に、心が縮こまる。

 いくら友人だからといって、土足で踏み込まれたくない部分があるのはわかる。私だって、アルベルトにもフロレンティーナにも言っていないことはいくつもある。

 最近、私の専属として入ってきた侍女の嫌味がきついだとか、どう考えても着られない丈のドレスや履けない靴を準備されることだとか。


 どれもこれも、知られたら恥ずかしいから二人には内緒にしてもらっている。私がもっとちゃんとしていれば、忠誠心を得ていれば起こらないはずのことだし、私が種となった嫌がらせの一つも一人で処理できない王女だと思われたくなかった。


 理解はできる。でも、それをアルベルトに言われると、胸が絞られたように痛んだ。


 そうよね当然だわ、私なんて頼りにならないものね、とぶつぶつ言っていると、隣から「そうじゃない」と声が上がった。ぱっと顔を上げれば、アルベルトが悔しげに唇を噛んでいる。


「アル、」

「ミアが頼りにならないわけがないんだ。ただ、……俺の問題だから。言ってもしかたのないことだし、それに」

「それに?」

「……ミアを傷つけたくない」


 どういう意味なのかわからないが、つまり彼の抱えている問題は、彼自身だけでなく私にまで及ぶものらしい。だからさっきから私を見て痛みを堪えたような顔をするのだな、と変なところで納得をする。


「アルが言いたくないのなら、もう訊かない。私ができることなんて何もないけれど、猫の手でもいいから借りたいってときは相談してね、きっと力を貸すわ」

「ひとつ答えてくれるか」

「なあに?」

「産まれてこなければよかった、と思うことはあるか」


 ひゅう、と夏の夜の風がドレスを揺らした。どうしてそんなことを訊くのだろう、とまず疑問に思う。それから少しのあいだ訊かれたことについて考えて、答えは案外簡単に出た。

 手のひらを見つめ、ぐっと握ってから開く。


「たしかに私が産まれないほうが、物事はもっと簡単だったかもしれない。両親はフロレンティーナだけに集中できて、フロレンティーナは愛情を一身に受け取れたかもしれない。私だって、どこかふつうの家庭に産まれて、今のような気苦労をしないで済んだかもしれない」


 たとえば、お人形の真似事をするとかね、と自嘲する。アルベルトは何も言わなかった。


「でも、全部『かもしれない』よ。ここに生を受けて、ユーフェミア・グラッツェルとして十四年間を過ごしてきた私の考える、架空の世界の話。妄想だわ。どちらが『よかった』かなんて、私には判断ができない。狭いところで生きてきて、視野が狭くなっているのは自分でもわかるもの」


 それに、とすぐさま言葉を続ける。


「フロレンティーナとアルベルトと出会わない生も、もしかしたらあったのかもしれないわね。私はそのほうがいやよ。他の人にとっては私が産まれないほうがよかったのかもしれないけれど、私にとっては、私がここで産まれることができてよかったわ。もちろん苦しいことも悲しいこともあるけれど、それでも、判断のつかないことに頭を悩ませるよりは、私のほかにそう思う人を一人でも少なくするにはどうしたらいいかを考えたい」


 なんの力も持たない第二王女にできるのは、憂鬱に目を向けて立ち尽くすことではなくて、そこから光を見出すことだ。


 私にできることなんてほとんどない。慈善活動もたかが知れている。国じゅうに手を回し、全部を救おうなんて不可能だ。

 だから必死に考え続けるしかない。今の私にできるのはなんなのか、つねに頭を巡らせる。


 フロレンティーナとの連絡を怠らないのもそのためだ。最前線で戦うフロレンティーナの補佐とまではいかないけれど、彼女の手が回らないぶんを私が担う。


 嫌味を言われても傷ついた顔をしないのは、その先にどういう感情があるのか探るためだ。第二王女の座にぼうっと居る私への敵意なのか、姉へのものなのか、それとも国の決定――たとえば、最近決まった法――へのものなのか。

 負の感情を出すとき、かならず人は無防備になる。そこを見定めて、姉に報告している。


 月に二、三度、城を抜け出して街を歩いている。そのときはかならずアルベルトに付き添ってもらっていた。これは彼と父だけが知っていることだ。


 父には「やることもなくて退屈だから許可してほしい」と頼んだので私の完全なわがままだと思っているが、深刻な貧困が起こっていないか、不審な薬が出回っていないか、治安を、国を揺るがすような何かがないかを自分の目で確かめている。


 王族は国の中心からすべてを見下ろしているが、その目に映ることなど数少ない。だから、できるだけ直接的に人々の生活に触れるようにしていた。


 アルベルトは、産まれてこなければよかったと思うことはあるのだろうか。彼も尊い身分の生まれだから、きっとあるのかもしれない。家庭の事情もそこそこ複雑だ。

 でも、そこでずっと立ち止まるような人ではないとも思う。彼もきっと、自分にできることを模索する。そして私とちがって彼にできることは多いから、自分の手で掬い上げてしまうのだ。


「私はアルがここに、私のそばに産まれてくれてよかったと思うし、うれしいわ。……あら? 私よりアルのほうが年上だから、私がアルのそばに産まれたと考えるべきなのかしら」


 くすくす笑っていると、横から手が伸びてきた。膝の上に置いていた私の左手をそっと取る。

 紫色の瞳は爛々と輝いていて、いつにもまして眩く、神々しくも見えた。


 その瞳に私が映っているというだけでなんだか泣きそうだ。


「ミアは、いつの間にそんなに大きくなった?」

「もう十四よ? ずっと近くにいたのに気づかなかったの?」

「……ああ。近くにいたから、なのかもしれない。今日の衣装も似合っていた」

「知らないあいだにフローラが作ってくれていたみたいなの。私は要らないと言ったのに」


 そのとき、アルベルトが私の左手を持ち上げ、指先に軽く口づけを落とした。頭は一気に恐慌状態に陥り、顔から耳までかっと熱を持つ。


「うつくしいと思ったよ。誰よりも、他のどんなものよりも綺麗だ。星を統べる女神のようで、誰にも触れさせてはいけないと思った。もちろん俺も含めて」

「ほ、褒めすぎよ、ちょっと」

「俺は、世辞は言えない質だ。知っているだろう」

「触れさせてはいけないって、現時点でさわっているくせに」

「俺の女神はこんなふれあいも許してくれないのか?」


 私の指先だけきゅっと握りながら悪戯っぽく笑う顔に、手を振り払えるはずもない。

 姉のことが好きなくせにと詰りたい気持ちとは裏腹に、小さく喜んでしまう自分が情けなかった。


 恋心なんて無駄なもの、早く捨ててしまえたらいい。そう思うのに、心はいちばん最後まで離れてくれない。


 私のことならばなんでもお見通しなアルベルトには、隠しごとをするのもむずかしい。

 けれど、この思いだけは気づかれてはいけない。気づかれたが最後、距離を取られて二度と会えなくなってしまうだろう。


 彼への恋心がこもった視線を、ぽっかりと浮かぶ月だけが見ていた。


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