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マジョルカ断章 第十二話


 夕食が終わり広間で休んでいると、ジャブーが寄ってきて、私に一人の衛兵を紹介した。見かけは丈夫そうであるが、ずいぶんと腰が低く、やたらとおどおどしている男だった。これまで、何度か接触する機会はあったが、基本的に兵士というのは、粗野で話が通じにくく、自分とはずいぶん遠い人種だと思っていたので、こうして親しく接する機会は初めてで、ずいぶん新鮮に感じた。


 男はキザンと名乗った。これまで会った兵士たちとは違い、なぜか話しやすそうな印象を受けた。しかし、昨日から変わった貴族とばかり接しているから、ただ感覚が麻痺しているだけなのかもしれない。私は深く考えるのをやめた。


「この人は絵に詳しいのですか?」と、推挙の理由を尋ねてみたが、ジャブーはそれを否定した。


「いえ、そう言うわけではないのですが……、いや、実のところ、どういう人物を探せばいいのか次第にわからなくなってきまして……。」


 ジャブーは続けてそう言い訳した。まあ、そうだろうなとも思い、実際のところ、私はあまり深く追求しなかった。


「いや、しかし、この男は人一倍身体が丈夫ですからねえ、大いに頼りにしていいと思いますよ。それにですね……、以前、一階に飾ってある、あの番犬を絵を見て、このキザンという兵士は急に脅え出して、同僚たちに笑われていたことがあったんですよ。今になってそれを思い出しましてね……。もしかしたら、生まれつきそういう感性が優れているのかなと思ったわけなんですよ。」


 ジャブーはその兵士のことをそのように説明した。しかし、それは感性が優れているのではなくて、臆病なだけかもしれないが。しかし、感受性が相当強い人間なのかもしれない。頼りになりそうな気がしてきた。私はその男の方に近寄り、声をかけた。


「たくさんの絵に囲まれて日々暮らしていて、恐ろしくないですか?」


「い、いえ、怖いものにはなるべく近寄らないようにと心がけておりますし、私の仕事は眼に見えないものを追いかけることではなくて、今現在、目の前にある障害にどう対処するかということですから……。」


 兵士は少し動揺しながらも模範的な回答をよこした。いずれにしても、広間で堂々とするような会話ではない。我々はバビの部屋に向けて少しずつ移動しながら話を進めた。


「バビが夜になると脅えだすことについては知っていますか?」


「ええ。」


「では、バビが苦しみだす夜に、何か不気味な気配を感じたことはありませんか?」


「いえ、自分は夜中はいつも一階の警備をしていて、お嬢様の部屋に近づくことはありませんから……、

しかし、最近、城内で何か恐ろしいことが起きているのは、よく知っています。他の兵士たちは、皆その事を口にしていますし……。」


 少し考えてから、キザンはそう答えた。


「どんな細かいことでもいいんですが、思い出せませんか? 例えば、そういった不吉な夜には、必ず月が出ていたとか……。」


「月? 夜になると外へは出られませんので、月のことはわかりませんが、そう言えば……、三日前にお嬢様が調子を崩されて寝込まれた夜は、たしか雨が降っていましたよ。かなり強い雨が……。」


「雨ですって? それは嘘でしょう。私は森に住んでいるのでよくわかりますが、三日前の晩は雨など絶対に降っていませんよ。ねえ?」


 私は一度振り返って、後ろを歩くジャブーに同意を求めた。


「いや、私はそのとき、暴れ狂うバビのことで手一杯でしたので、窓の外のことには余り気を払っていませんでした。すいません……。ただ、雨は降っていなかったと思いますよ。ずいぶん静かだったのを覚えていますから。」


 ジャブーにも否定されてしまい、キザンは考え込んでしまった。手を額に当て、何かを思い出そうとしているようだった。


「いえいえ、そんなはずはありません。私は豪雨が城の外壁を叩くすさまじい音を覚えています。間違いありませんよ。そうだ、深夜になってから突然雨が降り出したんだ……。本当です。嘘ではないです。絶対に雨が降っていました。」


 訴えかけるように、彼は強くそう言った。


「では、その強い雨が降り出したのは、バビが苦しみだす前でしたか? それとも後でしたか?」


 私は少し気になったので、確かめてみようと思い、そう尋ねてみた。


「うーん、どうでしたかねえ……。でも、お嬢様のことで召使の皆様が騒ぎ出したのは雨が降り始めてからだと思います。バビお嬢様が苦しみだしたのは、なにか、この悪い天候と関係があるのではないか、とそう考えたのを覚えていますから……。」


 キザンの台詞は明瞭であり、嘘を言っているようには見えなかった。だが、正しいことを言っているとは、とても思えなかった。雨というのは、元来、人間たちの醜い所業に対して、天から下される罰のようなもので、大昔、人間たちが頻繁に戦争を起こしていた頃には、毎日のように降っていたのだと聞かされたことがある。多くの村や城や砦が、天からの罰によって水没していったのだ。しかし、最近は小雨が舞うことも少なく、私はここ数年、まともに雨が降ったのを見た記憶がない。


 だが、ここであまり強く否定しても彼の気分を損ねるだけだろう。これから一緒に働くのだから、それはまずい。この話は打ち切ることにした。二階に上がると、我々はバビの部屋の前を通る細長い廊下に陣取ることにした。ここなら、部屋の中で何かあってもすぐにわかるし、あちこちに鉄格子のついた窓があって、手軽に外の様子を調べられる。城兵キザンは、近くの部屋から背もたれのついた丈夫な椅子を持ってきてくれた。私はありがたくそれに座らしてもらうことにした。バビの部屋はこの長い廊下のちょうど中間にあって、ここに椅子を置いて見張れば、近づいてくる者をすぐに感知できる。


「さて、もう私にできることは何もないでしょうか? お邪魔になりますから、そろそろ、さがらせてもらってよろしいでしょうか?」


 ジャブーは一度あたりを見回してから、そう尋ねてきた。


「ええ、もうお休みになってください。バビのことなら大丈夫です。何かありましたら、あなたにもすぐにお知らせしますので。」 


  私は彼が安眠できるようにそう言ってやった。


「それでは……、くれぐれもよろしく。キザン、後は頼んだよ……。」


 そう声をかけられ、若い城兵キザンは、何かを思い出したように身を硬直させ、慌てて敬礼した。ジャブーが立ち去ってしまうと、急にあたりの気配は寂しくなった。私は一度立ち上がって、鉄格子越しに外の景色を眺めてみた。外の世界は今夜もとても静かで、野獣や悪魔のわめき声はおろか、虫の声もほとんど聞こえてこなかった。空に目を向けてみたが、残念ながら月は出ていなかった。私はそれを確認すると、元の場所へと戻った。やがて、廊下の角のほうからコツコツと軽い足音が聞こえ、王がバビを連れてやってきた。ブロートン王の険しい表情は相変わらずで、これから起こる恐ろしいことが、事前にわかっているかのようだった。打って変わって、公女バビの表情は穏やかで、すっかり覚悟は決まっているといった感じだった。


 先に我々の前に着いた王は、静かに彼女の部屋の扉を開いた。何か声をかけてくれるかと期待していたのだが、バビは沈黙したまま私の前を通り過ぎていった。長い髪を後ろで結っていて、とてもいい香りがした。キザンは胸に手を当て、一度深く敬礼した。城内は、信じられないほどに静かだった。人間の行動を夜の静寂が支配しているからだ。バビは部屋に入っていく直前、ふと立ち止まって私の方を振り返った。顔には余裕の笑みが浮かんでいた。


「どう? 今夜は何か起きそうなの?」


 風のように透き通った声だった。私は慌ててしまい、用意していた言葉がうまく出てこなかった。


「ああ……、月は出ていないし……、森には悪魔が出ているかもしれないけど……。」


「別に構わないわ。今夜はどんなに怖いことが起こっても、じっと我慢するし、決してあなたのせいにはしない。数時間我慢していれば、きっと朝はくるし、それに明日はダンスパーティーがあるのよ。躍ることを楽しみにしていれば、嫌なことの全てを忘れられるの。」


 その言葉に全身鳥肌が立った。その理由は分からない。心臓を刃物で突かれたような気さえした。


「それでは、おやすみなさい。」


 私に背を向けて、最後にその言葉を残してから、バビは室内に消えていった。しばらくすると、王が一人で部屋から出てきた。彼は音も立てずに扉を閉めると、落ち着いた口調で話しかけてきた。


「もう眠ってしまったよ……。室内にはやはり何もないようだが……。今夜は外の世界もずいぶん静かだし、多分何事も起きない……、大丈夫だと思うが……。」


「貴方もお休みになってください。何かありましたらお呼びしますので……。」


 声を押し殺してそう告げると、王は満足そうに頷いた。


「そうか……、では、後は君たち二人にお任せするよ。くれぐれも気をつけてな……。」


 ブロートン王は最後にそう言って、すぐ傍にある自らの寝所へと向かっていった。王が去ってしまうと、キザンはすることがなくなったようで、あてもなくこの廊下を行ったり来たりと彷徨いだした。私はそんな暇なことをしているわけにもいかないので、バビの部屋のドアに視線を当て、神経を集中させた。


「もう、ほぼ全ての人が寝室に入ったはずですから、これからは不審な足音にも注意してください。」


 私は声を尖らせてキザンにそう声をかけた。


「あっ、はい、わかりました。響いてくる音にも注意しておきます。」


 彼は反射的にそう返事してから、城の各部所の見回りに向かった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

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