マジョルカ断章 第八話
「この城の北側、つまり奥の側は全て客室になっていることはジャブーからすでに聞いているかもしれんが、その北側の中でも、二階部分は全て私の一族の寝室になっているんだよ。だから、私とフロウとバビの部屋ということになるな。」
王は二階へと続く階段の途中で、奥に見えるいくつかの扉を指差しながらそう説明してくれた。バビとフロウの部屋が城の一番奥にあるというのは良いことだ。入り口から盗賊や悪魔が進入してきたことを考えると、婦女子の部屋はなるべく入り口付近から離れていた方がいい。
角度のきつい階段を昇り、二階へ上がってしまうと、王は不意に足を止め、私の方を振り返って話しかけてきた。
「君たちとは違って、私自身はこの問題がフィロのせいだとは、まだ信じられんのだよ。いや、たしかにフィロの絵は独特の雰囲気を持っているし、これまでも感性の強すぎる者がフィロの絵を見て脅えだしたり、狂って暴れ出したりしたことはあったようだが、今回苦しんでいるのはバビ一人だけだ。フィロの絵画は万民に対して影響を与えるはずだ。なぜ、あの子だけが? まあ、我々、彼女以外の人間の芸術に対する感性が足りないだけだと言われてしまえばそれまでなのかもしれんが……」
苦悩の表情で彼はそのように説明を付け加え、その上で私に意見を求めた。
「そうですね……、私が一番考えているのもそのことなんですよ。召使いに聞いたところでは、彼女の部屋にはフィロの絵は一枚も飾られていないはずですし、もし、それが本当なら、彼女が夜ごと苦しんでいるのが、フィロのせいだと断ずるのは少し無理があります。」
「もしかして、これは悪魔のせいだということは考えられんかね? 最近、森でも悪魔が頻繁に出没するそうだが、彼らの影響力のせいということは……。」
「いえ、悪魔には高い知性は無いので、特定の個人を怨んで、襲いかかったり、嫌がらせをするということは、ありえないんですよ。この人の世界では、十分に力を発揮することもできません」
私はそう反論して、王の考えを即座に打ち消した。
「そうか……、それでは、やはり……、今度のことはフィロの絵が生み出す怨念のせいだと考えないといかんのかな……。しかし、そうすると、なぜバビだけが苦しむのかが余計わからん。中世という、とうの昔に死んだはずのフィロが、彼女を知っているわけが無いからな。それにどの絵がフィロの怨みの発生源なのかも知れんし、やれやれ難題ばかりだな……。」
王は二階の渡り廊下の手すりに寄りかかり、そこから少しぼやけた目で、一階のフロアを見やっていた。一階の広間には食事と絵画鑑賞を終えて、満足しきった来客たちが目的も無く、まるで悪魔のようにふらふらとたむろしていた。
「ただ、これまで聞いた話を統合してみますと、バビが苦しみだすのは、どうやら、草木も眠りに落ちる深夜だけのようです。これもよく考えておかないといけないと思うんです。つまり、フィロの絵が悪い思念を発するのは、特定の条件が重なった時だけなのではないでしょうか? 例えば、月が出ていない夜であるとか、特殊な悪魔が出現する夜であるとか……」
「なるほどな、それに照らすとどうだ? 今夜あたりは危ないのかね?」
王は私の話に俄然興味を持ったらしく、鋭くそう質問してきた。
「いや、それについては、これから考えていかないといけないのですが……。しかし、その理屈が正しいとしても、これはバビがなぜ狙われるのかということへの解答にはなりません。もしかすると、彼女を助けるためには、フィロという人物の人間性にまで迫らなければ……、つまりフィロがどんな人間であったのかと、そこまで考えなければならないのかもしれません。」
私は自分が考えついたところを、まんべんなく話した。王は先ほどよりも少し安心した様子だった。
「なるほどな……、疑問は山積みということか……。しかしまあ、君がそこまで深く考えていてくれて、大いに頼もしく思うよ。さあさ、今度はバビの部屋を調べてやってくれ。」
我々は現段階での一応の見解を出した。それから二階奥にあるバビの部屋に向かった。
これまで歩いてきた二階の廊下には、一枚も絵は掛かっていなかった。ジャブーの話では、幼女バビの部屋にも絵画は一枚も掛けられていないらしい。人間に悪影響を与えそうな絵といえば、私が昨日見たあの番犬の絵だけだが、あの絵からここまでには相当な距離がある。
いくらフィロの恨みが強いといっても、こんなところまで怨念を飛ばすのは無理だろう。そのことをもう一度確認してから、王に促されるまま、バビの寝室へと踏み込んだ。
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