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マジョルカ断章 第六話


 ブロートンは広間に集まった客たちと大きな動作で握手してみたり、にこやかに挨拶を交わしたりしていた。彼の周りにはあっという間に人だかりができた。そのうちに、王の眼には召使と一緒にいる私の姿が映ったようだ。その瞬間、彼は目を丸くして驚きを表現した。ブロートン王はそのままの顔つきで群集を両手でかきわけ、こちらの方へ一直線に駆け寄ってきた。


「まさか? 君は森の民なのか?」


 それが彼が私に発した最初の言葉だった。突然の展開に少し戸惑ってしまい、何も答えられなかった。


「ブロートン王、この方に昨夜森の中で助けていただいたのです。客室に飾る花でも摘んで来ようかと、森に出たのですが、悪魔に見つかってしまいまして……。」


 ジャブーは王に向かって私をそのように紹介した。彼の口ぶりではどうやら、私がフィロの絵についての問題を解決しに来たことと、森でバビも一緒に襲われていたことは王にふせておきたいらしかった。まあ、それもわかる。自分の一人娘があと一歩で悪魔に食い殺されるところだったなどと、当の本人が聞いたら卒倒しかねないからだ。


「おお、そうか……、昨夜は悪魔が森に出ていたのか……。そう言えば、月は出ていなかったからな。しかし、それは大変だったな。」


 王は何度も頷き、ジャブーの説明に納得してくれたようだった。召使から一通りの説明を聞き終えると、彼はまたすぐに私の方に視線を戻した。ブロートン王の興味は今や、展覧会に訪れた客たちの方にではなく、私の方にあるらしかった。


「君はかつてこの城で働いていた彼の息子だな……?」

 王はまずそう尋ねてきた。私は黙って頷いた。 


 彼は腰を少し降ろして視線を私に合わせた。


「いや、しかし、よく来てくれたな……。なつかしい……、うむ、似ているよ、君はお父さんにそっくりだな……。実になつかしい……。」


 まるで旧友と再会したかのように王は声を震わせた。


「今日は一人なのか? 森には他に仲間はいないのか?」


「ええ、仲間は死に絶えました。生きているのは、もう私だけです。」


「なんと、そうか……、もう一人きりなのか……。」


 ブロートン王にそう言われ、私は少し寂しくなった。私たちを取り囲む客人たちは、まるで不思議なものを見るような顔つきで、我々の会話に耳を傾けていた。恵まれた環境の中で簡単に生きていくことができる人間たちが森の民のことを全く知らなくても無理はない。


「おお、そうだった! これはいかんな。 ジャブー! お客様を早く食堂にお通ししてくれ。」


 来客たちの戸惑いを感じたのか、王は召使に慌ててそう命令した。ジャブーも我に返り、小走りで広間の右方の扉に向かった。


「さあ、皆様どうぞ。お食事の用意ができております。」

 大扉を開けて彼はそう呼びかけた。その声に導かれ、広間にたむろっていた多くの来客たちは次々に隣の大食堂へと移っていった。王はほぼ全ての人間が食堂に移動したのを見届けてから私の手を引いた。


「さあさ、わしらも行こうか。君には話したいことも多くあるが、見せたいものもたくさんあるんだ。」


 ブロートン王はどの客人よりも楽しそうな顔をしていた。食堂に踏み込んでみると、真っ白な光の塊が眼に飛び込んできた。この部屋の異質な雰囲気には、またずいぶんと驚かされた。これまで城内で見てきた部屋は広間であれ、私が昨晩泊まった寝室であれ、どんなに光を灯してみても、やはりどこか人間くさい陰気な雰囲気を隠し持っていたものだったのだが。大食堂の巨大な長方形のテーブルには食べ物を優雅に盛った食器の他に色とりどりの花々が飾られていて、一日の中で食事を最も楽しみしている卑しい人間たちの目を楽しませた。


 それだけではない。周囲の壁には四方まんべんなく絵画が掛けられていた。それも、その全てが見事に咲き誇る花の絵だった。しかし、これでは真実がよく見えなくなる。 食堂に入ってしばらくの間、私は美しい絵画たちに眼を奪われ、よそ見ばかりしていた。来客たちは皆、のんきな笑い声を響かせながらも自分の目的としている席は各々見つけられるらしく、席はテーブルの奥の方から順々に隙間なく埋まっていった。当然のことだが、私は自分の座る位置がわからず、入り口付近でうろうろしていた。


「君の席はここだよ。」


 私のそんな様子を見て、ブロートン王は自分の右隣の席を指差してそう教えてくれた。そのとき、私は彼のその自然な仕草に王としての風格を感じたものだった。間をおかず、私はその席に腰掛けた。そうして、ほとんどの来客が着席したのを見て取ると、ブロートン王は食堂全体に届くような声で話し出した。


「皆様、本日はよくおいで下さいました。こんなに多くのお客様を城にお迎えすることができるとは、展覧会の主催者としてこれほど嬉しいことはありません。さて、私は先程、古い友人と再会いたしました。実になつかしく、このような素晴らしい体験をするために人間は老いをさらしてまでも長生きをしていくのだなあと改めてそんなことを実感いたした次第です。さて、皆様に申し上げます。ご覧の通り、私どもの眼の前には豪華絢爛な、自惚れになるかもしれませんが実に美味しそうな料理が並んでおりますな。しかし、あまり食べ物の方に夢中にならないでいただきたいものですな。今日は食事会ではありませんので。」


 王のその発言を受けて、会場からは笑い声がこだましてきた。


「さあさあ、無駄話はこれでおしまいにします。ご一緒に食事を楽しみましょう。」


 ブロートン王は最後にそう付け加えた。王の話が終わると、再び会場には人間の騒がしい話し声が響いた。それとともに、かちゃかちゃという食器類を動かす音も聞こえてきた。腹をすかしていた私もしばし絵画のことは忘れ、眼の前の銀のスプーンを手に持ち、まずス-プに口をつけた。


「お父さんが亡くなってからずっと一人だったの? 大変だったろう?」

 王はパンをかじりながらそう尋ねてきた。


「森にはあちこちに動物たちがいますし、一人でも楽しいところです。寂しいとは思いません。」

 私は強がりを言った。


「しかし、少し不便だろう。よかったらこれを機会にこの城に住まないか? その方が君のお父さんも喜ぶだろう。」


 私は一度スプーンを置いた。


「たしかに森にはもう仲間はいません。最近では恐ろしい悪魔も侵入してきます。しかし、森にはこれまで生きてきた仲間たちの残したものがたくさんあります。それは家や橋や絵画のような眼に見えるものだけではありません。つまり、皆の意思が残っているのです。森の民がいなくなってしまっても、これまで必死に生きてきた先祖たちの息吹を感じ取ることができる以上、私は簡単にあの住処を離れるわけにはいきません。」


 私は冷静に返答した。


「さすがだな君は。さすがに……。」


 途中で言葉を切ってしまったが、王は感心したように低くそう呟いた。それきり、彼はしばらく何も言ってこなかったので、私も食べることに専念した。隣のテーブルに好物の鳥の丸焼きが見えた。きれいな色に焼けていて美味そうだった。手を伸ばそうとすると、我々の後ろに立っていたジャブーが素早く出てきて、皿ごと持ってきてくれた。少し頭を下げる際に横目で彼の表情を追ってみた。ジャブーは完全に給仕に徹していて、全くの無表情だった。余計なことは何も考えていないように見えた。


 しかし、心中ではこの男は深く考えているはずだ。王に対しても多くの秘密を持っているようだが、私にもフィロのことでまだ話していないことがある。きっと、とても恐ろしいことを体験したので、それを誰にも見せずに自分の胸の中にしまっておきたいのだろう。ブロートンやバビは未だ何を考えているか不明瞭だし、一番頼りにしなければならないはずのこの男にまで隠し事をされているとなると、私のこの城での立場はずいぶん軟弱なものだと感じた。足元がすかすかして不安定になっているような気がした。客の中には食事を終えて席を立ち、絵の鑑賞に移っている者が何人かいた。無作法なのではなく、この集まりにおいては普通のことなのだろう。私も早く絵を見に行きたかったが、滅多に食べることのできないご馳走を前にして、なかなか席を離れることができなかった。


  焦っている私を見て、王は「慌てなくともいいよ。絵は後でもゆっくり見れるから。」と助言をくれた。私が返事をしようとしたとき、不意に後方の扉が開いた。私は食べることに夢中で、振り返ることはしなかったが、ジャブーが慌しく動き出したのはわかった。どうやら、誰か高貴な人物が入ってきたらしい。


「遅かったな。いったい何をしていたんだ?」

 ブロートン王はその人物にそう話しかけた。


「食欲があまりないから、どうしようかと迷っていたんです。」


 それはバビとは違う女性の声だった。その人物はほとんど音を立てることなく、ずっと空いたままになっていた王の左隣の席に座った。さすがに気になったので、私はさりげなくその人物の方に顔を向けた。不気味なほど真っ白な人だった。この部屋に集まったどの人物とも異なった質を持った人間だ。化粧をしているからだろうか。私はしばらく彼女から眼を離せなかった。その女性も急にこちらの方を向いたので自然と目が合った。細くて冷たい視線だった。


「彼は? どなたでしたっけ?」

 

 全く感情が込められていない声で彼女はブロートン王にそう尋ねた。


「以前ここでフィロの絵がよくわかる使用人が働いていただろう? 彼の子供だよ。森の民の生き残りだ。」


「それじゃあ、この子があの人の息子さん?」

 女性は不可解な反応を示した。


「そうだ、明日、あれを見てもらおうと思っている。」


  王は彼女にはっきりとそう告げた後、再び私の方に顔を向けた。


「妻のフロウだよ。我々とはちょっと違うだろ? もっと北の方にある町から来たんだよ。」


 その紹介を受けて、私は彼女に向けて軽く頭を下げた。しかし、フロウは全く表情を変えずに私に声をかけてきた。


「年はいくつ?」


「13です。」


「それで絵のことがわかるの?」


  彼女は不審そうな声でそんな言葉をぶつけてきた。人間などよりは遥かに知識があると言ってやりたかったが、彼女の落ち着き払った態度と冷静な表情を見てしまうと反論はしづらくなる。


「大丈夫だよ。この子はなかなか聡明なんだ。相談に乗ってもらえそうだよ。」

 王は私を弁護してそう言ってくれた。


「それで、本当にこの子に私たちの問題を話すつもりなの? 信じられないわ。」


 彼女は少し声を細めてブロートン王に言った。私には聞かせたくなかったのかもしれない。しかし、バビの問題のことならもうすでにジャブーから聞かされているのでよく知っている。王は妻に詰め寄られ、少し困惑したようだが、彼女よりもさらに小声でなにか返答していた。


「だから……、まず彼に……てもらって、それから、……してみようと思っている。それで……の世界のことは……ですればいいだろう?」


 私は森に住んでいるので非常に耳がいい。彼らの会話の端々が聞こえてきた。どうやら、王が私に相談したがっている問題というのはバビのことではないらしい。しかし、聞かれたくない話もあるようなので、私は静かに席を立ち、絵の鑑賞に移ることにした。


 まず、右側の壁に飾られている絵から順番に見ていくことにした。どの絵を見ても花を題材としても観点からはよく捉えられていて、美しく描けていた。しかし、構図は悪い。どの絵画もせっかくのきれいな花を瓶に生けてみたり、女性に持たせてみたり、一見すると華やかではあるが植物としての花という観点が抜けている気がする。本来、花というのは他の草木や雑草に混じって地面に生えているところが一番美しいのだ。不自然な人間の手が加わってしまうと、かえって美観を損ねてしまう。フィロならばこんな絵は描かないだろう。彼は意味のない絵は描かない男だ。そう考えていくと、この辺りに飾ってある絵は全てフィロの作品ではないということか。


 私は少し落胆しながら、そのまま絵を眺め歩きながら、右方の壁を伝って食堂の奥まで進んだ。そして今度は奥の壁にある絵に目を移した。そして、そこでようやく目的の絵を見つけた。思わず他の絵を飛び越えて、その絵が掛けてある場所まで駆け寄ってしまった。同じ花の絵でも他の作品との違いは歴然で、その絵だけが朽ちた花を描いたものだった。咲き誇っていた頃の優雅な姿を全く思い浮かべることができないほど、その花は醜く地面の上で干からびていた。枯れて散ってしまえば、どんなに素晴らしい花でも何の意味も持たないという生命終焉の真実を見つめた作品だ。そう、短い特定の期間しか美しく咲いていられないからこそ、人は誰しも花々の美しさに心惹かれるのだ。しかもこの地面の色がまた凄い。完全に死んだ土の色だ。この褐色の背景が中央の花の肢体を見事に浮かび上がらせている。絵の下部に目を移すと、やはりそこにはフィロのサインがあった。


「もう、ばれてしまいましたか?」

 その声に引かれて振り返ると、ジャブーが背後に立っていた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。 今後ともよろしくお願いいたします。

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