マジョルカ断章 第十話
廊下ではジャブーが心配そうな面持ちで待っていた。
「バビのことを頼みます。私がこの部屋に現れたことで、少し動揺しているようなので……。」
私は彼にそれだけ言うと、急いで階段を下り、一階に降り立った。そのまま広間を突き抜け、正面口から外へ走り出た。すると、城門の前には相も変わらず、用もなさそうな兵士たちがうろうろとしていた。
「おお、あなたは……、いったいどうしたんですか?」
私が凄い勢いで城から飛び出してきたので、彼らも少なからず驚いたようだった。
「いえ、王の命令で、これから見張り塔を調べてみたいのですが、よろしいですか?」
私はそう言いつつも、すでに彼らの脇をすり抜けてしまっていた。
「あっ、困りますよ! 見張り塔は、あの塔はだめです!」
兵士の一人がそう叫んで、後ろから追いかけてきた。私はそれを無視して、城の右方に回りこみ、一目散に庭園に向かった。
城の西にある広大な庭園には十字に細い歩道が走っていた。花壇に一応花は植えられていたが、あまり手入れはされていないようで、雑草が到るところから顔を出していた。見張り塔はその庭園の奥にひとりでぽつんと、時の流れをも忘れたかのように佇んでいた。
外壁の煉瓦は古すぎて表面から剥がれかけていた。煉瓦の隙間のあちこちから雑草が芽を吹いていた。もう何年も人間が立ち入った様子がなかった。バビの部屋から見たときに思ったのだが、この塔は小さすぎる。城壁よりも高さがないのだから、見張り塔としての役割はほとんど果たしていない。これでは使われるはずがない。
登ってみたところで、この塔の三階から見えるのは、この庭園と森の一部だけだ。いったい何を見張るために造られたのだろうか。時間もなかったので、私はそこで思考を止め、塔の周囲を散策しながら入り口のありかを調べた。
すると、ちょうど正反対の位置に私がやっとくぐれる程度の大きさの石の扉があった。何年も風雨にさらされていたためか、扉と外壁の隙間には、小石や砂がびっしりと詰まっていて、どこからが扉なのか見分けがつきにくくなっていた。それだけでも十分に開けづらいのだろうが、この石の扉には金具で念入りに封印が施されていた。
無理に開けようとしてみたが、びくともしなかった。
その頃、ようやく先程の兵士が追いついてきた。重い鎧を着たままで走ってきたので、彼は汗びっしょりだった。私が古塔の扉をこじ開けようとしているのを見て、彼はまた驚き、息を切らしたまま大声を張り上げた。
「な、何をしているんですか、あなたは! ここは開けてはだめです。危険なんです。中には入れませんよ!」
「この中で調べたいことがあるんです。少しでいいですから、許可をいただけませんか?」
私は彼をなだめながら、そのように告げた。
「だめです、だめです。ご覧の通り、この塔はもう何十年も、いや、もしかしたら百年以上も放置されたままになっているのです。いつ崩れるかわかりません。絶対に近寄ってはいけないんです。中に入るなぞ、もってのほかです。さあ離れてください。危険ですから。」
兵士は私の肩を掴み、塔から遠ざけようとしてきた。
「私は城内で苦しんでいる公女を助けるための手がかりを探しているんです。ちゃんと王の許可も取っています。お願いです。ほんの少しでいいですから、中を見せてもらえませんか?」
「何と言われようとも、この塔はだめです。人が近づいてはいけないことになっているんです。」
その兵士は意志のない人形のようにそう繰り返すだけだった。私は仕方なく、言われるまま、一度塔から離れることにした。
「それでは、あの塔の中で絵画を見たことがないですか? おそらく犬の死体を描いたものだと思うのですが。」
その質問に兵士は首を傾げた。
「私はもちろん、あの塔に一度も入ったことがないので何とも言えませんが、あれはただの見張り塔です。保管庫や宝物庫ではありません。そんなに大事なものは絶対に無いはずです。それと、私は別に悪意があってあなたを塔に入れないわけではありません。あの塔は土台から朽ちてきていて、本当に危険なんです。近づかないほうが身のためです。」
兵士はそれだけ言うと一度頭を下げ、私の前から立ち去っていった。今のところ、この眼には見えないものから人間たちを守ろうとしているのに、逆に人間に邪魔をされて捜索ができないとは口惜しいが仕方がない。ただ、この塔の内部を見ておかなかったことが、後で災いしなければよいのだが。
すっかり失望してしまい、私は地面の上に意味も無く転がる小石を蹴り飛ばしながら城内へと戻った。このまま手がかりを何も掴めないまま、夜までただ待たなければならないのかと思うと腹が立ち、周りの景色も人の声もまるで感じられなくなってしまっていた。そのため、広間で自分の眼前をジャブーが通り過ぎていっても、何も反応することはできなかった。
だが、ジャブーの方で気がついてくれたらしく、彼は穏やかな表情で声をかけてきた。
「おう、外へ出ていたんですか? どうです? 何か見つかりましたか?」
私はその言葉に対して、首と手を同時に左右に振ってから答えた。
「いえ、まったくだめでした。見張り塔の近くまで行ってみたのですが、兵士に遮られて、中を見ることはできませんでした。
何であんなに強固に反対するのか、全くわからないのですが。」
相当に苛立っていたのか、少し早い口調になってしまっていた。
「そうですか……、うまくいきませんでしたか……。しかし、あの兵士たちは我々城内の人間が命令を出して動かしているわけではないのですよ。その辺はおわかりでしょう? 昔からとかく兵士というもは……、太古の理念とでも言うか……、決まりきった道徳意識のようなものだけで動いているようなところがありますからねえ。彼らが勝手に作り上げた規則に逆らうのは、我々でもとても難しいのですよ……。」
ジャブーの話はもっともだった。しかし、終わってしまったことを、今さらどうこうしたいとも思わない。私は話題を変えることにした。
「バビはもう落ち着きましたか?」
「ええ、おかげさまで……。私が部屋に入ったときには、まだ激しくむせび泣いてはいましたが、温かい飲み物を与えるとすぐに落ち着きました。しかし……、なんというか……、私の直感だけでこんなことを言うのは恐縮なんですが、泣き止んでしまってからは、昨日までより、ずいぶんすっきりとした顔をしていますよ。きっと、あなたが説得力のある言葉で励ましてくれたからでしょうね。」
分かりきったようにそう話すジャブーの顔も、ずいぶん晴々としていた。本当に大変なのはこれからだというのに。
「少しの間でいいですから、二階のバルコニーの方に来ていただけませんか? お話したいことがあるのです……。」
周りにいる人間たちの顔を窺いながら、ジャブーは小声でそう問いをかけてきた。私と二人きりになって相談したいのかもしれない。私は彼の言葉に応じて、一緒に階段を昇り、バビの部屋とは反対側にあるバルコニーへ出た。
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