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マジョルカ断章 第九話

 真っ赤なカーペットと薄紫色の壁紙に囲まれたこの部屋は女性の寝室らしく華やかな装いであったが、子供の部屋という見地からすると少し広すぎる気がした。私が昨晩泊まった部屋の三倍程度の広さがあった。身体がまだ小さいバビには余分な広さだ。できれば寝室には余計な空間というのは無い方が好ましい。その分、外界からの悪い意思が入り込む隙間ができてしまうからだ。しかし、窓が二つあるというのは良いことだ。太陽の光はできるだけ多く室内に取り込んだほうがいい。


 考えていた通り、室内にはバビとジャブーの二人がいた。ジャブーは私と王が室内に入ってくると、慌ててバビが食べ終えた食器を取りまとめ、無言のまま、部屋の外へ出て行った。自分は邪魔になると考えたのかもしれない。私は部屋から出て行く彼を見送ってから、バビの方へ視線を移した。彼女は昨日と違い白い清楚な服を着ていた。人間は日によって着るものを変えるので、ずいぶん印象が違って見える。彼女は口をきつく結んでいて、笑顔はなかった。意外にもずいぶん不機嫌そうだった。


「バビ、これからこの方にお前の部屋を見てもらうからね。よく言うことを聞くんだよ。」


 王はまず彼女にそう話しかけた。


「何で調べる必要があるの?」


 バビは他人が部屋に侵入してきたことへの不信感を剥き出しにして、そう返答した。


「こら、そんな言い方をするんじゃない。お前を助けるためにわざわざ来てくださったんだぞ。」


 王はそこで彼女を叱ったが、あまり怒気は感じなかった。


「私はこの人に調べられなきゃいけないことなんか、何もないわ。」


 バビは私を指差してそう言った。気分に激しい浮き沈みがあるというのも人間の主たる特徴であり、それは構わないのだが、この場で意地を張られるのは困る。私は陽が完全に沈んでしまう前に万全の体制を取っておきたいのだ。彼女と余計な言い争いをしている時間は全く無い。言われたことはあまり気にせず、私はバビに近づいて質問を始めることにした。


「夜になると何か怖いものが見えるの?」


「なぜ? 夜になったって別に何も怖くないし、恐れてもいないわ。夜なんてただ暗いだけでしょ? 眠ってしまえばそれでいいもの。」


 案の定、バビはこちらに視線を向けることも無く、まともな答えを返してくれなかった。


「本当にそうだったら、君の父さんもジャブーもあんなに心配はしないだろ?」


 私は声を少し荒げてそう言った。


「だって、ジャブーは心配性なんですもの。私が少し体調を崩したりすると、城中駆け回って薬を探してくるのよ。ちょっと、大げさね。」


 彼女は口元に手を当て、少し笑いながらそう答えた。私はジャブーがこの子のために無理をして森に入り、私に会いに来たことを思い出した。


「でも、昨晩、ジャブーは君を助けるために森に入ってきたんだよ。」


「知っているわ。だから私もおじいを迎えに行ったんですもの。」


 間髪入れず、彼女はそう答えた。                          


「おい、どういうことだ? お前も森に入ったって? なぜだ? なぜそんなことを?」


 予期していた通り、バビの発言を聞いて、ブロートン王は顔を真っ赤にして怒り出した。


「ジャブーがなかなか帰って来なかったから、心配になって私も森に入ったの。だって、月が出てなくて、風も吹いていない夜は悪魔が森に出るってフロウに聞いていたから……。ジョブ―はのろまだし、心配にもなるでしょ? でも悪魔がいきなり道脇から飛び出してきて、もう少しで殺されるところだったわ。危ないところをこの人に助けてもらったの。」


 バビはそう言いながらも、私に対して恩を感じているような口ぶりではなく、声も無機質だった。


「なんてことを……。」


 王は頭を抱えて座り込んでしまった。もう、何か言う元気も無いようだ。頭を整理するだけで精一杯だろう。


「何で私を助けたの? 森の人は城の人間が大嫌いなんでしょ?」


バビは次に私の方を向き、そう尋ねてきた。


「何でそう思うの?」

 厳しい質問に私は思わずそう訊き返した。


「だって、あなたの父さんもここで長いこと働いていたけれど、城の人間が気に食わなくなったから、森に帰ったって誰かに聞いたわ。」


「父のことをなんか知ってる?」


 城の人間からはあまり父親の話題が聞かれなかったので、寂しかったのか、私は再び彼女にそう尋ねた。


「良くは知らないわ。だって、まだ、私が小さいときのことだもの。」

バビは少し声を殺してそう言葉を返した。 


「もう、覚えてはいないかもしれんが、お前は彼の父親と何度も顔をあわせているよ。彼に抱き上げられて、バルコニーを散歩したこともあるし、少しは思い出せないのか?」


 床に腰を降ろしている王は顔だけを上げてバビにそう告げた。


「全然おぼえてないわ。私は意味の無い過去はすぐ忘れることにしてるの。彼の印象が薄かったせいかもしれないけど……。」


 感情も無くそう答えたバビの瞳は冷たく、なるほどこの場面だけで比較すれば、フロウに良く似ているかもしれない。余計な時間を食ってしまうことを覚悟の上で、私は父の名誉を回復するためにこの融通の利かない少女ともう少し話をすることにした。                         


「森の民の住処のすぐ近くには強力な毒菌を発するキノコが密集して生えている場所があるんだ。そこに近づかなければ特に問題は無いけれど、気温や風の具合で、何年かに一度、そのキノコが大量発生して、その危険な胞子を森中にばら撒く時期があって、そうなると、もう誰も家の外の出ることはできなくなる。そのキノコの胞子を少し吸っただけで人間は倒れてしまうからね。ところが、三年前にこのキノコが大量に発生したときに父は私を家に閉じ込めて、食料を取りに行くといって自分だけで何度も外へ出かけていった。その度に、父は黄色い胞子を身体中に浴びて家に戻ってきた。私は何度もやめるように忠告したが、十分に身体を水で洗っているからと言って、父は聞かなかった。二ヵ月後、父はついに発病して高熱を出し咳が止まらなくなった。私も必死に看病したが、それからわずか五日で死んでしまったんだ。父は確かに人間嫌いだが、ああいう性格だから、君が目に見えないものに悩まされていると知ったら、どんなことがあってもこの城まで来るだろうし、この問題を解決するために命がけで取り組むだろう。私がここに来たのは君を助けるためでも、人間が好きになったからでもない。立派に働いていた父の名誉を汚さないためだ。」


 その話を聞いても、バビは感心したような素振りは見せなかったが、それについて反論する様子も無かった。ようやく静かになったので、私は部屋の捜索を進めることにした。まず、私の背丈と同じぐらいの高さの本棚に目を留めた。棚には茶色の背表紙の分厚い本が並んでいた。私は中腰になって、それらの本の題名に目を走らせた。本を一冊見てみようと、手を伸ばしてみたのだが、後ろから、「何をしているの? そこには何もないわ。」とバビの鋭い声が飛んできた。私のような完全な他人に自分の持ち物を探られたくないのかもしれない。


「古い本は持ってない? 二百年以上前の本とか……。」


「そんなに立派な本はないわ。そこにあるのは、私の勉強道具に使うものだけだもの。」


 そう言われては仕方がない。私は本の群れから目を離し、次に本棚の上の置時計を掴んだ。それを持ち上げて裏返してみたが、それほど古い物ではなかった。


「あなたはいったい何を探しているの?」


 後方からは再びそんな声が聞こえてきたが、私は構わず時計の横のランプを手に取ってみた。これも見た目は古そうだった。だが、そのランプはただの装飾品で意味のあるものではなかった。私は失念してそれを元に戻した。


「私も手伝おうか。どういうところを見ればいいのかな?」私が焦っているように見えたのか、後ろからブロートン王がそう話しかけてきた。


「この部屋には絵がないので、もしかしたら、原因は彫刻かもしれないんです。フィロは絵だけでなく、この城に彫刻も残していたのかもしれない。」


 王はその話を聞いて難しい顔をした。


「いや、しかし、この城は30年程前に建て替えられているんだよ。フィロの代から残っているものはほとんどないはずだ。それに万が一、そんなものがあったとしても、君の父さんがそれを見逃すはずがないだろう? この部屋には君のお父さんも何度も足を運んでいるんだよ。」


 全くその通りだった。フィロが陰謀でこの部屋に何か細工をしたとしても、父がそれを見逃しているはずがない。その上、この城が数十年前に建て替えられたと聞かされてはお手上げだった。昨夜、私の家でジャブーが発した一言は考えてみれば深刻な言葉だった。


『なぜ今になって……。』


 そうだ、私や父よりも遥かに足繁くこの部屋に通っているはずのジャブーが何も異変を発見できなかったのだ。私が今ごろのこのこやって来て、簡単に手がかりを掴めるはずもなかった。私は天井を見上げ、大きく息を吐いた。


「どう? 何か悪いものは見つかった?」


 バビは私を嘲り笑うように、意地悪くそう声をかけてきた。表面上は笑っているように見えたが、私はその瞬間、彼女の別の表情を垣間見たような気がした。何かを押し殺しているようだった。私は一度窓に歩み寄り、そこから外の風景を眺めてみた。ジャブーの言う通りだった。ここからでは庭園の一部と、古い見張り塔しか見えない。見張り塔は三階建てだったが、小さめの造りになっているので、その三階の窓がこの城の二階の窓とほぼ同じ高さにあった。しかし、掃除がなされていないためか、塔の窓はすすけていて、中を覗き見ることができなかった。バビはダンスパーティーがあった夜、窓の外にいったい何を見たのだろうか。人間は暗闇の中に自分の最も恐れるものを見るのだ。


 私はもう一度彼女の顔に視線を移した。


「夜、多分月のない夜だと思うんだけど、窓の外に何か変なものを見たことがある?」


 半ば無駄になると思いつつも、先程と同じ質問を彼女にぶつけてみた。私はそのとき、一度振り返り、ブロートン王の方を顧みた。彼は腕組みをしながら、暗い目でこちらをじっと見据えていた。私の今の言葉に何か特別な意思を感じたのかもしれない。


「もし、私と同じものを見たら、あなただって、狂って叫びだすに決まってるわ。」


 しばらくの沈黙の後、彼女はこれまでと違い、ほとんど聞き取れないような暗い声でそう言った。後方で王が勢いよく立ち上がる音が聞こえた。私は彼のほうを一瞥して、その動きを制した。


「頼むよ。君が何を見たのか話してくれないと対策が立てられないんだ。」


 私はできるだけ力を抜いてそう言った。ここで焦って、彼女の神経を逆なでしてしまうと、また振り出しに戻ってしまうからだ。


「その前にあなたが誓ってよ。今夜何を見ても逃げ出さないって。誓ってよ。何があっても、どんな恐ろしいことが起きても私を助けるって……。」


 彼女は私の目を睨みつけながら、強い口調でまくし立てた。感情的になってはいるが、先程までの冷たい表情と仕草はもう見られなかった。おそらくバビは、私を呼んで来た事が城の人間の成せる最後の手段だと気がついたのだろう。つまり、彼女は私が何も発見できずに諦めてこの城を去っていくのが何より怖かったのではないだろうか。そう考えれば、素直になれない人間特有の弱さがよく現れているとも言える。私の答えが待ちきれないのか、彼女はまたすぐに話しかけてきた。


「どうしたの? これはフィロの仕業なんでしょ? あなたたちが唯一尊敬する人を敵に回しても、私をしっかり守れるの? 答えてよ。」


 しかし、バビはもう涙声だった。私は少し考えてみた。森の民にとって、フィロは人間の中でも特別な存在で、神にも等しい存在だ。彼はこの世でただ一人、己の意思の力を作品の中に投影できる画家だからだ。私は幼い頃からフィロを尊敬するよう周りの人間から教えられてきたので、彼に対抗する自分のことを思うと不思議な気がした。


「彼は間違いなく天才だが、もう過去の人間だ。それにどんな理由があれ、怨みの力を一人の人間にだけ向ける行為は間違っている。私は父ほどの力は無いし、恐ろしい幻影を見せられたら、同じように錯乱してしまうかもしれないが、今夜どんなことがあっても逃げ出さないことは約束するし、なにが襲ってきても、一生懸命防いでみるつもりだ。」


 そう言うと、後ろからブロートン王が近づいてきて私の肩に手を置いた。


「バビ、大丈夫だよ。彼は逃げ出すような男じゃない。それに彼の父親も人間が嫌いになって、この城から去っていったわけじゃない。この私だって、フィロがお前を苦しめているとはっきりわかったら黙っているつもりはない。天才画家だろうが、何だろうが、私の娘に手を出すような奴は許さんよ。そのときは城にあるフィロの絵を全て燃やす覚悟まである。」


 王の最後の言葉を待たずにバビは語りだした。


「黒い獰猛な犬よ。口が裂けて死んだ黒い犬が、窓の外に時々見えるわ。」


 彼女は震えた声でそう言ってしまうと、安心したのか、両手で顔を押さえ勢いよく泣き出した。その言葉を受けて、私は再び窓に歩み寄った。


「この外に? 窓の外に犬の死体が見えるんだね?」


 私がそう確認すると、バビはうつむいたまま小さく頷いた。


「やはり、一階のあの番犬の絵の仕業か?」

 王も私の横に立って窓の外を睨みながらそう尋ねてきた。


「いえ、違います。題材になっている犬はおそらく同じだと思うのですが……。あの絵だと、ここまで影響を及ぼすのは距離がありすぎて無理でしょう。あの犬が死んだ姿を描いた絵はありませんか?」


「そんな不気味な絵は見たことがない。それに……、フィロは同じモデルの絵を複数描く男ではないだろう?」


 王は首を振ってそう答えた。私もそれに同意した。私は窓ガラスに手を当て、集中して、外の景色を見渡してみた。フィロはこののどかな景色にいったいどんな罠を仕掛けたのだろうか。今となっては、彼の行為に悪意を感じないわけにはいかなかった。私はもう一度、視線をあの見張り塔に移した。やはり、あの古ぼけた塔が気になってしょうがなかった。何かを仕掛けるとしたら、あの塔以外にはないだろう。


「あの塔を見てきたいのですが、よろしいでしょうか?」

塔を指差してそう尋ねてみた。


「ん? ああ、わかった。あの朽ちた塔のことか……、何かありそうかね?」


 それはわからないとだけ答え、王に会釈して、私はバビの部屋を飛び出した。ようやく事態が一歩前進した気がした。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。今度ともよろしくお願いいたします。

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